第1話
彼のもとには毎日のように多くの手紙が届けられていた。しかも、今はインターネットの時代でもあるのでメールでも彼のファンから様々な声が届けられてもいた。良い言葉だけではない。時には罵りの言葉も送られてくる。それは有名人なのだからしかたないとも言えるのだが、矢張り、彼も人の子、誹謗中傷に傷付く事もあった。確かに、届けられる手紙を他人に管理して貰い、創作活動に支障のないようなものばかりを届けて貰うということもできない事ではないのだが、彼はその様な事はしない方針にしていた。どんな声でも自分に向けられた声を真摯に受け止め、心の鍛錬にしたいと思っていたからだ。中には中傷の言葉にも愛を感じる事もある。彼を愛するあまりの遣る瀬無い気持ちをどうやって表現していいのかわからない人もいる事を、彼は己が一番理解していると思っていたからでもある。彼自身もまたごく若い頃に似たようなことをしてしまったからだ。大好きな女の子を罵ってしまったこと、冷たくしてしまったこと、気持ちとは裏腹なことをしてしまったことを。それは、彼が彼女を好きで好きでたまらなくて、でも、それをどう表現していいかわからない為にやってしまった愚行だったのだ。だから、彼は、そうやって、表現をできない人々の為に、自分が、彼、或いは彼女の気持ちを代わって表現してやっているのだ。そして、そんな自分を見て、いつか自分なりの表現で彼らが表現できるようになることを願っていた。
僕の声を聞いて、僕の思いを受け止めて、そしてその素直な気持ちを下手でもいいから世界に放ってあげて。
彼は表現者。自分の感じた思いを自分なりの表現で表現する者。そして、彼は自分を好いてくれる人々の背中をも押して、一人でも多くの表現者を作りたいと思っていたのだ。だから、彼は歌う。自分の声で。自分の思いを。自分の信念の下に。
そんな彼のもとに、ある日、一通の手紙がきた。彼の本名、神楽覚宛てへと。
『はじめまして、今藤と言います。覚えていらっしゃるでしょうか、今藤はるみの事を。僕はその今藤はるみの弟です』
「今藤はるみ……」
彼は手紙の文字を見詰めて記憶を辿った。今藤はるみ──はるみ、そうだ、彼女だ。彼の脳裏には気の強そうな表情をした目の大きくて髪をおさげにした細い少女の姿が浮かび上がっていた。
(俺の初恋の人だ)
忘れもしない。中学二年の事だった。二年になって初めて彼女と同じクラスになった。一年の時、あの頃、自分は友人がテニス部に入ったからと無理やり一緒にテニス部に入部させられた。テニス自体もそれほど好きじゃなかったし、身体を動かすことにもそんなに興味があるわけじゃなかった。だが、テニスをするようになって、そんなに悪くもないかなと思っていた頃だった。彼女は、いつもテニス部を見ていた。最初は誰かテニス部に好きな人でもいるんだろうかと思ったものだった。それから何となく気になってて、教室でも声をかけたりした。自分が休憩時間に遊ぼうと持ってきていたオセロに興味を持ってくれて、それで一緒にオセロをしたりもした。そんな時、あることがきっかけで、ますます彼女に興味を持つようになった。それは新緑の季節の事だった。そして、彼の意識は中学二年の五月に引き戻されていった。