006 市場でデート
「ご機嫌よう、お姉様。なんだかお久しぶりですね」
「ご機嫌よう、プリエマ。ええ、本当に久しぶりですわね。昼食時にこちらに来るなんて珍しいですけれども、なにかございまして?」
「その、今度令嬢を集めてお茶会を主宰したいと思うのですが、王妃様が主催するお茶会に参加することはあっても主催したことはございませんでしたので、お姉様にどのような方々を招待すべきかお聞きしたくて」
「なるほど。まずは同派閥の令嬢に参加していただくのは必須ですが、貴族の派閥に関しては把握しておりますか?」
「それが、まだよくは……」
「それと、プリエマの場合、ウォレイブ様の側妃婚約者候補もお茶会に呼ぶ必要がございますわね」
「え、どうしてですか?」
「正妃婚約者としての威厳を見せる為ですわ。今から自分は正妃となるのだと見せつけておく必要がございますでしょう?」
「なるほど」
「派閥関係の令嬢のリストは今夜にでも作って明日差し上げますわ」
「ありがとうございます、お姉様」
「いいえ、いいのですよ。王族教育、がんばっているそうではないですか、偉いですわね」
「これも私の幸せな未来を勝ち取るためです。確かに、詰込みの王族教育からは逃げ出しちゃうときもありますけど、基本的にちゃんと受けていますよ」
「逃げ出してはいけませんわよ?」
「だって、本当に厳しいんですもの。たまに逃げ出しても罰は当たらないと思います」
「困った子ですわね」
わたくしは苦笑を浮かべながら、満足そうに立ち去って行くプリエマの後ろ姿を見送りました。
さて、派閥関係をプリエマがまだ把握していないと言うのは問題ですが、お茶会を通じて派閥にも少しずつ理解を深めていってくれると良いですわね。
リストは帰宅しましたら早速作ることにいたしましょう。
わたくしとトロレイヴ様、ハレック様は昼食も済みましたので、学園の中庭で一息つこうという話になりまして、中庭に出ました。
わたくしはリリアーヌが差す日傘の下で、お二人に挟まれる形でベンチに座っております。
うう、二学年に上がってから、当たり前のようにこのフォーメーションですけれども、なかなか慣れませんわね。
残暑という事だけではなく、熱いですわ。
「そうだ、グリニャック様」
「はい、なんでしょうか?」
「うん、今度の休日は三人で街の市場に行ってみないかい?」
「市場ですか?」
「そうなんだ、この間実地訓練で街の警備体験というものをしたんだが、活気にあふれたいい場所だったぞ」
「まあ、そうなのですか。それは確かに興味がありますわね」
「まあ、スラム街もあるから、絶対に僕達から離れちゃだめだよ?」
「何かあっても私達二人でグリニャック様を守るから、安心して着いて来てほしい」
「そうですわね、お二人がそこまでおっしゃるのでしたら、行けるようにお父様に相談してみますわ」
街に行くという事は、久しぶりに私服姿のお二人を見ることが出来るという事ですわよね。
あ、でも普段の服ではあからさまに貴族です、と宣伝して歩いているようなものですし、着ていくものも平民に合わせたものになりますわよね。
生コスプレ? いえ、変装ですわよね。この場合。
わたくしも平民が着るような洋服を用意しなければいけませんわね。
「リリアーヌ、お父様に許可はいただけると思うので、平民が着るような服の手配をお願いできるかしら?」
「かしこまりました、グリニャックお嬢様」
リリアーヌが頷いたのを確認して、わたくしは左右にお座りになっているお二人に、頷きを返しました。
「それにしても、騎士科ではそのような講義を受けているのですね、わたくしの特進科とはやはり違いますわね」
「そりゃそうだよ、特進科は高位貴族の中でも家を継ぐ人たちが領地経営とか、王宮や貴族達の様々なことを学ぶためにあるクラスなんだからね」
「そうだな、こっちは確かに体力勝負なところはあるが、グリニャック様達の方は知恵勝負なところがあるよな。私達にはついていけないさ」
「そんなことないと思いますけれども。だって、お二人だって、確かに剣の修行はなさっておいでですが、領地経営の勉強もなさっていると、お二人のお母様から聞いておりますわよ?」
「え、なんでばらしちゃうかなあ、母上」
「全くだな。せっかくこっそりトロレイヴと二人で勉強していたのに」
(二人でこっそり勉強! 秘密の勉強!)
まあまあまあ、なんという事でしょうか。お二人は二人で秘密のお勉強をなさっていたのですね。
どんな感じにお勉強なさっていたのでしょうか。肩を並べ合って、顔がくっつきそうになるような距離で、お勉強していらっしゃったのでしょうか?
それとも正面に向き合って、お互いの顔を見ながらお勉強なさっておいでだったのでしょうか?
ああ、どちらにせよ、ぜひともその場面を見て、あわよくば写真に収めたいですわ。
きっと素晴らしい思い出になったに違いありませんもの!
わたくしがうっとりとそんな事を考えていますと、両サイドから手が伸びてきて、わたくしの髪をそれぞれ持つと、髪の毛に口づけをされてしまいました。
(きゃぁぁぁっ! 何事⁉)
わたくしが顔を真っ赤にいたしますと、トロレイヴ様とハレック様が意味深な笑みをわたくしに向けてまいりました。
「また変な事考えていたでしょ? なんとなく雰囲気でわかるようになってきたよ」
「えっと……」
「まったく、グリニャック様には困ったものだな。もっと私達がグリニャック様を愛しているという事を自覚してもらわないといけないな」
くっ、腐女子として妄想しているのがバレると言うのは致命的ですわね。もっと隠蔽率を上げないといけませんわ、特訓ですわね。
わたくしは赤くなった頬を両手で覆って隠しながら、決意を新たに致しました。
お二人が愛し合っている仲ではないと思い知らされている最中でございますが、腐妄想は止められないのが腐女子の性と言うものですわよね!
それにしても、日を追うごとにトロレイヴ様とハレック様の色気は増していきますわね。
先日なんて、剣の居残り練習の終わりに、蛇口で頭から水を被って、濡れた前髪をかき上げたのですが、十六歳と思えないような色気を醸し出しておりましたのよ!
もちろんこっそりと写真に収めましたけれども、あれはご褒美でございましたわ。
ご褒美と言えば! 今日の昼食の際、お二人が注文したものが被ったのですが、わたくしも食べようか悩んでいたものでして、じっとお二人のお皿を見ていたら、お二人が「どうぞ」といって一口分、スプーンですくってわたくしの方に差し出して来ましたのよ! あれが前世の同人誌で見た「あーん」というものですのよね。
お返しに、わたくしもお二人に「あーん」をさせていただきましたが、緊張してしまいましたわ。思わず手がプルプルと震えてしまいましたわ。
トロレイヴ様とハレック様はそんなわたくしを、優しく見守って下っておりました。
おかしいですわね、見守るのはわたくしの特権のはずですのに……。
そんな感じに無事に学園での講義を終えて、いつものようにトロレイヴ様とハレック様の剣の居残り練習を見学して、それぞれ帰宅いたしました。
わたくしはいったん自室に戻りドレスに着替えると、今度の休日に街に行く許可をお父様に頂くために、執務室に向かいました。
執務室の前に到着いたしますと、扉をノックいたします。
「お父様、グリニャックです」
「入りなさい」
中から入室許可を頂きましたので、扉を開けようと手を上げた瞬間、中の方から扉が開けられました。
見れば、セルジルが扉を開けてくれていました。
「ありがとう」
「いえ、グリニャックお嬢様」
わたくしは執務室に入ると、お疲れのご様子のお父様の近くに行きます。
「お父様、なんだかお疲れのご様子ですわね。なにかありましたの?」
「プリエマがよく王族教育と淑女教育をサボってウォレイブ様と中庭などで散策をしていると報告が上がっていてな、国王陛下からもこれでは何のために王宮住まいにさせているのかわからないと苦言を言われてしまった」
「まあ……」
プリエマ、たまにサボっているのではなく、今のお父様の言葉だとよくサボっている、の間違いではないのですか?
「それで、今日はどうした? わしの仕事の手伝いをしに来た、と言った感じではないが」
「ええ、実はトロレイヴ様とハレック様に今度の休日に、街の市場に行ってみないかとお誘いを受けまして、行く許可を頂きに参りましたのよ」
「街の市場に? ふむ、まあ、トロレイヴ君とハレック君が一緒ならそう滅多な事は起きないだろうが、ドミニエルかリリアーヌを共に連れて行くと言うのであれば、許可をしよう」
「わかりましたわ、ありがとうございます、お父様」
ドミニエルやリリアーヌはわたくしの護衛も兼ねておりますものね。連れて行くのは当然の事ですわよね。
わたくしはお父様の許可を頂けましたので、執務室を後にいたしますと、淑女教育を受けるために、お母様のもとに行くことにいたしました。
数日経って、休日がやって来ました。
わたくしはリリアーヌが用意してくれた平民が着るような服に袖を通します。ドレスと違って着替えが楽なのはいいのですが、肌触りはやはり悪い布地が使われておりますわね。
まあ、これでもそこそこ裕福な家の娘が着るような服なのだそうですけれどもね。
わたくしは家紋の入った馬車で行くと目立ってしまいますので、待ち合わせの場所まで、家紋の入っていない、使用人が使う馬車で向かうことにいたしました。
待ち合わせは、街で一番大きな広場にある噴水の前になっております。
「楽しみですわね、ドミニエル」
「然様でございますね、グリニャックお嬢様」
学園には通常リリアーヌにお供をお願いしておりますので、今日はドミニエルにお供をお願い致しました。
わたくしが居ない間も仕事は沢山あると言っていましたが、セルジルとの時間を作れればいいな、と思っての事ですが、時間を作りますでしょうか?
二人とも真面目ですものね。職務中に逢瀬などしませんわよね、やっぱり。
トロレイヴ様とハレック様に、今日は食べ歩きというものをするから、お腹を空かせて来るように言われましたので、朝食はサラダだけを頂いてきたのですが、早速お腹が空いてきましたわ。
思わずお腹を押さえていますと、ドミニエルがおかしそうにわたくしを見てきました。
「グリニャックお嬢様、やはりもう少し食べてきた方がよかったのでは? トロレイヴ様とハレック様の前でお腹が鳴っては大変でございましょう」
「そうですわねえ。けれども、食べ歩きというものがどんなものかはわかりませんし、お二人にはお腹を空かせて来るように言われましたもの、仕方がありませんわ。お腹は、鳴らないように気を付けますわ」
「然様でございますか」
ドミニエルが暖かな眼差しをわたくしに向けてきます。幼少の頃より見慣れた眼差しですが、改めてドミニエルを見ますと、どうして攻略対象者になっていないのかと言うぐらいには男前ですわよね。
まあ、学園生活が開始したときには結婚して子供もいる状態ですし、攻略対象になっても困るのですけれどもね。寝取りはよくありませんわよね、うん。
「グリニャックお嬢様、目的地に着いたようです」
「そうですか、楽しみですわ」
わたくしは先におりたドミニエルの手を借りて馬車を下ります。
いつもの馬車とは違うせいでしょうか、二十分ほどしか乗っていなかったのになんだか疲れてしまいましたわね。
ドミニエルに案内されて噴水の前に行きますと、そこには帯剣したトロレイヴ様とハレック様がもういらっしゃっておりました。
「お待たせいたしました、トロレイヴ様、ハレック様。おはようございます」
「おはよう、グリニャック様。僕達が早く来すぎちゃっただけだから気にしないでいいよ」
「おはよう、グリニャック様。トロレイヴの言う通りだ。念のため、周囲の安全を確保しておくのは騎士としての常識だからな」
「まあ、そうなのですか」
お二人で仲良くこの周辺を警戒なさっておいででしたのね。
……平民が着るような服に身を包んだとしても、やはりトロレイヴ様とハレック様の麗しさは曇りませんわね。
むしろ新鮮でいい感じですわ。
「今日はよろしくお願いしますわね」
「うん、任せてよ、ばっちりエスコートするからね」
「食べ歩きなんて、私も初めてだが、グリニャック様と一緒なら何でも楽しいさ」
「わたくしも楽しみですわ。食べ歩きなんて本当に初めてですもの」
前世から、雑誌などで見て一度やってみたいと思っていたのですわよね。ああ、もう本当に楽しみですわ。
わたくし達は早速と言った感じに、市場の方に向かいますと、本当に活気に満ち溢れていて、あちらこちらから楽しそうな声や、呼び込みの声が聞こえてきます。
「本当に、すごい活気ですわね」
「でしょう、グリニャック様に是非とも見て欲しかったんだ」
「こういう体験も、将来の女公爵には必要な勉強になるだろう?」
「ええ、そうですわね。えっと、先ずはどこに行きますの?」
「あそこの屋台にまずは行ってみようよ」
「そうだな、私もお腹を空かせてきたせいで、今にも腹の虫が鳴いてしまいそうだ」
わたくし達はまず目についた屋台で、フライドポテトを三つ頼みました。学食や家で食べるような形のものではなく、皮の付いたまま切ったジャガイモを油で揚げている物ですが、揚げたてなのか、ホクホクで美味しいですわね。塩加減も絶妙ですわ。
食べ歩き用になっているのか、量は少なめになっております。
お茶会でも立食形式のものがございますので、立ちながら食べるという事はございますが、それとはまた違った感覚ですわね。
次に向かったのはホットドッグを売っているお店でした。ソースの味がいくつかあって、三人で別々の物を注文いたしました。
「トロレイヴ、そっち一口くれないか」
「いいよ、僕もそっちの味も食べてみたかったんだよね」
お互いに手にしたホットドッグを、お互いの口元に持って行きました。
(きゃぁぁぁぁ! 食べさせあいっこ! しかも間接キス!)
これは良いご褒美イベントですわ。
わたくしは手に持っているバーベキューソース味のホットドックをモグモグと食べながら、ニヤつきそうになるので表情筋を必死に維持致しました。もちろん、こっそり写真機でお二人が食べさせあいっこをしている場面を撮りましたわ。
その後も、それぞれ買った飲み物を三人で交換して飲んだり、小物を取り扱っている屋台を覗いたりと楽しい時間を過ごすことが出来ました。
わたくしは最後に、リリアーヌへのお土産にセルジルとお揃いで付けられるようなお守りを買って、トロレイヴ様とハレック様と別れて、ドミニエルと一緒に待たせていた馬車まで参りました。
その途中、目の端に見覚えのある顔が見えて、思わず振り返ったのですが、人ごみに紛れてしまって、また見る事は出来ませんでした。
……まあ、見間違えですわよね。こんな所に居るわけがありませんわ。
一瞬見えたのは隣国の第二王子でした。
うーん、……うん、見間違えですわ。そうに決まっておりますわよね。
若干最後に気になることはありましたけれども、総じて良い時間を過ごすことが出来ましたわ。
わたくしは我が家につくと、着替えをするため自室に行き、そこで待っていたリリアーヌにお土産を渡しました。
「男女のペアのお守りなのですって。よければセルジルと一緒に使ってもらえれば、と思って買いましたのよ」
「ありがとうございます、グリニャックお嬢様。大切にさせていただきます」
リリアーヌはそう言うと、お守りの入った小さな紙袋を、大切そうに胸の前で包み込むように持ちました。
喜んでもらえて何よりですわ。
食べ歩きのせいですっかりお腹はいっぱいになっておりますので、今日の夕食はいらないとシェフに伝えてもらい、わたくしは今日も今日とてこっそりと撮影したトロレイヴ様とハレック様の写真を寝室のドレッサーの引き出しの一番上に入ってるアルバムに追加で貼り付けました。
「はあ、思い出すだけでまたお腹が膨れてしまいそうですわ」
この食べさせあいっこの写真など、まさに国宝級ですわね。
今日一日で良い写真が沢山撮れましたわ。
アルバムも、もう三冊目になりましたわね。
わたくしは写真を収めたアルバムを丁寧に引き出しの中にしまうと、湯あみをするために隣の部屋に戻りました。
「グリニャックお嬢様、今日は本当に楽しかったのでございますね」
「ええ、食べ歩きというものがあんなに楽しいものだとは思いませんでしたわ。立食形式のお茶会とはまた違った趣がございましたわ」
「然様でございますか、それはようございましたね」
「機会があったら、リリアーヌもセルジルと一緒に行ってみるといいですわ」
「そうでございますね、機会がありましたら、ぜひそうさせていただきますね」
「ええ」
そんな会話をしながら、湯あみを終えると、寝着に着替えて寝室に戻りました。
寝る前にもう一度アルバムを見て癒されると、幸せな気分のまま、ベッドに入り眠りにつきました。




