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ep1.人の魂を喰らう魔女

 紺碧こんぺきのどす黒い、分厚い雲に覆われた空の下、僕は一丁のライフルを握り締める。

 首からは姉さんの形見である小さなペンダントをさげて、黒い外套がいとうを羽織り、村の中央にある広場に足を進める。


 今日はいつにも増して冷え込む。吹き抜けていく冬の無慈悲なまでに冷たい風が、頬をかすめるたびに鋭利な刃物で切り裂かれたかのような痛みを感じさせる。


 全身を凍り付かせていく外気、温かみの消えた村、そして冷ややかな村の人々の視線……。

 その視線を一手に受け、僕はそこで立ち止まった。




「心の準備はできてるな、アルフォード?」




 リッシェ村の中で一番の屈強な男である彼が、小さな体を寒さで震わせている僕に問う。その表情には温もりなんてものは存在しない。害獣でも見るような見下みくだした視線が僕の胸を貫いている。


 それは彼だけではない。この場に集まった人々もみんな、一様に同じ視線を僕に送っていた。冷たい視線、突き刺さるような冷ややかな声が、冷え切った耳元に響いてくる。

 みんな、僕のことを厄介者として嫌っていた。




「できてなくても行くよ。それが、僕の望みだから……」


「ふっ、まあ良い。お前はこれから丘の上に住む魔女を殺しに行く。この村を襲う魂喰の魔女をだ。もちろん、殺せなかったら……分かってるな?」


「殺せるまで殺す……ただ、それだけでしょ?」




 口の達者な僕の言葉を聞いて、彼は軽く鼻で笑う。他の村人たちも人を馬鹿にしたような嘲笑ちょうしょうを浮かべていた。


 殺せるまで殺す……それが既にできていたら、この村に住む人々は魔女なんかに怯えて生活を送ることもなかっただろう。


 しかし、魔女を殺そうとすることは自分を殺すに等しい行為であった。










 リッシェ村の外れにある小さき丘。そこは年中、分厚い雲が空一面を覆い隠し、日が差し込まずにいくつもの影が彷徨う地。そこにある屋敷が佇んでいる。


 屋敷の前には険しい茨の道が来訪者を歓迎し、裏手に回ればたくさんの墓石が訪れた者たちを待ち受けている。


 そんな場所に人の魂を喰らうという魔女が住んでいた。






魂喰こんしょくの魔女』






 時には怪しげな老婆の姿で人をおびやかし。


 時には妖艶ようえんな美女の姿で人の目をくらまし。


 時には幼い少女の姿で人の魂を喰らい尽くす。






 そんな恐ろしき魔女に、村に住む人々は戦慄の日々を送っていた。


 そして今日、僕はそんな忌々しき魔女の生贄として捧げられることになったのだ。


 僕は戦争で両親を失っていた。いわば戦争孤児だった。戦禍の中、やっとの思いで僕と一緒に生きながらえたメリーヌ姉さんの二人でこの村に辿り着いた。


 しかし、リッシェ村の人々は戦争孤児であった僕たちのことを歓迎することなど一度もなかった。


 村の中を歩くだけで周りから石を投げられる。買い物に出かけても店の人たちは「お前らに売るような物はないよ!」とひと蹴りして、何も僕たちに物を売ってはくれない。ちょっと体がぶつかっただけで「けがらわしいっ!!」と怒鳴られて殴られる。


 でもみんなに迫害されながらも僕たちは村の端っこでひっそりと暮らし続けてきた。それも、姉さんが一緒にいてくれたから……。


 しかし、一年ほど前に姉さんが僕の前から忽然こつぜんと姿を消してしまった。苦楽を共にしてきた姉さんがいなくなってしまい、僕は姉さんをどうにかしてでも探し出そうと必死になった。

 あまり近づきたくなかったけど、村の人たちにも姉さんのことで何か知らないか、話を聞いてみたこともあった。


 だけど、みんなは決まって「そんなこと知らねぇよ!」と答えるばかりで何も教えてはくれなかった。

 それどころか、話しかけてきた僕が気に入らなくて殴られたり、蹴り飛ばされたりすることもあった。


 そんな中で、教会のシスターがこんなことを教えてくれた。






『もしかしたら、彼女は魂喰の魔女が住むという丘に行ってしまったのかもね……』






 その言葉を聞いて僕は絶望した。それから今に至る一年間を独りぼっちで過ごしてきた。

 そんなある日、僕の元にあいつらがやって来た。


 用件は簡単だった。


 魔女狩りだ。


 丘に住む魂喰の魔女を殺すという至ってシンプルな内容だった。そしてそれは同時に、僕に死ねと告げていた。


 だけど、僕は断るどころか進んで彼らの一方的な押し付けを呑んだ。それが村の人々の目には余程狂ったように僕の姿が映ったのだろう。

 あの場にいた誰もが恐怖に身をおののかせていた。正気の沙汰ではない。きっと彼らはそんなことを考えていたと思う。


 両親を戦争で失い、唯一の家族で会った姉すらも失い、村からも迫害されて、生きる希望なんて既に残されてなんてなかった。だから僕は魔女が住む丘に向かった。


 きっと、僕は心の奥底で早くみんなに会いたかったんだろう。故郷で過ごしたあの人たち、いつも優しい笑顔を向けてくれた父さんに母さん。


 そして、二人になった後もずっと僕の傍で寄り添い続けてくれた姉さんに……。










 すっかり葉を落とした木々が立ち並ぶ寂しい森の中をくぐり抜けて、ようやく僕の目の前にあの丘が姿を現した。

 噂通り、どす黒く分厚い雲が天を覆い隠し、日差しは大地に届かない。湿った空気が大地に浸み込み、いびつな草花が僕のことを見て笑っている。


 心臓の鼓動が速まる。僕はライフルの弾数を確認した。現在の装弾数は五発。肩から下げたポシェットの中に二十発の全部で二十五発。




「あはは、何してるんだろう……」




 弾数を確認したところで僕は思わず笑ってしまう。こんなことをしたところで魔女にはまったく意味を為さない。いくら鉛弾や銀弾を魔女の体に撃ち込んだとしても魔女は絶対に死ぬことはない。


 むしろ、一発も彼女には当たらない可能性だってあった。それ以前に一発でも撃たせてくれる時間を与えてくれるかも分からない。


 それは鋭利な刃物で胸を突き刺そうと考えても同じこと。不老不死……死を知らない魔女を殺すすべなんて最初から存在しなかった。


 何より僕は死にたいから魔女を殺そうとするのだ。だからこんなライフルなんて持っていなくても、殺意さえ向けてしまえば、あとは勝手に魔女が僕の魂を喰らってくれる。


 段々と足を進める速さが増していく。気づけば、丘の向こうにあった小さな屋敷がこんなにも大きく目の前に佇んでいる。


 屋敷の門は固く閉ざされており、その向こう側には険しい茨の道が口を開いて僕の来訪を心から待っていた。


 そっと門の前まで近づき、僕は鍵のかかっていた大きな錠前に向かって銃口を向ける。その時だった。不意にキィーっと重たい金属音と共に錠前が横に動き、門が開かれる。


 緊張が走る。どうやら既に魔女は僕の来訪に気づいているようだ。


 しかし、わざわざ厳重に閉まっていた門を開けてまで、僕を迎え入れてくれるとは大した度胸だ。これが不死なる魔女の余裕ということなのだろうか。


 僕は恐る恐る黒薔薇の蔦が巻き付く門をくぐり抜ける。ちょうど門をくぐり抜けたところだろうか、僕がしっかりと敷居をまたいだことを確認して、ガシャンと再び門が堅く閉ざされる。次に重たい金属がキィーっとまた響き渡り、静かな空気が漂い始めた。


 どうやら退路を断たれたようだ。魔女は最初から僕を逃がす気がないらしい。そもそも、僕は最初から逃げるつもりなどなかったから別に関係のないことだった。


 門から屋敷までは見たところだと五、六十メートルは離れていたと思う。見渡す限り、黒薔薇の花や茨が日差しも差し込まない陰気な大地の上を蔓延はびこっている。

 心なしか、周りの植物たちが僕を見てうごめいているように感じられた。


 そして、僕はついに人の魂を喰らうという魔女の住む屋敷の玄関前まで辿り着き、そこで足を止める。僕が周りを見渡してもその屋敷の全貌を見ることは叶わない。屋敷に備わっている窓ガラスは薄らとくすみ、屋敷内がどうなっているかも確認できない。

 灰色の外壁は草花のつたによって浸食されており、風雨にさらされて生まれたシミがまるで僕のことを見て笑っているように見える。まさに魔女が住むに相応しい屋敷……。




「姉さん……」




 僕は首からさげていたペンダントを握り締める。姉さんもこの屋敷を訪れたのだろうか。それはきっと魔女だけが知っている。

 おそらく、もう姉さんは僕にあの優しい微笑むを向けてはくれないのだろう。


 だけど、あと少しで姉さんたちと再会を果たすことができる。心の奥底から湧き上がる喜びと目の前に迫る死の恐怖が交錯する中、僕は静かに一度深呼吸をした。


 そして、ライフルを構えてゆっくりと足を踏み出した。


 その時、突如として閉ざされていた大きな玄関の口がおもむろに開かれる。


 僕は息を呑む。村人たちに畏怖されてきた魔女は一体どんな姿をしているのだろうか。

 どこか期待と不安を募らせながら重たい扉がギィーッと軋ませて開き切る。暗闇の中、そこにポツーンとした柔らかな灯火がふわふわと漂っているのが見えた。


 カンテラだ……。

 手に丸っこい形をしているカンテラを持った少女が姿を現した。彼女を見て僕は思わず身を引く。


 金色がかった長い銀髪は風もないのに静かになびき、左前髪を三つ編みにして結んでいる黒いリボンが怪しく僕を見つめていた。


 この人が……魂喰の魔女……。

 黒と白の模様のあるエプロンドレスの裾をそっと小さくひるがえし、彼女は僕の瞳を見つめるとすぐさま獲物を捉えたかのような笑みを浮かべる。

 血のように染まった紅い瞳から僕は目が離せない。




「クスッ……今度は可愛らしいお客さまですね」




 魔女から放たれた、ひんやりとした声が僕の耳元をかすめていく。白い手を薄らと紅く染まった唇に当てて、獲物を品定めするような目付きで上から下へと視線を移していく。


 そして、再び僕の目元で魔女の視線が止まり、クスッと不敵な笑みを浮かべた。


 僕はとっさにライフルを構えた。

 そして、魔女に銃口を向けるなり間髪入れずに引き金を引く。異様な静寂に包まれた丘の空気を一発の銃声が切り裂いていく。


 しかし、次に瞬きをした瞬間には既に僕の視界からあの魔女の姿が消えていた。




「クスクスっ……それではダメですよ? もっとしっかり狙いを定めませんと……」


「えっ――!?」




 すぐ後ろに気配を感じた。その気配に気づくのとほぼ同時に、耳元であの魔女の声が聞こえてきた。


魔女は震える手でライフルを構えていた僕に手を重ね、心底丁寧に銃の扱い方の手ほどきをしてくる。ひんやりとした魔女の温もりを感じる。


 僕はそんな異常な彼女を肌に感じ、恐怖心が全身に植え付けられていく。


 震えが止まらない……。


 いざ死が目の前に迫ると怖い……。


 そんな姿を僕のすぐ真後ろで見ていた魔女が再び不敵に笑った。




「さぁ、引き金を引いてみせて? この距離ならきっと、震えたあなたでも外さないはずですよ?」




 魔女の思いがけない行動に僕は困惑した。僕が構えていた銃をグイッと掴んで、自らの胸にその銃口を突き付けたのだ。


 僕が引き金を引けば、魔女の言うように次は外さないだろう。これだけの至近距離だ、外す方がおかしな話だった。


 それなのに、魔女は一切表情を変えることなく、僕の瞳を見つめてただ笑っている。それはこの距離でも避けられる自信があるという表れに他ならない。


 僕は引き金に指を添えたまま震えていた。魔女の瞳から目を離すことができずに震えていた。指があまりにも冷たい空気に凍り付いてしまったかのように、引き金に触れたまま動かない。


 今の僕では引き金を引けない……。


 そう悟ってしまった。


 魔女もそのことに気づいたのだろう。何だかつまらそうな顔をして小さく息をつく。


 そして、ゆっくりと僕が握り締めていたライフルを奪い去った。




「はぁ……最初から殺す気もないのに、こんな危ないものを持つものじゃありませんよ?」


「あっ……」




 あまりの魔女の気迫にやられてしまい、僕は思わずその場にへたり込んでしまう。僕では魔女を殺すことができなかった。だから僕はこのまま彼女に殺される瞬間をただただ待ち望む。


 しかし、魔女はライフルを片手に持ったまま、被っていた黒いフードを被り直して僕を見下ろしているだけだった。

 それがさらに恐怖心をあおって僕の心をむしばんでいく。いつ殺されるかも分からない恐怖心が全身を廻り切った頃、僕はようやく震えた声で魔女にいた。




「ぼ、僕を……こ、殺さないの……?」




 その時、僕が口にした声はさぞ滑稽こっけいなものだっただろう。震える声で何を言っているかも分からなかったかもしれない。

 それでも魔女は前髪で隠れていない方の瞳で僕のことを見つめて離さないでいた。


 そして、クスッと愚かな僕に見せつけるように笑ってみせたのだ。




「今の私はね、あなたのようなまだ年端もいかない、未熟な魂を食べたいと思うほど、お腹が空いてないのですよ。だから今回だけは特別に見逃してあげます。さぁ、どこへにでも行きなさい」




 魔女はただそう言い残して、ライフルとカンテラを手に持ち、ゆっくりと暗闇に包まれている屋敷の中へと戻ろうとする。


 しかし、そんな彼女の後ろ姿を目にした僕はとっさに離れていく魔女の手を掴んでしまう。




 本当に冷たい手だった。




 魔女が振り向く瞬間、目の前で魔女の姿が消える。でもそれは本当に一瞬のことで、次には僕の背後で魔女が佇んでいた。


 僕が掴んでいたはずの手は、気づけば魔女の手によって逆に掴まれている。


 そして、冷たい紅に染まった瞳で魔女は僕の顔を覗き込んだ。




「聞こえなかったのかしら……私は『どこへにでも行きなさい』と言ったのですよ? それとも……私に魂を、つぶされたいのですか?」

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