ポイ捨てをしなければ……
この話は○洋大の者から聞いた去年の話に、個人情報保護のためのボカシと多大な脚色を加えた話である。
ここで示される事例の可能性は非常にとてつもなく低いが、絶対的な0は無い。
願わくば、その行為について一度考えてくれる事を願っている。
とはいえ上記を含めてここに記されている以上、つまるところフィクション、実在しない空想のほら吹き仕様の作り話である可能性は一切否定しない。
ただ願わくば、その行為について立ち止まる事を願うだけである。
八月の気温29度の日、川を越えたら東京に近い県、駅から約2分に近い公園。
時刻は午後2時半辺り、気温が大きくなる時間帯にて。
照りつける日差しを青い帽子の上からまんべんなく浴び、グロッキーな状態のままぐったりしてベンチに座る短髪の男、それが朝和太田という俺だ。
わざわざ休日なのに親から「風呂掃除するから百均のゴム手袋買ってきて」と頼まれた。この快晴という高温多湿の灼熱地獄の日、断りたいが友人達と遊ぶ約束があり、たいていは金が必要になるため、後日必ず返す事を条件に前借りするための機嫌取りの為に行くしかなかった。エコバッグから取り出した、タオルと大きめで制汗成分入りのボディシートがなければ汗だくのベトベト、持ってはいるが使っていないマスクをもし着けていたら最悪の日になっていただろう。というか、百均ってケチるなよ。
冷房がガンガン効いているいきつけの駅前の百均でゴム手袋を買って店を出た時、アスファルトから湧き出る陽炎に当てられ汗は吹き出す喉は渇くわで、帰りの途中で同じくいきつけの駅前のコンビニに入り、多少は立ち読みしつつも太陽光の眩しさで追い出されるようにやめて、テキトーに限定新商品の飲み物『ハワイアンブルーオーシャンレッドサマー』という横文字が長いのを買った。
そうして、いつものようにながら飲みしようとしたが、駅前特有の人混みによる湿気と視線で気分は台無しになる、かといって照りつける光を浴びながら人が少ない道まで行くのも拷問である、せめて腰を降ろして飲みたい。
そこで二つの帰路の間にある住宅地へ続く幾つもの脇道の一つに入る。道路沿いの道と高架橋沿いの道、その間には住宅地があり、二番目の脇道には○○公園があった。
雑草と土をサンダルの靴底で踏みしめて歩き、中央奥にある白いベンチに腰掛けた。プラスチックが陽の光で熱を持っていたが黒の服と長ズボンでなら肌に触らないから問題はない。周囲を見渡せばここの脇道を通る人はただでさえ少なく、近所の人さえあまり利用しないのか、公園には俺以外誰もいなかった。
さっそく新商品の飲み物とやらを飲もうとするが額から汗が流れてきたので、汗で蒸れた帽子を取ってタオルでさっと拭き取り、ボディシートでさらに拭いてスーッとさっぱりしてからズボンのポッケに捻じり込む、30枚入りとは言えポケットティッシュみたいに無駄遣いをするほど金があるわけではない。
そして白いベンチの温度は寝転がる背中を中心にちょうどいい温度が広まるのを感じた。倒れ込むように仰向けになり、少し昼寝でもと目をつぶる。
高架橋の線路を通る電車が音を鳴らし、蝉の声が負けじと騒音を繰り出す。
昼寝ができるわけない、目を開き起き上がる。いや、そもそもこの温度で昼寝したら熱中症か脱水症状になる、体全体が足の先までいつのまにか汗だらけ、気分は最悪だ。
ようやく本来の目的を思い出し、プラスチックのペットボトルのキャップを回し外して、オレンジ色の炭酸を喉に流し込む。濃厚なパイナップルとマンゴーがミックスした味と爽やかな微炭酸、この時期にはちょうどいい飲み物だ。舌で味わいつつ、喉を震わせ、流し込むように一気に飲み続ける。みるみるうちにペットボトルの中にあるオレンジ色の液体は重力と吸引力によって減り続けて、空になる。
空のペットボトルの先から口を離して、思い切り大きく息を吸う。
生き返った気分だ。キャップを戻して空のペットボトルを白い歪みができるまで強く握り、力強く後ろへ放り捨てた、ポイ捨てだ。
近くにゴミ箱があればそこに入れるが、近くには無い、それどころか最近では自販機隣りのゴミ箱が無くなっていた。理由は確か、ペットボトルと缶以外のを放り捨てる人が出たとか何とか。悪いことだとは薄々あるが、俺以外にも他の人達はみんな見られていない所ではやっているはずだ。だから、悪い事では無い。柵や看板にはポイ捨て禁止と張られているが誰にも見られていないし問題はないだろう。
ペットボトルがどうなったか目をくれず、ともかく俺はベンチから立ち上がり、公園から出た。
それから新しく変えたスマホの通知を見ながら帰路に戻り、家に着いたら汗だくの服を洗濯機に放り投げ、足の汗と土汚れが付いたサンダルを洗いつつ、親に頼まれた風呂場の掃除をした。
それから一週間後、自宅に警察の人が来た。
八月の気温35度の日、川を越えたら東京に近い県、警察署の取調室。
時刻は午後3時辺り、気温が大きくなる時間帯にて。
外がとても熱い灼熱地獄のせいか、取調室の空調は冷気が効き過ぎるぐらい寒い。
取調室には俺と扉近くにいる二人の警官と目の前にいる刑事がいた。
机を挟んで、おそらく中年の刑事が口を開く。
「どうもすみませんね、こんな真夏の日に署に来ていただいて。ああ、自分は刑事課の太田原源氏です。ええと、朝和太田さんですね」
「はぁ。俺に何か用ですか?」
「そうですね、その前に一つ確認しますよ」
「何です?」
「君は、よくペットボトルをポイ捨てしているね?」
ぎくりとした。まさかこの場でその話題が出るとは思わなかった。
「いや、そんな事しませんよ。まさか」
「君の知人、私黒府戸さんが朝和さんは『ほぼ無自覚にペットボトルをポイ捨てしている』と証言している」
「ロフトーが言ったのか?」
「ロフトー?。ああ、黒の『ろ』と府の『ふ』に戸の『と』でロフトーか。そうですよ、他の証言がある。他の証言を聞いた限り、君はよく缶やペットボトルをポイ捨てするようだね」
そんな覚えはない。そんな大胆な事をした覚えはない。一つや二つはやった気がするが、大したことではない。だが、それをわざわざ警察の人に言う必要はない。
「そこまでではありませんよ。ゴミ箱があれば入れますから」
「そうかな?。君は飲料水の缶やペットボトルを飲み終えたら、ほぼ確実にポイ捨てをしていた。例えばある者は君が目に見える距離にゴミ箱が見えていたのにその辺にポイ捨てした。別の者は君が毎週必ず○○駅前のレストランを出て自販機で買って飲んでポイ捨てするのを見て注意したところ、『そんな事はしていない』『知らなかった』と返事をした。もはや無意識にやる癖だな」
「ちょっと待ってくださいよ、刑事さん。そりゃあポイ捨ては悪いことだとは分かってますけど、けどそれが法律に触れる事なんて――」
「ポイ捨ては違法だ、軽犯罪法を知らないのか?。公共の利益に反してところかまわずごみを棄てた者。ペットボトルのポイ捨ては該当しないとでも?」
「えっ、それは……知らなかった。いやでも、それは俺じゃない、他人だ。きっと何かの間違いだ」
「そうですか、まあこれはちょっとした確認です。ここからが本題です」
中年の刑事、太田原はあの駅前周辺の地図を机の上に置いた。
「さて、さっそくだが朝和さん。今日から一週間前、8月の○日、午後2時半、あなたはどこで何をしていましたか?」
俺がなぜ取調室にいるのか?。どうも一週間前、俺が百均のゴム手袋買いに行った日の事で聞きたいことがあるらしい。でもこの刑事さんの聞き方はまるで。
「何かあったんですか?」
「……先に質問に答えてもらいたかったのですが、まあ隠す事ではありません。あと三日ほどで報道規制が解除されるので、知っても問題はない。後で教えるつもりでしたがね」
机の上に県内の地図、駅前周辺の地図が置かれた。駅前周辺のあの二つの帰路の間に挟まる住宅地、三番目の脇道に面した一軒の庭付き住宅に太田原は太く鍛え抜かれた指を置いた。
「ここで強盗殺人が起きた」
予想外の話を聞き、驚きと恐怖が内側から飛び出そうであった。まさか一休みにと座った背中、○○公園と背を向けて隣接したあの住宅で強盗殺人が起きていたなんて。今さら効きすぎる冷房に寒さを覚える、背中には冷や汗が僅かに湿らせていた。
「被害者は高齢の女性で、頭部に鈍器で殴られたあと、一階の洗面台に水を貯めたあとに頭を沈められて、溺死。現場の荒れようを見る限り、犯人の目的は窃盗だ。実際に二階に住んでいた被害者が所有していた隠し金庫が一階の机の上に放置されていた。開けられた金庫の扉に多くの傷や当時遠出をしていた息子夫婦に聞き、中身の金の延べ棒1㎏無かった事から、被害者からは暗証番号を聞き出せたようだ」
刑事さんはこちらの目を見る。続けていいのか?、と問うような顔をしていた。自分がその目を合わせたのを見てから話を続ける。
「これは推測だが犯人は盗みを働くつもりだった。被害者は始めたばかりでSNSでは情報管理の意識が薄く、それなりに個人情報を垂れ流していた。それこそ貯金が多い事を自慢していた。息子夫婦と住んでいたが、当日は植物園へ行く予定があり被害者は留守を任されていた。あの辺りの住宅地は駅前近くにあることから、被害者は駅前へ買い物する事が多く、鍵を締めないで出掛けることが多い。被害者の息子夫婦はSNSをやっており、近いうちに植物園へ出掛ける話をしていた。それを偶然知った犯人が盗みを企んだはずだ。そして、翌日にて犯人は息子夫婦が家を出て、次に被害者が駅前へ買い物するのを確認してから、犯行に及んだ。それから――」
聞けば聞くほど重苦しく、腹に重く圧し掛かる話に思わず息が詰まりそうになる、これは俺には何の関係もない話だ。話を遮るように俺は苦言とその日の事を話した。
「あの、刑事さん。悪いんだけど、その時間帯に怪しい人は見ていないです。俺はその時、親から頼まれたゴム手袋を買って家へ帰る途中ですから――」
ただでさえ鋭い刑事さんの目が眼光を持ち、俺の言葉を遮るように軽く机に手を置いた。
「朝和さん、よく考えて話してください。寄り道せず帰りましたか?」
「あー、ええと、それはまあ、寄り道はしましたよ。少し腰を降ろして飲み物を飲むために公園へ、確かにその公園は○○公園で、二番目の脇道に、ちょうど三番目の脇道に面した住宅の裏にいたかもしれませんよ。でも見てないんです、残念ながら、そんな悲惨な事が起きていたなんて」
「朝和さん。たしかその日の温度は29度、今日ほどではありませんがかなり暑かったのでは?。その公園でも灼熱の暑さだったはず、汗はべたつき、早く帰りたくて飲み物を飲む気分ではなかったのでは?」
「ええ、まあそうですけど。ただあの日はタオルと制汗のボディシートがあったんですぐに拭いて、汗で失った水分を取るためにに飲み物を飲みましたよ」
「ちなみに聞きますが、ほんの些細なことでも細かく記録しないと証言が曖昧になり、法的有効性が薄くなってしまうので、正確に答えてください。その飲み物は何という飲み物ですか?」
「はぁ、『ハワイアンブルーオーシャンレッドサマー』でしたっけ?。何か横文字が長い飲み物なんですけど」
「ああ、あの妙に長い名の飲み物ですね。確かにちょうどその日は店舗期間限定販売の発売日でしたね、『ハワイアンブルーオーシャンレッドサマー』、ええそれですね」
俺の体全体を眺めるように、刑事は言った。
「ところでその格好は事件当日と同じ格好ですか?」
「いえ、あの日は暑さで汗が出過ぎて、服が濡れ濡れの汗臭くなってて、帰ってすぐに洗濯機に入れましたよ。その次の日には干してありましたね。あと、その日はサンダルだったんですけど、公園の土と足の汗で酷く臭かったんで風呂掃除のついでに洗って、それも干してありますね」
「待ってください、風呂掃除ですか?」
「ええ、そもそもあの日は親から風呂掃除を頼まれて、必要なゴム手袋を買いに行ってただけなんですよ」
「なるほど、分かりました」
俺は刑事さんの質問一つずつに違和感を感じていた。テレビやドラマと映画の世界とかで知る警察の知識しか知らない素人考えの俺でも、警察の科捜研とかの最新科学捜査をすれば犯人はすぐに捕まると思っている。なのにこの刑事さんは俺みたいな目撃者から今さら証言を聞こうとしている。
もしかしたら、犯人は捕まったけど、証拠が無くて目撃者を探しているのかな?。試しに聞いてみるか、でもさすがに直接言ったら教えてくれなそうだな、少し遠回しに聞いてみよう。
「あの、犯人はまだ捕まっていないんですか?。今時の警察捜査だと、犯罪をすればすぐに捕まるような世の中だと思っていたんですけど」
刑事さんはぴたりと動きを止めたかと思うと、俺の顔をまじまじと見るようにしてから言った。
「そうですねぇ、正直に言うと結構厄介な事件なんですよ。キリという植物はご存知ですか?」
「え?。いやぁ、知らないですね」
「そうですか、まあ見た事はあっても名前は知らないよな。これだ」
刑事は真空パックに入れられた大きい葉を取り出して見せた。
驚くことにその葉はとても大きく、顔を隠せるぐらい大きい葉だ。
「これはキリという樹木の葉であの五百円玉にある葉ですね、とても丈夫で大きいのが特徴だ。この辺りの住宅地だとよく見かける樹でして、現場の住宅玄関近くにはキリという樹木があり、葉が6枚ほど摘まれてありました。おそらく犯人は靴底から特定されるのを恐れて、一足の片方の一つに三枚のキリの葉で靴底を覆うように結んでから入ったんでしょう。そうすれば、足跡をできるだけ残さず、靴底の土からどこに住んでいるか推測されることすら防げる。もちろん終えたときは外してバックに入れて、帰り道にちぎって撒けば残る事も見られる心配も無い。証拠隠滅は極めて安易だ」
「でも指紋とかはあったんでしょう?」
「いいえ、現場には指紋が一つもありませんでした。ただ、鑑識によればゴム手袋の痕跡があったから、下準備があったと」
「ではDNAはどうなんです?。そうだ、あの時はだいぶ蒸し暑かったから汗とかが見つかったはず」
刑事は首を左右に振った。
「いいえ、ありませんでした。汗一滴も落ちていません。これは私自身の推測ですが、犯人はおそらく、玄関前で一旦タオルで軽く汗を拭き、制汗のボディシートで念入りに拭き取り、汗を一時的に抑えてから、家の中へ入った」
「それでも、あの日は今日ほどでもないが、とても暑い日でしたよ。家の中ならさらに蒸し暑くなるはずだ」
「そうです、だからあの家はエアコンがつけっぱなしだったんですよ。被害者は高齢者です、そうなると熱中症に掛かりやすくなる、だからエアコンは一日中ついていた。その日は駅前近くへ少し行くだけだから、エアコンの冷房は切らなかった、いちいちその度に着けたり切ったりしたら、一日中は余計に電気代が掛かるからな。それで、家の中でDNAの塊である汗を垂れ流さずに済んだ。犯人は家中のエアコンの冷房を着けた事がゴム手袋の痕跡で判明している」
「そうだったんですか」
「とはいえ、犯人はただ盗みを、空き巣をする予定だったが予想外の事が起きた。被害者が予想よりも早く帰宅したからだ。当日の駅前近くのスーパーの監視カメラ映像に被害者がいました、レジに並び鞄から財布を取り出そうとして、突然レジの行列から外れて通路の脇に品物を入れたかごを置いて店を出た。それは、なぜか?。財布を忘れていたんですよ。あの時、忘れていなければ殺される事は無いかもしれないが、そうはならなかった」
「そうですよね。そうだったら良かったよ」
俺には関係ない事件だが、飲み物を飲んでいる後ろでそんな悲劇が起きていたなら、悲しいと思う。
「だが、会ってしまった。犯人からすれば想定外の事だ、予想以上に早く帰宅してきた被害者を咄嗟に近くにあった本で叩いた、二階に続く階段に落ちていた本には血痕と被害者の頭髪があった。それから犯人は、いっその事とばかりに隠し金庫の中身を貰う事にした、荒らす最中に見つけてしまったのだろう」
「でもどうやって?。金庫にはたいてい暗証番号とかありますよね。あっ、まさか」
「そうだ。犯人は気絶した被害者から聞き出そうとした、無理矢理な。一階の洗面台に連れられて、水を溜めてから被害者を沈めてから上げての繰り返しで聞き出し。最後は用済みとばかりに……」
刑事は最後まで言わなかったが、この後の事が良くない事だと察する事は俺でも分かった。取調室に重い無言が横たわる。
「目撃者はいないんですか?」
無音に耐えかねて、刑事に質問をした」
「不思議なことにあの脇道に入り、出るのを見た人はいなかった。あの脇道に進む人は住宅地の人以外が利用する人はほとんどいない」
再び机の上にある駅前周辺の地図、駅前周辺のあの二つの帰路の間に挟まる住宅地、三番目の脇道に指で示した。
「自分の考えとしては誰も見られるずに三番目の脇道に入るのは安易だ。駅前周辺のあの二つの帰路、道路沿いの道は車の通行が多く無理だとしても、高架橋沿いの道は気温にやられ、すぐに通おり過ぎようと足を速める人が多く、誰も見られてない瞬間に脇道に入ったのだ。だが問題はどのようにして脇道から出たか?。脇道からどちらかの帰路へ出るにしても、脇道から見えなかった通行人に見られる可能性がある。それなのに誰もあの脇道から出るのを見た人はいなかった。」
「そうなると手詰まりですか?」
「いや、そうではない。一つ方法がある」
「えっ、それはいったい何ですか?」
刑事は静かに机の上に庭と頑丈そうな物置小屋と道具箱が写る写真を置いた。
「裏庭だ。被害者の住宅は庭付きだった、そして庭の裏にはちょうど二番目の脇道には○○公園がある。庭には石畳みが道なりに手頃な道具箱と頑丈な物置小屋が並んでいた。石畳みの上を通り、道具箱は腰ほどの高さで登れて、物置小屋はそれなりに高かったが道具箱の上なら登れる高さだ」
それから刑事は俺が一週間前にいた○○公園を写した写真を置いて、駅前周辺の地図にある二番目の脇道に指で示す。
「そこまで登れば○○公園を囲む高い壁を乗り越えられる。後は生い茂る雑草の上を踏みながら足跡を残さず歩き、ベンチに上がり込んでから座って、靴にあるキリの葉を外して鞄に入れて脇道から出た」
さすが刑事さんだ。もう謎を解き明かしたんだ。
「なるほど…待てよ。でもその時間には俺はあの場で犯人の姿を見ていませんよ」
「だろうな、あの道路側の道にいた目撃者とその時間帯を通った車のドライブレコーダーを確認しても、その脇道から出たのは君しかいなかったと確認している」
「そうですよ。やっぱり手詰まりですよね」
そう思うと刑事さんも色々と大変なんだなと思ってしまう。俺には関係が無いがそれでも力にはなりたいと思っている、見なかったという証言では役にも立たないがな。それでも、犯人がまるで現場から消えたように姿を消したとなると、刑事さんも気苦労が絶えないのだろう。
「………今のところ、被疑者は既に出ている、証拠や目撃者もある。それにここに連れてきた」
「えっ!。そうなんですか、なんだ、もう事件は解決間近じゃないですか。いったい誰なんです?」
まさか、もう犯人が捕まっているなんて。いったいこんな事件を起こした人は誰なんだ?。
「あなたですよ、朝和太田。あなたがこの事件の犯人です」
「……えっ?」
刑事さんの鋭い目が俺に向けられる。
何で俺が疑われているんだ?。俺じゃない、俺はやっていない。
「じょ、冗談を言わないでくださいよ」
「条件は揃っているんだ、朝和太田。駅前の防犯カメラの映像、周辺の入念な聞き込みと捜索、多くの情報が君だと教えている。駅前でゴム手袋を買っているな?。現場にもゴム手袋を使用した痕跡がある」
「親から頼まれたんだ」
「君のお喋りな友人が、君の鞄の中にタオルと制汗のボディシートが入っていると証言している」
「そりゃあ、この時期は誰もが入れているよ」
「どうして公園にいた?」
「だから飲み物を飲むためだよ。俺は座って飲む方なの。そもそも、植物園とかの情報とか検索した事は無いし、それこそお婆さんの予定なんか知るわけないよ」
「新しいスマホへ乗り換えたな?。前の古いスマホで調べて、そのあとは古いスマホを業者に処分させた、計算されているな。それにお婆さんのいきつけの店が駅前ならば、君もいきつけの店が駅前にあるはずだ。いきつけの立ち読みが緩い駅前のコンビニ、防犯カメラには君が立ち読みしながらガラス越しにお婆さんがスーパーへ行くのを確認していた。ある程度の下調べも済んでいたな?」
あの時のか?。コンビニで立ち読みしてたら、太陽の光で窓ガラスが眩しく光っていて鬱陶しいなと思っていた、あの時に!?。
「誤解だ!。ただの偶然だ」
「どうかな?。ゴム手袋はその日の風呂掃除において洗剤で洗っていたな、当時の服もその日の内にすぐさま洗濯機に入れられた、薬品検査をしても別の薬品反応で証拠を出さぬようにな。これでも果たして偶然だと?」
落ち着け、説得するんだ。その日の事を話せば誤解は解けるはずだ。
「ぐ、ぐぐ、偶然だ!。何度も言うが、○○公園にいたんだ。嘘じゃない、刑事さんも、周辺の捜索はしたんだろう?。そうだ、あの○○公園には俺の足跡があった、行きと帰りの足跡だ。確か、目撃者はその脇道から出たのは俺しかいなかった、見たところ近所の人もあまり利用していないし、このところ快晴続きで足跡が残っているはずだ」
「ありましたよ、もちろん周辺捜索で○○公園にはあなたの足跡があった。でも行きと帰りの足跡だという証拠にはならない。何故なら、帰りはそのまま歩き、脇道のアスファルトを通って入口から、ベンチまで行くように歩いてから、再び自身の帰りの足跡を踏むように歩いた。他に何かありますか?。アリバイ」
えーと、ああ、そうだ!。
「そうだ!。動機は無い、殺す動機なんか無かったはずだ!」
「ええ、ないですよね。でも盗みを働く動機はありましたよ。どうも君は最近、金欠のようだ。原因は二つ、一つ目は毎週ごとに○○駅前のレストランで集まり親友と遊び惚けていた事、二つ目はバイトがクビにされた事だ。その状況でお前は盗みやすい相手を見つけた、お前は遊ぶ金が欲しかったんだ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。仕方ないだろう、本当なら今月は最繁期でバイトを搔き集めても忙しいはずなのに、例のウイルスのせいで、客は来ない、営業は自粛され、人件費削減でリストラされたが、でも盗みはさすがにしない。そんな事やりませんよ」
「でも魔が差した、偶然にもSNSで情報管理の意識が薄く、それなりに個人情報を垂れ流していた一家を見つけて、しかも駅前近くの住所を特定しやすかった。だから盗みをしたが、予想に反して、隠し金庫を発見した事と婆さんとの遭遇をしてしまった。だからお前の身勝手な都合と欲望で、やったんだな?」
な、なんてこった、そんなのありかよ!。不味いぞ、これはまじでやばい、本当に犯人扱いされる!。
いや待てよ、そうだ、証拠だ!。
「待ってくれ!。そもそも状況から得た話で、俺がそこにいた証拠があるのか!?」
「ある」
えっ?。と思う時には机の上に軽い音が鳴るように置かれた物を見て、目を疑った。
「『ハワイアンブルーオーシャンレッドサマー』。そのペットボトルだ」
地味な鼠色の机の上には、強く握られてできただろう白い歪みがある『ハワイアンブルーオーシャンレッドサマー』、あの時、捨てたはずのペットボトルがあった。
「これが、どうしたんです?」
「落ちていたんですよ、現場の庭にね」
「………え、え?。○○公園ではなく?」
「住宅の庭にありました。さて、朝和太田さん。何故これが落ちていたか、分かりますか?」
「いや、そんな事はあり得ない、あの時ちゃんと」
「あの時、一仕事を終えたお前は予定通りに庭を通り、道具箱に登ろうとした。そこでふと喉が渇いている事にお前は気付いた。庭に出た事で本来の暑さを感じ、予想外の出来事に心臓が高鳴り、水分を欲していた。そこでお前は石畳みの上で予め購入した『ハワイアンブルーオーシャンレッドサマー』、飲み物のペットボトルを金の延べ棒1㎏が入った鞄から取り出し、飲もうとした。だがしかし、ゴム手袋でペットボトルを持ち、ゴム手袋でペットボトルのキャップを開けるのは相当苦労したでしょう」
刑事はこちらに厳しい目を向けながらペットボトルの白い歪みがある部分を指した。
「冷蔵庫の中で冷やされたペットボトルが暑い外気温に晒されると表面には水滴がつく、その結果で濡れたペットボトルの表面をさらに洗面台で濡れたゴム手袋で開けようとすると滑ってしまう。だから、お前は片方のゴム手袋を外してキャップを開けて、力強く握りながら口にして飲み干した。そして最後に、いつものようにポイ捨てをした」
「ちちっ、違う!。俺じゃない!」
何という事だ、どういう事だ、なんで庭にペットボトルが落ちていたんだ?。
「お前は無意識にポイ捨てする癖があった。今回もいつものようにポイ捨てした、よりによって現場にな。無意識の癖が、お前のポイ捨てがお前自身の首を締めたんだ」
「いや、だから俺じゃない。それに、その飲み物は他でも売られているはずだ、それなら、俺以外の誰かがやった可能性があるだろ!」
「残念ながらそれはありませんね。『ハワイアンブルーオーシャンレッドサマー』は店舗期間限定販売だ。つまり、お前が買ったコンビニ限定で、この夏の期間だけで、ちょうど犯行当日が本当に新発売の初日だった。飲料メーカーとコンビニの入荷及び売上の統計から割り出し、犯行現場周辺のコンビニで買った数人の内、現場近くを通ったのはお前しかない」
「ごご、ゴミ箱だ、犯人はゴミ箱から俺のペットボトルを取り出して、わざと置いたんだ!。そうだ、そうに違いない!」
「現場周辺のゴミ箱は全て、コンビニの前と自販機が三ヶ所の間隔で配置された隣りの物しかありません。自販機隣りにいつもあったペットボトルと缶専用のゴミ箱、最近のプラスチックのストロー付きコップや紙ごみといった他のごみが混ぜるように突っ込むのが問題になって、数が減らされたのですよ。しかも、たいていは人目がある所に置かれているんですよ。もし取り出そうとしたら、不審者として目撃証言が出ますよね?。でも実際にはその日は一度もないんですよ、この結果はもうお分かりできますかな?」
「じゃあ、公園に落ちていたのを真犯人が――」
「わざわざ、壁を越えて拾いに行き、足場無しに壁をよじ登り、庭に置いてから、壁を再び越えたと?。ふざけるな!。そんな無駄な事をしなくても、証拠が無い状態で、わざわざ偽の証拠を作る意味はない。それに目撃証言から現場から立ち去った怪しい人間はお前しかいないんだぞ、朝和太田」
「そんな、馬鹿な、こんな事はありえないはずだ」
息を大きく吸って刑事は溜息を吐きながら俯く。そして俺に目を向けた。
「朝和太田、諦めろ、ごまかしても無駄だ。本当の事を話せ、お前がやったんだろう?」
刑事の刃物のような鋭い視線が俺に突き刺して来る。
だが、俺はやっていないんだ!。身に覚えが無い!。
「俺じゃない!。本当に知らないんだ!。俺はやっていない!」
その言葉に反応して、刑事は机から身を乗り出して強く言う。
「ポイ捨てを認めず、まさか突然帰ってくると思わず、そして自身がやった事を認めない。お前はそんな人間なのか?。罪を犯した自覚があるなら、真実を話すんだ!」
何か誤解が大きくなった気がする!。そもそも、真実はさっきの話で全てだ!。
「だから、さっきので全部なんですよ!。刑事さん、そんなつもりじゃ―」
力強く遮るように机を叩く勢いで手を置き、刑事は俺の顔に突きつけるように指をさして、怒りが混じった叫びをあげる。
「お前はっ、殺すつもりはなかったと言いたいのか!。顔を見られ、本で叩きつけて、水に沈めて、金庫の番号を聞いたうえで、殺意はなかったと言いたいのか!。刑事を舐めるな!。さっさと吐け!」
さらに火に油を注ぐように誤解が大きくなっている!。やばいやばい、本当に不味い!。
どうにかしないと、捕まってしまう。やってもいない罪で捕まるなんて嫌だ!。
「朝和太田、罪を認めろ。証拠は揃ってあるんだ。いいか、たとえどんな理由があろうと人を殺していい事にはならない。駄々をこねれば許されると思うな、大人になれ。裁きを受けて、罪を償うんだ。親が泣いてるぞ、社会の風当たりは当然厳しいが、真っ当な働きをすれば、許されるんだ。まだお前の歳ならやり直せる。だからこそ―」
最後通告とばかり刑事は長々と喋りながら俺の目を据えて言ってくる。
おいおい、嫌だ嫌だ!。やってもいないのに、やったと確信して刑事ドラマみたいに説得というより説教をし始めたぞ、この刑事。完全に俺を犯人扱いしている!。どうする?。このままだと、本当に犯人として刑務所に行かされる。そんなのは嫌だ!。
どうにかしないと、待った。そ、そうだ、まだそうと決まったわけじゃない!。
「……しょ、証拠だって?。そ、そのペットボトルを俺が捨てたペットボトルだという証拠はあるんですか!」
俺の声に説得を、実際には説教を途中で遮られたのを少し眉をひそめて不機嫌に思いながら刑事は言った。
「……そうだな、では指紋とDNAを提供してくれ。そうすれば、キャップから指紋、内用液の残りからDNAと照合する」
「……きょ、拒否します。嫌です」
「何だと、どうしてだ?」
決まってるだろ!。どう見てもそのペットボトルは間違いなく、俺がポイ捨てしたペットボトルだからだよ!。まじまじと見てもポイ捨てしたペットボトルだ、そりゃあ出るだろうよ、俺の指紋とDNA、一致しないわけない。でもそれを言ったら、どう考えても自供扱いされる。そうなったら終わりだ。
「その、映画で見たんです。こう、FBIが主人公に対して犯人を特定するために主人公の指紋とDNAと声を提供して欲しいと聞くシーン何ですけど」
「その言い方だと、まるで我々が証拠を捏造すると思っているのか?。いいか、あっちはFBI、つまり『アメリカの』連邦捜査局だ。そしてここは『日本の』警察だ、分かるか?。そもそも、あれはフィクションだ」
「いや、分かってはいますけど、信用できないんですよ。こっちはさっきから本当の事を話しているんです。でも刑事さんは、完全に俺を犯人扱いの一点張りなんですよ。どうやって信用するんですか」
俺の言葉を聞き刑事は何も言わず、ただ俺の方へ視線をじっと見つめている。気まずい空気が漂い、俺はつい目を逸らすも、5分経っていてもまだ刑事さんは俺を見ていた。
取調室の扉を数回叩く音が聞こえた。
扉のノックの音を聞き、刑事は立ち上がる。
「あなたの事情は分かりました。残念ですがこの辺で終わりにしましょう。では少し待っててください」
そう言い終えると、刑事は扉を開けて外へ出て行った。
扉が閉まる音を聞きながら、俺は安堵の息を吐く。
ああようやく、ここから出られる。
それでも安心はできない、まだあの忌々しいペットボトルがある。厄介を俺自身に運び込んだゴミが、俺自身を追い詰めていた。くそったれ、たかがポイ捨てしただけで、殺人の罪なんてごめんだ。
ともかく、ひとまずこの重苦しい部屋から出られるなら問題はない。
再び取調室の扉が開き、先ほどの刑事さんと若い刑事と細身の刑事が入ってきた。
「お待たせしました。移動しますので立ってください」
「え?。ええ、はい」
若い刑事と細身の刑事が左右に立っている。なんか、妙な圧を感じるな。こう、狭いような、近いような、空気がまとわりつくような嫌な感じだ。
「ああ、そうだ。優木見刑事、今は何時かね?」
「八月○○日、15時54分」
刑事さんはいきなり若い刑事に時間を聞くと、優木見と言われた若い刑事は何故か今日の日付と一緒に時間を答えた。
俺は不思議に思った時、手首に不自然な違和感と重みを落とし込まれるのを感じた。
手首に目を向けた時、ぎらぎらと光る鉄製の手錠が俺の両腕に掛けられていた。
「強盗殺人容疑で朝和太田、あなたを逮捕します」
手錠を掛けた細身の刑事がそう言うと俺の左腕を押さえつけて拘束させられた。
そこでようやく、俺は現実を理解した。逮捕されたんだ。必死に左右を捻じったり、体を大きく揺らしたり、足を振ったりと抵抗するも細身の刑事の拘束は万力のように強く、動く事もできなかった。俺は必死に叫ぶ。
「どうなっているんですか、刑事さん!。俺は無実だ!。証拠がなければ逮捕されないはずだ!」
「朝和太田さん、物的証拠は不十分ですが、目撃証言による証人がいるなら話は別です。あなたが犯した犯行の一部始終を目撃した証人がね」
そんな、馬鹿な。いるはずがない、やってもいないのに出るはずもない。嫌だ、放してくれ!。
無実だ、俺はやっていない!。嘘っぱちだ。違うんだ。頼む、やめてくれ!。
「待ってくれ!。本当に俺はやっていないんだ!。信じてくれよ!」
「じたばたするな!。往生際が悪いぜ、見苦しいぞ!」
細身の刑事は怒号で俺の言葉ごと頭を押さえつけて、若い刑事は冷たく失望するような目で冷たく言った。
「言っとくが本当の犯人はみんな言ってるぞ、その台詞」
じゃあ本当にやっていない人はどうすればいいんだよ!。
そう心に強く願っていたが、抵抗も空しく無意味に疲れただけだ。
「じゃあ、朝和太田さん。早速ですが指紋とDNAを提供してもらおうか。もうあんたは逮捕されたんだからな。言い訳は後でゆっくりと聞くよ」
刑事さんは俺に失望したように言った。
こうして俺は唾液と指紋を取られてペットボトルに残った物と一致、留置場へ連れて行かれた。
テレビに映る報道はあの刑事さんが言った通り、三日ほどで規制が解除になってようやく事件が報道された。
新聞、週刊誌、テレビは今回の事件を大きく報道した。その日から事件を紹介するテレビのコーナーが増え出し。たいていはイメージ図で、ポイ捨てされたペットボトルが出て、最後の最後に犯人は油断してしまったという印象を与える内容だった。朝和太田という俺の名を連日のように出した上で、確実に俺が犯人だと、言っていた。
国に選ばれた弁護士さんも、さすがにこの状況は厳しいと評していた。
弁護士さんとしては、俺のペットボトルが現場近く落ちていたのは○○公園で思い切り後ろへ、現場近くの庭へポイ捨てしたからだ。というのが考えられるらしい、少なくとも俺が本当の事を言っていればの話だと。弁護士さんですら、俺を疑っている。
弁護士さんは続けてこう言う。
「君はホントに大学生かい?。いいかい例えば仮に、もしも本当に、それが事実だったとしてだ。それを立証するのはかなり難しいだろう。君が○○公園で思い切り後ろへポイ捨てしたから現場近くの庭に落ちていたという話と、君が現場で犯行を終えて庭で飲んで無意識の癖でポイ捨てした話、どちらが現実的かと言うと後者だ。どっちに飛ぶか分からない無意識の癖によるポイ捨てよりも、現場近く庭に確実に落ちる無意識の癖によるポイ捨て、言いたいことは分かるよね?。そもそも、ポイ捨ての時点でただでさえ社会的な印象の悪さがあるのに、無意識の癖の証言と犯行の一部始終の証言があり、さらに駄目押しとばかりポイ捨てされたペットボトルには君の指紋とDNAがある決定的な証拠。情状酌量と犯行を認めて反省する態度を示して減刑してもらうしか手はないね」
どうしてこうなった。たかがポイ捨てなのに……。
九月の気温30度の日、川を越えたら東京に近い県、地方裁判所第四法廷。
時刻は午後2時辺り、30分近くにて。
証人台に上質なスーツを着た太り気味の男性が立っていた。
「ええ、確かに見ましたよ。私の家は被害者の隣に住んでいました。あの日、気分転換に洗濯物を干そうと二階のベランダへ上がり。ちょうど洗濯物を洗濯ばさみで掛けようとした時です。視界の先に隣りの家族の人ではない怪しい男性を目撃したんです。男は部屋を荒らして、金目の物を探していたようです。そうしてあのお隣のお婆さんが帰ってきたんです、男は慌てて家から出ようと階段を降りていきました。階段には窓ガラスがなかったので何があったか分かりませんでしたが、それから数分でしょうか、あの男は階段を降りながらお婆さんを引きずっていました」
「あの男とは、今そこにいる被告人ですか?」
「ええ、間違いありません。検事さん」
検事が俺に指を突き付けての問いかけに太り気味の男性が答えた。
「嘘だ!。でたらめだ!」
「静粛に!。被告人、静粛にしなさい。今は証人の証言中ですよ。さぁ証人、続けて」
俺が思わず叫ぶと、裁判官は警告を発して木槌を叩き俺を黙らせた。
「ええ、まあ、男が見つけただろう金庫を机の上に置き、お婆さんに見せました。男が何か言ったら、お婆さんは必死になって首を横に振りました。男はお婆さんを洗面所へ連れていき、洗面台に水を溜めてお婆さんの顔を沈めて何度も上げたり下げ、あ、いや、洗面所には窓がありませんでしたが、水が出る音は聞こえたんですよ。蛇口から水を出して溜めた音と何かを沈めて暴れる音、水から上がる音と再び沈めた音が繰り返し聞こえたんですよ」
太り気味の男性は怯え声を震えさせて言った。
「恐ろしかったです。何も見えないのに、もう音だけで何をしているのかはっきりと分かるんです。私は緊張と恐怖でその場から動けなくなり、ただ身をかがんで布団越しに少し顔を出して覗いたんです。やがて、水の流れる音が止んだのです。そしてあの男が再び現れ、机の上にある金庫のダイアルを回して開けた後、もう一度洗面所の奥へ行き、何かを沈めて暴れる音が激しくなってしばらくしてから段々と弱まり、静まりました。何が起きたか、嫌でも想像できるのです。さっきまで生きていたお婆さんが命を落としたんです」
腕を組んで太り気味の男性は裁判官の方へ見て言う。
「私は見たんです。この男が開いた金庫から金の延べ棒を鞄の中に入れて、それから庭へ続く窓ガラスを開いて敷石に踏み入る、その時に男が立ち止まったんです。男は鞄から何かの飲料水でしょうか、ペットボトルの飲み物を取り出して、フタを開けようとして開かなかったのか、右手のゴム手袋を外してようやく開けて、その場で飲み始めたんです。怖かった、人を殺しておいてすぐ隣で飲み物を飲み始めるなんて、なんて残酷で冷酷な人間なんだと思いました。その男は空になるまで飲み終えるとペットボトルをその場で放り捨てたんです、ポイ捨てしたんですよ。その後は庭にある道具箱と物置小屋に乗りかかり、○○公園の壁を乗り越えたんです。男はベンチに着いて、公園の出口から一旦出た後、入口から入りベンチに着いて、公園の出口へ自身の足跡を踏みながら去ったんです」
「証人、あなたは何故、強盗殺人を目撃したのに通報をしなかったので?」
検事の質問に太り気味の男性は肩を一度震わせるも、頭を抱えてばつが悪そうに言った。
「確かに私はその日のうちに通報をするべきでした。恥ずかしながら、私はあまりにも凄惨で残酷な事件を見てその場で気を失ったんです。気付いた時には夜中でした、てっきり熱中症で倒れて悪夢を見たんだと思って通報をしませんでした。翌朝にて、隣りに警察の方々が来て捜査がされているのを見て、ようやく夢ではなかったと気付いたんです。その後は警察署に向かい、そちらの優秀な刑事である太田原さんに話を聞いてもらい、ようやくこの場で証言できました」
「なるほど、そのような経緯がありましたか、よく分かりました。今回の事件の真相について」
納得するように頷く裁判官、そして俺を見る目は明らかに―犯人はこいつだな―と確信している目だ。
それからというものの、名探偵が現れたり逆転したりどんでん返しとかも特に荒れる様子もなく裁判は川のようにスムーズに流れていく、それこそ有罪という排水口の方へ流れていた。この状況は非常にまずいと思う。
やがて、ついにあの忌々しいペットボトルが証拠品として、検事の手で法廷に現れた。
「被告人、これが何かお分かりですね?」
「ペットボトルだ」
「ええ、あなたがポイ捨てした、ペットボトルです。そう、現場に捨てられたペットボトルです」
「だけど、俺はやっていないんだ」
「ポイ捨てをですか?」
「殺人だ」
「では何故、現場にあなたが捨てたペットボトルがあるんです?」
「それは、ポイ捨てしたからだ」
「現場で?」
「○○公園でだ!」
「被告人、大声を出さない。さぁ検事、進めて」
裁判官はまるでさっさと判決に移りたいようで、俺の顔を見る気は無いようだ。
「では、被告人。あなたはこのペットボトルが現場ではなく、○○公園でポイ捨てしたと主張するのですね?。現場に落ちていたという、事実を無視して主張をするのですね?」
「だから、弁護士先生の言う通りに、俺が思い切り後ろへポイ捨てしたから、たまたま現場に落ちていただけなんだ」
「被告人、正直に言って、とても見苦しい言い訳に聞こえませんか?。いったい、どういった確率で偶然にも思い切り後ろへポイ捨てしたら現場に落ちるんですか?」
「あんただって――」
「被告人、口を正しなさい」
裁判官は木槌を俺の言葉ごと叩き潰した。
「被告人、検察側の主張は被告人側の確率の偶然を頼った曖昧かつ不確実かつ根拠も無い主張より遥かに確実です。何故なら、被告人は飲み終えたペットボトルをその場でポイ捨てする癖がありました。既に被告人の友人である私黒氏の証言を筆頭に24名ほど、被告人がゴミのマナーが酷い事を裏付けています。裁判官、確認はしましたね?」
「裁判始めの際に聞き終えました。これほどまでにポイ捨てだけでよくもまあ、自己中心的かつ最悪な品格だと証明できるとは。このような被告人は裁判官を始めて以来見た事がありませんな」
「そうです、被告人。最初は意識的に、ペットボトルをゴミ箱へ捨てるのが面倒だからポイ捨てをしていましたね。それこそ今まで理解した上でポイ捨てしてきたのでしょう。ですがついには、ほぼ無意識にポイ捨てをするようになった」
「ち、違う、でたらめだ。無意識にポイ捨てなんかしていない」
「ですが、あなたは実際に近くに現場にてゴミ箱がなかったから、ポイ捨てした。ですがそれなら持ち帰って家庭ごみで処分できたはず、それなのにポイ捨てした。では何故、そうしなかったか?。簡単です、面倒だから、だからあなたはポイ捨てをしましたね」
「違う、そうじゃないんだ。ただ、その」
「最初はそのつもりではなかった、だがその言い訳を何度も繰り返し、やがてあなたは無意識にポイ捨てをした。それがあなたの癖です。だから、あなたは現場にポイ捨てをしたんです」
「そうじゃない!」
「ではなぜ、あなたは取り調べの際に最初は自身が捨てたペットボトルだと認めなかったんですか?」
「それは、俺じゃないと思ったからだ」
「本当は自分のだと理解していたのでは?。そこでようやく、あなたは自身のミスに気付いた。だから、あの場で否定した、何故なら自身の指紋とDNAがあったからだ。違いますか?」
「違う!」
「では、なぜ提供を拒否したんですか?。いえ、できませんよね、自身のだと確信していたのですから、現場にて無意識にポイ捨てしたペットボトルだと、だから否定しましたね」
「違うんだ!。俺はやっていない!」
「被告人。静かに答えなさい」
しつこい奴だと言いたげな顔をした裁判官が再び木槌を叩く。
「現実を直視してください、被告人。あなたは現場にペットボトルをポイ捨てした。何故なら無意識にポイ捨てをする癖があったからだ、そしてこの行為を見たという証人が24名ほどいます。そう、先ほど弁護側が主張した説と違い、こちらは現場にてポイ捨てしたほうが確実に、こちらの証拠品であるペットボトルが落ちるのです。そして、事件の目撃者の証言と辻褄が合い、被告人の指紋とDNAが検出しました。だからこそ、被告人はこのペットボトルがどのような物か分かっていたのです。このペットボトルは被告人が現場にいた犯人だと示す唯一の証拠品なのだと!」
検事の嵐のような言葉による剣幕に傍聴席はざわめきだした、裁判官は深刻そうな顔でこちらの顔を見ている。
さて、ようやくさっきから何も言わず黙っていた弁護士が動き、検事と裁判官と弁護士で議論して、最終的に俺は現場にペットボトルをポイ捨てしたと、蜃気楼並みの幻の事実が明言されていないが法廷内で印象深く残るようになる。事実ではないのに。
それからというものの幾つもの言い争いの末に気付けば、いよいよ法廷は大詰めとなり、判決前の最終弁論へと迎えた。
俺は席を立ちあがる。
「本当に俺はやっていません。あの日、親におつかいを頼まれて終えた帰りに○○公園へ寄り道して休んでいただけなんです。確かに俺は、ペットボトルをポイ捨てをしました。でも、それだけなんです、俺はそれ以上の犯罪をしていないんです。本当に知りませんでした。まさか俺が休憩していた後ろの家でそんな恐ろしい事が起きていたなんて、本当に知らないんです。しかも、ポイ捨てしたペットボトルがそこに落ちていたなんて、知る由もなかった。俺はこの事件に関わっていないんです。こんな事になるなら、ポイ捨てをしなければよかった」
できる限りの言葉を尽くした。傍聴席も同情と困惑をしている、ただ、いまいち納得していないのか裁判官は苦虫を食い潰したように顔をしている。ただ、俺は事実を言っただけなんだ。よもやまさかの勘違いで真実を覆してたまるか。正直に言ったんだ、何も悪くない。ポイ捨てしただけで、刑なんか喰らいたくない。
検察側の検事が席から立ち上がった。
胸を大きく張り検事は周囲を全体的に見渡して、言った。
「皆さん、確かに被告人はペットボトルをポイ捨てした事を完全に認めました。しかし、強盗殺人は認めなかった。それが意味するのは無実でしょうか?」
疑問を投げかけた後、一瞬の静けさを挟んでから検事は首を振った。
「いいえ、違います、有罪です。何故なら被告人にとって、強盗殺人はポイ捨てと同類だと思っているからです。まず彼は最初の取り調べ時においてポイ捨てを否定しました、それは何故か?。ポイ捨てが悪いことを被告人は理解していたのです。この時点で、被告人には責任能力があります。そして同時に殺人を軽い物と被告人は認識しているのです」
「おい、ふざ――」
「被告人、黙って聞きなさい。今は検事の番なのです、静かにしなさい。さあ検事、続きを」
検事の見当違いの主張に俺が思わず抗議を上げようとしたが、裁判官の一声で静かにさせられた。
法廷中に響き渡るように検事は語り続ける。
「現に被告人はポイ捨てをほぼ無意識にするほどやっており、それこそ、当の取り調べ時にはポイ捨てを認めていました。それはポイ捨てをしても重い罪にはならないと認識をしていたのでしょう。それは同時に被告人はポイ捨てを繰り返すごとに罪の意識を薄めて慣れているからです。そうしてついに、被告人は金欠の危機を前に足を踏み入れた。そして被害者に遭遇して、被告人は完全に犯罪に手を染めました。しかし、その時点ではまだ自分がやった過ちに気付いていません。何故なら、その場で飲み物を飲んでいたからです。普通の人間ならば少なくとも殺人を起こした現場近くで、飲み物を飲もうとするなんて正気ではありません、ただし罪悪感を感じないなら別です」
机を叩くように置き、検事は俺に指をさして言った。
「そして被告人が取り調べを受けて、ようやく自分がやった過ちに気付いたのです。ですが、それは罪の意識ではありません。取り調べを受けた原因が現場にポイ捨てしたペットボトルだと、癖でポイ捨てをした自身の失敗の過ちです。ということは、被告人が『こんな事になるなら、ポイ捨てをしなければよかった』と言ったのは事件に巻き込まれたからではなく、自身のポイ捨てで犯罪証拠を残した失敗を後悔しているからなのです!。つまり、このペットボトルは被告人が犯人だと証明する証拠だと認めているのです!」
嘘だろ、この検事、俺が言った言葉の印象を変えやがったぞ。検事は完全に俺が犯人だと確信しているよ。しかも傍聴席が検事の言葉を聞いて一斉に落ち着きを取り戻して、むしろ俺に怒りと侮蔑の目を向けている。何よりも検事の話を聞くごとに裁判官が頷いている。信じがたいが、場の空気が重すぎる。
結構なくらいやばい状況なのか。いや、そんなはずはない、たかがポイ捨てでここまで大事になるなんてそんな。さすがに裁判官は感情だけで動かず、きっと正しい判断をしてくれるはずだ。そんなはずはないよな?。
そう思ったその時、裁判官が突然、俺を見て質問した。
「被告人、罪を認めますか?」
「え?。え、いや、どうしてそんな」
「ん?。………形式的な質問です。『はい』か『いいえ』で答えてください被告人」
今ならまだ間に合うぞとばかり睨み、さっさと認めるべきだと言いたそうな裁判官。
「い、いいえ。俺はやっていま_」
「分かりました、結構です。では三分間の休廷後に判決を下します」
裁判官?。まさか、あんな話を信じる気はないよね?。
「これより判決を言い渡します」
俺を含めた弁護側と検察側が立ち上がり、一斉に裁判官に目を向ける。
「主文、被告人を強盗殺人の罪として有罪を言い渡す」
え?。おい待てよ、待ってくれ。
「過去の判例に無いほど被告人の人間性はこの事件のように非常に悪質でありかつ残酷で冷徹、その上さらに現場にてポイ捨てをする心も無い最悪な人間であるとおおいに考えられ。また、罪の責任を完全に自覚しているにもかかわらず反省は一切ないため、情状酌量の余地はないとして、よって懲役――」
思わず俺は裁判官の話が終わる前に被告人席から逃げた。分かってはいた、それは絶対的に悪手だと理解している。でも仕方ないだろう、たかがポイ捨てで殺人の罪をかぶせられるなんて、誰でも逃げたくなる。
裁判官が木槌を叩き、検察側の検事が俺の背を指した。傍聴席からの悲鳴と法廷係官の制止の怒号が法廷に響く。木製の柵を飛び越え、傍聴席の合間を抜けて、出口へ走る。背後から無数の革靴の音が迫り追い立てるように響き渡る。捕まったら人生は終わりだ、たとえここから逃げたとしても、いずれ敷地内で取り押さえられる。それでも、こんな悪夢から逃れたいんだ。
出口の扉まであと数歩の所で傍聴席から一人、行く手を阻むように現れた。
俺は退かすために手を伸ばして、逆に手を摑まえられた。
そのまま、勢いよく引っ張られて肩を乗せられて、床に思い切り強く叩きつけられた。そして、倒れたら俺の背中を押さえつけて、両腕を押さえつけられる。
「逃げるな!。諦めて、罪を認めろ、朝和太田!」
驚く事に現れたのは俺を捕まえた刑事の太田原源氏だった。しかも傍聴席から次々と取調室にいた若い刑事や細身の刑事が現れて、俺を押さえつけるために来た。やがて、法廷係官がやってきて手錠をかけられる。
「うわああああぁぁぁぁ!。俺はやっていない、やっていないんだよ!。嫌だぁ!。刑務所は嫌だぁ!ぐぶぅっ!」
俺は大きく無実を叫ぶも、うるさいと感じた法廷係官が俺の頭を掴んで床にねじ伏せた。
冷たい床の上で涎やら涙やら鼻水やらを流して、俺は頭の中で終わりのBGMが聞こえる。遠目にはあの刑事たちが見えて、法廷の照明と傍聴席周辺の人の流れが彼等の足元の床に白い線が流れていた。
「刑事、ようやくあいつを独房に送り込めましたね!」
「ああ、優木見刑事。これで被害者も浮かばれるだろう」
「それはそうとだ、太田原。あいつは最後まで自分勝手な野郎だな。いい大人の癖にガキみてぇに駄々をこねて、じたばたして言い訳して、挙句の果てに自分の罪から最後まで逃げようとした。ここまで、情けねぇ野郎は見たこたぁないぜ。まぁ、最後は太田原お得意の背負い投げで、ちったあ覚めただろうよ」
「そうだな。だが、最初からあいつがポイ捨てをしなければ、犯罪に手を染めなくて済んだかもしれない。何故なら、どんな犯罪も最初はとても小さいものだ。それを摘み取るか、育てるか、あいつは育てしまったんだろう」
「刑事……」
あまりの疲労とストレスで視界が曇っていく中で俺は、ものすごく刑事ドラマみたいな台詞を恥ずかしげもなく言う三人を見て、意識を失った。
耳障りな音が頭の中で鳴り響き、頬になにかが流れ落ちた。
突然、大きな音が頭上を通り過ぎて、目を見開く。
息が荒れている。ここは、いったい?。
○○公園、○○公園なのか?。でもなんで俺は白いベンチに腰掛けているんだ。
俺を挟んで鳴る頭上の電車の音、蝉の声が騒音を繰り出し。地表は熱気を放ち、上へ舞い上がり。額から汗が溢れるほど流れ、服がべたついている。
俺はゆっくりと、スマホを覗き込む。新しい通知の上にある日付と時間を見た。
八月の気温29度の日、時刻は午後2時半辺り、気温が大きくなる時間帯。
「………夢かよ。ひでぇ夢を見たもんだ」
どうやら、俺は寝てしまったようだ。こんな猛暑でも、うたた寝ができるらしい。肌の毛穴から汗という汗が噴き出ている。バックからタオルを取り出して拭き取りつつ、飲み物を取り出す。
『ハワイアンブルーオーシャンレッドサマー』の飲み物のキャップを回し外して、オレンジ色の炭酸を喉に流し込む。濃厚なパイナップルとマンゴーがミックスした味と爽やかな微炭酸、この時期にはちょうどいい飲み物だ。舌で味わいつつ、喉を震わせ、流し込むように一気に飲み続ける。みるみるうちにペットボトルの中にあるオレンジ色の液体は重力と吸引力によって減り続けて、空になる。
空のペットボトルの先から口を離して、思い切り大きく息を吸う。
生き返った気分だ。キャップを戻して空のペットボトルを白い歪みができるまで強く握り、力強く後ろへ放り捨て、ようとした。
が、やめた。嫌な予感がした。とてつもなく、邪悪でまとわりつくような。怨念のような何か。何者かが俺の腕をつかんだような。筋肉が離しまいとがっちり固まり指が一つも動かない。まるで捨てるなよ、と脅迫を受けたような気がする。
俺はポイ捨てをせずベンチから立ち上がり、足早に家に帰った。
もちろん、ペットボトルはちゃんとペットボトルのゴミ箱に捨てた。
九月の気温26度の日、川を越えたら東京に近い県、○○駅前のレストラン。
時刻は午後2時辺り30分近くにて。
「で、それで終わりかね?」
タブレット端末をテーブルの上で開いて動画を見ながら、強面で大柄な男性がミルクティーをかき混ぜて、一口で飲み干してから言った。
「終わりかねって。おいおいロフトー、何言ってんだよ。俺が先月見た夢の話をしているんだ」
「ロフト―じゃあない、私黒府戸、だ。それで、馬鹿なくらい猛暑の中で馬鹿しかしない昼寝した時に見た馬鹿な夢がどうしたんだ?」
あまりにも酷い事を言うこの男は俺の友人達の一人である私黒府戸、通称ロフトーだ。俺はいつものように友人達と遊ぶ約束をして、今日は一人しか集まらなかった。
「無職だからといって毎週、毎週、しつこいぐらい遊びを誘ってくるのは迷惑だからな。みんな、仕事をようやく始めて忙しいんだよ。それこそ出来の悪い作り話を聞く私の身を考えろ」
「おいおいロフトー、出来はともかく作り話じゃねえよ。本当に夢で見たんだよ」
ロフト―と言うと怒られるから私黒と言うが、彼はただでさえ強面の顔を不機嫌さで凶悪を増していると、タブレットを操作して画面を俺に見せた。
画面には見逃しのために動画公開しているテレビ番組の公式サイト、公開期限間近に迫っていた数日前の番組特集が再生されている。内容は『実録本当にあった凶悪事件、最新犯罪を撲滅せよ!』という番組だった。中央にいる芸能人の司会者、左側のひな壇にいる芸人と俳優といった有名人達、右側のゲストと専門家達。そして、太田原源氏刑事が解説していた。
『――という事件でした。では皆さん、この証言と現場に何か不審な点は見つかりましたか?』
よくある展開として、多くの無難な解答や珍解答が出てきてから、最後に全く違う解答が出る。
『では様々な解答が出ましたが、では正解をこちらで解説しましょう』
そういうと太田原刑事は番組スタッフが用意したフリップを押さえて、細い棒で指しながら解説した。
『事件が起きたら我々は現場を隅々まで調査を行います。そして次に周囲へ聞き込みをするのです。さて、まず基本的に事件はたいてい近いところから関係しています。現場の状況から近所の犯行だという可能性が非常に高いのです』
へぇー、という何気も無い言葉も津波のように押し寄せると何かすごい事を言っているような気がする。
『今回の犯行の一部始終を見たという男性がいました。彼の証言は一見すると完璧な証言に見えますが、一つ間違っているところがあります。それは男がお婆さんを洗面所で殺害した決定的瞬間です。聞けば、犯人が洗面台に水を溜めてお婆さんの顔を沈める姿を見た、ですがそれはありない。何故なら洗面所には窓がありませんでした。その事に疑問を感じてすぐさま部下たちに身辺調査をさせて、ようやく真相が浮かび上がったんですよ』
太田原刑事は一息溜めてから言った。
『証言をした男性こそが犯人だった!』
会場がざわめき、カメラが太田原刑事の顔へ拡大して決め顔を撮った。ついでに何か刑事物のドラマにあるかっこいいBGMが流れる。
『彼は最近のウイルス騒ぎのせいで会社が倒産、借金を多く抱えていた。追い詰められ苦悩していた時に偶然にもSNSで近所の個人情報を手に入れた、それこそ彼が盗みを働こうとした動機なのです。その後は彼を署に呼び出して取り調べでその点を突いた時、彼は自白しました。こうして、この事件は無事に解決したのでした』
会場内は拍手の嵐が巻き起こり、太田原刑事は賞賛を浴びながら席に戻って行った。落ち着いた空気になってからある芸能人が改めて質問をした。
『犯人はどのような証言をすれば良かったか?。そうですねぇ、まあ、窓は無いけど洗面所だから水が出る音が聞こえますからね。そんな音を聞いたといえば、とはいえそれこそやるなら、ははっ、検事の助言を受けながら証言をしなければ裁判官を納得させるのは不可能ですな。仮にそんな証言をしたところで我々の捜査能力は世界で一番優秀ですから、よほどの証拠品がなければ、騙されませんよ。はっはっはっ』
私黒の指で画面をタッチしたら。太田原刑事が高笑いする瞬間に動画の再生が停止した。
「で、お前はこれを見たんだな」
「な、何言ってんだよ。本当に夢で見たんだって」
「仮に見たとしても、警察はそんなに甘くはない。たかがペットボトル一つの証拠で犯人を逮捕しない。地道に裏を取りながら、それこそ確実に犯人だと分かるぐらい証拠と証言を集める。というよりもだ、話の出来が悪いな」
黒い鞄にタブレットを入れながら私黒は溜息と共に文句を言う。
「あえて言うならば所々に杜撰が目立っている。例えば制汗シート、拭いても完全に汗を防ぐわけない、足裏やそれこそ背中でも汗は出る。キリの葉、それで足跡を隠すのはよく考えたなと思ったが、そもそもゴム手袋を百均で買うならそれこそ足元カバーを買えばいい、本来の用途通りに靴を履いたまま家に入れる。ついでにシャンプーヘッドも買うべきだ、エアコンを着けまくったせいでDNAの塊である髪の毛が抜け落ちてしまうからな。それに隠し金庫だ、空き巣に来たのであって隠し金庫破りに来たわけじゃない、道具すらないのに手を付けるから時間が掛かって被害者に接触してしまうんだ。そうそう被害者、いくら帰って来たからといって確実に出くわす階段を利用するのはいかがなものか、下調べをしていたなら通常より早く帰ってきたのは財布を忘れたからと気付いてクローゼットに隠れるべきだ。それと君の犯人みたいな言動は慎しみたまえ。その後の法廷ですら、序盤を省き幾つか部分を切り外している」
「俺はそんな事言ってない!。というかそんなの知らないよ。私黒さー、同じ東大卒業生として俺が見た夢の意見を聞きたいのよ」
「誤解を招くような発言をするな。東○大学じゃない、○洋大学だ。それにお前は南関東産業大学だろ、悪意のある略し方をするな。ともかくこんな馬鹿な話を続けるなら、私は帰る事にするよ」
「ちょっ、待って待ってくれよ。オーケー、こうしよう、もう世間の空気を気にせず遊ぼうぜ。なぁ、今日はそうしようぜ」
「まだ終息はしていないからな、お前。……まあいい気分転換だと思おう。ドリンクバーへ行ってくる、逃げるなよ?」
私黒が席を離れて、ドリンクバーへ向かう大きな背中がまるでクマのように、遅めの昼食を取る男性サラリーマンの座席と馬券を持ってイヤホンをしてスマホを熱心に見る老人男性の座席の間を突き進んでいた。しかし、馬鹿な話とはなんだ、それこそ彼の友人に俺の話を聞かせてやりたいよ。
しかし、先週は休みだったがあまり店内が変わった様子は無いな。ああでも、入り口には最近流行りの体温センサーとキャッシュレス決済対応レジとかがあったな。後は顔認証システム実験中と書かれた看板に店内奥隅にある防犯カメラは……半年前にあったような気がする。
まあそんな事は気にせず、俺は座席の首もたれに腕を置いて、家にある一番の問題について考え事をした。それはもちろん、冷蔵庫の奥にあるヨーグルトとかだ。「期限切れの処分、どうしようかなー。匂いが臭くなったら絶望的だな。落としたら、どろって中身が出てもっと嫌な臭いがするんだろうな。でもつまらない話って何だよ、せっかく聞かせたのにな。まぁとりあえず腐ってるなら生ゴミとして処分をしないとな。さて、もうそろそろだ」
「『もうそろそろ』って何にかね。朝和」
「うわっ、何で俺の心が読めたんだ」
「心かどうかは知らんが、ぼそぼそと喋っていたぞ。とはいえ、『もうそろそろ』しか聞こえなかったがな」
「ああ、もうこの店を出て、さっそく遊びに行こうぜ、っていう『もうそろそろ』だ」
俺が座席を立ち上がり、ドリンクバーで入れただろう緑のメロンソーダを私黒は一気に飲み干して、お互いに座席の荷物を持ってレジに向かった。
俺が出すと言ったらお前は映画代を払えと言い、私黒は自身のスマホをレジの丸い台に触れさせると甲高い音が鳴る。店員がお辞儀をして、私黒はその場を後にして扉を押して立ち去る、あれ、会計は?。
俺と私黒が樹木や電柱が並ぶ道路沿いの歩道を歩いている時に尋ねた。
「おい、私黒。今の伝票を持たずに会計したよな?。大丈夫なのか?」
「君は正気かね?。あの店は省略化の試みとして、半年前から電子決済と新しい会計の導入実験をしているんだ。入り口にあるカメラを見ただろう、顔認証システムついでに体温センサーも兼ねている。入り口でカメラが人数と顔を記録したら、フロアの空きテーブルを捜索して案内、テーブルにあるタブレット端末でメニューを選び注文する、そうするとフロアの隅にあるカメラが入り口のカメラのデータを共有、座背の番号を読み取り、注文の品を置く。最後にレジのカメラに記録してある顔認証システムで誰が何を注文したか合わせて会計、後はスマホで電子決済ができる。半年前も同じように店に入る前に話したよな?」
「あーそうだっけ?。ちょっと待て、あの自販機からブラックコーヒーを買って来る」
「おい、映画代を残せよ」
道路標識の隣りの信号が赤く灯り、歩行者信号が青になってから自販機がある向こう側へ道路の横断歩道を渡って行き、俺はボトル型のブラックコーヒーを購入した。大人はやはり食後のコーヒーってやつだな。
「ドリンクバーをケチって、ナポリ風シーフードドリアとちっさいパンだけは割とマジで貧相だぞ。せめて、シーフードサラダを注文するべきだと思うよ」
背後にいる私黒が俺の注文した品に不満を漏らしていた。俺はボトルキャップを捻ると軽い音と切り取り線の金属を切る。俺としてはこの注文はいやいやこれが普通だからな、ちょうど近くにあった郵便ポスト並みの体に相応しい注文はさすがに。
「おいおい、みんなお前みたいに昼から包み焼きハンバーグと大盛りライス、アメリカンガーリックトーストとシーフードサラダ、ヴェニスグラタンとメキシカンペッパーホットチキン、ウミガメスープ&ドリンクバーというフルコースセットを食うなんて聞いたことないよ」
香ばしい匂いが鼻元に漂う。そうこれは大人の、と口付けてから。うげっ、そういや久しぶりのブラックだから、苦痛を感じるぐらい思っていたよりも苦かった。とはいえ、やはり買ったのだから勇気を出してこの黒い水をもう一口飲み込む。
「みんな普通はそのぐらい注文するぞ」
「え?。いや、まさか?」
あまりにも無茶苦茶な話に俺は動揺して勇気が引っ込んだ。そうなると胃が重くなって、ブラックコーヒーを飲める気が無くなった。そうだな、私黒が言う映画代は映画鑑賞券はもちろんのことポップコーンやチビ肉、ついでにパンフレットを入れて映画代である。正直に言って、それはそれで金が足りないかもしれない。何かアルミ缶が落ちた音が聞こえた気がするが気のせいだろう。
「おい、朝和」
「うぉっ、何だよ!。突然、大声でなんなんだよ」
「またお前はポイ捨てをするのか?」
「ぽ、ポイ捨て?。何を言っているんだ?」
「じゃあ、右手にあったブラックの缶コーヒーはどこにいったんだ?」
……俺の手から逃げ出して、背後にある黄色の点字ブロックの上にさっき買ったブラックコーヒーがあるのは分かっていたが、まあ、その清掃の人が回収しにくるだろう
「き、気にするなよ。そうだ私黒、今度はどの映画をみるんだ?。今度のウイルスのせいで映画館の席はだいぶ空いているだろう?」
「また、巻き込まれるぞ」
「いやいや、俺はあんたほど頭がいいわけないが、知ってのとおりここは駅前の近場、防犯カメラが無数に配置されているから事件なんて起きやしないさ。それにここで捨てて何が起きるんだよ」
「……そうか。先に言っておく、あの話を聞いて思ったがそもそも、お前がポイ捨てをしなければ。そうすれば優秀な刑事達に注目されることはなかった。よって、後から助けを求められても俺は一切関知しない。さて、話は変わるが名作アニメ映画は好きかね?」
「悪くない」
ポイ捨てをしなければよかった話。いま私黒が言った事だが、まあ気にしなくていいや、いくら何でも白昼堂々と駅前の大通りで事件が起きるわけ無いだろう。
そう思っていた俺はそれから数週間後、自宅に警察の人が来た。
10月のとても涼しい日、川を越えたら東京に近い県、警察署の取調室。
時刻は午後2時辺り、気温が下がる手前の時間帯にて。
外が少し寒いせいか、取調室の空調がほんの少しの暖房で流れている。
取調室には俺と扉近くにいる二人の警官と目の前にいる刑事がいた。机を挟んで、中年の刑事が口を開く。
「どうもすみませんね、こんな真冬手前の日に署に来ていただいて。ああ、自分は刑事課の太田原源氏です。ええと、朝和太田さんですね。……どうしましたか、顔が青いですよ?」
「いっ、いえちょっと緊張してて。それで何か用ですか?」
デジャヴ。いや、落ち着け、今回は何もやっていないはずだ。
「九月の気温26度の日、川を越えたら東京に近い県、○○駅前のレストラン。時刻は午後2時辺り30分近く。あなたはそこで何をしましたか?」
ピンポイントで来やがった!。ここは下手に否定するより、認めた方がいいな、いやポイ捨てだからな。
「えーと、もしかしてポイ捨て、ですか?。本当にすみませんでした。やっちゃいけない事なのに、下手したら軽犯罪法違反になるかもしれないのに、本当にすみませ――」
「太田原刑事!。何をしているんですか!」
俺の声を思い切り遮るように取調室の扉が開き、大声が部屋に響き渡る。
「ちょうどよかったな」
「なにがちょうどいいんですか。そもそも上からはその案件は事故死だと、さんざん言われているじゃないですか太田原刑事!」
「おい落ち着け、優木見。それで太田原刑事、こいつにはもう知らせたので?」
若い刑事が口と指を尖らせて、細身の刑事が抑えながら取調室へ入ってきた。というか、事故死って?。
「今しようとするところだったよ。さて、朝和さん。君には知らなくてはならない話があるんだ」
「話って何ですか?。それに事故死だって?」
「そうだな。九月の気温26度の日、川を越えたら東京に近い県、○○駅前のレストラン。時刻は午後2時38分にて、ある一人の老人男性が転倒して後頭部を強く打って死亡した。ちょうど、君が通り過ぎて約3分後に起きた事だ」
は、えっ、どういう事?。
「えーと、それって俺に関係あります?」
「充分にある。何故ならば、転倒した原因はあなたがポイ捨てしたブラックコーヒーのアルミ缶だからだ。老人男性は落ちていたアルミ缶を踏んで姿勢を大きく崩して後ろへ転倒、コンクリートブロックの地面に後頭部を強くぶつけて、意識不明となる。その後、救急車へ運ばれるも病院にて死亡が確認された」
なんてこった。そんな。
「嘘だろ。そんな、俺がポイ捨てした缶がそんな……」
「落ち着いてください、朝和さん。あなたが悪いわけではないです。これは事故だったんです。あなたに責任はありません」
罪悪感に胸を打ち俺がうなだれていると、若い刑事さんが俺の肩に手を置いてくれた。
「それはどうでしょうか?。朝和さん」
「えっ?」「えっ?」
太田原刑事の一言に俺と若い刑事さんが思わず顔を上げた。
「自分はね。少しきな臭いなと思って調べたら、興味深い事が判明したんですよ」
そう言って太田原刑事はタブレット端末を取り出して画面を見せた。画面には駅前の地図とそこに記されている防犯カメラの位置と視界を表す三角が表示していた。
「今回の事件が起きた場所はここだ」
太く武骨な指が置いた場所は駅へ続く道、俺がポイ捨てした場所、網のように張り巡らされた防犯カメラの視界がなぜか不自然なほど空白の場所だった。
「担当も驚いていたよ。どの場所も映るように配置されていた防犯カメラが、郵便ポスト、電柱、道路標識、車や歩行者信号機、樹木等によってまるで一枚足りないジグソーパズルのような死角があったとはな。これは偶然かね、朝和さん?」
「ばっ、馬鹿な事を言うな。仮にそうだったとして、やる理由は無いんだ!。動機は無いんだ!」
「無いはずはない?。それはどうかな、割と近くにあるもんだ。とりあえず聞いてくれ」
画面をタッチしてスライドして、今度は画面が真っ黒になり、音が聞こえてきた。
『期限切れの処分、どうしようかなー。匂いが臭くなったら絶望的だな。落としたら、どろって中身が出てもっと嫌な臭いがするんだろうな。でもつまらない話って何だよ、せっかく聞かせたのにな。まぁとりあえず腐ってるなら生ゴミとして処分をしないとな。さて、もうそろそろだ』
これ……俺が冷蔵庫の奥にあるヨーグルトの事を考えてた時の声だよな。
なんで録音されているんだ?。
「これはある男性が録音したのです。彼はその日、銀白杯競馬開催のため馬券を購入して、○○駅前のレストランでレースが始まるまでスマホで本命馬ストレイカー号の動画を見ている時、君と強面の顔で大柄な男が口論していた。おそらく大柄な男と君は友人同士、君が凄い形相で必死になって訴えているに対して、大柄な男は紳士的に対応していたようだ。君は大柄な男に何かを誘っていた。それが断られ大柄な男が席を立ち後ろの方へ向かう時、君が何か呟きそうにしていたので彼は興味本位で魔が差して録音したのがこれだ」
「これが、何だって言うんです?」
「太田原刑事、これって」
若い刑事さんが困惑した表情を浮かべている。そりゃあ、そうだ何の変哲もないただの独り言だ。
「そうだ。今回の事故と妙に一致している。期限切れの処分、匂いが臭くなった、仮に被害者の老人男性。落としたら、どろって中身が出てもっと嫌な臭い、転倒時に後頭部を強くぶつけて、意識不明となる。朝和さん、偶然にも今回の事件と一致しているんですよ」
「ええっ!いやいや、あれは事故です、偶然ですよ。あの時は冷蔵庫の奥にある腐ったヨーグルトの事を考えてた時の声ですよ」
「どんな偶然が起きればそのような発言が出るんですかな。とっさのいいわけでも、まともな話が他にありますよ。朝和さん、あなたはかなり高齢者を嫌っているようですね」
待てよ待てよ、いくら何でもそんなのはあり得ないよ。ふと横目に若い刑事を見るとなぜか距離を置いていた。
「待てよ、太田原刑事。仮にそれが動機として、そもそも方法はどうなんだ、今回のは空缶による転倒時の事故による死亡だ。狙ってやるにしても、偶然に頼り過ぎている」
「そうですよ。柔らかいアルミ缶よりスチール缶の方が適しているのに、何でアルミ缶でやる必要があるんですか?」
「既に実証実験をやった」
嫌な予感がよぎっている俺を無視して、細い刑事さんと若い刑事が太田原刑事に問いかけると、先ほどのタブレット端末を軽くタッチして映像が流れた。
映像にはどこかの部屋の床にブルーシートが張られ一部だけ点字ブロックを模したプラスチックの板が敷かれていた。そこに中年男性が立っており、その足下に三つの空缶が落ちていた。
『おいおい、太田原。いくら俺が四課の謹慎者だとしても、一課の暇つぶしに付き合うほど暇じゃねえぞ』
『それなら問題はない、これは事故の再現実証実験という仕事だ。よし、まずはアルミだ』
うんざりしながらも中年男性が歩き、横倒しになったプルトップが開いている赤いアルミ缶に足を降ろした。たちまちアルミが軽快に潰れる音を鳴らした。
『よし、次はスチールだ』
自身が何をしているのかと顔に出した中年男性が歩き、横倒しでスチールの金色の空缶に革靴が降りてくる。軽いが弾力があるのかぐにゃりと鳴って潰れて、ブルーシートを滑りながら弾きとんだ。
『最後はアルミのボトル型空缶』
あくびをしながら中年男性が歩き、こちらも横倒しのキャップを外した黄色のアルミ製のボトル型空き缶へ足を落とした。アルミ特有の軽く潰れた音が鳴った。
『もういいか?。いったい何の事故の実験か知らんが、必要なのか?』
画面を太田原刑事がつついて動画を止めた。
「見ればわかる通りアルミ缶でもスチール缶でも、人を転ばせる事はできない。潰れるからな。だが、ボトル型空き缶なら可能だ」
「何を言っているんですか?。さっき―」
「まだ続きがある」
若い刑事の言葉を遮るように再び画面を太田原刑事動画がつついて動画が動く。
『悪い、最後のは録画できなかった。缶を置くから、もう一度やるぞ』
『まじかよ』
屈伸をする中年男性の目の前に太田原刑事が現れると潰れたアルミ製のボトル型空き缶を退かして、左手に持っていた黒いアルミ製のボトル型空き缶を置いた。キャップがついているままだ。太田原刑事が画面外へ出た。
『よし、いいぞ。もう一度だ』
『やれやれだ、だいたいこんなのを踏んで何が――』
そう言いながら中年男性はキャップつきアルミ製のボトル型空き缶に足を踏み入れる。軽い音を鳴らして潰れていき、中身から水が溢れて形を保ちつつ弾けた。
足を崩し後ろの方へ中年男性は思い切り倒れた。ブルーシートに背中を強く打ち、部屋に響くほどの大きな音が鳴る。痛みに大きくのけぞりながら、苦悶の声を上げた。
『痛え、痛い!。おいおい、なんなんだよこいつは!』
『キャップがついている、これですべての謎が解けた』
動画が終わったのか画面が止まった。結局どういう事なんだ?。
「そもそもアルミ製のボトル型はリサイクルと衛生面を見込んで作られた代物だ。缶に塗装するよりも、プリントされたビニールをまとったボトル型はリサイクルしやすく。缶に直接口に着きたくない人を狙って、飲み口をキャップで覆う事で衛生面を気にしないようにする工夫がある」
「ボトル型のセールスじゃなくて、犯行に使われた凶器、事件であるならなぜボトル型の空缶なのか聞いてるんだ」
細身の刑事の質問に対し太田原刑事は答えた。
「この二つの特性が今回の犯行に必要な凶器だったからだ」
なんなんだ?。いったい彼等は何の話をしているんだ?。
「まずボトル型はプリントされたビニールをまとっている、それのおかげで踏み潰されても形が変形しにくい。キャップで飲み口を覆う事が出来るという事は、空気を閉じ込める事が可能だ。それに中身があれば、ますます都合がいい」
「中身だと?」
「3対7、空気が3割、ブラックコーヒーが7割あれば缶内は膨張して潰れにくくなっていたはずだ。それこそ油断して踏めば転倒するくらいの空缶にな」
「待ってくれ、現場で回収した缶内のブラックコーヒーは2割しかなかったぞ」
「忘れたのか?。現場は○○駅前のレストランの通り、歩道と車道の間には側溝がある。見ただろう、回収する前に落ちていた空き缶の中身が側溝へ流れ落ちて、下水へ吸い込まれるところをな」
革鞄からプラスチックの袋に入ったアルミ製ボトル缶を取り出し、太田原刑事は机に置いた。
「まさか、計算されていたのか?」
「そのまさかだ、こいつは目撃者がいなければ事件に関係ないと思わせられるし。運が絡めばただのゴミだと、すぐに親切な誰かが処分してくれるかもしれない。そうですよね?。朝和さん」
俺が捨てたアルミ製ボトル缶をつつき、太田原刑事は俺を見ていた。
何を言ってるんだ。本気で何を言ってるんだ。
「ば、馬鹿な事を言わんでくださいよ。そもそも証拠はあるんですか、確かにこのゴミは俺が捨てた、さっきの声は俺だ。だがそれが俺が、あの老人に殺意を持ってポイ捨てをしたか示す証拠はあるんですか?」
「声は認めたんだな」
「腐ったヨーグルトの事を考えてた時の声で、認めるんだ。そもそもだよ、そんな一回の偶然なんて。一回の運に頼り過ぎているよ。出来るわけない」
若い刑事と細身の刑事が遠目で俺を見ている。本当にやったのか疑いに確証が無いんだ。もう、夢の中を含めて二度目なんかないからな。
すると太田原刑事は不敵の笑みを浮かべて言った。
「実は言うと朝和さん、あなたに一つだけ嘘を伝えていました」
「噓だって?」
「先ほどあの場所は死角だと言いましたが、実は死角ではなかったのですよ」
「は?」
先ほどのタブレット端末の画面を太田原刑事はなぞるように左にスライドさせると、動画の再生画面が現れ、軽く触れた。
現れたのは、俺が前に行った○○駅前のレストランの店内だ。
「最後の最後まで隅々と探してようやく見つけたんですよ。この映像は○○駅前のレストラン奥隅にある半年前に設置された防犯カメラによる映像だ。ここにお前がいるな」
そう言いながら太田原刑事は画面の中央を示す、店内中央に座る俺と私黒がいた。
「お前は私黒さんと口論になり店を出た。ここでいったん画面から消える」
「太田原刑事、これが何だっていうんですか?」
「ここを見てみな」
若い刑事の指摘に太田原刑事は画面上部に指を置く。そこには窓ガラスがあり、防犯カメラの位置から見下ろすように外の風景が写っていた。
そして缶コーヒーを持った俺と私黒が並んで歩いていた。
「こいつは太田原刑事。まさか」
感づいた細身の刑事が驚きの声を上げて、太田原刑事は頷く。
「そうだ。決定的な瞬間もな」
画面の俺は缶コーヒーを一口飲んで、苦々しい表情をつくりもう一口飲んでから離した。重力に引きつけられ缶コーヒーはぐるぐると落下して、まだ中身があるのかあまり跳ねず地面に落ちた。
それから、3分後に画面端から老人が歩いて来て、落ちていた缶コーヒーに足を踏む瞬間で映像が止まった。
「こ、これがどうしたんだ?。こんなのが今さら出たって何の意味がないじゃないか」
「実は言うとこの防犯カメラ、記憶保持は半年前からあるんですよ。見ててください」
あの瞬間手前で冷や汗をかいたがそれで俺が犯罪をしたわけじゃない。
だが太田原刑事は気にせず、映像の下にあるシークバーの右端から左端へ、そこから少し右へ動かす。
すると○○駅前のレストランの店内、そして窓ガラスから見下ろす外の風景に缶コーヒーを持った俺が歩いていて一口飲んで、苦々しい表情をつくり捨てた。空き缶は中身が無いのか地面に触れて勢いよく弾きとんだ。それから3分後に画面端から老人が歩いて来た。
「これは半年前、事件が起きた同じ曜日、同じ時間です。来週へ動かします」
同じように缶コーヒーを持った俺が歩いていて一口飲んで、苦々しい表情をつくり捨てた。今度は中身があり弾き飛ばないものの、3分後に画面端から老人に蹴られて道路へ飛び出た。
「来週へ動かします」
またもや俺が歩いていて一口飲んで、捨てた。空き缶は弾き飛ぶ。
そして太田原刑事がシークバーの左端からへ右端へ動かすと、毎週ごとに俺は何度も同じ場所に同じ時間にポイ捨てをしていた。
「ついでに老人はこの時間、この場所でいつも散歩する習慣がある。朝和さん、この意味は分かりますよね?」
「えっと…これがどうなんです?。たまたま偶然が続いたように見えるだけなんですけど」
かつて動画で見た決め顔をしながら太田原刑事が言う。
「未必の故意ですよ」
「まさか太田原刑事、そういう事なんですか」
「なんてこった、さすがは太田原刑事だ!」
若い刑事と細身の刑事が驚きと歓喜の声を上げる。ただ俺にはいったいどういう事なのか意味が分からない、だから思わず疑問を言った。
「え?。何ですそれ」
そう言うと太田原刑事はおろか若い刑事や細身の刑事さんですら、まるで驚くように目を向けた。まるで信じられない物を見るような目つきで俺を見ている。太田原刑事は俺に尋ねた。
「知らないのか?」
「えっ、ああ、はい」
ますます太田原刑事や若い刑事と細身の刑事さんが正気を疑うような目を俺に向けてくる。細身の刑事が太田原刑事に目を向ける。太田原刑事は場が悪そうになりがらも、俺を見ながら細身の刑事に自身の頭を指さしてくるくると軽く回していた。どういう意味だ、それ。
「優木見刑事、彼に説明しなさい」
「えっ、あ、はい、太田原刑事。朝和さん、その行為が意図的で法律上は駄目な事が分かっていながら、やってしまうのを未必の故意。というのですよ」
「はあ、それが何か関係あるんですか?」
聞く限り特に俺には関係無さそうな気がするんだが。ただ、若い刑事が俺の言葉を聞いてますます驚き、まるで原始人を見るような目で俺を見ている。
「あのですね。あなたは未必の故意に入るんですよ」
「えっ。な、何でですか?」
「あなたは何度もわざと空缶を捨てて、老人を殺害しようとしていたじゃないですか」
「いや待てよ、あれは偶然だって!」
「いやいや、あの動画で見る限り、半年間も何度もやってたら殺意がないとか言えませんよ。もう完全に事故を狙っていますよ、どう見ても未必の故意ですよ」
「な、何を言ってるんだ。そんなはずはない。俺はそんな殺意はないんだ!」
「ですが、未必の故意は成立します」
「ば、馬鹿な。いやまて、そもそもこいつは俺じゃない可能性が―」
俺の言葉を細身の刑事が遮るように断言する。
「忘れたのか?。あのカメラは顔認証システムの実験機器だ。記録している顔と完全に一致している」
「そ、そうだ。俺の親友に聞いてくれ、そうすりゃ―」
今度は太田原刑事が俺の言葉を遮る。
「私黒府戸さんはこう言ってたよ。『自業自得だ』ってな。おおかた、計画に参加するよう説得したが断れたんだろう?」
なんてことだ!。親友が友情を警察に売りやがった!。
「そんな!。え、というか計画って?」
「とぼけても無駄だ。既に調べは付いてる。去年から都内でブラックコーヒー缶が中身がほとんど入っているのに大量に捨てられている事は分かっている。これらは全てお前がやったんだな。お前の本当の狙いは多発的事故による、連続殺人の偽装なんだろう!」
「ええっ!。いや違いますよ。それはただのポイ捨て―」
「嘘をつくな。お前は普段からポイ捨てをしている。そうすれば誰にも疑われずポイ捨てができる。よく考えた方法だ。普段からポイ捨てをしているから疑われず、凶器はどこでも手に入り、事故に見せかけた完全犯罪を狙っていたんだ」
「違う、そうじゃない。じゃ、じゃあ、この空き缶は俺じゃねえ他の誰かの―」
「馬鹿言ってるんじゃねえよ。ついさっき自分が捨てたと言ったよな。なんなら、指紋なりDNAを取って照合をしようか?」
若い刑事が前のめりに、細身の刑事が空缶片手に声を荒げ、太田原刑事が言った。
「朝和、もう諦めろ。証拠は完全に揃っているんだ」
「お、俺じゃない!。俺はただポイ捨てを―」
机が強く叩かれ、太田原刑事が怒鳴る。
「警察を舐めるな!。朝和、いい加減にしろ。もう全ての証拠がお前だと証明している。お前が犯人だ」
「そんな、そんな事は、うわわ、わわああ、ああっ」
鋭い視線と悪夢のような証拠品たち、そしてあの空き缶。狭苦しい部屋に立ち込める冷気は俺の背中を突き刺し、意識を奪い去り。
やがて俺は悪夢に目が抉り出されて白目が剥き、正気を抉り出されて椅子から崩れ落ちた。
冷たい床を頬が伝わり、意識が薄れ失う中で俺は思った。
ポイ捨てをしなければ……よかった。