第三話
街の外れの森に出現した魔は、以前、リシェルが襲われたそれよりも、大きかった。
動物にたとえれば、熊ほどの大きさだろうか。
リシェルとレオーネが彼の馬に二人乗りし、現場に駆けつけた時にはすでに、先に到着していた特殊部隊の隊員たちが、魔を取り囲んでいた。
「足止めに成功したか。よくやった」
到着するなり、レオーネは抱きかかえるようにしてリシェルを馬から下ろした。
そのままリシェルを伴い、隊員たちの中に入っていく。
唸る黒い獣。
ぎょろりと動く真っ赤な丸い瞳。
目にした瞬間、「ひっ」と悲鳴が漏れた。
ただただおそろしくて、気付けば四肢が小刻みに震えていた。
「いいか、皆、よく聞いてくれ。今回はあれを滅するのではなく、生け捕りにする」
レオーネがそう告げた直後、隊員たちが「えっ……」と息をのんだ。
「あ? レオーネ、本気か?」
ロッソが盛大に眉をひそめる。
「生け捕って何に使う? 研究か? だがそんなもんはエヴァルドで散々——」
「今、用途を話している暇はない。従え、ロッソ」
「あー、了解。あとで話せよ」
ロッソは腰に下げていた鞄の中から、短剣を数本取りだした。
「皆はそのままの位置で対魔用の剣をかまえるように。ロッソは抑圧の術を。その後、俺が術で捕縛する」
抑圧の術に、捕縛の術。
それらがエヴァルドに伝わる対魔用の術だということは、レオーネから教えられていた。
なんでも術者本人の気を用い、印を結んで発動する術で、エヴァルドでは対魔用に鍛えられた剣とその術を複合的に使い、魔と闘っているのだとか。
「イルデブラン隊長! お言葉ですが、あの魔、絶え間なく動いていて危険かと……術をかけようとすれば暴れてどのような動きをみせるかわかりません!」
隊員の進言に、「問題ない」とレオーネは応えた。
「もし暴れたとしても、次の動きは見えている。魔は、必ず彼女を狙うはずだ」
皆の視線がたちまちリシェルに集まった。
——それは、わたしが星の——いえ、魔と星の花嫁だから? ということは、レオーネ様はわたしがソフィアではなく、リシェルであるとやはり気付いている……?
あれこれ考えて目をぱちぱちしていると、レオーネに腕を引かれた。
「俺の後ろにいてくれ。頼むから絶対に離れるな」
リシェルは無意識のうちに、彼の隊服の背の部分をつかんでいた。
「では早速、開始する。——ロッソ」
「了解」
隊員たちが対魔用の剣をかまえなおした。
ぐおおおおっと低く唸る魔の足元を狙い、ロッソが地面に短剣を突き立てていく。
「——発動!」
直後、四本の短剣を起点とするように、青い光の印が結ばれた。
すると魔はより大きな唸り声を上げながら、ぴたりと動きを止めた。
「さすがだな。——捕縛」
レオーネは魔の眼前まで歩み寄ると、黒い手袋を外し、右手をかざした。
そこに浮かび上がる不思議な文様。
彼の右手が白く激しく光ったかと思うと、そこから光の網のようなものが生まれ、獣の身体を覆い尽くしていく。
「なんてことだ……隊長ひとりで、あの大きさの魔を捕縛するなんて……」
「気の媒体となる武器も使わなかったぞ……」
隊員たちは、レオーネのとびぬけた力に吃驚しているようだった。
やがて魔は、断末魔のようなうめき声をあげながら、その場に横倒しになった。
「おおーっ!」
隊員たちの間から、自然と拍手が生まれる。
「そこの五人! 今すぐ王宮に戻り、これが入る程度の檻を持ってこい。それに俺が対魔用の術をかける」
「承知いたしました!」
「……オセアノは? どこへ行った?」
ふと気になったのか、レオーネがあたりを見回した。
たしかに彼の姿が見えなかった。
「すみません、今、到着しました! 途中で馬が怪我をしたので、遅くなってしまって……!」
ひとあし遅れて登場した彼が、小走りでこちらにやってきた。
その時、オセアノの背後に立つ木の影がうごめいたことを、リシェルは見逃さなかった。
——新たな魔の出現だわ……!
けれどそれを言葉にしてレオーネに伝えている時間はなかった。
その魔は影から生まれた途端に、オセアノに飛びかかろうとしたのだ。
「危ない……!」
気付けばオセアノを突き飛ばし、両腕を広げて彼を庇っていた。
リシェルの存在に気付いた魔は、血を舐めたあとのように真っ赤な舌で、物欲しそうに舌なめずりをする。
ーーこちらに来る……!
「ああっ……!」
絶望に声が出た。
予想どおり、魔がリシェル目がけて跳躍したのだ。
「守ると言っただろうが!」
身を屈めたリシェルの前に立ったのはレオーネだ。
けれど術を発動する時間はなかったのだろう。
魔に飛びかかられ、そのまま押し倒されてしまう。
「レオーネ様……!!」
「隊長!」
「騒ぐな!」
左腕に魔の歯を突き立てられながら、レオーネは右手を魔の額にあてた。
そしてそこから青い光と白い光が順に生まれ、やがて魔は動きを止めて横倒しに倒れた。
ーー何が起きたの!?
「抑圧と捕縛を行った。もう大丈夫だ」
「レオーネ様……!」
リシェルはレオーネのかたわらにひざまづいたが、彼はなんてこともないように起き上がった。
「レオーネ様……! レオーネ様!」
「ああ、そんな顔をするな。何の問題もない」
レオーネは魔に噛まれていた左腕を、ひらひらと振ってみせる。
「お怪我は!?」
「かすり傷だ」
「嘘!」
信じられなくて隊服の袖を無理矢理まくってみれば、たしかにそこには血が滲む噛み跡が残る程度だった。
「よかった……! 食べられてしまったのかと思って……! まさかこの程度で済むなんて……!」
「いや、俺こそ君を守れてよかった」
レオーネはほっと安堵したように息を吐いた。
「あっ……オセアノ様は? お怪我は?」
リシェルは背後を振り返った。
「僕は大丈夫だ。……申し訳ございませんでした。後ろに魔が出現していたことに気付かなくて」
「突然現れたんだ、しかたがない」
立ち上がったレオーネは、落ち込むオセアノの肩をぽんと叩いた。
そして隊員たちに周囲を警戒させながら、再びあれこれ指揮を執り始めたのだ。
「あいつ……今夜はやべえかもな」
近づいてきたロッソが、ぽつりとつぶやいた。
「今夜?」
それはどういうこと? と、その時は首をかしげたリシェルだったが、夜になって、ロッソの発言の意味を知ることとなった。
本日の仕事を終え、部屋に戻ったレオーネが、熱を出して倒れてしまったのだ。