2.星の欠片を求める者
一番星の欠片が落ちているというその場所は、春から秋のはじめ頃までは様々な草花が生い茂る憩いの場所でもあります。けれど、秋が過ぎると彩りは減り、妖精たちは段々と近づかなくなっていきます。
そして、雪が積もり始める頃になると、何処からともなく冬鳥のお化けが現れ、その場所をねぐらにし、冬ごもりに失敗した妖精を探して〈妖精の王国〉を徘徊しはじめるのです。
噂好きな妖精によれば、冬鳥のお化けは流れ星と共にやってくるそうです。
だから、そのねぐらには星の欠片がいっぱい落ちているのだと。
ならば、きっとあのきらきら輝いているものこそが一番星の欠片なのでしょう。
たった一つでいい。
プシケは最後の勇気を振り絞って、一番近くに落ちていた輝く小石に手を伸ばしました。
しかし、その手が届くより先に、物悲しい猛禽の声が響き渡りました。見上げてみれば、枯れ木の枝より見慣れぬ真っ白な鳥がプシケを睨みつけていました。
神々しいその姿は、単なる鷹や梟とも違います。鋭い目に籠っているのは縄張りを荒らされた怒りだけではありません。明らかに面白がるような視線を、その鳥はプシケに向けていました。
鳥は立派なくちばしを開き、言葉を話しました。
「これは珍しい。冬も半ばだというのに、わざわざ隠れ家より這い出して、我がもとへ来る蝶の妖精がいるとは」
「お前が冬鳥のお化けね?」
プシケが問いかけると、鳥は目を細めました。
「私のことを知っていながらここへ来たのか。お前の求めているものはその石か。それとも無残な死だろうか」
「一番星の欠片を貰いに来たの。食べられるためなんかじゃない」
強気に訴えるプシケの姿に、鳥はますます面白がりました。
「そうか。なかなか威勢の良い蝶だ。ますますその味が気になってきた」
そう言って、鳥は翼を広げました。
プシケはその姿を前に惚けてしまいました。〈妖精の国〉に暮らすいかなる妖精よりもずっと神々しいその姿に目を奪われてしまったのです。
しまったと思った時には鳥はすでに飛び立っていました。鋭い爪とくちばしが、プシケめがけて迫ってきます。逃れようにも足が竦んですぐには動けなくなっていました。
そんな時でした。
「あぶない!」
脇から飛び込んできた何者かが、プシケの身体に体当たりしてきたのです。
すんでのところで鳥の攻撃は空振りに終わりました。鋭い爪に抉られた雪をかぶりながら、プシケは我に返りました。
助けてくれたのは、小さな妖精です。プシケたちとはあまり関わることのない種族の者で、普段は樹液滴る大樹に築かれた集落で暮らしている一族の娘でした。
夜空に浮かぶ白い星々のような模様の入った深緑のマントに身を包み、手には弓矢を持っています。その姿はカナブンやハナムグリを思わせますが、プシケたちのように美しい顔をしていました。
鳥を睨みつけ、そのまま彼女はプシケに囁きました。
「立てる?」
「うん……」
「じゃあ、一緒にここから逃げよう」
「でも、星の欠片を」
「今は無理だ。あいつはそう簡単に石をくれたりはしない。いいから、私の言うとおりに!」
厳しい口調で言われ、プシケは苦い思いを抱きながら、その言葉に従いました。
弓を恐れたのか、鳥はそれ以上追いかけては来ません。しかし、助けてくれた妖精は、プシケの手を引いて身を隠せる場所まで逃げていきました。
息を切らしながら、プシケは改めて、命の恩人でもあるその妖精を見つめました。防寒のために着込んではいますが、いずれも妖精たちに伝わる伝統の衣装です。弓も、矢も、人間たちが持つようなものではなく、木の枝や蔓で作ったようなものでした。
それでも、冬の世界を歩きなれていることはプシケにもひと目で分かりました。
「助けてくれて、ありがとう」
息が整うと、プシケはお礼を言いました。
すると、彼女は少しだけ笑みを浮かべ、答えました。
「いいんだ。放っておけなかったからね」
「あなたはあんな場所で何をしていたの?」
「君と同じさ。あの石が欲しかった。一番星の欠片は私たちの村にとって必要不可欠なものなんだ。私たちの故郷を常に支えてくださる聖樹さまの命の源でもあるからね」
そう言って、妖精は不思議そうにプシケを見つめます。
「そういう君は、どうして石を欲しがっていたんだい? この暮らしも長いけれど、君のような蝶の妖精が冬の大地を徘徊しているところなんて初めてみたよ」
「人間の子のためなの」
プシケは正直に答えました。
「その子は病気で、死の使いが来てしまったの。けれど、私の愛が本物なら、助かるかもしれないの。でも、その愛を示すためには一番星の欠片を取ってこないといけないって言われて……」
「死の使い、か。ずいぶんと不吉な話だね。けれど、いくらそう言われたからって、普段はマイペースな蝶の妖精がわざわざあの場所に来てしまうっていうことは、それだけ切羽詰まっていたわけだ」
優しくそう言いつつも、彼女は顔をしかめました。
「けれど無謀すぎるよ。見たところ、君はとても変わった格好をしているね。冬に見かける人間の子のようだ。ひょっとして、その子に飼われていたのかい?」
「違う! そんなんじゃない! ただ、冬の間はいつもその子のところで過ごしていて――」
「ほら、やっぱりそうじゃないか。冬の間は外敵に怯える心配もなかったのでしょう? そういうのを飼われているっていうんだよ」
「違う……違うったら!」
プシケはうろたえました。名前も知らないその妖精に反論する言葉が見つからなかったためです。
そんなプシケの戸惑った姿を前に、妖精は呆れたようなため息を吐き、身を隠している茂みから冬鳥のお化けが暮らしている縄張りを見つめました。
「とにかく、あの場所は君のような子が来る場所じゃない。近づいたら駄目だよ」
「でも、それじゃあの子が」
「死の使いって言っていたね。それなら、それが自然な事。君が無理をしてまで覆すようなことじゃない」
「でも、あの子を愛しているの。諦められない」
「それは本当の愛じゃない。君は人間に飼い馴らされているだけなんだ」
彼女の冷たい言葉に、プシケは泣きだしそうになりました。
怒りと悲しみと、そしてもどかしさが同時にこみ上げ、言葉すら出ません。違うということだけは、はっきりしているのに。もやもやした気持ちを抱えて苦しむプシケを横目に、妖精は言いました。
「あの鳥の恐ろしさを君は知らないんだ。私たちは大昔からあの鳥と戦ってきた。冬が来るたびにしんどい気持ちになってしまうほどにね。仲間の多くがあの鳥の犠牲になったんだ。私の師匠も、兄弟子も、最期はあの鳥に生きたまま食べられてしまったんだよ」
「生きたまま……」
プシケは耳を塞ぎたくなる気持ちを堪えて言いました。
恐ろしい捕食者など〈妖精の国〉にはたくさん暮らしています。けれど、そういった危険を回避する方法をプシケはよく知っていました。それは戦わない事、そして、危険な者たちが暮らしている場所に近づかないことです。
今していることは、敢えてその危険を冒していること。蜘蛛の妖精から糸を盗んだり、蟷螂の妖精を揶揄ったりするようなことなのだとプシケにも分かってきたのです。
「震えているね。怖いんだろう。分かるよ。私だって怖いもの。故郷のことがなければ、聖樹さまのことがなければ、今すぐ逃げ出したいくらいだ。戦いなれていてもそうなのに、君が敵うわけがないよ。頼むからここでじっとしていて」
名もなき妖精は優しく語り掛けるようにプシケに言い聞かせました。
しかし、プシケはその言葉を受け入れることが出来ません。じっとしているということは、モモを諦めるということ。死の使いとの約束を果たすためには、恐怖に負けるわけにはいかないのです。
「そんなこと、できない!」
プシケは彼女に訴えました。
「ねえ、お願い。あの鳥との戦い方を教えて。あなた達はいったいどうやって石を手に入れているの? たった一つでいい。一つでいいからあの石が欲しいの。教えてくれたら、何だってするわ。しばらくの間、私の事をこき使ってくれたっていい」
「そんなこと言われたって、小一時間で教えられるようなものじゃないよ」
妖精は呆れたように言いましたが、しかし、プシケの表情に根負けしたのか、ため息交じりに付け加えました。
「……分かった。そこまで言うのなら、せめて一緒にやろう」
そして、妖精はプシケの手を握って言いました。
「名前はある? 私は一応あるよ。シロテンっていうんだ。石拾いのシロテン。親代わりだった師匠がつけてくれた愛称なんだ」
「シロテンね。覚えた。私はプシケっていうの。人間の子がつけてくれた名前なの」
「プシケか。変わった名前だね。しばらくよろしく、プシケ」
シロテンと握手を交わすと、プシケはさっそく彼女の持っている弓矢に興味を抱きました。
木の家で暮らす妖精たちはこうした武器を好んで使います。それを野蛮だと思っていましたが、この場においては非常に頼もしい存在に思えたのです。
さっそくプシケはシロテンに訊ねました。
「それって誰でも使えるの?」
「練習すればある程度はね」
「私にも出来る?」
「何か月か修行すれば或いは」
「……そうなんだ」
それでは春が来てしまいます。死の使いも待ってはくれないでしょう。
けれど、がっかりするプシケに対し、シロテンは明るく声をかけました。
「心配いらないよ。石が欲しいだけなら弓なんて覚えなくたっていい。君は石を拾う事だけに集中すればいいさ」
「そうなの?」
「そうさ。私が弓で攻撃して奴を惹き付けている間に、君は石を拾って逃げるんだ。いいかい、二つとるんだよ。君の分と私の分。それなら協力し合えるでしょう?」
「分かった。石を二つ拾って逃げればいいのね」
とても簡単そうに思える役目ですが、鳥の姿を思い浮かべると決してそうではないのだとプシケにも分かりました。
鋭い嘴とかぎ爪にやられればひとたまりもありません。恐怖に身体が竦んでしまえば、きっとシロテンの足手まといとなってしまうでしょう。
それでも、怖がってはいられません。自分の勇気にモモの未来がかかっているのですから。プシケは緊張と恐怖を抑えつつ、気を引き締めました。
「良い表情だね」
シロテンはそんなプシケの姿を見つめ言いました。
「その意気で頼むよ、相棒」
そして、ふたりは再び冬鳥のお化けの住まう星屑の煌めく大地へと向かいました。