第四話
翌日の昼前、リシェルは義母と義妹に広間に呼び出された。
「あなた……昨日、レオーネ様の馬車から降りてきたんですってね」
言われると同時に、ばちんっ! と、強烈な痛みを右頬に覚えた。
義妹に平手打ちをされたのだと気付いたのは、少し遅れてからだった。
――どうして知っているの。
不思議に思っていると、ばちんっ! と、左の頬にもう一発。
「この、泥棒女……! わたくしの婚約者を奪うつもり!?」
ひりつくような痛みが、顔中に広がっていく。
「あなたまさか、自分がリシェルであるなんて妄言を吐いたんじゃないでしょうね!?」
「いいえ」
リシェルは首を横に振った。
「偶然お会いしたあの方に、わたしはソフィアを名乗りました」
「なぜあの方の馬車に乗ったの!」
「それは……お断りしたのですが、伯爵家まで送ると強引に馬車に乗せられてしまって……」
事実を口にしたところで、義母がつかつかと歩み寄ってくる。
「――卑しい女」
目の前が一瞬、真っ白になった。
義母の扇で、こめかみの辺りを殴りつけられたのだ。
――痛い……。
気が遠くなるような感覚に襲われるが、続けて頬を殴りつけられて、逆に意識がはっきりした。
「卑しくて、薄汚い女。リシェルからレオーネ様を横取りするつもりね?」
って、いったいどちらが? と問いたくなったが、のみこむしかなかった。
「この結婚は国から命じられたものよ。それがもし失敗したら、この家は終わってしまうの。わかる? ――だから、ほら」
「え……」
リシェルは驚愕に目を見開いた。
「今すぐこの家から出て行きなさい」
義母の指先は、使用人用の出入り口の方角へ向けられていた。
「そんな……!」
「もう一度言うわ。今すぐによ。二度とこの家に戻ることは許さないわ」
――しまった……! 今日であれば、出て行くしかないわ……!
焦りが鼓動を早くした。
いったいどうすればこの場を切り抜けられるだろうと、リシェルは不安に拳を握る。
不幸にも今、父とエリオとアンナは連れだって出かけている。
三人が不在なのをいいことに、義母は本気でリシェルを追い出すつもりのようだった。
「ならばせめて父さまにご挨拶を……エリオにも、アンナにも会ってから……」
どうにか食い下がろうとしたが、手にしていた扇を投げつけられた。
「行きなさい!」
って、いったいどこへ?
思いつかなくてその場に立ちすくんでいると、「そうだわ」と、義妹がぽんと手を叩いた。
「いいことを思いついたわ。あなた、ここから追い出されたら、行く所などないのでしょう?」
こくり。
悔しいが、うなずくしかなかった。
いつかは出て行きたいと願ってはいたけれど、そのタイミングは今ではない。
だってリシェルは、まだ何の下準備もできていないのだから。
「ならば、仕事をすればいいのよ。お母様、ちょうどこのあと、行商人が来る予定じゃない? その者にソフィアを託すのはどうかしら」
「ああ、それは良い案ね。たしかあの者……職の斡旋もしていたわね」
「ここからうんと遠い街に連れて行ってもらいましょうよ。王都ではいけないわ。またレオーネ様にちょっかいを出されたらたまらないもの」
――って、行商って……あの愛想の無い人のこと?
無意識のうちに身がすくんだ。
義母たちがたまに呼びつける行商人の男は、やけに無口で無愛想で、商売を生業にしている者とはとても思えなかったのだ。
――この先の身の振り方まで決められるなんて、冗談じゃないわ。
しかも、あやしげな行商人に託されるなんて、不安しかない。
「わたし、ひとりで出て行きます。職は自分で探しますから、どうぞご心配なく」
けれどリシェルは、義母と義妹に捕らえられ、納戸のような一室に閉じ込められてしまった。
そして午後、クローデッド家にやってきた行商の男に、引き渡されることとなったのだ。