ep6.庭園に咲く花
ひんやりとした空気で静まり返った部屋の中、僕は目を覚ます。
肌寒い空気に触れて目を覚ましたのかもしれないし、昼間のことがあって落ち着かないから目を覚ましたのかもしれないし、どちらにしても寝付けないことには変わりなかった。
「ダメだ……全然眠れない」
掛け布団を取り、僕はベッドから起き上がる。
今晩はネロと一緒に寝ていない。ネロが用意してくれた部屋で寝ていた。狭くもなく広くもなく、ちょうど良い広さを持つ部屋の中で僕は窓の外を眺める。
曇った窓ガラスの向こうに広がる風景は墓場、墓石、墓標……。
どこからどこまでも十字架の形をした墓で視界が埋め尽くされている。
しかも大地から湧き上がった白い靄が辺り一面に立ち込めていてより一層、気味が悪い。
窓を開けて外の夜風にもあたろうかと思っていたけど、墓場の空気なんて吸いたくもなかったし、開けることはやめておくことにした。
「何だろう……廊下から足音が聞こえてくる……」
僕は閉まっていた部屋の扉にそっと耳を当てる。すると、廊下から誰かの足音が聞こえてくる。その足音は段々とこちらに近づいて大きさを増していく。
この屋敷には僕を除けばもう一人、屋敷の主であるネロがいる。
彼女に魂を喰われて未練を残した怨霊の足音って可能性も考えられなくはなかったけど、魂を喰われた時点で消滅してしまっているのだから彷徨うことすらできないだろう。だからこの足音の主はネロである可能性が高い。
ようやく足音が扉の前まで差し掛かる。そこで一度、廊下で聞こえていた足音がピタリと止まった。
微かに聞こえる布の擦れる音。扉越しに足音の主の視線を感じる。
胸を打つ鼓動が速まる。何か言われるんじゃないかと、もしかしたら扉が開くんじゃないかとビクビクとしながらも状況が動くのを待った。
「クスッ……」
ただネロの笑い声が聞こえただけで、再び足音が扉の前から遠ざかっていく。
やっぱり彼女は僕が扉の前で聞き耳を立てていたことに気づいていたのだろうか。あえて何も言わずに笑って通り過ぎていく方が逆に恐怖心を煽られる。
それにしても、こんな夜更けにネロは屋敷内をうろうろと徘徊して、一体なにをしているのだろうか。怖いもの見たさというか、好奇心というか、とても気になった。
僕は静かに扉を開ける。そして、僅かにあいた隙間から廊下の様子を確認する。左右どちらを見ても人の影は見当たらない。もちろん、ネロの姿も誰かの気配すら感じられなかった。
「ネロはこっちに向かって歩いて行ったよね……」
恐る恐る廊下に足を踏み出し、ネロの後を追う。
一歩、また一歩と踏み出すごとに自分の足音が夜の闇に包まれた屋敷内を廻る。暗闇に大分慣れてきたこともあるし、屋敷に来て二日目とあって初日よりはすんなりと足が進む。
「階段だ……」
角を曲がると階段がそこにはあった。上るほうと下る方……二つの分かれ道。ネロはどちらの道を進んだのか。
そこで一度、僕は立ち止まる。耳を澄ませてみると下の階から僕以外の足音が聞こえてきた。きっとネロの足音に違いない。
ゆっくりと足を踏み外さないように一段いちだん確実に階段を下りていく。そして、一階に降りると暗闇の中にふわふわと青白い光が浮かんでいるのが視界に映った。そこには一緒にネロの姿も見える。
「クスクスッ……」
ネロはこっちをチラッと見て薄気味悪い笑みを浮かべると、そのまま曲がり角を進んでいってしまう。
もしかして僕が後を付けているのを向こうは既に知っているのだろうか。まるで誘われている感じがした。
でもここまで来たからには後戻りはできない。僕を制止しようとする恐怖心よりも目先の好奇心が勝り、ネロの後を追って再び歩き出す。
そして、ネロが立ち止まっていた場所に差し掛かる。
「中庭だ……。昼間はこんな道、なかったはずだけど……」
僕の記憶が正しければ、昼間に中庭へ抜けるこの道はなかったはずだ。
夜にしか現れない道なのか。魔女が住む屋敷なのだからその可能性もあり得る。
とにかく今は目の前に開かれた中庭へ続く道を突き進むことにした。
「わぁ……綺麗……」
中庭に出て思わず僕は感嘆の声を漏らす。
視界にはいっぱいの青白い光を放つ花々が咲き乱れていた。大きさは大から小まで様々だったけど、一様に綺麗な青い輝きを放つ花を咲かせている。
特に中央で堂々と咲き誇っていた巨大な青い花に目が引かれた。まるで周りに咲いている花々を見守っている女王のようだ。
しかし、いくら中庭の中を見回してもたくさんの花々が咲いているだけで、肝心のネロの姿が見当たらない。
出入口は僕が入って来た道以外、どこにも見当たらないし、一体どこに行ってしまったのだろうか。
「何をしているのですか?」
「わあっ――!?」
その時だった。突然と僕の背後からネロの声が聞こえてきて、大声を上げながらその場でへたり込んでしまう。
それを見たネロは困った表情を浮かべながらも小さく微笑んだ。
「あまり、うろうろと屋敷の中を歩き回ってはいけませんよ?」
「ご、ごめん……ネロが歩いて行くのが見えたからつい……」
「クスッ……実は最初から気づいていましたけどね」
差し出されたネロの手を取りながら僕は立ち上がる。
やっぱりネロは最初から僕が後を付けてたことに気づいていたようだ。道理で何度も面白そうに笑っていたわけだ。
何だか無性に気恥ずかしい気分になってくる。気配を殺した気でいたけど、ネロにはそれも意味を為さないらしい。
「……ネロ。この花、綺麗だね。特にこの大きな花が――」
「――ッ!? 待ってくださいっ!!」
「いたっ……えっ、突然どうしたの……?」
さっきまでの柔らかな笑みを浮かべていたネロが急に表情を強張らせ、大きな青い花びらに触れようとした僕の腕を力強く掴む。
すごい力だ……。腕を動かすどころか、力すら入れられない。何よりもネロの表情がとても恐くて仕方がなかった。
『絶対に触らないで』
ネロの眼はそう僕に訴えかけていた。
絶対に触ってはいけない。むしろ触るなと命令しているようにも僕には感じられた。
「うぅっ! いたっ!!」
「あっ……ごめんなさい。でも絶対に触ってはいけません。彼女たちに触れた瞬間、魂を奪い取られてしまいますから……」
「魂を……!? こんな綺麗な花が……」
「はい。この花たちの名は『プルーム』。この世界の古い言葉で『死を呼ぶ』という意味を持つ花です。ですから絶対に触れてはいけません」
「そ、そんなこと言われても……さっき倒れた時に小さな花の方には触れちゃったよ……?」
僕は慌ててすぐさま巨大な花びらを咲かせる死の花から距離を取る。
今更そんなこと言われても小さな花の方には手を触れてしまっていた。それなのに、ネロは僕の顔を見て小さく笑ってみせる。
「ふふっ、触れ続けると魂を生気を奪い去られてしまいますが、少しの間なら命にかかわる心配はありません」
「そうなんだ……よかった」
「ですが、小さな花でも触れ続けたら死に至ります。もちろん、大きな花に触れた場合は瞬時に魂を奪い去られてしまうので、お気を付けください」
そう言って、ネロは僕の手をしっかりと掴み直す。自分の元から離れないようにしようとネロが僕の体を引き寄せる。
本当に魔女の屋敷は危険がいっぱいだ。できるならこんな危険な場所から早く離れたいところだったけど、ネロとしてはまだ済ませたい用事があるようだった。
「彼女たちは生き物たちの魂を糧に、華麗な花びらと青い輝きを放ちながら咲き誇ります」
「それじゃあ、ここに咲いている花たちはみんな、人の魂を吸って咲いてるってこと?」
「その通りですよ。彼女たちは私のように人の魂が大の好物ですからね」
そして、ネロは足元に置いておいたあの鳥籠を拾い上げて、静かに扉を開く。
すると、鳥籠の中からふわふわと青白い光が二つ、外へ漂い始める。
昼間、ネロを殺そうとして自ら放った銃弾に殺されたあの二人の魂だ。彼らの魂は花が放つ青白い光に誘われるがまま、中庭の中で特に大きな花びらを咲かせていたあの花の元へと吸い込まれていく。
二人の魂を取り込んだ花はより一層、綺麗な青白い輝きを放ち、咲き乱れる。
魂を喰らう魔女に魂を喰らう花……綺麗な花ほど棘があるとはまさにこのことだった。