第四話
「レオーネ様の様子はどうですか!?」
あと一時間ほどで日付が変わる頃。
彼の部屋から広間に出てきたロッソに、リシェルは駆け寄った。
「お熱は!? 怪我は!? どのような状況なのですか……!」
「待て、とりあえず落ち着けって」
リシェルのあまりの剣幕に圧されたのか、ロッソが一歩、後ずさる。
「熱はかなり出てるな。水分は摂れてるみたいだからそれほど問題はねえが、怪我の痛みがひどそうだ」
「そんな……」
不安になって、部屋着の胸元をぎゅっと握った。
レオーネの怪我——魔に噛まれたそれは、現場でリシェルが確認した時には血が滲む程度の軽傷に思えたのに、かなりの痛みがでてしまっているようだった。
「まあ、魔につけられた傷だからな、痛むのも当然だ」
「そうなのですか?」
「ああ」
ロッソはうなずきながら、ソファにどかりと腰を下ろした。
「あんただって経験あんだろ? 昔、イルデブラン家で魔に背中をやられたらしいじゃねえか」
「いえ、あれは野犬に襲われたもので」
「親にそう教えられたのか? そうか……きっと魔をこわがらねえようにだろうな」
——って、あれが……? 八歳の時に襲われたあれは、魔だったというの?
リシェルの心臓がどくりと鼓動した。
その時のことは、あまり覚えていない。
ただ目の前に、急に大きな黒い犬のようなものが飛び出てきて。
今思えばたしかに、目の色は鮮血のように真っ赤だった気がするけれど。
「あんた、その時の怪我で、どのくらい療養した?」
「一年ほどです」
「ずいぶん長げえと思わなかったか?」
「今考えれば、たしかに……」
「それが魔の力だ。やつらにやられると、小さな傷でもひどい痛みや熱が続いて、体力を激しく消耗する。治るまでにはかなりの時を要する」
「じゃあ、あの時の野犬は、本当に……」
「レオーネがずっと悔いていた。この国唯一の星でありながら、星の花嫁であるあんたを魔から守れなかった、と」
だからレオーネはたびたび口にしていたのだ。
リシェルを必ず守る、と。『今度こそ』と。
そこでリシェルははっとした。
イルデブラン家で怪我をした時のことを何の気なしに話してしまったが、そもそもリシェルは今、ソフィアを名乗っていたのだった。
「あの、それは、あの……姉のリシェルの話で……」
「その設定、もう面倒くさくねえか? あんたがリシェルだってこと、再会した当初からレオーネは確信していたぜ?」
あっさり言われれば、もう反論できなくなった。
リシェルが黙り込んでいると、ロッソがやれやれといった調子で立ち上がる。
「それはまあ、レオーネとあんたでする話か」
「って、帰られてしまわれるのですか!?」
途端に不安になった。
熱にうなされるレオーネを置いていかれて、何事かあった場合にはどうすればよいのだろう。
「心配するな。あいつは精霊の力を受け継ぐ星だ。朝には回復すんだろ」
「ですが……」
「エヴァルドにいた頃にも、こういったことは多々あった。そもそも自分の気を使って発動する術をあれだけ多用すれば、夜には必ず寝込むしな」
「ですが……!」
「心配ならたまに様子を見に行ってやれ」
「わたしがですか!?」
「あんたが行けば、あいつも喜ぶ」
ロッソは「じゃあな」と、ひらひらと手を振りながら去っていった。
——って、そのようなことを言われても……。
レオーネがベッドにいる状態で彼の部屋に立ち入ることは、とてもハードルが高かった。
けれど、苦しんでいるかもしれない彼のことを、このまま放っておきたくはない。
彼が怪我を負った原因は、リシェルにもあるのだ。できれば側で看病をしたかった。
ごくりと息をのんだリシェルは、彼の部屋の扉をノックした。
「……レオーネ様? 大丈夫ですか?」
しばらく待ってみるが、返事はない。
耳をそばだててみれば、かすかにうめき声が聞こえたような気がして、リシェルは慌ててドアノブを回す。
「レオーネ様……!」
ベッドに横になっていた彼は、激しくうなされていた。
「くっ……あ……いたい……さむ、い……」
「レオーネ様、大丈夫ですか……!?」
リシェルはすぐさま枕元にひざまずいた。
「あ……リシェ……ル? どこだ……?」
彼はぼうっとした様子で、リシェルを探している。
——リシェルを名乗ってはいけないのだけれど。
今はそのようなことを気にしている場合ではなかった。
「ここです。わたしはここにいます……!」
彷徨うように伸ばされた左腕を、リシェルはつかんだ。
なんて熱いのだろう。体温の高さに驚く。
こちらを向いた彼の金色の瞳は力無く、ぼんやりとしていて、銀色の髪は汗で額に貼り付いていた。
——相当つらいはずだわ。
「お水は? 何か飲まれますか?」
どうにかレオーネに楽になってほしかった。
しかし彼は、うわごとのようにリシェルの名を呼び、リシェルの手をすがるように握る。
「リシェル……リ、シェル……ああ、よかった……君に、会いたかったんだ……」
夢を見ているのか、それとも高熱で意識が曖昧なのか、レオーネはリシェルを見て安堵したように微笑んだ。
「俺は……君を守れた? 今度こそ、君のことを……」
「——……っ!」
胸が苦しくなった。
ロッソいわく、もうずっと、リシェルを守れなかったことを気に病んでいたレオーネ。
そのようなこと、気にしなくてもよいのに。
イルデブラン家で傷を負ったのは、リシェルが彼の前に勝手に飛び出したからなのに。
リシェルは「ええ」と必死にうなずいた。
「魔から、守っていただきました。だからもう心配しないでください」
するとレオーネは、嬉しげに笑った。
「よかった……」
握ったリシェルの手に、ほおずりをしてくる。
「冷たくて……気持ちいい……」
「レオーネ様、今はとにかく、ご自分のことだけお考えになってください。わたしは部屋に戻りますから、このままゆっくりお休みになられて——」
「いやだ……!」
「えっ」
唐突に腕を引かれて、彼の上に覆い被さるような格好になってしまった。
「ご、ごめんなさい……! 怪我に障りませんでしたか!?」
「リシェル、行かないでくれ……」
熱にうなされるレオーネは、まるで駄々をこねる子供のようだった。
「行ってはだめだ……お願い、もう、君と離れたくない……」
そのまま抱きしめられれば、逃げ出すことなどできなくなった。
「お願いだ、俺を受け入れて……」
——熱い……レオーネ様の熱で、くらくらする。
気付けばリシェルはベッドに横にされ、彼に抱きしめられていた。
「ああ、気持ちいい……冷たくて、やわらかくて……君はなんて気持ちがいいんだ……」
レオーネはリシェルの胸元に顔をうずめると、ほうっと穏やかな息を吐いた。
「どうしてだろう……痛みが、ひいていく気がする……」
リシェルが受け継ぐ花の精霊の力だろうか。
花の精霊は他者に力を与える特異体質だとレオーネは教えてくれたが、ならば今、彼に力を与えて、彼を楽にしてあげられればいいのに。
——お願い。どうか、この人を癒して。
少しずつでもいいから、どうにか彼を楽にしてあげてほしい。
胸中で強く願いながら、リシェルはレオーネを抱きしめ続けた。
そしていつしか、そのまま眠りに落ちてしまったのだ。




