第二話
——ああ、まさか……まさかこんなにも簡単に再会してしまうなんて……!
その時、リシェルは激しく絶望した。
なぜ? こんなにも不可思議なことがあるものだろうか。
まるで目に見えない何らかの力に導かれているとしか思えなかった。
これが星と、その花嫁の宿命なのだろうか。
「騎士団特殊部隊、部隊長のレオーネ・イルデブランだ。……君の名は?」
——なんて答えればいいの。
彼の前ではソフィアを演じなければいけないが、今、リシェルはアリア・コルテーゼを名乗ってしまっている。
「ああ、君、いきなりでびっくりしてしまっているかな? そりゃそうだ、あのレオーネ・イルデブラン様だものね。君もこの方の噂は耳にしているだろう?」
「え……あ……」
マウロがその場を取り繕おうとしたため、話を合わせようと無言でうなずいた。
「イルデブラン隊長。彼女はアリア・コルテーゼといいます。コルテーゼ男爵家の遠縁だそうで」
レオーネの反応がこわくてぎゅっと目をつむるが、彼は偽名に関して突っ込んではこなかった。
「ご苦労だった。これ以降、彼女はうちで預かろう」
こちらにやってきた彼に手を握られ、心臓がどきりと跳ねる。
「よろしくお願いいたします。——では君、頑張ってね」
「あ、ありがとうございます……」
マウロはにこっと笑って自らの職場に戻っていった。
「——さて」
レオーネが沈黙を破った瞬間、リシェルの身はびくりと震えた。
「こちらを向いて。顔をよく見せるんだ。……まさかこんなにも早く君に会えるとは」
「あの、わたし……えっ」
レオーネは流れるような動作で、リシェルの手の甲にキスをした。
そのままの体勢で、ひたとこちらを見つめてくる。
「昨日から君のことばかり考えていた。……それこそ、夢に見てしまうほどに」
「いやいや、そんな話じゃねえだろ!」
呆れ気味に突っ込んできたのはロッソだ。
「まずはこの謎すぎる状況を説明してもらわねえと」
彼は会議用らしきテーブルの前にある椅子に、どかりと腰掛ける。
「あんた、なぜここに来た? うちの隊の新たな隊員だって?」
「申し訳ございません。まさか与えられた職場がこちらだとは、夢にも思わなくて」
するとレオーネが、リシェルの腰を抱いた。
「君が謝る必要は無い。さあ、ここに座って」
導かれるまま、リシェルはロッソやレオーネと向かい合う席に座る。
「まずはなぜ君がここに来ることになったのか、経緯を聞こう」
なにもかもを見透かすような金色の瞳が、こちらに向けられた。
——逃げられない。
ならばソフィアを演じながら、なるべくありのままを話すしかなかった。
「……家を、出たのです。実は長らく家族と折り合いが悪くて、自立したいと願っておりまして」
「って、まさかの家出!? 伯爵家令嬢が!?」
ロッソが大きな声をあげた。
「君と折り合いの悪い家族とは、どなたのことだ」
「弟以外、全員です」
レオーネの質問に応えている間に、ロッソがゴミ箱から書類らしきものを拾ってきた。
「これにはリシェルの義妹であるソフィアが姉を虐げてる、って書いてあるぜ。それで、実母である伯爵夫人もソフィアを見限ったとか——」
「ロッソ!」
レオーネは書類らしきものを奪い取ると、背後に放り投げた。
「今、その話は必要ない」
——ああ、対外的にはそのような設定になっているのね……。
そこまで把握しているのなら、それが原因だと勘違いしてくれれば話は早いのだが。
「昨日、俺が伯爵家を訪ねたことと、君の自立と、何か関係があるのか?」
「——……!」
思わず言葉に詰まったが、すぐに「いいえ」と微笑んだ。
「関係ございません。もうずっと前から、家を出たいと願っていたのです。折良く本日、仕事を紹介してくださる方と出会えましたので、行動に移しました」
ただ、とリシェルは二の句を継ぐ。
「エヴァルド語のスキルを求められる職場、としか聞いていなかったので、このようなことに……本当に申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げた。
「なぜ偽名を?」
「わたしが家を出たと世間に知れれば、伯爵家の醜聞になると考えました。それに、本名を名乗ればわたしの居場所を家族に知られてしまうと思いまして……」
「なるほど、家族に居所を知られたくはないのか」
リシェルは「はい」と首を縦に振った。
「ですので、ここにわたしが来たことを、どうか家族には秘密にしておいてくださいませんか?」
とくに義母と義妹には。
「いいだろう。が、条件がある」
「なんでしょう?」
「君がこのままここで働くことだ」
「えっ」
驚くあまりに反射的に顔を上げると、レオーネは困ったような顔で腕を組んでいた。
「君は今すぐここを去るつもりでいるのだろう?」
もちろんそのつもりだった。
ここは世界で一番、来てはいけなかった場所。
そして彼とは、決して再会してはならなかったのだから。
「君にはここ王立騎士団特殊部隊で、私の部下——従騎士として働いてもらう」
「って、レオーネ、おまえマジで言ってんのか!?」
「何を驚く。エヴァルド語を扱える者が必要なのは事実だろうが」
「ですが、さすがにそれは無理です……! 姉の婚約者の元で働いていることがもし家族に知れたら、いったいどうなるか……」
そもそもレオーネと再会したことを激怒され、家を追い出されたリシェルなのに。
「君の正体は、俺とロッソしか知らない。ならば君の要望どおり秘密にしておけば、クローデッド家に知られることはないだろう」
「それは……」
そうなのかもしれないが、問題はそればかりではない。
レオーネはおそらく、ソフィアを名乗るリシェルのことを、リシェル本人であると疑っている。
ということは、もし真実が明るみになり、伯爵家が偽りの花嫁を立てたことが知れたら、それこそ大問題に発展してしまう。
「申し訳ございませんが、やはりこちらでのお仕事はご遠慮させてください。わたしは別の職を見つけますので、どうかわたしがこちらにお邪魔したことはお忘れに——」
「忘れられるものか」
急に立ち上がったレオーネが、リシェルの前でひざまずいた。
「もう決して逃がさないと決めたんだ。君のことは、俺の目の届くところにおいておく」
彼の大きな手のひらが、リシェルの頬にふれる。
そっとたしかめるようになでられて、思わず身体がぴくりと跳ねた。
「今すぐに、選ぶといい」
なにを? と目を瞬くリシェルに向けて、レオーネは無表情のまま言った。
「ここの隊服に袖を通し、俺の側に留まるか。あるいは連絡をすればかけつけるであろう家族に連れられ、クローデッド家に戻るか」
リシェルにとっては、究極の二択。
「さあ、どちらを選ぶ?」
獅子のような金色の眼差しに迫られて、リシェルはごくりと息を飲んだ。




