#18 暗転
「……確かにこれは、モラヴィアン・グラスだな。いや、本当にご苦労だった。」
カシュパルが、その品をチェックする。淡い青色のガラスに、きめ細かいV字溝の模様。そして、オーレリアの反応。紛れもなくそれは、あの工房で作られたモラヴィアン・グラスだ。
「それじゃあ、そっちの船に積みこむとするかね?」
「ああ、頼むよ。」
ゾルターンさんが手を挙げて合図すると、その船の船員らが集まる。そして、モラヴィアン・グラスを梱包したその荷物を抱えて台車に載せ、船の外へと運び出す。
「そういやあ、工房の親方さんから、あんたらによろしく言っといてくれって頼まれたぜ。」
「そうか。親父さん、元気だったか?」
「ああ、お前さん達の話をしたら、モラヴィアン・グラスの素晴らしさってえのを、小1時間も語られた。元気な人だったぜ。」
あの工房の人達が僕らの件で、何か咎められたということはないようで安心した。僕らの船の荷室に運び込まれる荷物を見届けながら、僕は工房の親父さんが身体を張って支援してくれた脱出劇に改めて感謝する。
「さて、あとは補給だな。帰り道分の食糧と燃料を買い込んで、それからホテルに戻ろう。」
「ええ~っ!何か食べたい~!」
品定めに付き合わされて、少しウンザリしつつあるオーレリアは、早くここから抜け出して、さっさと食事がしたいらしい。すぐに食事にありつきたがる、胃袋に限界のないこの怪力魔女は、しかしここでは「魔女」ではない。本来ならあのモラヴィアン・グラスは、オーレリアが受け取って船まで運ぶところだが、ここでは他人任せにせざるを得ない。
あまりに駄々をこねるオーレリアに屈した我々は、まずは宇宙港のなかで食事をとることにする。すると、ゾルターンさんからこんな提案がある。
「なあ、そんなら俺っちが代わりに、補給をしといてやろうか?」
「えっ!?いいの!?」
「ああ、あれだけお金をもらっておいて、ただ荷物を受け渡しというのもなんだからな。それくらい、やっといてやるよ。」
ということで、この場はゾルターンさんに頼ることになった。
「ん~っ!んまい!」
で、今のところモラヴィアン・グラスの品定め以外には大した仕事をしていないオーレリアはといえば、相変わらず2人前の食事を食べている。この3人の中で最も小柄な娘が、最も食べる量が多い。この店の店員さんも、彼女のこの底無しの胃袋に唖然としている。
「で、カシュパルよ。いよいよ明日、帰るのか。」
「ああ、帰るよ。地球760へ。」
このカシュパルの言葉を聞いた瞬間、僕は違和感を感じる。が、同時に今の僕らの現実を思い知らされる。ああ、そうだった。僕らは今、地球513の住人ではないのだと。
「ところで、カシュパルよ……帰るといっても、どこに帰るのさ。」
「どこって、だから地球760に……」
「いや、その地球760には、僕らの住む場所がないじゃないか!どうするんだよ!?」
「ああ、そうだったな……ええと……」
さすがのカシュパルも、歯切れが悪い。住処がないことに考えが及ばなかったようだ。まったく、こいつは変なところで度胸があって、肝心なところが抜けている。
「……まあ、何とかなるだろう。」
この謎理論で、僕の疑問は片づけられてしまった。横では、もしゃもしゃとスープ漬けのパンをむさぼるオーレリアの咀嚼音が響く。
食後、再び駐機場に戻り、ゾルターンさんに頼んでいた補給の完了を見届けると、あのホテルへと向かう。ホテルに入ると、ロビーでガリナさんが出迎えてくれた。
「ああ、おかえり、どうだったよ?」
「うん、近場だしな、平穏な旅だったよ。」
ゾルターンさんは、ガリナさんに応える。そしてゾルターンさんは、このホテルの5階にあるという交易事務所へと向かっていった。
で、僕らは部屋に戻ろうと、階段へと向かう。が、ガリナさんが僕らを呼び止める。
「ああ、そうそう、オーレリアちゃん、ちょっといいかい?」
「なあに?」
「ちょっとあんたに頼みがあってね。」
「頼み?」
「もう一度、あの手品をやって欲しいんだよ。」
それを聞いた僕ら3人は一瞬、表情が強張る。
「あ、いや……その……」
「ほら、おとっつぁんのこの銅像、位置がずれたままだろう?これをさ、真っ直ぐに戻したいんだがね。」
「で、でも、今はタネを仕掛けてないし……」
「何いってんのさ。だってあんた、魔女なんだろう?それくらい、ぱぱっとできるさね?」
このガリナさんの言葉に一瞬、戦慄が走る。
「いや、私は魔女なんかじゃ……」
「何いってんのさ。誰がどう見たってあれは、魔女だってバレバレだよ。このロビーにゃ、あんな重いものが吊るせるほど丈夫な天井なんてないってぇのに、銅像がああも簡単に浮くはずがない。手品だなんて下手な言い訳、私に通じるわけがないさね。」
しまった……やはりガリナさんには、オーレリアの正体がバレていた。このガリナさんの一言に、僕らは凍りつく。
「あ、あわわわ……私……」
泣きそうなオーレリアに、ガリナさんは続ける。
「大丈夫だよぉ。息子のお得意様で、しかも私にとってはホテルを守ってくれた恩人、他の誰にもあんたのこと、話しゃしないよ。でも明日、帰るんだろう?だから最後にちょっと、見せて欲しいって思っだだけだね。」
それを聞いたオーレリアは、思わず涙目になる。そんなオーレリアの肩をポンポンと叩いてなだめるガリナさん。
そしてオーレリアは、その銅像を持ち上げる。ずしっと持ち上がる、その銅像。
「はぁ~っ、やっぱりあんた、すごい力だねぇ。そりゃあ毎日、あれだけ食べるわけだ。」
「いやあ、ガリナさん。それじゃ私、ただの食欲馬鹿みたいじゃないですか……」
などと言い返すものの、笑顔で応えるオーレリアだった。
「んで、ゾルターンの買い付けた大量のガラスを持って帰るんかね?」
「ああ、そうだよ。」
「そのガラス、なんでまた地球760ってところで売れるんさね?」
「うーん、どういうわけかあのガラス、あの星の魔女にはとても魅力的に見えちゃうらしくて、あの星じゃ引く手数多な商品なんだよ。」
「へぇ……それでわざわざその品定めのために、オーレリアちゃんを連れてきたんかね。」
「まあ、そんなとこです。」
まさか軍用としての用途が期待されているガラスだなどと話すわけにもいかず、その夜の晩餐での会話では、僕らは適当に誤魔化しておいた。
「じゃあ、オーレリアちゃん、元気でね!」
「ガリナさんも、お達者で!」
その翌朝、僕らはその寂れたホテルを発つ。ガリナさんに手を振りながら、僕らはポヴァチェスカ宇宙港に向かって歩き出す。
「ところで、カシュパルよ。その大きな袋は一体、なんだ?」
カシュパルのやつ、なぜか大きな袋を抱えている。さっきから気になっていた僕は、その道すがら、尋ねてみる。
「ああ、これか。ホテルを発つ直前に受け取ったものだ。」
「だからさ、何を受け取ったんだい?」
「知りたいか?教えてやってもいいが……どうなっても知らないぜ。」
何を意味深なことを言い出すんだ、こいつは。それほど物騒なものを運んで……いや、待てよ?そういえばこいつ、あの借金取りとのやり取りで、軍との関係をほのめかしていたな。まさかとは思うが、あれはハッタリではなく、ガチだったのか?だとすればこれは、もしかして……
「お、おい、これ、そんなにやばいものなのか……?」
「あははは、何を想像してるのか知らないが、そんなやばいものじゃないぞ。中身は、マユグモの眉から作った生糸だ。」
「き……生糸?」
なんだ、ただの生糸か……脅かしやがって。だがそれを聞いたオーレリアが突然、叫びだす。
「いやあああぁ!く、クモなんてもう見たくなぁい!」
「ちょっと、オーレリア!クモじゃないって!ただの糸だよ!」
「ほら、ハヴェルト。だから言っただろう、どうなっても知らないって。」
高層ビル群の只中で発狂するオーレリアと、それをなだめる僕、笑うカシュパル。そんな調子で、僕らはこの街を後にする。
「高度3万6千、まもなく規程高度に達する。」
ポヴァチェスカ港を出立し、上昇を続ける我々の船、ヘルヴィナ号。いよいよ、この星から離れる。
ここに再び来るのは、2ヶ月先になるかな?そんなことを考えながら、僕は直下に広がる大陸と、大きな街に目をやる。
が、ここで緊急事態が発生する。
『こちら、地球491防衛艦隊所属の駆逐艦3197号艦!上昇中の船舶!停船せよ!』
緊急無線が、ヘルヴィナ号に向けて発信されてきた。突然の停船命令だ。規程高度まであと2000というところで、僕らはいきなり軍の制止を受ける。
「か、カシュパル!」
「相手は軍船だ。とにかくここは、指示に従おう。」
だが、相手が軍船では逆らうわけにもいかない。僕らの間に、緊張が走る。まさかガリナさんが、オーレリアが魔女であることを通報したのか?そして僕らはこの星でも、お尋ね者になってしまったのか?
すると下から、急上昇する軍用船が見える。赤褐色の船体、あれは紛れもなく、駆逐艦だ。我が船に向かって、勢いよく接近してくる。
やはり、この船を拿捕するためにやってきたのだろうか?その威圧的な姿に恐怖した僕とオーレリアは、思わず互いに抱きしめ合う。そしてその赤褐色の軍船は我がヘルヴィナ号のすぐ脇に来ると……
そのまま、通り過ぎていった。
『ご協力に感謝する。本船の離脱後、上昇を再開し大気圏離脱されたし。』
その赤褐色の駆逐艦はそう言い残すと、この船の少し上空にて、最大出力で離脱していった……
なんだ、あの駆逐艦、ただの緊急発進だったのか。脅かしやがって。
「?おい、何をこんなところで2人、抱き合ってるんだ?そういうのは、寝る時にでもやってくれ。」
終始冷静だったカシュパルが、呆れた顔でこちらを見る。僕とオーレリアは、顔が熱くなるのを感じる。
そんなハプニングはあったものの、その後の航海は順調に進む。そして3週間後に、地球760に到着する。
ホウキ座γ(ガンマ)星域で、僕らは再び駆逐艦8893号艦と合流、マイルズ艦長と接触する。
「……そうか。この模様にしか、魔女は反応しないのだな。」
「は、はい、そのようで……」
今回の買い付けは、オーレリアではなくゾルターンさんの目利きで行われた。だから、オーレリアが見てもただのガラス細工にしか見えないガラス工芸品もいくつか混ざっている。
それで分かったことだが、オーレリアが見て惹き寄せられるモラヴィアン・グラスというのは、ストレートな模様のみだということだ。少しでもカーブを描いた模様の工芸品には、まったく惹かれないという。
「ということはだ、真っ直ぐな模様こそが、このモラヴィアン・グラスの持つ能力を引き出している、ということになるな。」
「はあ、おそらくは。」
「いや、それだけでも大きな発見だ。すぐに軍司令部に報告せねば。」
マイルズ艦長は足早に艦橋へと向かう。が、何かを思い出したのか、早足で引き返してくる。そして僕らの前で立ち止まる。
なにやら、不機嫌そうな表情にも見える。おかしいな……僕らは何か、しでかしたのか?
「一つ、大事なことをお前らに告げるのを忘れていた。」
なんだろう……あの表情といい、艦長は一体、何を僕らに告げるつもりなのか。
「な、なんでしょうか?」
「お前らの亡命が、認められた。そしてモンテルイユにて、住居が用意されている。」
「えっ!?ほ、ほんとですか!?」
なんだ、いい知らせじゃないか。何だってあれほど嫌そうな顔をしていたのだろうか?いや、よく見ると、別に不機嫌そうな表情でもないな。単なる気のせいだったようだ。
「と、いうことで、引き続きこのガラスを入手してもらいたい。」
「承知しました。すでに地球491経由で入手ルートを確保しました。一度、地球760に帰還し、1週間後に地球491へと向かいます。」
「分かった。」
こうして僕らは、連盟と連合を股にかけた交易をまた一つ、終わらせることができた。そして、地球760へと降り立つ。
地上に降りると、僕とオーレリアは同じ部屋で生活を始める。まあ、すでに同じベッドで寝る仲になってしまったし、こうなったらこのままずっと……などと思いながら、新しい住処でそれから1週間を過ごす。
その間にカシュパルのやつは、何やら飛び回っている。やつめ、一体、何をしているのだ?
そして、再び地球491へと向かう日がやってきた。久しぶりに僕らは、カシュパルと会う。
「朗報だ!」
開口一発、上機嫌で僕らに叫ぶカシュパル。
「……何があったんだ?」
「ああ、あのマユグモの生糸の注文が入った!これで地球491とここの交易ルートも、開拓したぞ!」
カシュパルのやつはこの1週間、あの大きな袋いっぱいの生糸を使って営業していたらしい。すると、ある服飾店がその糸に注目したのだという。
「……こんな生糸が、役に立つのかねぇ。」
「ああ、それがな、この生糸を使うのにぴったりな需要があるんだよ。」
「需要?この星でか?」
「そうだ。なんでも、貴族の衣装に使えるというんだ。」
「えっ!?貴族!?」
聞けば、まだ宇宙進出から20年ほどしか経っていないこの星では、未だにあちらこちらで旧様式の社交界が行われており、そこでは伝統的な衣装が用いられている。
その衣装には通常、絹糸から作られた布が重用されているが、このマユグモの糸は絹糸と比べても丈夫で伸縮性が良い。今どきの服に慣れてしまった貴族階級の人々にとって、伝統衣装は着難くて評判が悪いのだが、このマユグモの糸はそんな伝統衣装に用いるには都合の良い繊維と判断されたようだ。
「と、いうことで、このマユグモの糸も仕入れることになった。さ、早く地球491へ向かおう。」
「ちょ、ちょっと待って!僕らのあの小さな船では、モラヴィアン・グラスを運ぶのが手一杯だ。そこにどうやってマユグモの生糸なんて搭載するんだい!?」
「ああ、それなんだが、ゾルターンの船を使おうかと思っている。」
「ええーっ!?ぞ、ゾルターンさんの船を!?」
「そうだ。それなら今よりももっと多くのモラヴィアン・グラスを運べて、しかもマユグモの糸も輸入できる。」
まったく、カシュパルというやつは、突拍子もないことを思いつくものだ。こいつは多分、商売のことなど考えてはいない。もし自身の利益を考えるならば、ゾルターンさんの船など使わず、こっちでもっと安上がりな船主に相談するなど、考えるはずだ。
だが、カシュパルの狙いは利益じゃない。あくまでも連合と連盟を「持ちつ持たれつ」の関係に変えることだ。それが目的だから、こいつにとってはゾルターンさんの船にまかせる方がむしろ都合がいい。
「それじゃあ、行こうか。」
「あ、ああ……」
再び僕らは、200年もの間、戦争を続けている2つの勢力の間を行き来するため、旅立とうとしている。思えばこれは、かなり危険な旅だ。だが、すでに何度もその2つの勢力の間を行き来してしまった僕らは、すっかりその緊張感に慣れてしまった。
そしてその慣れが今回、僕らの運命を暗転させるきっかけとなった。
地球491へ向かう航路上で、僕らはある船に出会う。
『こちら地球513所属の駆逐艦5981号艦!手配中のヘルヴィナ号、直ちに停船せよ!さもなくば、砲撃する!』
何の前触れもなく、僕らの運命の歯車が、大きく動き出す。




