#16 借金取り
翌朝、僕はいつもと違うベッドに違和感を感じつつ、目を覚ます。僕の横には……あの魔女が、いつものようにすやすやと寝息を立てて寝ている。
この状況にも、すっかり慣れてしまった。寝ているオーレリアを押し除け、僕はベッドから出ると、窓のカーテンを開ける。
すでに日は昇り、表通りには人々が歩いているのが見える。通勤時間なのか、車も多い。やや渋滞気味の路上を見つつ、僕は着替えを始める。
「んあーっ!」
と、そこで妙な声をあげながら目覚めるオーレリア。いつもはオーレリアの方が先に目覚めるので、彼女の目覚めの声を聞くのは珍しい。昨日はよほど疲れたとみえる。
「おはよう?」
「ああ、おはよう。」
何も纏わないオーレリアを見ることにも、すっかり慣れてしまった。大きなあくびをしながら、部屋の端で着替えをするオーレリアだが、その服は戦艦ヴェルニーナの街で買った、あのキャミソールと上着だ。
「どうしたんだ、そんな服着て。」
「だってさ、今日はこのポヴァチェスカの街を巡るんでしょう?これくらいの服着なきゃ、田舎者だと馬鹿にされちゃうわよ。」
いや、むしろその格好の方が、かえって奇異な目で見られかねないのだが。
「だけどさ、オーレリア。僕らそれなりに忙しいと思うから、街を楽しんでる暇なんて……」
「え~っ!?私らがやることなんて、あのゾルターンって人が帰ってくるまでの3週間、ただひたすら待つだけじゃん!これのどこが忙しいのよ!?」
う……そうだった。いきなり初日に交易相手を見つけ、仕事を依頼できたんだった。そういえばそのゾルターンさんは、今朝にも発つと言ってたな。挨拶しておかないと……
というわけで僕とオーレリアは、地下の食堂に向かう。昨日一日中歩き続けた足が、ズキズキする。
「は?ゾルターンなら、もう出発したぞ。」
「えっ!?もう!?」
「もうってお前……ここの時間で10時過ぎだぞ。お前が起きるのが遅いだけだ。」
ああ、言われてみれば、かなり日は高い。カシュパルのやつはやや軽蔑気味な眼差しで、僕とオーレリアを交互に見ている。
「でさ、今日はどうするつもりだ?」
「どうするって、決まってるだろう。街に出るんだ。」
「そうだよな、あと3週間、することもないし。」
「馬鹿だなあ、誰が暇つぶしをすると言った!?」
「えっ!?何かすること、あるの?」
「この星で、地球760で売れそうなものがないか探すんだよ!」
「は?ここでも何か探すのか?」
「当たり前だ!何のためにここまで来たと思ってるんだ!まったく……」
呆れた顔で僕を叱咤するカシュパル。いや、分かってるけどさ、今の商売が安定してからでも遅くはないんじゃないか?
だいたい、このポヴァチェスカの街は、軍需と繊維の街だと聞いている。軍需品なんて連合側へ輸出はご法度だろうし、繊維なんてありふれたものがとても売れるとは思えない。何を探そうというのか?
「はぁ!?繊維がありふれた産業だって!?馬鹿いっちゃいけないよ!」
ところが、いきなり僕はこのホテルの主であるガリナさんから否定される。
「ええと……つまり繊維っていうのは、布の材料ですよね?それのどこがありふれていないものだと言うんです?」
「そりゃあ、普通の繊維じゃそうかも知れないけどさ。このポヴァチェスカの繊維は、そんじょそこらのものとはわけが違う。」
「はぁ……どう、違うんです?」
「生糸なのさ。」
「生糸?」
「そう、生糸。それも、この街でしか採れない、特殊な糸さ。」
この話に、カシュパルがすぐさま反応する。
「生糸ってことは、蚕か何かから採れる糸のことか?」
「そうだよ。でもそれを作るのは、虫は虫だけど、蚕じゃないわなぁ。もっと細くて丈夫で、それでいて伸縮自在な、合成繊維にも負けないすごい奴だよ。」
「へぇ~っ、そりゃすごいな!で、それを作るのはどんな虫なの!?」
「クモさぁね。」
それを聞いたオーレリアが一瞬、ピクッと体を震わす。パンを食べる手が止まる。
「く……クモって……あの足が8本ある、あのキモい虫のこと、じゃないよね……」
「何いってんのよ。クモっていやあ、足が8本ある奴だよ。」
「ええええっ!?くくくくクモなのぉ!?」
オーレリアの顔色が変わる。赤い瞳と髪に、青い顔。この妙な色合いなオーレリアの顔を見るのは初めてだ。
「クモっていうことはやっぱり、その生糸の原料はクモの巣なんですか?」
「そうだよ。でも、そこらで見られるような巣じゃないねぇ。」
「へぇ、そうなんだ。で、どんな巣なんです?」
「マユだよ。」
「マユ?クモがマユを?」
「そう。だからそのクモは『マユグモ』って呼ばれてる。」
ガリナさんが言うには、そのマユグモの作るマユから生糸を作るんだそうだ。蚕のまゆと違い、とても丈夫で柔軟な、不思議な糸が採れるため、昔から珍重されているそうだ。
「ふうん、でも、なんだってクモがマユなんか作るのさ?」
「マユグモは木の上にそのマユ状の巣を作り、その中に入ってくる虫を捕獲するらしいよ。」
「なんだって他の虫は、わざわざそんなマユの中に入ったりするのさ?」
「さあ……なんかそのマユには、他の虫を引き寄せる何かを出してるらしいって話だよ。それがマユグモのマユから作られる生糸に、その不思議な性質を与えているって言われてるんだぁね。」
「そうなのか……なかなか、興味深いな。」
カシュパルはすっかりそのマユグモの話の虜になっている。が、オーレリアの方はとてもそんな心境ではないらしい。
「クモって、こんな指先くらいの大きさなのに、ぞわぞわって動くあの8本足の存在感抜群な、気色の悪い虫でしょう?」
「ああ、普通のクモはそうさね。でもさ、マユグモはちょっと違うなぁ。」
「ち、違うって、何が?」
「大きさだよ。ええと、そうさなぁ……こんくらいはあるかな?」
そういいながらガリナさんは、両手の拳を合わせてみせる。
「んで、ここから足が8本生えたような、赤い胴体のクモでさ……」
「ちょ、ちょっと!拳2つ分の胴体って、そんなに大きいクモなんているの!?」
「はぁ?そうだよ、大型のクモさね。んで、足がまた長くて、あたいの人差し指の倍くらいの長さのやつが8本ついてて……」
「ぎゃああああぁ!いやあぁぁぁ!クモなんていやあぁぁぁ!」
この会話ではっきりしたことは、オーレリアが大のクモ嫌いだということだ。しかし、ガリナさんの語るそのマユグモというのは、とてつもなく大きい。クモ嫌いとまでいかない僕でも、ちょっと恐ろしい。
「あはははっ!大丈夫だってぇ、見た目はアレだけんど、案外大人しい虫だしよ、それにもう、自然界では滅多にあえないんだよぉ。」
「えっ!?そうなんですか!?それじゃあそのマユグモって、どこにいるんです?」
「そりゃあマユグモの飼育場にたくさんいるんだよぉ。もうここらのマユグモはほとんど捕まっちまって、飼育場に持っていかれたよ。なにせこのポヴァチェスカの街を支える大事な虫だかんねぇ。」
「はぁ、そうですか……」
その話を聞いたカシュパルは、僕とオーレリアに提案する。
「よし、それじゃあ3人で、その飼育場に行こう!」
「は!?」
クモの話を聞いてすっかり引け腰のオーレリアが、僕にしがみついたまま反駁する。
「ど、どうしてそんなおぞましいところに行こうなんて言い出すのよ!私は絶対に行かないから!カシュパルさん、1人で行ってちょうだい!」
「そうはいかないさ。もしかしたらその繊維も、魔女が見たらまったく別のものに見えるものかも知れない。オーレリアが行かなければ、意味はないな。」
カシュパルが応える。が、それを聞いたガリナさんが叫ぶ。
「はぁ!?何だって!?魔女ぉ!?」
しまった……カシュパルのやつ、ついうっかり口を滑らせてしまった。慌ててカシュパルが言い直す。
「あ……いや……麻の女と書いて『麻女』ですよ!ええと、早い話が彼女、元々は故郷で麻を採っていた者なんです。だから麻女。繊維に関わる人だったから、そのマユグモのマユを見れば、なにかビビッとくるかなぁ、なんて……」
「あ、ああ、そういうことなのね。しかし、麻とマユグモのマユじゃあ、天と地ほどの、いや、排水溝とブラックホールくらいの差があるさね。まあ一度、見てみるといいよ。」
うまく誤魔化したカシュパル。かなり苦しい言い訳だったが、ここで魔女だとばれるわけにはいかない。地球491でもお尋ね者になってしまったら、いよいよ僕らは手詰まりだ。
と、いうわけで、僕ら3人はこのポヴァチェスカの郊外にあるというそのマユグモ飼育場へと向かう。
「ぎゃあああぁぁぁ!!!」
飼育場に到着するや、オーレリアの発狂する声が響き渡る。そこにいたのは、ガリナさんが教えてくれた以上の大きさのクモ。それも、数匹どころではない。それこそ木の枝の上に、数十から数百の大型のクモがわさわさと生息している。
だが、確かに大人しい。飼育員らが手馴れた手つきでマユからそのクモを取り出し、マユを足元にある籠の中に放り込んでいく。で、腕に捕まったその大型のクモは抵抗するでもなく、そのまま木の枝の上に載せられ、そのまま巣を作り始める。
もはや虫というより、まるで動きの遅いウサギのようだ。赤い胴体に、黒く太い脚。だがそのマユは、真っ白で繊細なもの。素人目の僕にもそれが、最上級の生糸だと分かる。
その籠いっぱいに積まれたマユは、飼育場の外で水でさっとすすがれて、大きな窯の中に放り込まれる。しばらく煮沸湯につけられたマユは、網ですくわれてそのまま隣の建屋へと運ばれる。そこは大きな紡織工場で、次々とマユを生糸に変えている。
だが、想像を絶するほど大型のクモを目の当たりにしたオーレリアは、僕にしがみついたままガタガタと震えて離れない。こいつ、そんなにクモが嫌いなのか?僕はいつものお返しとばかりに、オーレリアを悪戯そうな目で凝視していた。
そんな調子だから、カシュパルも僕も、これが魔女がまったく反応しないものだと悟る。なかなか、モラヴィアン・グラスのようにはいかないか。
そんな恐怖の生糸の産地を見学した僕らは、あのホテルへと帰る。ようやくクモのいない場所にたどり着いて安堵するオーレリアだが、そこはそこで不穏な雰囲気になっていた。
「はぁ!?なんだとぉ!?」
「いや、だからさ、来月まで待って欲しいって……」
「もう待てるかよ!いい加減にしやがれ、このババア!」
ちょうどホテルのロビーでは、3人の男らがガリナさんに凄い剣幕で迫っているところだった。
彼らの恫喝する声が、この寂れた街の中に響き渡る。その会話から、その3人が借金取りのようだ。そしてその3人は、借金の代わりにこのホテルを乗っ取ろうとしていた。




