第二話
「街の外れの森に魔が出現した。今から討伐に行ってくる」
執務室に戻ってきたレオーネは、壁にかけていた自身の剣をとると、またすぐに出て行こうとした。
「君はここで続きの仕事をしていてくれ」
「ええ、承知いたしました。どうぞお気を付けてください」
レオーネを見送ろうと、リシェルは立ち上がる。
「行ってらっしゃいませ」
けれど彼は、ぴたりと足を止めた。
「何があった?」
「え?」
「顔色が悪い。あのあと、何事かあったな?」
——どうして気付いてしまうの。
リシェルは泣き出してしまいたいような衝動に駆られた。
けれど、今はだめだ。
何事も無かったようなふりをして、彼を送り出さなければいけない。
「いえ、何もございません。それより魔の討伐、どうかお気をつけて——」
「言うんだ」
「あっ……」
急にレオーネが距離を詰めてきた。
剣を持っていない右手で、腰を抱かれて引き寄せられる。
「君の瞳に光がない。眉も下がっている。唇にも噛んだあとがあるし、手もこんなに冷たい」
「いえ、本当になにも」
「見くびるな。好きな女の変化に気付けない男だとでも思ったか?」
「——……!」
金色の瞳に射貫かれるように見つめられれば、リシェルの緊張の糸がぷつりと切れた。
——なに、それ……どうしてそのようなことを言うの。
「なぜ泣く」
言われて気が付いた。
自分の頬が、涙で濡れていた。
「くそっ……こんな状態で、置いていけるわけないだろうが!」
レオーネは剣を放り出すなり、リシェルのことを抱きしめた。
——いけない。きっと一刻を争う事態だわ。
隠したところで、おそらく彼には嘘だと見抜かれてしまう。
ならば真実を明かしたほうがいいだろう。
「……家族に、知られてしまったのです。わたしがここにいることを」
リシェルはうつむいたまま口を開いた。
「——っ! 間違いないのか」
「ええ。先ほどオセアノ様から教えていただきました」
「オセアノから……?」
レオーネは訝しげに眉をひそめる。
「あの、だから魔を討伐して、無事に帰ってきてください。……そうしたら、相談に乗っていただけますか? わたしはこれからどうすべきなのか、話を聞いていただけると、助かります」
おそるおそる顔を上げると、レオーネと視線が交わった。
「それはもちろん聞くが……」
「レオーネ様のお帰りをお待ちしております。だからどうか、お気を付けて行ってきてください」
なるべく平気なふりをしようと、涙を拭って微笑んだ。
するとレオーネは、はあっと大きく息を吐いた。
そこにロッソが駆け込んでくる。
「レオーネ、何してる! 行くぞ!」
「わかってる!」
怒鳴るように言って、レオーネはもう一度リシェルを見た。
「……この剣を持て。討伐の間、肌身離さずだ」
「え?」
どういうこと? と首をかしげながらも、差し出された彼の剣を受け取った。
「君も一緒に連れて行く」
「えっ!?」
「ってレオーネ、本気か!? 遊びに行くんじゃねえんだぞ!」
「もちろんわかってる!」
叫んで、レオーネはリシェルの手をとった。
「状況が変わったんだ。置いていって、もしどこかへ行かれでもしたら……!」
ああ、そうか。
彼はおそれているのだ。
家族に居所を知られたリシェルが、ここから勝手に去ってしまうことを。
「ちゃんとお帰りをお待ちしております!」
「君の言葉を信じる。——が、後悔はしたくない。それに何か……置いていってはまずい予感がするんだ」
レオーネは考えを曲げなかった。
「って……まあいいか。星のおまえの言うことだ。俺にはわからねえ何かがあるんだろ」
ロッソは「承知した」と、あっさり受け入れた。
「それに彼女の剣の腕なら、自分の身くらい自分で守れるかもだしな」
「行くぞ」
レオーネに手を引かれて、リシェルは部屋を出る。
「え……本当に!?」
「君のことは今度こそ俺が守る。だから信じて、ついてきてほしい」
切羽詰まったように願われれば、結局、全速力で走り出すしかなかった。
——レオーネ様……。
すぐ目の前を行く、大きな背中。
リシェルはそれに抱きついてしまいたいような衝動に駆られた。
本当は、あの部屋にひとり残されたくはなかった。
最近、薄れ始めていた記憶が——義妹や義母に虐げられたあれこれが、ありありとよみがえってきてしまっていたからだ。
——せめて、足手まといにならないようにしよう。
走りながら、リシェルはまっすぐ前を向いた。
その時にはもう、リシェルの中から義妹の影はすっかり消えていた。




