第二話
「やあ、リシェル。……またひどく噂されているみたいだね」
リシェルの横で、二頭立ての立派な馬車が止まった。
中から、騎士団の制服に身を包んだ青年が降りてくる。
「オセアノ様? また街に御用ですか?」
彼は、オセアノ・グラート。歳は十八。
ここオルランド王国の騎士団特殊部隊に在籍する、グラート伯爵家の長男だ。
リシェルとは幼馴染みの関係にある。
「今日はまた、何の御用ですか?」
「ちょっと買い物があってね」
近頃、彼とは街でよく遭遇する。
どうやら仕事が非番の時に、用を済ませに来ているらしい。
金髪碧眼、整った顔立ちの彼は、長身もあいまって、街では目立った。
「それより、街人たちは、君のことをすっかり義妹の『ソフィア』だと信じ切っているみたいだね。実際にはそのソフィアに虐げられている姉のリシェルだというのに」
「おかげですっかり悪役です」
「否定しないのかい?」
「街の方たち、ひとりひとりにですか?」
リシェルはくすりと笑った。
「そのようなことはとても無理です。それに、そのような真似をしたら、義母や義妹にどれほど叱られることか」
考えただけでげっそりした。
屋敷中の掃除を命じられたり、食事を極端に減らされたり、真冬の夜に外で洗濯することを強要されたり――これまで彼女たちからされた数々の嫌がらせが思い出される。
「しかし、クローデッド伯爵も情けない――いや、気が弱い――いや、後妻のわがままを止められない――いや、だめだな……上手く言えない」
どのように言っても失礼になると考えたのか、オセアノは口を閉じた。
――まさしくオセアノ様の言うとおりだわ。
父がもう少ししっかりしていたらこうはならなかったのにと、リシェルは唇を噛む。
「あいかわらず、昆虫の研究ばかりしている父ですから……」
「もう三年になるかな、伯爵が再婚されて」
「ええ、そうですね」
その再婚により、リシェルには義理の母と妹ができた。
彼女たちに虐げられるようになってからも、やはり同じだけの月日が経つ。
「今日の買い物も、義妹に――ソフィアに行ってこいと言われたの?」
「そうですね。馬車は使ってはいけない、とのことでした」
「だったら僕の馬車に乗って帰ればいい」
「ありがとうございます。けれど、ご遠慮いたします」
義妹の命令に反すれば、激しく文句を言われることは、わかりきっていた。
「じゃあ僕も歩こう」
「送ってくださらなくてもけっこうですよ?」
「でも君、魔に襲われるかもしれないから。――ほら、行くよ」
はぐれないように、と優しく微笑んで、オセアノは歩き始める。
「ですが、魔はそうそう現れないかと」
「魔を甘くみないほうがいい。とくにこれからの時間――夕刻からは注意が必要だ」
「ですが」
「いいからもう受け入れて。僕が君を送りたいんだ」
これ以上は堂々巡りになってしまうだろう。
「ありがとうございます」
言って、リシェルはオセアノの後ろを歩き出した。
――オセアノ様……昔からいつも気遣ってくれて、お優しい方。
最近、彼が頻繁に街にやってくるのも、もしやリシェルを心配してくれているからかもしれない。だって顔を合わせれば、毎回、こうして家まで送り届けてくれるのだから。
「オセアノ様、いつもありがとうございます」
あらためて感謝を口にすれば、彼は振り向かずに応えた。
「気にしないで」
照れているのか、彼の耳がかすかに赤くなっているような気がして、リシェルは頬をゆるめた。