登って降りたらまた登る
「はあ、はあ、はあ」
「はあ、うぅ、うぅ、うぅ」
「ふー、ふー、ふー、」
出来るだけ軽装で来てくださいと言った私の言葉をきちんと聞き入れてくれた11人の御令嬢は今、私の言葉の意味を勘違いしているだろう。
3回目の休憩をはさんだところでクララ様が涙目になりながら言った。
「フローラ様、軽装ではなく、運動に適した服と仰ってください」
ほらね。
神殿は建物が3つに分かれている。私たちが今登っている中央神殿は女神が一番近い場所として普段一般公開されていない。普段の参拝者を案内するのは左右の建物なのだが、今回は特別。王家から多額の献金を貰ったことと、白の衣を与えられた聖女が対応したこともあり、許可が下りた。
「はあーっ、着きましたわ~」
「はあ、はあ、」
「あははは!長かったですわね!」
ここにいる11人の令嬢はみな王子殿下に処女を散らされた人たちだ。数週間前の王子の騒動で彼女たちが好奇の眼に晒されているとリリエンルローン様に相談を受けた私は神殿で先日議題に上がった問題と一緒に解決してしまおうと立ち上がったのだった。
「見てください、街どころか山まで見えますよ」
私の指す方へみんなが視線を向ける。
「私は未熟者なので、この階段を昇るたびに『神の威光を表現するのにこの階段いるかな?』とか『東国では馬鹿と猿は高いところが好きっていうんだよな』とか毎度思ってしまうんですが」
11人がギョッとした顔でこっちを見る。門番は笑いをかみ殺して変な顔になっているのだが、私は気にせず続けた。
「山の綺麗な風が何にも触れずにここへ届くんだと気付いた時、ここが一番清浄な場所だと知りました。階段を昇るたびに穢れを背負い、ここにきて浄化して、私は毎回とても忙しい」
門番は耐えきれずに噴出したが、令嬢たちは静かに山の方を向いて風を感じていた。
「では、ここからおります」
神官長のお話を聞いた後、私達はひたすら螺旋階段を下り、たどり着いた場所で簡易的な衣類に着替えてもらった。軽装をお願いしたのはこのためだ。1人で脱ぎ着出来る服じゃないと時間をとられてしまうから。
「女神の泉です。見た目普通ですよね」
「フローラ様……」
「でも効果は抜群」
一人ずつ順番にその泉に身体を浸していく。そのたびに信仰している愛の女神に祈りを捧げていく。ついでに傍にいたら医学の神様もご助力くださいと付け加えておいた。そうして11人の初体験によって開かれた身体を元の状態に戻すことに成功した。
「私達、これで乙女に戻ったの?」
「確かに泉の中では何か感じたけれど、よくわからないわね…」
不安そうにしながら渡されたタオルで身体を拭き、いそいそと元の服を着る彼女達にコップを差し出して「お疲れ様でした」と労っていく。
「この泉の水です。滅多に飲めないので、たくさん飲んでくださいね」
「まあ、女神さまのお水…」
イスなんてないから地べたに座り、みんなで雑談をする。
「運動した後だから余計においしいわね」
「えぇ、わたくしもう1杯いただいてもよろしいかしら?」
「もちろんです。女神さまの泉の効能は不浄を払うというものがあります。それと、女神ヴェルヘルミーナ様は愛と美の女神ですから、美容にも効きます」
「まあ!」
「わ、わたくしももう1杯っ」
泉の湧き出てくる場所は下に1つと女神の持つ瓶から流れ出る場所の2つ。みんな女神の瓶に群がった。
「不浄を払う、ですか…。わたくしの不浄は払われたのかしら……」
綺麗な景色を見ても、身体の傷を癒しても、美味しい水を飲んでも気持ちが上向かない人は絶対にいる。ヴェルヘルミーナ神は愛と美の他に貞操の女神でもある。この国は平民でも婚前交渉を禁じている珍しい国だ。貴族なら尚更。だからこそ、ここで私は頑張らないといけない。
「実はこの水、身の穢れによって味が変わるんです」
「え?」
「まさかそんな、騙されませんよ」
「試してみますか?」
私の言葉にコップに水を満たした他の令嬢も集まってきた。
「みなさん、先ほど私が階段でした話を覚えていますか?」
「え?ええ」
「同じように、褒められない事を考えてください。目を閉じて。……今、一番憎い相手を思い浮かべて、自分が考え付くなかで一番残酷な方法で報復してください」
みんなが思い思いに空想を巡らせている。20秒数えた辺りで
「復讐が終わったら目をあけていいですよ」
と声をかけたが、みんな60秒ほど目をあけなかった。
「では、コップのなかの水を飲んでください」
「ん゛!!」
「ひゃあ!」
「本当に味が…っ」
みんな良いリアクションするなぁ。私はニマニマしながらみんなの反応を楽しんでいたらひと際軽やかな笑い声が響いた。
「みなさん見て!コップの中に炭酸石が」
「ふふふ」
バレたらさっさとネタ晴らし。口に入れるとシュワシュワするお菓子をみんなに見せると軽やかな笑いに包まれた。
「もう、本当にびっくりさせられたわ」
「フローラ様ったら、もう本当に聖女様なの?」
「わたくし、まさか女神さまのおひざ元であんな空想を巡らせる事になるとは思いませんでしたわ」
「本当ね!」
口直しとみんながまた水を追加しに行く。
「でも、浄化の話は本当なのでしょう?」
先ほどようやく笑ってくれたローゼマリー様は微笑みながらつぶやいた。
「人は自分の身体に必要な物を分かっています。私たちがこの水を美味しいと思うのは、身体が求めているからなのでしょう」
「そうですね。だから、たくさん飲んで、何度もお手洗いに行ってくださいね」
「……はい?」
「飲んだら出さないと。キレイになりませんよ?」
トイレはあっちと手で示すとローゼマリー様は今度は先ほどより豪快に笑ってからコップの水を飲みほした。
「それと、美容にきくのも本当ですからね。男性を選ぶ側になるためにも、美しさを磨く事を忘れないでくださいね」
そう言うとずっと下を向いていた数人の令嬢は目の色を変えて瓶へと向かった。下らない男の為に自分の限界を決めてしまうのはもったいない。そう思うことがなにより難しい事だが、彼女達はきっと乗り越えられるだろう。
私はその後も、実はあの後もずっと夢でうなされてたとか、今も殿下を見ると冷や汗が出るという心のしこりをみんなから聞いていった。
今まで被害者同士で顔を合わせてもつらい思い出については語り合わなかったのだろう。こうして複数人で言い合うことでずいぶん気持ちが楽になっているようだ。
最終的には殿下の男の沽券に係わる話なんかも出て来たが、そこは聖女スマイルで「うんうん」と頷いてやり過ごした。
こうして秘密の泉の会を終え、私達は長い長い螺旋階段をのぼり、神官長に挨拶を済ませて外へ出た。
「あぁ…、本当に美しいわね」
来た時と同じ景色を見る彼女達も来る前よりずっと美しくなっている。寝不足でできたクマ、肌荒れ。食事も喉を通らなかった所為で力の入らない瞳。心の重石で下を向いていた顔。全て改善された彼女達はこんなにも美しい。
来るときの半分以下の時間で下におりた11人の令嬢は迎えに来ていた実家の馬車の前で家族や使用人に泣きながら抱きしめられ、帰っていった。
これで処女を散らされた可哀想な女性への迫害が少しでも減ればいいな。
「慈愛の女神が強姦された女性を切り捨てるなんて、ありえないでしょ」
ついでに一日で美しさを取り戻した彼女達を見て信者が増えれば同じ議題で何時間も拘束されずに済む。
「慈しみぶかきヴェルヘルミーナ神は哀れな娘11人にその清い心にふさわしい身体をお与えになった。乙女の身体の他にもその困難を乗り越えた褒美として美しさを。そして彼女達を軽んじ蔑む輩は誰もいなくなりましたとさ。めでたしめでたし」
さて、明日からも学校だ。白の衣を預けて私も寮へ帰らなければ。
私は療養休暇を貰っている彼女達と違って明日も学校があるし、特待生なので欠席はペナルティーが大きいのだ。
数日後、参拝者が増えて対応が追いつかないと紫の神官から応援要請が来たが、学業を理由にお断りした。献金と布教を全部こなしたんだ。他はそっちで頑張ってほしいものである。
ヴェルヘルミーナ神は慈愛と美と貞操と復活の象徴です。人と神様の距離が近い世界。