お嬢様に出来ないとは限らない。
新しい私の専属メイドのチェシルと庭師見習いのラスがやってきてから数日が経過した。
あの後聞いた話では、チェシルもラスも領内のファジャナオ村からやってきたという話だった。ファジャナオ村は領内の村の中でも一番小さく財政力もないという。村の男達若者が全員別の村の警備団に所属しているため、農作業等の業務を村に残った老人女子どもが担っているからだ。出稼ぎっていうとお金の匂いがするけれど、お金の面だけでなくそこにはレングランド領らしい人々の支え合いが関係している。村は違えど困った時は助ける精神と、治安維持が必要な村で直接的な抑制力となり自分の村を含めた他の村へ被害を出させないという前衛的な考えだ。
とはいえ、ファジャナオ村の老人女子どもが農作物を育てやり繰りしている小さな村だ。
そんな小さな村でお菓子の材料を買うことは本当に大変だっただろう。
ファジャナオ村からこの屋敷まではそんなに遠くない。だからこそ、どうしても二人はここで働き、村に何かあった時は直ぐに村に駆けつけるようにしたいと村長を通じて領主であるお父様に嘆願したらしい。村の男達若者がいない中、万が一の時村を守ることができるのはチェシルやラスしかいないのだ。
そんなわけで嘆願したというのに、持ってくるはずのお菓子があんなことになって、チェシルは本当にあの時頭が真っ白になったという。
それを私がまた食べちゃったもんだから、更に頭が真っ白になったって後で聞いたら笑って言っていたけれど。
でも、そのおかげでチェシルは私にとても良く懐いてくれた。
私もなんだか可愛い妹が出来たみたいでとても嬉しい。
メイドとしての仕事ぶりもなかなかのもの。私の着替えを手伝ってくれたり、髪を結ってくれたり……部屋の掃除なんかも完璧で、屋敷にはいっぱいメイドがいるけれど、お嫁さんにしたいメイドランキング1位だわ。
ああ、こうやって言うと私の方がチェシルに懐いているみたいね。実際そうかも。おかげで私の今までのメイドはお母様のお付きに異動になって、チェシルが私の専属メイドになったから。私の専属メイドってことは誕生日パーティーまで確実に忙しいのにちょっと申し訳ない。
それから、ラスとも仲良くなった。
ラスもチェシルも屋敷に来るまでは私のことを我儘な令嬢を想像して覚悟していたらしいけれど、落としたクッキーを食べる令嬢なんて聞いたことないって親しく接してくれている。いや、このレングランド領ののほほんとした空気で我儘な令嬢ってどういうことだってツッコミ入れたくなったけど。
さて、今日はラスが庭師のタッセルさんから屋敷の山で木こりの指導を受けるというので、私も一緒にやってきた。
「暇なんだな、お嬢様ってやつは」
「まだ忙しくないってだけよ」
15歳の誕生日を迎えたらお父様のお仕事の手伝いとか増えて忙しくなる予定なんだから。それまでは自分に甘く生活するのも悪くないじゃない。
屋敷の山といっても、屋敷には山がいくつもあり、果樹の多い山、広葉樹の多い山等があるが、今日はラスの指導ついでに薪を作るというので広葉樹の多い山に来ている。ちなみに、山の植樹も管理も庭師の仕事。この屋敷の土地全体を管理するようなものだから本当頭が下がる思いだわ。それを今までタッセルさん一人でやっていたなんてね。早くラスが一人前になったらタッセルさんも楽できるのに。
2人が山や木に付いて話をしているのを微笑ましく思いながら、私はそんなことを考えていた。
そして、私はタッセルさんとラスの作業する場所から少し離れたふかふかした土の上に青のギンガムチェックの敷物を広げた。
持ってきたバスケットにはチェシルの作ってくれたおやつのバナナマフィンと紅茶用のポットも入っている。
いいピクニック日和だわ。空気が少しだけ冷たいけれど、それがまた気持ちいい。
タッセルさんはラスに切り倒す木の選定やら倒す方向の説明を始めていた。
白髭のおじいちゃんと言った感じのタッセルさんは、そんなに体格の良い方ではない。それどころか足腰が曲がった体は80歳という年齢を十分感じさせる。80歳にもなってまだこんな力仕事しているっていうのが凄いんだけどね。
私は転生した5年前からタッセルさんの仕事に付いて山に入ることが多々あった。屋敷の中でのんびりするのも悪くないんだけれど、タッセルさんと山に入った方がいろんな刺激があったのだ。リスや鹿といった動物に出会ったり、木々の紅葉を見たり、実った果物をその場で食べたり、タッセルさんから山や木の話を聞くのも楽しかった。優しいおじいちゃんって感じのタッセルさんが私は大好きだった。たまに私が付いてきているの忘れてそのまま帰っちゃったこともあったけれど、足跡追跡する魔法を覚えることが出来たので、困ったことはない。
ラスはタッセルさんに指定された木の幹に斧を入れていく。
「なるべく同じところに刃を入れるように」
タッセルさんの指示に従い、ラスが斧を振りかぶる。うーん、この木を叩く音が山にこだまして心地良いわ。タッセルさんがやると一定リズムだから特に心地良いんだけど。
真剣な表情で何度も斧を振り、漸く倒す側の切り込みを入れる。ふぅーっと大きく息を吐き、ラスは額の汗を無造作に袖で拭く。
うん、頑張っている頑張っている。
次はいよいよ倒すために斧を入れていく。
木々の間から差し込む日差し、頬を撫でる程度の風、木を叩く音。
本当、なんて朗らかで良い気分なのかしら。
暫く時間が経って、漸くラスから倒れるぞの声がした。
そしてミシミシと木の軋む音と、上空の方で葉が擦れる音がした後、1本の木がズドンと倒れた。
「お疲れ様ー」
「きっつー」
斧を杖代わりにして上半身を支えたラスの悲鳴にも似た声が聞こえた。
まったく、こんなことでキツイなんて言っていたら山の管理は出来ないわよ。何本木があると思っているのよ。まあ、ラスは新人さんだし、初心者君だし、今は労ってあげようじゃないか。
私は2人にお茶の提案をするため近づいた。
「剣技の力が付けばもっと簡単に伐採できるようになるし、この作業でも剣技の練習にもなるから頑張るといい」
タッセルさんはそう言いながら切り口から出た細かい木くずを袋に片付けた。そして小さな斧を持って倒れた木の幹の枝を落としていく。薪や板として使うには邪魔だから綺麗にしていくって以前聞いたことがある。
それにしても本当、仕事が早い。流石ベテラン庭師ね。
「ラスもタッセルさんみたいに早く仕事が出来るようにならなきゃねー?」
私はその場に座り込んでいるラスに言ってやった。若いのになんでこんなに体力ないかなあ。まだ木一本目よ?
「おまえなー。こんなデカい木切り倒したんだぞ、もっと他に言い方ねーのかよ」
あら?
私労いの言葉をかけたつもりだったんだけどな。
「あー、うん。最初はこんなもんよ」
「わ、急にお嬢様っぽい世間知らずな言い方になったな。-ったく、そんな言うならお前も一度やってみろって言うんだよ」
斧は重いし、集中しなきゃだし、何度も斧振るから大変だわなんだかんだとラスが愚痴をこぼす。
ほー?やってみろって?
今の私に効果音がつくなら十中八九『かっちん』ね。
「お嬢様。もっと小さい斧も念のため持ってきてはいますが、おやりになりますか?」
ラスと私のやり取りを遠くから見ていたタッセルさんがふぉっふぉっふぉと小さく笑いながら声を掛けてくれた。
「ええ。やれと言われたらやらなきゃね?」
私はタッセルさんが準備してくれていた小型の斧を手に取った。タッセルさんが今枝打ちに使用していた斧よりももう一回り小さいタイプだ。
「お、おい。いくら小さい斧でも肩壊すし危ないぞ」
流石に心配になったのか、ラスがそんな言葉をかける。
だけど私は聞かない。
ラスの話なんか無視して、タッセルさんにどの辺りの木ならいいか、風向きを考えながら指示を受ける。一応ね、木の生え方とか、山が崩れないかとそういう具合を見て切り倒す木を選定している。ここはド素人の私が勝手に判断しちゃいけないところね。
「OK、ちゃんと見てなさいよ」
タッセルさんがちゃんと私から離れたのを確認して私は思い切り小型の斧を振り被った。当たり前だけれど、小さいだけあって斧とは思えないくらい軽い。
ズンッ
そんな音を立てて木は私の一振りで幹を切断され倒れていく……
倒れていく……
倒れていく……
倒れていった……
えーっと、私の目の前の木とその周りの木が3本ほど。合計4本の木が切り倒されたことになる。
「は?」
目と口が開いたままで閉じないラスの横で、タッセルさんは日常茶飯事といった顔で私に向かって拍手をしてくれた。
「どうよ。ラスも剣技の力を付けてこのくらいやってみなさい」
私はただのご令嬢さんとは訳が違うんだから。
私がふんぞり返ってラスに言うと、横でタッセルさんが無言で頷いていた。そう、タッセルさんにはこうなることは解っていた。5年前、私がタッセルさんに付いて行きはじめた時、木を倒すタッセルさんがカッコよくて、自分でもやってみたいって思っちゃったのよね。そしたらこんな感じだもん。
いやー、女の腕でも切れる切れる。
とはいえ、たぶん、転生の時に女神がおまけでつけたスキルの中に剣技の力が入っていたんだと思うんだけど。
その『剣技』のスキルが、『料理が出来ない』スキルの相乗効果でかなり強力なものになっている、そう私は結論付けている。じゃないと説明つかないものね。
それに私、切ろうとした対象以外のものまで切っちゃうんだもん。みそ汁の材料切る時に輪切りにするどころかみじん切りになってしまったり、いや、もっと言えばまな板まで切ってしまったとかそんなレベルよ?うーん、生活に支障がでそうなスキルだわ。
ラスは相変わらず茫然としている。
いい加減、正気に戻ってくれないとチェシルが用意してくれた紅茶冷めちゃうじゃない。