4.ただいまと言うために
目覚めたモモはすぐに周囲を見渡しました。
思い出せるのは不思議な夢の内容です。可愛いプシケが危険を冒して雪の世界を冒険し、友達のために怪物のもとへ立ち向かうという恐ろしい内容でした。しかし、結末は分からないまま。見届ける前に夢から覚めてしまったのです。
起き上がったモモは、すぐさまプシケのために用意したベッドを確認しました。そこには誰もいません。部屋中を見渡しても、プシケは何処にもいません。
代わりに見つけたのは夢の中でも見た気のする虹色に煌めく美しい小石だけでした。
「プシケ……どこかに隠れているんだよね?」
しかし、返事はありません。
あの悪夢は本当だったのかしら。
とうとうモモは泣きだしてしまいました。
家族はモモの目覚めを喜びましたが、モモの涙を止めることが出来ず、困ってしまいました。誰ひとりとしてプシケのことが分からず、その行先も、居場所も分からなかったためです。
妹想いのお兄さんは、晴れた日にお庭の〈妖精の国〉へと出かけ、モモが夢で見たという一番星の欠片が落ちている冬鳥のお化けの縄張りへと向かいました。そこには白くて愛らしい小鳥がいただけでした。けれど、その鳥の暮らす巣の傍に変わった形の木の枝が落ちているのを見つけ、お兄さんはモモのもとへと持って帰りました。
木の枝はとても小さいながら、弓なりにしなっていて、誰かによって植物の蔓で結ばれていました。まるで小人の弓のようです。
モモはそれを見て、驚きました。
「夢の中でプシケが持っていた弓だ」
そして、同時に悲しみました。
小鳥がいて、弓だけは見つかり、プシケは見つからなかったのです。それがどういうことなのかを悟ると、ますますモモの涙は止まらなくなりました。
モモのお兄さんは可愛い妹を宥めようと必死でした。何処を探しても、モモが恋しがるような妖精の子なんて見当たりません。それでも、どうにかその涙を止めてあげたいと考えた末、彼は語りだしたのです。
「プシケはきっと他の妖精のところにいるんだよ」
そして、彼はモモの語った夢の話を思い出しながら、即興で語りました。
お兄さんが語るには、プシケが冬鳥のお化けの縄張りにいくと、そこには彼女が救おうとした友達の妖精――シロテンがまだ生きた状態で吊るされていました。そうすれば、プシケを誘き寄せることができると考えて、あえて食べてしまわずに生かしていたのです。
「やはり来たな。か弱き妖精の娘よ。弓矢をもって私に挑むというのか」
「その人を返して」
「良い目をしている。お前のような蝶は初めてだ。取り返せるものならば取り返してみるがいい。だがきっと、お前は今に後悔することになるぞ」
鳥は翼を広げて脅しました。そのくちばしで食べられてしまった仲間たちの事を忘れたわけではありません。けれど、ここまで来て彼女がシロテンを見捨てられるはずもなかったのです。
プシケは弓を構えました。
鳥は嬉しそうにそれを見つめ、言いました。
「どこまでも愚かな妖精だ」
そして、襲い掛かってきたのです。
戦うことに慣れていない彼女にとって、鳥の動きは目まぐるしく、逃げるならばともかく立ち向かうなんてそう簡単なことではありません。そんなプシケのか弱さをすでに鋭く見抜いていた鳥は、プシケの攻撃をひらりとかわしながら捕まえる隙をうかがっていました。
一度でも捕まってしまえば、そこで終わりでしょう。けれど、プシケはもう震えたりしません。全身全霊を込めて弓を構え、矢を放ちながら、プシケもまた何度もその攻撃をかわしました。当たらずとも矢を放つたびに、プシケは次第にシロテンの弓矢と心を通わせていきました。
戦いが長引き、雪が舞うたびに寒さがプシケの体力を奪おうと牙を剥いて来ます。
そんなプシケを守ってくれたのが、モモのくれたマフラーと手袋でした。その温もりに励まされながら、プシケは立ち向かい続けました。
大好きなモモにもう一度会うために、彼女に「ただいま」というために、「おかえり」と言ってもらうためには、ここで負けてはだめだ。
鳥の大きな攻撃をかわして距離を離すと、プシケは弓を構えました。
「お願い……」
そして、ある一点を目掛けて矢を放ったのです。
「当たって!」
矢は鳥の身体――ではなくシロテンを縛り、吊るしていた植物の蔓を貫きました。蔓はちぎれ、解放されたシロテンの身体が宙に放り出されます。その瞬間、プシケは弓矢を捨てて素早く飛び立ち、シロテンの身体をキャッチするとそのまま一目散に逃げていきました。
鳥は呆気にとられましたが、すぐに追いかけました。けれど、全力で逃げるプシケのスピードに追い付くことは出来ませんでした。
シロテンを助け出すことに成功したプシケは、すぐさま彼女の故郷へと向かいました。そこで、聖樹に祈りを捧げていた妖精の神官たちは、シロテンの生還にたいそう驚きました。鳥に攫われたものが生きて帰るなんていうことはこれまでなかった為です。
そのため、シロテンの無事は盛大に祝われ、プシケもまた称賛を浴びることとなりました。樹液で出来た美味しいお酒を振る舞われながら、プシケは初めて体験する異種族の不可思議な祭りを存分に楽しみました。そして、やがてモモに話す日のことを思い描きながら、その思い出を丁寧に記憶していったのです。
シロテンはというと、故郷に戻れたことに安心したのか、その日は泥のように眠ってしまいましたが、幸いにも怪我は浅く、次の日にはすっきりと目覚め、プシケたちと一緒に祭りを楽しめるまでに回復していました。
聖樹のお祭りは三日三晩続き、終わる気配すらありません。けれど、そのうち興奮も醒めることでしょう。そうなれば祭りは終わり、プシケはきっとモモの家を目指すはずです。
たくさんのお土産を抱えて。
お兄さんがそこまで語ると、モモは恐る恐る訊ねました。
「じゃあ、プシケはまだお祭りの途中なの?」
その問いに、お兄さんは頷きます。
「そうだよ! お祭りが長引けば長引くほど、モモのところに帰って来るのは遅くなるだろうね。でもね、それだけモモにお話することが増えていくってことだよ。帰ってきたら、きっと大変だ。プシケはお喋りなんでしょう?」
「うん。とても。でも、早くそのお話を聞きたいな……」
モモは泣くのをやめて、少しだけ微笑みを取り戻しました。
その表情を前に、お兄さんは安堵の笑みを浮かべつつ、心の底で必死に祈りました。
どうか、無事にプシケが戻ってきますように。
はたして、その祈りは届くでしょうか。
それから一日経っても、二日経っても、プシケが戻ってくることはありません。不安になって悲しむモモをお兄さんはその場その場で話を作り、宥め続けました。
しかし、プシケが戻ってこない限り、気休めでしかないことは彼にも分かっていました。もちろん、モモも同じです。お兄さんの優しさを理解しながらも、やっぱりプシケが帰ってこない寂しさはどうしようもなくて、再び涙は流れてしまいます。
そんな日々が続き、次第に冬の終わりが近づいてきました。
温かさを感じるようになってくると、いよいよモモも寂しさに慣れを感じるようになっていました。やがて、〈妖精の国〉が芽吹けば、ふたたび彼女たちの営みを傍から見守ることができるでしょう。しかし、その中にプシケはいないのかもしれません。そう思うと、慣れてはいてもやはり涙は浮かびました。
次の冬は、きっと寂しいものになるだろう。
そう思いながら、プシケのために置いてある空っぽのベッドと、減っていない砂糖菓子を眺めました。諦めようとは思っても、こればかりは片付けられない。きっと、次の冬も、その次の冬も、こうして準備だけはしてしまうのだろうとモモはひとり思っていました。
そんな時の事でした。
コンコンと小さな扉を叩く音が聞こえてきたのです。
モモは驚いて、反射的に扉を開きました。
すると、そこには見たことのない姿の妖精が立っていました。
深緑のマントを着た綺麗な女性です。小さいけれど大人びた表情をしている、見るからに強靭そうな狩人にも見えました。彼女は目を細めてモモを見つめ、問いかけました。
「モモというのは君だね?」
その声に頷くと、妖精は優雅にお辞儀をして名乗りました。
「私の名はシロテン。一足先にここへ来るように言われたんだ」
「言われた? いったい――」
誰に、と言おうとしたとき、その声は響きました。
「モモ!」
愛らしいその声にモモは息を詰まらせました。
小さな扉の向こうに広がる空より、待ちわびていた妖精がこちらに向かって飛んできていたのです。前にプレゼントしたマフラーと手袋をつけて、葉っぱで包まれた荷物を重たそうに抱えながら、彼女はゆっくりと近づいてきました。そして、荷物をシロテンに渡すと、着地すると同時にモモの手に抱き着いてきたのです。
「ただいまモモ! 会いたかったよ!」
その小さな温もりと感触を指先で味わっているうちに、モモの身体は段々と震え、涙が溢れだしていきました。
生きていた。帰ってきた。もう一度、会うことが出来た。
そんな感動が一気に押し寄せ、わっと泣き出してしまったのです。
「おかえり、プシケ。私も……会いたかった……!」
シロテンが微笑みながら見守る中、モモとプシケはひとしきりその再会を喜びました。
プシケはあらゆるお土産をモモに渡しました。葉っぱの中にはシロテンの故郷から貰った不思議なものがいっぱい詰め込まれていました。
それから、モモはプシケとシロテンからこれまでにあった出来事を聞かされました。モモが寝込んでいた間の事、ここを去ってから今日までの事。面白おかしくシロテンと会話を交えながらプシケが教えてくれたその不思議なお話は、何故か、モモが夢で見た内容やお兄さんが即興で考えたお話とだいぶ似たものとなっていました。
これもきっと何かしらの神さまの悪戯なのでしょう。
そう思うこととして、モモはひたすらプシケの語るお話に耳を傾けました。そして、その夜は再会と新たな出会いを祝って三人で祝杯をあげたのです。
春はもうすぐそこまで来ています。
けれど、プシケやシロテンが〈妖精の国〉に帰っていく気配はありません。昼は外に出かけても、必ずといっていい程、夜はモモのもとへと戻り、その日にあったことを語ってくれるようになったのです。
モモは寂しくなくなりました。相変わらずお外で思いっきり遊べないけれど、彼女の代わりに知らない世界をたっぷり見てきたプシケたちがお話をしてくれるためです。
友情の証としてマフラーや手袋の代わりにプシケと、そして今度はシロテンにも春らしい何かを作ってあげよう。そんなことを企みながら、モモはプシケたちの語る〈妖精の国〉のお話を楽しく聞いていました。
さて、モモの贈り物は何になるのでしょうか。
それは、春になってからのお楽しみです。