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ep9.停止した時間の中で

 次の日も屋敷を取り囲む空気は重々しかった。空が常に曇っているから……確かにそれも原因の一つだろう。


 だけど、原因は他にもある。




「また置手紙……」




 リビングのテーブルには一枚の走り書きが残されていた。






『私はやることがありますので、家を留守にします。帰りは夕刻になるでしょう』






 ネロの文字でそう記されている。


 夕刻と言われても、年中この天気では朝なのか、昼なのか、夜なのかもさっぱりであった。時間を知る唯一の手段は屋敷の所どころに置かれている時計のみ。


 現在の時刻はちょうど午後三時を回ったところである。リビング内に響き渡る柱時計の時を刻む音。カチカチ、カチカチと……秒針が動き、重量のある振り子が左右に揺れていた。


 ネロがいないせいか、話し相手となる人がいなくて、独りの時間が刻々と過ぎていく。恐れる魔女がいないおかげで安心する一方、姉さんのような面影を持つ彼女がいないせいで寂しい気持ちにもなる。




「女神とも崇められ、のちに魔女とも恐れられた憐れな少女、か……」




 僕の独りごとが、静寂を守り続けるリビングの中に小さく響く。


 あの物語に登場した少女はネロなのではないか……。

 そんな思案が頭の中を駆け巡る。


 しかし、彼女は僕の質問に答えようとしなかった。あの反応からして、過去をほじくり返されたくないという思いが伝わってくる。


 ならどうして僕にあんな話をしたのだろうか……。

 疑問がさらなる疑問を呼び寄せて段々と頭がこんがらがっていく。




「本当にネロは悪い魔女なのかなぁ……確かに人を殺してはいるけど、でも……」




 午後五時を知らせる時計の音が鳴り響く。


 その時だった。不意に閉められていたリビングの扉がキィーっと音を立てて開く。


 そこには外出していたはずのネロの姿があった。全身を真っ赤に染め上げて、白い頬にも大量の血が付着している。血だらけになった彼女を見て僕は思わず声を上げた。




「――だ、大丈夫っ!?」


「えぇ……私は大丈夫ですよ。これは私の血ではありません。すべて返り血ですから……」


「返り血って……」




 よくよく見れば、ネロに目立った外傷は見られない。

 しかし、ネロの表情は曇ったままで、浮かない表情だった。


 驚いた表情を浮かべている僕を横目に、ネロは用意した紅茶で乾いた喉を潤す。

 そして、結んでいた三つ編みを解くとそのままリビングを去ろうとした。




「も、もしかして……また人を殺したの……?」




 僕の言葉を聞き、踏み出しかけた足が止まる。しばしの沈黙を経て、ネロはその血だらけに染まった自身の体を僕に向けた。




「はい。人の魂を喰らう……それが私の生きる術ですからね」


「それは欠かせないことなの……? 他の食べ物で補えたりはできな――」


「――できません。それができていれば私は今頃、人々から『魂喰の魔女』などと呼ばれてはいませんよ」


「で、でも……魔術に長けたネロなら――!!」


「アルフォード……あなたの言いたいことは分かります。『今からでも遅くない。もう二度と人を殺さないで欲しい』……と言いたいのですね?」




 見事なまでに僕の考えを読むネロに唖然としてしまう。

 やっぱり、彼女には僕の考えていることなんて筒抜けのようだった。


 でもネロは悲しそうな表情を浮かべ、否と顔を横に振る。




「残念ですが、もう既に遅いのですよ。人をあやめ、魂を喰らってしまった以上、私は悪しき魔女なのです。それに付け加え、人々にも私の恐怖が深く、根強く植え付けられてしまっています。そう簡単に過去を清算できる域をいっしてしまっているのですよ。それ故に私は『魂喰の魔女』であり続けなければならない。一度でも水面に生じた波紋はどこまでもどこまでも広がっていきます。そこに終わりなどないのですよ」




 ネロの迫真の言葉を耳にし、僕は何も返す言葉が見つからなかった。


 悲しい言葉だった……。

 それを淡々と言ってのける彼女がとても可哀相だった。


 いや、違う……。

 彼女はずっと泣いていた……瞳を潤ませることもなく、乾いた涙を今も流し続けていたのだ。


 そんなネロへ、これ以上かける言葉なんて見つかるわけもなかった。



「……こんなこと、あなたに言っても仕方ありませんね、ごめんなさい。少しばかりシャワーを浴びて頭を冷やしてくることにします」


「あぁ……」




 僕はリビングを出て行くネロをただ見送ることしかできない。こんな状況でも、気が利いた言葉の一つや二つ出てこない自分がとにかく腹立たしかった。










 小一時間が経過し、屋敷の中もキャンドルの灯火なしでは見えないほど暗くなってくる。そんな中でも僕は未だにリビングで独りポツンと椅子に座っていた。


 ネロを待っていた。ネロが戻って来るのを待っていた。何でも良いからとにかく話がしたい。会話を交わすことで時間を共有したいと心のどこかで思っていた。




「……どうしてそんなこと思うんだろう。ネロは僕を食べようとしているはずなのに……」




 ネロにとって僕はあくまでも捕食対象でしかない。それなのに、なぜかもっと一緒にいたいと思ってしまう。




 それはネロに姉さんの面影を重ねているから……?



 ネロが僕に対して優しく接してくれるから……?



 僕を一人の人間として、ネロが見てくれたから……?




 きっと、全部だと思った。ネロには僕を包み込んでくれるすべての要素が備わっている。だから、不思議とネロに惹かれていった。


 もしかしたら、既に僕の魂はネロの手によって囚われているのかもしれない。


 なのに、まったく怖くなかった。むしろ……。




「あら……まだいらっしゃったのですね。こんな暗い部屋に居ては気が滅入ってしまいますよ?」




 シャワーを浴び、汚れ一つ付いていない見慣れた服装に身を包んだネロがリビングに入ってくる。


 そして、手慣れた様子でテーブルの上に置かれていたキャンドルに次々と火を灯していく。


 温かな優しい光だ……。


 見ているだけで乱れていた心が落ち着いていく。いつまでもこの揺らめく灯火に身を任せていたいと思ってしまう。


 そこへ、ネロがそっと目の前の椅子に腰をかける。僕を見て、小さく息をついた。




「……逃げ出そうとは思わなかったのですね?」


「逃げ出す……? どういうこと?」




 突然のことで、僕はネロが何を言っているか判断に戸惑う。それにネロはクスッと笑ってみせた。




「その様子では最初からここから逃げ出すという選択肢が、あなたにはなかったようですね」


「あぁ……そう言うことか。全然考えてもなかった……」




 ネロに改めて言われたことで、ようやくそういう手段もあったのだと気づく。


 でも仮にそのことに気づいていたとしても、僕は最初から逃げ出すつもりがなかった。

 だって、あの村に戻ったところで僕にはもう居場所がなかったのだから。戻ったところで姉さんもいないあんな村に戻る価値もない。


 それに今更、あの村に戻ったところで僕に居場所などないに等しかった。

 むしろ、魔女の住む丘に赴いておきながら生きて帰ったことで、化け物扱いされるのが関の山である。




「今更、戻ったところであの村に僕の居場所なんかないよ。それに、みんなからはもう魔女に魅入られた化け物として話が広がってるようだし……」


「そう言えばそうでしたね……」


「それにのこのこと逃がすつもりもないんでしょ?」


「ふふっ……そうですね。あなたの魂が成熟しましたら食べるとお約束しましたから、約束は守りますよ、魔女ですからね」




 ネロはクスクスと笑って、僕の顔を見ている。しかしその明るい表情も時折、悲しく曇ることがあった。


 やっぱりネロは僕に何かを隠している……。

 それが一体何なのかまでは分からないけども、きっとネロの心を苦しめる一番の原因であるに違いない。


 僕は深呼吸をする。そして、ネロの眼を見つめて聞いてみることにした。




「ネロは……一体なに者なの?」




 僕のひと言が温かなリビング内に広がる。その瞬間、ネロの表情が変わった。紅い瞳を鋭くさせ、僕の眼を捉えると怪しく光らせる。


 頬をかすめる冷ややかな視線はまさに氷そのもの。いや、氷よりも凍てつくような視線だった。


 それでも僕はネロから瞳を逸らさない。ネロに言われたからだ。「人と話す時はしっかりと目を見て答えなさい。そうしなければ、伝わるものも伝わりませんよ?」と……。


 そんな僕の気持ちを察したのか、ネロは諦めた様子でついに重く閉ざされていた口を開いた。




「……人々の魂を喰らう悪しき魔女、という答えでは不十分でしょうか?」


「うん、不十分だよ。本当なら人の過去を詮索するのはいけないことだけど、それでも僕は……ネロのことを知りたい……」


「……ふふっ」


「えっ……僕、何かおかしなことでも言った?」


「いえいえ、正直驚きました。私が思っていた以上に芯は強い子だったのですね」




 ネロは笑って、そんなことを言い出す。僕は何かしら言い返そうかと思ったけど、今までの言動を思い返すとネロの言う通りで何も言い返せなかった。


 しかし、すぐにネロは真面目な表情に戻る。そして、僕から目を逸らさずに言葉を紡いでいった。




「分かりました。ですがその前に、本当によろしいのですか? 魔女の過去を知るというのはそれ相応の覚悟を必要としますよ」


「覚悟はできてるよ。いずれはネロに食べられちゃうんだもん。覚悟はできてる……」


「そうですか。それではお話するとしましょう」




 ネロは一度、深呼吸をする。呼吸を整え、ゆっくりと語り始める。自身の過去を……。




「まずはどこからお話しましょうか。たくさんありすぎて迷ってしまいます」


「どこからでも良いと思うよ。そこから取っ掛かりができていけば」


「そうですね。ではまず……私はもともと、魔女ではありませんでした。あなたと同じ人間の子としてこの世に生まれ落ちたのです」




 そこはまだ予想通りの答えで特別驚くことはなかった。そんな僕の表情を見て、ネロも僕が薄々気づいていたのだと表情を和らげる。しかし、話はまだまだ始まったばかりだ。




「ただし、私は普通の人間とは比べ物にならないほど、魔素をこの身に宿していました。幼い頃から様々な魔術を扱うのに長け、人々から見れば奇跡にも近いことも数多く起こしてきました。そして、そんな私を目にした人々は次第に私のことを『奇跡をもたらす女神』として崇めていきましたよ。私も当時はそんな肩書に両手をあげて大喜びしていました。人のために尽くしてあげられる、私の力でたくさんの人を幸せにしてあげられると……でも、幼い故に浅はかでした」




 何となく言いたいことは分かる。


 そして、僕はネロの話と共に頭の傍らであの物語を思い浮かべていた。女神とも魔女とも呼ばれたある少女の物語を……。




「私は女神として崇められる一方で、同時に魔女として人々から恐れられていきました。その結果、私は魔女狩りにより、処刑されたのです。本当に悲しかった……本当に辛かった……でもその感情も次第に怒りや憎しみへと変わり、負の感情が段々と膨れ上がっていったのです」


「そして、人々の魂を喰らう魔女として生まれ変わった……わけだね?」


「その通りです。私は今までに数多くの人々の命を奪い去っていきました。それは裏庭に建てられた墓標が物語っています……」




 曇った窓ガラスの先に広がる裏庭を見つめてネロがか細い声を上げていく。淡々といつもの口調で話しているつもりでも、言葉の節々に震える思いと感情が見え隠れしているのが分かる。


 それでもネロの話は終わらない。開かれた思いは次々と彼女から溢れ出して、留まることを知らなかった。




「常に光の差し込まない丘、外界からの侵入を拒むかのように広がる巨大な黒薔薇の棘。屋敷を包み込むこの空間、ここに時間の概念など既に存在しません。もちろん、屋敷のあるじである私も同じくそう。動き出すこともとうに忘れて、停止した時間の中で私は悠久の時を生き続けているのです。それが……魂喰の魔女である私が背負った宿命……」




 ネロの表情は変わらないまま、冷たい視線が僕に突き刺さる。


 しかしその中でも、ネロの目元から一粒の涙が頬を伝うのだった。

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