この世界の「日本人」について他
日本人と言いますが、(史実というか、この世界の)1941年当時の日本と、2021年現在の日本では「日本人」の定義が微妙に違います。
そうしたことが、この世界では様々な影響を引き起こしています。
(特に織田(上里)美子と武田(上里)和子との関係です)
この世界の「日本人」ですが、私なりに史実の1941年の日本の法律等を調べつつ、描くことになりました。
そのために2021年現在の日本からすると、様々な点で異なる人が「日本人」になります。
さて、何で「日本人」とカギカッコを付けて述べているかというと。
1941年の日本の法律等と2021年現在の日本の感覚では日本人の定義が微妙にずれるからです。
例えば、作中人物で言えば織田(上里)美子が典型例になります。
2021年現在の日本では、日本人夫婦の養子に外国人の子どもがなったり、日本人男性と外国人の女性が結婚したり、といった場合に外国人の子どもや外国人の女性は日本人になれるでしょうか?
日本人になれない、と多くの方に即答されると私は考えます。
しかし、1941年当時の日本では違います。
「夫婦国籍同一の原則」、「親子国籍同一の原則」から、上記のような場合は、日本の国籍を取得して日本人になるとされていたのです。
そして、織田美子は、日本人夫婦である上里松一夫妻の養女に迎えられた以上は、親子国籍同一の原則から日本人になります。
更に夫の織田信長は日本人なので、夫婦国籍同一の原則から日本人にもなるのです。
(更にこじつけに近いですが、実母のプリチャ(永賢尼)が上里松一と結婚したことで日本人になっているので、シャム人夫妻の間の実子なのに私は日本人の母から産まれた日本人だとも美子は言えるのです)
こうした背景事情があることから、日本の植民地では日本人男性と結婚した多くの原住民等の女性やその連れ子までもが、日本人であると言える事態が起きています。
特に深刻といえるのが、日本のカリフォルニアを除く北米植民地で、そこでは異人種の女性と日本人男性との間の子どもが産まれるのがありふれた状況になっており、それこそ金髪で白い肌の日本人や縮れ毛で黒い肌の日本人というのが、徐々に稀でなくなっています。
(この世界では、徳川家康の次子の松平秀康(?)の実母は黒人の女性であり、秀康は黒い肌を生まれながらに持って育つことになります)
尚、中南米植民地でも日本人男性と原住民女性や黒人女性との間の子は、徐々に珍しくなくなっている現状にあります。
しかし、日本本国内では、日本人と異人種の間の子は偏見の目で見られることが多く、更にそんなに簡単に日本国籍を日本人と結婚したり、養子になったりしたからと言って与えて良いものななのか、という声が1575年現在では徐々に高まりつつあるという現実が起こりつつあります。
そういったことも、日本本国と北米植民地の行き違い、対立を産んだ一因です。
ともかくこういった事情から「日本人」になった人もおり、こうしたことも「皇軍来訪」から30年余りで「日本人」の人口を約2倍にまで激増させた背景にあります。
ついでと言っては何ですが、この際に琉球王国の人口等について述べると。
この世界の琉球王国は奄美諸島や先島諸島、更に台湾の植民地化を1575年現在では進めています。
奄美諸島や先島諸島は完全に琉球王国領になっていますが、台湾はまだまだ沿岸部の植民地化が徐々に進みつつある程度なのが現状です。
琉球王国が把握している自国の人口は約50万人といったところで、少しでも人口を増やそうと琉球王国が統治している土地で産まれた人にまで、出生地主義から琉球王国の国籍を与えています。
更に言えば琉球王国の台湾の植民地化には、皇軍知識が大きく活用されています。
それこそマラリア対策を始めとして、様々な皇軍知識があったことから、この世界の琉球王国は台湾の植民地化を行うことができたのです。
その代償として、琉球王国は北米に派兵することに。
ご感想等をお待ちしています。
尚、張娃こと上里愛子や張敬修は、どうのこうの言っても日本が初めて植民地化したマニラ出身ということもあり、半ば特例の出生地主義から元から日本国籍を持っています。
それ故に織田(上里)美子は私の養親は共に元から日本人だ、と言うことができ、そういった様々な事情から清華家の三条家の養女となって、三条家の当主代行になれたという裏事情があります。