この世界の技術等のレベルについて
「皇軍来訪」により、史実の1941年当時の技術等の知識がもたらされましたが、それですぐにこの世界の技術等が上がるという訳にはいきませんでした。
特に様々なモノを量産できるようにするのには、大変な時間が掛かることになりました。
前に別の個所で書きましたが、それこそ鉄砲、銃にしてもまずは火縄銃から試作して量産化を図ることになりました。
それこそ技術関係に詳しくない一部の皇軍関係者にしてみれば、何で三八式歩兵銃の量産化ができないのだ、と技術関係者を怒鳴りつけた程の話ですが、そもそも論になりますが、高炉すらこの世界の1542年の日本にはない以上、鉄の量産体制が整っている訳がありません。
鉄の製造については、まずは日本古来のたたら製鉄による鉄の増産を図る一方で、反射炉や高炉を作ってという段階から、この世界の日本は製鉄を始めとする様々な金属加工技術を徐々に進めていきました。
その結果、火縄銃が前装式ライフル銃に、更に後装式ライフル銃を作って、1575年段階では機関銃やボルトアクション式連発銃が歩兵の主力装備になってということになったのです。
ともかく他の様々な技術等も似たような感じで進めていかざるを得ませんでした。
まずは大型帆船を試作し、更に蒸気機関を量産できるようにして、機帆船を量産できるようにして、鋼鉄の量産体制がようやく整ったことも相まって、完全な鋼鉄製の汽船を量産できるようになりました。
大砲にしても、最初の頃は青銅製の滑空砲で量産していたのが、徐々に後装式鋼鉄製ライフル砲へと進化させて量産できるようになったのです。
その結果として、1575年の日本や北米植民地では、民生用として内燃機関式のトラクターが生産されるようになっており、更にその技術を生かして豆戦車の試作から量産が図られるようになっています。
又、通信手段にしても、それこそ「皇軍来訪」直後は、日本全国に郵便網を張り巡らせる段階から始めることとなりましたが、皇軍がもたらした技術が現実に普及するにつれて、1575年段階では日本や北米植民地では電話が徐々に普及しつつあり、更に有線通信から無線通信による連絡方法へと移行しつつあるという現実があります。
又、輸送手段についても日本の国内外で鉄道網が徐々に広がり、又、自動車も生産されつつあります。
更に日本が諸外国と関係を持つにつれ、オスマン帝国を始めとする同盟国からは日本への技術提供の要望が起きるようにもなりました。
実際問題として、同盟国と言えど積極的な技術提供を行っては、日本の技術的優位が損なわれますから、日本政府としてはかなり躊躇う事態が起きましたが、そうは言っても諸外国と関係を日本が持たざるを得ない以上、技術提供を完全に拒み通すというのは困難です。
こうしたことから、日本本国内で陳腐化した技術については、日本の同盟国に提供するという玉虫色の解決策が取られることとなりました。
それによって、オスマン帝国等では史実のような産業革命(?)が徐々に起きつつあります。
でも、あくまでも陳腐化した技術についてはです。
1575年現在、日本本国に匹敵する技術知識を持って、更に量産しようと思えばできる状況にいるのは、日本の植民地とエジプトだけです。
こういった状況から、1575年現在のイングランドやスペインを始めとする欧州諸国は、日本の技術等に徐々に着目しつつあり、自国でも技術等を手に入れて、自国を日本並みに進歩させることまで考える者が欧州では出つつありますが。
そういった動きが、どのような事態を欧州諸国等に引き起こすかについては、第7部以降で苦吟しながら、描いていこうと私は考えています。
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