表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/12

ep4.狩りの時間

 まだ体が怠い……。でも昨晩と比べてみれば大分マシになった。薬を盛られたけど結果的にぐっすりと眠れて、消耗し切っていた体が癒えたらしい。




「あれ……ネロがいない」




 気がつけば隣で眠っていたはずのネロの姿がどこにも見当たらなかった。ベッドに温もりすら残っていないことからも、既に起きてもう活動しているようだ。


 結構魔女って早起きなのかもしれない。


 そう思った矢先、本棚の隣に置かれていた柱時計が突然と鳴り響く。ぼんやりとした視界の中で目を凝らしてみると、時刻は既に午後一時すぎを回っていた。


 どうやらかなり強力な睡眠薬をネロによって飲まされたみたいだ。











 ネロの部屋を出てぼくは昨日案内されたリビングへと向かう。まだ昼間なのに屋敷の中は薄暗かった。この丘の周囲一帯がいつも分厚い雲で覆われているから、全体的に窓を通して入り込んでくる光も少ないのだろう。


 でも昨晩と比べたらスムーズに迷うこともなく、屋敷内を歩くことができた。


 しかし、リビングに着いても中には誰もいない。その代わり、テーブルの上には昼食が手つかずのまま残されていた。


 まるでさっき作ったばかりのようにビーフシチューの入った器から湯気が上がっている。ネロが作ったのだろうか。温かな昼食と共に置手紙まであった。






『私は少しお庭の手入れをしていますので、お昼はそちらをお食べ下さい』






 そう言えば昨日から何も口にしていなかった。それ以前に姉さんがいなくなってからというもの、今までろくな食事をしたことがない。


 だから目の前に置かれていたおいしそうなご馳走を目にして、僕は思わず息を飲む。




「今回は何も盛られてないよね……?」




 いぶかりながらも椅子に腰を掛ける。本当においしそうな香りだぁ……。


 ピカピカに磨き上げられた銀製のスプーンを手に取り、吸い込まれるようにビーフシチューを頬張る。すごく温かい……それに肉の旨みがぎゅーっと凝縮されていて、とてもおいしかった。


 こんな料理を食べたのは何年ぶりだろう……。

 僕も含めてまだみんながファーメルンの街で穏やかな生活を送っていた頃以来だと思う。


 あの頃はごはんを食べられるのが当たり前のことだと思っていたけど、今になってみれば当たり前のようにごはんを食べられたことがこんなにもありがたいことだったなんて思ってもみなかった。




「ビーフシチューもトーストも卵焼きもサラダも、すごくおいしい……」




 おいしい……すごくおいしいのに、なぜか涙が止まらない。いくら涙を手でぬぐっても、あとからあとから涙が溢れてくる。


 この場で姉さんがいてくれたら、きっと一喝して僕のことを優しく抱き締めてくれただろう。

 だけど、この場に姉さんはいない。


 もういないんだ……姉さんはいない……。


 食事の席で必ずにこやかな笑みを浮かべていた姉さんの姿がとても恋しかった。




「泣いてしまうほど、私の料理はお口に合いませんでしたか?」


「あっ……」




 ビーフシチューを見つめながら涙を流していた僕の元へ、リビングに入ってきたネロが声をかけてくる。


 ネロは何だか悲しそうな顔をしていた。そして、ゆっくりと傍に歩み寄って来る。



「普段は料理なんてしませんから、もしかしたらお口に合わなかったのかもしれませんね。無理に食べなくてもよろしいのですよ」


「う、ううん……そんなことない。とてもおいしいよ。ただ……」


みなまで言わなくても良いです。さぁ、このハンカチで涙をお拭きください」


「……ありがとう」




 ネロから白いハンカチを受け取り、涙に濡れた目元を軽く拭う。


 このハンカチから漂ってくる香り……姉さんが大好きだったクラアナの花の香りだ。爽やかな香りが僕の傷ついた心を癒してくれる。そのおかげで、さっきまでの乱れた気持ちから穏やかな気持ちになる。


 本当に懐かしい香りだ。いつも姉さんが好んで香水として使ってたっけ……。




「ふふ、これで少しはお腹も膨れましたか?」


「うん、ごちそうさま」


「いえいえ、お粗末さまでした。それではさっそく外に行きましょうか」


「えっ……?」




 ネロがパンパンと軽く手を叩くと、使い終わった食器類が開いていた扉の方へ向かって飛んでいく。何度見ても食器類が飛んでいく姿には慣れず、思わず自分の目を疑ってしまう。


 そうこうしているうちに僕の腕を掴んだネロは、ささっと事情をうまく呑み込めないでいる僕を連れてリビングを出て行く。




「そ、外に行くって一体どこへ行くの……?」




 僕は慌てた様子で真っ直ぐに歩き続けるネロへ尋ねる。

 しかし、ネロは進める足を緩めるどころかますます速めていく。


 そして、ニタッと口元を吊り上げた。




「狩りの時間ですよ。私もそろそろお腹が空いてきた頃ですからね。今回は特別に普段から私がどのような食事をしているのか、あなたにお見せいたしましょう」


「食事って……まさか、人の魂を――!?」




 ネロの言葉を聞いて思わず大きな声で訊きかえしてしまう。それにネロは何も言葉を返すことなく、僕の手を引いていく。


 魔女の食事……その響きだけでも身震いしてしまう。


 こんなか弱い女の子に見える人が、まさか人間の魂を喰らうなんてやっぱり未だに信じられない。


 だけど昨夜、僕に見せたライフルの弾丸すら避け、目にもとまらぬ速さで気配すら感じさせずに回り込む俊敏な動きからも彼女が尋常じゃないことだけは分かる。それこそ、魔女の名に相応しかった。











 寒々しい冬の風が頬を切り裂く。屋敷を離れて丘を下り、葉もすっかりと落とした林の中を歩く。


 殺伐とした風景が何とも物寂しい。風通しもさらによくなって寒さも一層と増しているような気がする。


 しかし、一番の原因は僕の手を引いて一歩前を歩いているこの魔女のせいだろう。何を考えているか分からない顔がさらに異様な不安と寒気を感じさせる。




「アルフォード、あの狼を撃ち抜いてみせて?」




 突然立ち止まったネロにそう言われると、奪われていたライフルを手渡される。


 ネロの視線の先には一匹の灰色の毛並みを持つ狼がいた。体は中型、かなり弱っているようで大地に突っ伏してよだれを垂らしている。見るからに相当飢えているようだ。


 狙い撃つだけならこれほど容易なものはない。なんせ、標的は動いていないのだから。




「しっかりと狙ってください。一発で致命傷を与えなければいくら弱っているとは言え、襲われたら一溜まりもありませんよ?」


「うん……」




 ネロの言う通りだった。いくら弱っているとは言え、あの鋭い牙で噛まれでもされたら堪ったものじゃない。


 僕は一度、深呼吸をしてゆっくりと呼吸を整える。速まる心臓の鼓動を落ち着かせ、ライフルを握り締めると標的に狙いを定めていく。


 一撃で仕留めるのなら頭を撃ち抜くか、それとも心臓を撃ち抜くか。対象が大地にへばりつくように突っ伏しているから、頭を撃ち抜くこともできるし、横っ腹から心臓を狙うことも可能だ。


 しかし、頭を狙うには少しばかり的が小さい。ここは横っ腹を狙って心臓を撃ち抜くことにしよう。




「あっ……」


「そんなに力んでいては駄目ですよ。私に沿って狙いを定めてください」




 ネロが後ろでしゃがみ、僕の背後から寄り添うようにそっと体を重ねる。すると、さっきまで寒さでぶれていた照準がピタッと止まる。


 ネロの鼓動が背中越しに聞こえてくる。こんな状況であっても、彼女は常に冷静だ。今だって、淡々とした心臓の鼓動を打っていた。


 自然とネロの呼吸に合わせて僕も呼吸をし始める。そして、狙いが狼に定まったところでネロが耳元で囁いた。




「……今です」




 合図を耳にし、僕は引き金を引く。静寂に包まれた殺風景な林の中で突然と響き渡る一発の銃声。ネロの助力のもと、僕の放った弾丸は見事なまでに狼の体を撃ち抜いた。


 力なく横たわる狼の死体。茶色の大地に広がっていくまだ真新しい鮮やかな血が何とも生々しさを感じさせる。いや、実際に生々しいのだ。




「やったか……?」


「はい。今の感覚です。今の感覚を忘れないようにしてください」




 ネロはそう呟くと、死んだ狼の元へ向かう。


 どうしてネロが僕に銃の扱い方なんて教えてくれるのかさっぱりだったけど、いつもよりもうまく撃てたことには間違いなかった。


 僕も撃ち殺した狼の元へ近づく。既に狼は息絶えている。よくよく見るとこの狼は足をケガしていたようで、最初から動けなかったようだ。




「この狼たちは以前から丘の周辺を荒していたモノでしてね。ようやく片付けることができました。ありがとうございます」


「う、ううん……でも足をケガしてたみたいだけど」


「そのようですね。おそらく、屋敷に生えていた茨の棘に足をやられたのでしょう」




 冷たい視線で狼を見下ろしながら、ネロはその狼に向かって手をかざす。

 そして、次の瞬間には青い焔を上げて燃え上がった。


 その焔はメラメラと狼の体を焼き尽していく。瞬く間に狼の死体は大地にこべり付く黒い影となって燃え尽きてしまう。


 その時のネロの眼は本当に冷酷な冷たい眼をしていた。




「さてっと……今度は私があなたに狩りを見せる番ですね」




 ネロの目付きが鋭いものに変わる。それと同時に複数の足音が近づいてくる。


 人だ……。

 狼ではない、そこには僕と同じ人の姿があった。しかもリッシェ村で見たことがある人たちだった。




「おい、こっちから銃声が……なっ!?」


「――ッ!? お、お前はアルフォード!? 生きてたのか……」



 まるで人のことを既に死んだ人間と思っていたかのような物言いをする村人。他の村人たちも生きていた僕のことを見て驚いている。


 しかし、そこには生きていたことに対する喜びは一切ない。生きていたことを残念に思いつつも、死人を見る目で僕のことを警戒しながら睨んでいた。


 三人の村人たちの手には僕と同じライフルが握られている。おそらく何かを狩りに来ていたのだろう。そして僕の放った銃声を聞きつけ、ここに駆けつけて来た。


 そこでさっきから隣で黙っていたネロがクスッと笑う。


 まさか、僕に狼を撃たせたのは最初から獲物である彼らを呼び寄せるため……。




「まるで彼が、まだ生きていて残念そうな物言いですね?」


「お前は……まさかっ!? こ、魂喰の魔女――ッ!?」


「ふふっ……だとしたら、どうします?」


「――くそっ!!」




 ネロの怪しげな笑みを見た瞬間、村人たちは一斉に僕たちへ銃を向けた。ネロだけではない、彼らと同じ人間である僕に対しても銃口を向けたのだ。


 僕は身構える。すると、独りの男が銃を向けながら隣の男に言った。




「だが、あの子は俺たちと同じ人間だぞ? 魔女ならともかく、彼を殺すのは……」


「何を言ってやがるっ!! 魔女と一緒にいる時点でこいつはもう人間じゃねぇ!」


「あぁ……魅入られちまったのか知らんが、まあちょうど良い。こいつの姉も俺たちにまんまと騙されて薬草なんか取りに行って魔女に食われちまったんだ。薬草なんてそもそもなかったのにな。こいつもあの時に死ぬかと思ったが、本当に運の良い奴だったよ……」


「おい、馬鹿! 余計なことを言うな!!」


「良いんですよ、結局こいつはここで死ぬんですから」


「ど、どういうこと……? 今、なんてっ!?」




 この人たちは今なんて言った……?

 姉さんを騙したって言ったように聞こえた。しかもこの物言い、僕たち姉弟を殺したがっていたようにしか感じられない。


 いや、今もこうして銃を向けてこいつらは、魔女であるネロと一緒にボクも殺そうとしている……。


 何だろう、この全身を駆け抜けていくような感じ……。最初は姉さんに早く会いたい一心で死にたかったのに、今はまったく死にたいと思えない。それ以上に……。






――ユルセナイ……。





「はぁ……いつ見ても醜いですね。リッシェ村の人間は……最悪です」


「何を言ってやがる! 醜いのは貴様だぁああ!!」




 男たちが一斉に銃の引き金を引く。放たれる銃弾が真っ直ぐに僕たちへ向かって飛びかかる。


 しかし、ネロは避けるどころか嬉しそうな笑みを浮かべた。


 目の前に迫る三発の銃弾。僕たち二人を殺そうとする殺意に満ちた銃弾が突然と止まる。まるで銃弾だけの時が止まってしまったようで、ピクリとも動こうとしなかった。


 でもそれは銃弾だけではなかった。銃弾を放った村人たちも皆、何が起きたかも理解できずにその場で立ち尽くしていた。




「ば、バカな……!? くそっ、くそっ!!」




 男たちは取り乱した様子ですぐさま銃をネロに向かって乱射する。


 しかし、男たちの放った銃弾はことごとく僕を庇うように立っていたネロの前でピタリと止まってしまう。


 そして、銃に装填されていた全弾を撃ち尽くしたところで男たちの動きが完全に止まってしまった。文字通り、ネロの持つ力によって動けなくなってしまったのだ。




「か、体が……!?」


「う、動かな……!?」


「どうな……って……!?」


「憐れな人たちですね。自ら放った銃弾に撃たれて……死になさい」




 ネロが冷ややかな声を上げ、さっと手を横に振り払う。その瞬間、さっきまで止まっていたすべての銃弾がクルッと僕たちから男たちの方へ向きを変える。


 そして、ロウソクの炎を消すようにそっと息を吹いた。




「ガハッ――」


「うぐッ――」


「ぁが……」




 止まっていた銃弾に再び時が戻り、動けないでいた男たちの体を貫いていく。


 舞い上がる血飛沫、周囲に立ち込める火薬の焼ける臭い……。


 十五発の銃弾で撃ち抜かれた三人の体からは大量の血が溢れ出している。息は既にない。あれだけの銃弾を受けたのだから生きているはずもなかった。


 残された死体を見つめてネロはゆっくりと一人の死体に歩み寄る。すると、ふわっと青白い光の球がネロの手元に浮き上がる。それを掴むと一口で頬張った。




「……心が穢れていますと、やはり質も悪いですね」




 まずい食事を取って文句を漏らすネロ。そして、どこからともなく用意していた脚に三つの車輪を持つ手押し車を持ち出してくる。


 それを呆然と立ち尽くしていた僕に渡した。




「彼らの亡骸を屋敷まで運びます。こちらで運んでいただけますか?」


「わ、わかった……」




 ネロは次々と手も触れずに大地の上で突っ伏していた彼らの亡骸を手押し車に載せていく。


 僕はそんな彼女に戦慄を覚えながらも今は従うしかなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ