第4話
夜も更けて十二時頃のことだった。はるみを入れた数人の女子が男子たちの部屋にやってきた。他の男子は皆起きていたが、吉本は寝ていた。松本といつもつるんでいる吉本だ。はるみたちは、二時過ぎまでそこで喋っていた。だが、はるみの好きな男子が本人にバレてしまったということは彼女は知らなかったようだ。それもあり、彼女は普通に彼と話してはいたが、恐らく、彼が普段よりはしゃいでいるのを不審に思ったことだろう。
それから彼女たちは自分たちの部屋に戻っていった。だが、しばらくして女子の一人がこっそり戻ってきて、彼に「あとで女子の部屋のベランダまできなよ」と耳打ちした。なんのつもりだろうとは彼は思ったが、内心、期待がないわけではなかった。もしかしたら、はるみ本人から告白があるかもしれない。そんなふうに思った彼は、胸を高鳴らせながら、ベランダ伝いに隣の隣のはるみたちの部屋のベランダまで行こうとしていた。気をつけないと二階でもある場所だったので、落ちて怪我をしかねない。慎重に渡ろうとしていた。そんな彼の目に山の雄大さが映った。
時間はもう夜明けにもなろうとしている。民宿の裏手には山が迫っており、ベランダからは山の鬱蒼とした木々が臨めた。今は真っ暗で、風が吹くたびに真っ黒な木々が揺れて、さすがの彼にも微かな恐怖心が芽生えた。しかし、真っ暗なのは木々ばかりで、その隙間から覗く空は、夜明けが近いということもあり、かなり綺麗な紺色をしていた。透明感があり、突き抜けた向こうには宇宙を感じさせる。チラチラと星も見えている。何となく幸せな気分でベランダを何とか渡った。そして、はるみたちのベランダにやってきてみたら、そこにははるみが一人で立っていた。彼の姿を認めると、少し驚いた表情を見せたが、それよりも今目の前に見える自然に心を奪われているらしく、彼女はごく普通に彼に語りかけた。
「すごく綺麗よね。みんな寝てしまったみたいなんだけど、私眠れなくて。そしたら、こんな綺麗な景色を見れた。得したと思わない?」
「そうだよな。俺もそう思う。でも、これ、怖くないか?」
彼はベランダ下の真っ暗な地面を指差して聞いてみた。彼女はニッコリ笑って答える。
「別に。怖くないよ」
すると、彼は今度は囁くような小さな声で「だったら、このベランダを渡って俺の部屋に来ないか?」と言ったのだ。
「それは無理だよ。私、こう見えてけっこうドジなんだよ?」
「そ、そっか、そりゃ残念」
彼は慌てて山の方に顔を向けた。
しばらく、二人は明けていく空を眺めていた。
彼はだんだん焦れてきていた。彼女は告白してこないのだろうか。それとも、自分が告白すべきだろうか。だが、もし、あれが勘違いだったら? 本当は彼女は自分を好きではないのかもしれなかったら?
確かめるのが怖かった。
そんな時、突然、彼の部屋のベランダから彼を呼ぶ声が。
「何やってんだよー。俺もそっち行こうかなー」
吉本だった。どうやら目が覚めて、彼がいないので探していたらしい。
「今そっちに帰るよ。待ってろ」
彼は、名残惜しかったが、今度は部屋のドアから自分たちの部屋に戻っていった。
悔やんでも悔やみきれない。彼はその後もずっと「あの時に自分から告白していれば」と思い続けていた。後に、彼はすぐ転校することになったのだ。転校は夏休みだったので、それまでに時間はあったのだが、合宿以降、二人はなかなか話をする時間が取れなくなってしまったのだ。あの夜のことはクラスのほとんどの者の知る所になってしまい、ことあるごとに二人はクラスメイトたちに冷やかされるようになったからだ。
こんなこともあった。
自習の時間に、吉本が「今藤、神楽がおまえのこと好きだって。付き合ってくれって言ってたぜ。なあ、なんて返事する?」なんてことをはるみに言ったこともあった。それに対して彼女は「そんなこと急に言われたって…」と困った顔をした。吉本は、それを「神楽、今藤がなあ、そんなこと急に言われたって困るってよー」と、面白おかしく伝え、さらに二人を冷やかした。
彼女は本当に困ったような表情をしていた。それを見るたびに彼はイラついてしまい、松本が水鉄砲で彼女に向けて水を飛ばしてるのを見ては「松本、その女をいじめるなよ。いじめていいのは俺だけだ」と言ってみたりした。他には、生徒手帳に相合傘に二人の名前を書いて、ハートマークを散らばらせて『今藤さんが好きです』って書いたのを、以前、彼女が歌を歌って聞かせた女子に見せて「冗談だよ」って言っては、彼女の反応を見たりした。
そんな時に彼女は少し悲しそうな顔をしていた。胸が痛かった。もうどうすりゃいいのか彼にはわからなくなっていた。好きな女に好かれるように振舞うどころか、嫌われるようなことばかりしてしまう。やめたくてもやめられなくなっていた。
彼女が前に出て数学の問題の解答を黒板に書いている時も、松本と二人で「そんな大きな字を書いたら他のもんに迷惑だろーが」と野次を飛ばしたり、極めつけは、校外で出会った時に、声もかけずに顔をそむけてしまった。それは、彼女の私服があまりにも眩しかったからだったのだが、チラリと彼女を見たら、矢張り泣きそうな表情だった。
そんな時、親の仕事の都合で転校しなくてはならないと知った。
焦った。彼女とこのままで別れてしまうのかと思ったら、矢も盾もたまらず、せめて嫌われるのだけは回避しようと思ったので、今までの苛めを謝ろうと思った。だが、他の女子に話していることを聞いてしまった。
「三年になったら、神楽くんとはもう一緒のクラスになりたくない」
それを聞いた途端、怒鳴ってしまっていた。
「俺だって願い下げだ! つーか、安心しなよ、俺、どーせ夏休みに転校しちまうんだからさ!」
「転校…」
「これで嫌いな男の顔見れなくてすむじゃねーか!」
「そんな…」
一瞬、彼女の顔がそのまま泣き崩れてしまいそうに見えた。だが、そう叫んでしまってから、怖くなってすぐにその場を逃げ出してしまった。
それからは、ほとんど彼女と顔をあわせることもなく、互いに他人のように振る舞うようになってしまった。クラスメイトたちも、二人の間の空気を察知したのか、誰も冷やかしたりからかったりする者もいなくなってしまった。