男と女なら絶対女の方が怖い
「フローラ、私は君を愛してる。困難な道になるだろうが、死が2人を別つまで、どうか共に歩んでほしい」
爽やかな午後、可憐な花が咲き乱れる中庭には一人の娘と跪いて愛を乞う男。
言葉の後には彼を後押しするような爽やかな風が優しく草木を揺らし、声なき応援で呼びかける。
そして娘は答える。とられた手を震えながらもう片方の手の中に包み隠す姿は恥じらいのそれに似ていたが。
――――全くの別物だった。
「いえ、お断りします」
「………今何と?」
「ブルクハルト・クノープロッホ様と交際したくないのでお断りいたします」
握られた手をもう片方の手に持っていたハンカチでその感触がなくなるまでしつこく拭う。クノープロッホ様の体温か摩擦の熱か分からなくなったあたりでようやくハンカチをポケットにしまった。
怒りか屈辱でブルブル震えるクノープロッホ様はスッと立ち上がり、今度は私の胸倉をつかんで引き寄せた。
「おい、平民。お前に拒否権はないんだよ。煩わしい勘違いで俺に恥をかかせるな」
物凄い近距離で睨まれるが、近すぎて焦点が合わない。そんなことより王族でも人の胸倉をつかむけん制方法をとるんだな。一国の王子に告白された事よりそっちのほうが衝撃だ。
「お前は親もいなければ金もない。自分が税金で学業に励めるのは誰のおかげだと思ってる?」
「納税者ですね」
「違う!!!俺たち王族の情けだ!!!本来全て俺たちの為の金を、お前みたいな雑草に割いてやっているんだ!!身の程を弁えろ!!!」
ドンと突き飛ばされたので咄嗟に風魔法で背中にクッションをつくり、弾ませてもとの位置に戻る。何とも間抜けな回避方法だが、何故か王子の方が屈辱的な顔をしている。あ、転ばせたかったのか、もしかして。
さて、そんな珍喜劇はほどほどに、私は周囲に耳を澄ませて人が物陰に集まってきたことを確認してから気合を入れた。
「殿下、私は身の程を弁えております」
「なに?」
「だってクノープロッホ様は、事もあろうにアーデルトラウト・リリエンルローン様の御婚約者ではございませんか!!!私は平民で、皆様の温情でこの学園にいられる身の上という事を、先ほどの殿下の言葉で改めて再確認いたしました。だというのに、何故国王陛下とアーデルトラウト・リリエンルローン様を裏切ることなどできましょうか!!」
「あぁ、フローラ、すまない。俺は誤解していたようだ。大丈夫だ、リリエンルローン令嬢とは政略結婚。愛はない。ただの仕事の関係なんだ」
国王陛下の部分を華麗にスルーした王子は好青年の仮面をかぶりなおして両手を広げて近づいてきた。
「殿下は!仕事の契約をそんな簡単に破っていいとお思いですか?!」
「へ?」
「これが平和条約の為の政略結婚でも愛がないからと他の女性にちょっかいをかけるのですか?!」
「お、おい、声が大き」
「仕事の契約も守れないのに、口約束の愛の誓いを真に受けるバカなどいませんよ?!」
先ほどまでわずかに聞こえていた衣擦れの音すら消えたその場には、風も止まって無音に包まれた。
「フローラ、これはお前が可愛いから言う言葉だ。愛の鞭と思って聞いてくれ」
哀の無知、こっちの方がしっくりくるな。
「この学園は平等を謳っているが、実際は違う。我々も人間だからな。卒業後もここでの記憶がある以上……。分かるだろう?」
王子の表情筋はとても柔らかい。貴族ってみんな無表情崩したら死ぬのってくらい表情筋ないから、この人と話していると下町の出身かと勘違いしそうになる。表じゃなくて裏の方でも馴染めそうだ。
「私は王子だ。本来私の誘いを断った時点で、貴様の首は飛んでいるんだ」
「それでも私はクノープロッホ様の手はとりません!!」
「愚か者が」
「だって国王陛下とリリエンルローン公爵家の方が怖いから!!!」
「……」
「幸い私は孤児です。私の行動の責任は私がとればいい。クノープロッホ様の恋人14人のうち、家を人質に取られた可哀想な11人のようにはならずに済みます」
「な、何を言っているんだ!!人聞きの悪い!!」
「ご自分の恋人をお忘れですか?時系列でいうならクラウディア様、ディートリンド様、クララ」
「やめろ!!貴様、何様だ!人の…、王子である私のプライベートにズケズケとっ!さては他国の間諜だな!?こいつを捕らえよ!!」
王子の言葉に後ろに控えている騎士たちは動かなかった。視線を合わせたりなどの戸惑うそぶりすら見せないのは流石のロイヤルナイトである。ただ、その中の半分が別の方向へ走っていったことだけが少し気になるが、王子は自分の命令通りに動かないこと以外は眼中にないらしい。
「何をしている!!!命令が聞こえないのか!!!」
「クノープロッホ様。騎士様をいじめるのはやめてください」
「何っ?」
「ここは平等を謳う学園です。学生同士の不敬罪での拘束は禁止されています。なにより私は聖人としての立場を持っているので、この捕縛が不当なものだった場合、教会が黙ってはいないでしょう」
なんなら神も黙ってないと思ったが、そこは割愛。
だって私は彼が言う通り、平民でしかないのだ。いくらバックに教会があっても一枚岩でない組織にそこまで期待はできない。彼が神の怒りに触れ、思い知ってもその時自分の首が飛んだ後では何の意味もない。
生垣から数人の使用人をつれて現れた女性に私の背筋は伸び、脱力気味だった気力に力が入る。ここからが正念場だ。礼儀作法の授業で習った淑女の礼をとる私の前に立ち、アーデルトラウト・リリエンルローン公爵令嬢は口を開いた。
「話は全て聞かせてもらいましたわ」
「ふんっ、何を偉そうに。アーデルトラウト、お前は俺の気をひきたいのは知っているが、こうして後をつけまわされてもうんざりするだけだ。もう少し弁えろ」
リリエンルローン様のため息は扇に阻まれて王子の元には届かなかったらしい。
私は彼女の使用人の女性に促されて礼をやめると振り返ったリリエンルローン様と目があった。
「裏は取れているのでしょうね」
「はい。完全勝利をお約束できます」
「よろしい」
彼女が前を向き、視線が外れたことで冷や汗がドワッと吹き出てきた。威厳のある人というのは存在する。学園内に序列というのが存在するなら、彼女こそが女王である。
「おい!!この俺を無視してこそこそと!無礼にもほどがある!!!」
「殿下、貴族ともあろうお方が、声を荒げてみっともない。主張があるならもう少し声を押さえてくださいな」
「なに?」
周りのギャラリーも既に生垣や建物の陰から姿を出し始めた。いつもと違うと皆が気付いたのだろう。
リリエンルローン公爵令嬢は令嬢の鏡だ。男を立てる事を当たり前にしてきた彼女が初めて人前で婚約者に苦言を申し立てた。
けれど王子は何を思ったのか、集まったギャラリーを見て自分の優位を確信したように声を張り上げた。
「この傲慢な女め!!!ローザリンデ!こちらへ!!」
「はーい、殿下ぁ!あ、こわいぃ」
「大丈夫だよ、ローザ」
突然現れたツインテールの女生徒はリリエンルローン様へ挨拶するどころか目があった瞬間王子の腕に顔を伏せた。貴族は支給された制服を好きに改造するのがだ、彼女の制服は今まで見た中でもど派手な改造具合だった。フリルがすごい。ポシェットを持っているのはいいが、なぜそこから人形が顔を出しているのか。会うたびに不思議でならない。
「彼女は?」
「ローザリンデ・テレマン。テレマン男爵家の御子息の遊び相手として孤児院から見受けされた経歴を持つ元平民です。殿下とは進んで恋人になった方のうちの1人です」
リリエンルローン様の問いに答えると彼女は満足そうに前へ向き直った。
「アーデルトラウト・リリエンルローン!!貴様との婚約はこの場で破棄する!!」
「この場での破棄は無理ですわね。この場で出来るのは破棄の申告が精々ですわ。それで、解消ではなく破棄とされる理由は?」
「グッ、お、お前はその小賢しさでここにいるローザに残酷な仕打ちをした!!礼儀がなってないと難癖をつけ学業の妨害を働いたこと、忘れたとは言わせんぞ!!」
「身に覚えがありませんわね。そもそも私が何故親切に見ず知らずの男爵令嬢に作法の手ほどきをするとお思いに?」
「手ほどきではなく、いじめだ!!」
「受け取る側の想いなど聞いてはおりません。具体的ないじめとやらの内容とそれが行われた日時をおっしゃってくださいな」
リリエンルローン様の使用人のうち、1人のメイドと1人の護衛はどこかへかけて行き、もう一人のメイドは手帳を取り出した。
「よくも恥ずかしげもなく!いいだろう。まず昨日、朝の7時に誰もいない教室でメイドに指示を出し彼女の筆記用具を水浸しにした!」
「わたくしが連れているメイドは王宮から貸し出された騎士と2人1組で行動しております。お前達、7時に何をしていた?」
メイドはお嬢様の支度と答え、騎士も相違ないと答えた。ここで追及すれば騎士を貸し出した陛下の顔に泥を塗る事になる。
「そもそも7時なんて使用人にとって一番忙しい時間です。そんな事もご存じないのですか?」
「そ、そうやって格の低い家のものを蔑む姿勢!これが証拠だ!!」
「まさか。王家を格下だなんて思った事もございません」
「…?お前は何を言っているのだ?」
「はぁ、いえ、結構。続けてください」
そうして繰り返される問答はこの場で全てが冤罪だと証明された。
「下剤の混入、寮の扉の落書き、肥溜めに私物の廃棄。平民のいじめの定番なんだよなぁ」
「んんっ」
思わず出てしまった言葉に騎士の1人が咳払いで注意をしてくれた。私は辺りを見回してからその騎士へ「すみません」と口パクで謝罪と感謝を表しておく。
そして殿下とローザリンデのネタが尽きたころ、リリエンルローン様の反撃が始まる。
「ここまで冤罪をねつ造されては、こちらも黙ってはいられませんね」
「ど、どうせお前が家の力を使って騎士たちは買しゅ」
「それ以上は陛下への不敬罪になりますよ。……よろしい。ではまず、婚約成立してからの女性問題について、各女性の家と王家へ賠償金請求を行います。フローラ」
「はい。私が入学した時に関係が切れていた令嬢を特定するのにはお時間をいただきますが、それ以降の方は把握しております」
「な、何故貴様にそんな事が…!!」
「聖女というと癒しの力ばかりが知られていますが、役職は聖人と同じですので、悩み相談も受け付けているのです。脅迫されている人が胸の内を明らかにできる唯一の場所がここなんですよ」
控えめに両腕を広げてほほ笑み、聖女らしく務めて見る。白い衣を纏ってなくても教会の威光は多少発揮されるようで、殿下は口を閉ざしてしまった。
「本来であれば固く口を閉ざし、外部へ漏らす事を許されない相談内容を明らかにしたのには理由があります。相談者が勇気を出し、告発の許可をされたのです。こちらが、あなたの恋人11人の告発状です。神殿で成否の審判も行われております。どうぞ、リリエンルローン伯爵令嬢」
「な、何故アーデルトラウトへ渡す?!」
他に誰に渡せというのか。話をするのも面倒で笑って流した。
「彼女達は被害者ね」
顔を上げたリリエンルローン様に身を寄せて何とか立っている女生徒を示す。
「わたくしの放置がこの悲劇を産んだ原因の1つだわ。ごめんなさい」
「っい、いいえ!!」
「お、お顔をお上げくださいっ」
令嬢たちはリリエンルローン様へ駆け寄り彼女を支えようと寄り添った。
「お、お前達…っ、私を裏切るのか?!」
「なんて忠誠心の薄い方なのかしら!殿下、わたくしが傍におりますわ」
お互いに身を寄せ合う2人に、理想の恋人と思う人は誰一人としていない。
女性の友情が花を開かせている最中に無粋な事をいう人達だ。私は邪魔すんなと一歩前に出た。
私には愛国心も正義感も大してないが、それでも良心はあるのだ。本当の被害者が鞭うたれるのは気分が悪い。
「殿下、無知は罪ではありません。ですからあなたが知らない女性の防衛本能についてお話いたします」
「む、無知?!」
「男性でも騎士様ならはご存じの方もおられるでしょう。成否は信頼できる部下にでも行ってください。殿下、壁際に追い詰め、身分の上の人から女として求められるというのは、女性からしたらただただ恐ろしい事なのです」
――――ざわっ
空気が揺れた。内心「お前らもか」と男子生徒たちに呆れるが隠して続ける。
「例えば、良く知らない筋骨隆々の男性から追いかけられたら恐ろしいでしょう?でもそれが身内だったり親友だったり、はたまた訓練を交えた遊びだったなら恐怖はないと思います。あなたは、自分より権力と腕力が上の敵わない相手に制圧されて、その相手に親愛の情を抱けますか?」
「お、おれは王子だぞ?!皆が俺を知っている!暴漢扱いとは、ぶ、無礼にもほどが…っ」
「礼節は人と人が心地よく交流するための手段にすぎません。あなたは何人の女性に無礼を働いたんでしょね」
「お、俺は王族だ!!!」
「では尚の事、女生徒は恐ろしかったでしょう。不敬と見なされれば愛する家族が被害をこうむると脅されていたのなら、脅迫者に対し愛想良くふるまうことは1つの自己防衛です。……あまり酷いと心を守る為に脅迫者に対し親愛の情を自分自身が無意識にねつ造することも起こりえるのです。そうなる前にこの事件を解決できそうで安心しました」
「は、はっ!ではここにいるローザやディートリンド、ジークルーンはどうだ!貴様の物差しで何でも図れると思うなよ!!!」
「もちろんです殿下。今のは一般論。これが信頼関係の出来上がった恋人や、創作の中の事なら女性もときめきます。また、これも一つの例外ですが、男性を手段の一つととらえる女性にも大変有効かと思います」
「は?」
「つまり、その。養ってもらっているとは思わず、男で生活を支えているという価値観の女性です」
私の言葉を咀嚼して飲み込んだ殿下はローザリンデを掴む腕から力を抜いた。
「ちょ、勝手な事言わないで!!殿下、騙されないで!!この女はあなたを貶めようとしているのですよ?!」
「私は貶めようとなどしていませんよ」
「うるさい!!」
「穴を掘ったのはあなた達ではありませんか。自分で掘った穴に自ら落ちる人へ何の手引きが必要でしょう」
「はあ、はあ、はあ、っ」
追い詰められて呼吸が粗くなる殿下はキョロキョロと誰かを探し始めた。そして目的の人物を見つけて声を張った。
「ディートリンド!!」
「はい殿下」
しずしずと歩いてきた彼女に触れようとしたが、殿下の手は届かなかった。
パンっ!!!!
第三者が思わず自分の頬に手を当ててしまうほど強烈な一撃だった。
「え?」
「あまりにも、あまりにも残酷です、殿下!!!」
ディートリンド伯爵令嬢は大きな瞳から涙を流して声を張った。
「わたくしは、あなたが真実の愛はここにあるという言葉を信じて寄り添ってまいりましたっ!だというのに、まさか11人のいたいけな女性を脅迫して恋人にした挙句っ」
ローザリンデを扇で指して更に続ける。
「わたくしではなく、この娘の為に婚約破棄を決断された!!!」
舞台女優さながらの大立ち回りである。彼女はどこでもやっていけそうだ。
「もう、愛の花は散りました。さようなら、私の愛した人…」
そうしてディートリンド様はリリエンルローン様の元へ行くと跪いた。
「わたくしは殿下との恋に燃え上がった哀れな娘にございます。リリエンルローン公爵令嬢という御婚約者がいらしても、己を抑止できませんでした。ですが、恋心を弄ばれた哀れな娘と憐れんでくださるのなら、どうか実家のとり潰しだけはご容赦くださいっ!!!」
「何を言っているのかしら、この人は。わたくしは損害賠償を請求するとは言ったけれど、とり潰しなんて一言も言っていないわ。大体、その権限があるのは陛下ただおひとり。もう少し考えてからものを言うのね」
頭をたれるディートリンド様は垂れさがる髪の隙間から見えた目が憎悪に燃えていた。それでも声音はしおらしく、挨拶の言葉を述べた後使用人に支えられて退場して行った。
「では殿下。そろそろお昼休みも終わるころですので、このお話の続きは弁護人を通して行いましょう。さようなら、わたくしの愚かな婚約者」
崩れ落ちる殿下の表情はあまりに情けなく、寄り添うローザリンデも若干引いていた。
リリエンルローン様は美しいブロンドの髪をなびかせて立ち去り際、私の耳元で「気に入ったわ、フローラ」と言って去っていった。
余談ではあるが、ジークルーン準男爵令嬢は他国の間者だったらしく、国境付近で逃亡劇の膜を閉じ、獄中で服毒自殺を図ったとか。国王陛下はその一件が忙しいとリリエンルローン公爵に対し婚約破棄の話を先延ばしにしているらしい。
更に一波乱ありそうだが、どうか今度は私を巻き込まないでねと心の中で祈るばかりである。