1.かけがえのない友達
あるところにモモというそれはそれは愛らしい女の子が暮らしていました。
モモの楽しみはお父さんがたびたび買ってきてくれる本を読むことと、お兄さんが即興で語るおとぎ話を聞くこと、そしてベッドの傍の窓辺から見える美しい景色を眺めることでした。
お庭は美しい花で彩られています。これは、年の離れたお姉さんがお母さんと一緒に整えてくれた〈妖精の国〉です。身体が弱いために友達と思いっきりお外で遊ぶことができないモモのために築かれた世界でもありました。その世界について度々語ってくれたのは、やんちゃで想像力豊かなお兄さんでした。
けれど、モモは知っていました。
彼の語る妖精の世界は決して空想なんかではないということを。
〈妖精の国〉では、色も形もさまざまな虫や鳥たちが遊びに来ます。けれど、彼らに交じって絵本の挿絵で見たような蝶の翅をもつ妖精たちも暮らしていたのです。
色とりどりの衣装を身にまとい、楽しそうにお喋りをしていたり、花の蜜を吸ったり、花に交じって隠れ潜む別の妖精とキスをしたり……彼女たちは窓越しにあらゆる姿をモモに見せてきました。
そして、冬が近づいてくると、もっとも親しい妖精がひとりモモのもとを訪ねてきました。
今年もそんな季節になりました。
秋の終わりからモモは毎年、彼女を迎え入れる準備をしていました。
マッチ箱を合わせてつくった小さなベッドに、布の切れ端に羽毛をつめこんで作ったふかふかの掛け布団。そして、冬になるとお母さんが買ってきてくれる砂糖菓子を可愛いらしい小さなかごにいれて、彼女がそれをおいしそうに食べる姿を思い描くのです。
楽しみにしながら指折り数え、とうとうその日はやってきました。
コンコンと叩く音を聞いて、モモはそのお客を招き入れます。彼女のためにお父さんに特別に作ってもらったとても小さな扉から入ってくるのは、アゲハ蝶のような翅をもつ愛らしい妖精です。少し変わったところのある彼女は他の妖精とは違って人間を恐れたりせず、寒い冬を越すためにモモの傍で一緒に過ごすことを楽しみにしている妖精だったのです。
モモは彼女の訪れを毎年楽しみにしていました。
お外で遊べないモモはもちろん、普通の人間たちだって知らないような妖精の世界の出来事を、彼女はよく話してくれるのです。その不可思議で美しく、ときに残酷だが大団円を迎えるお話は、モモの心を掴んで離さず、病気がちな彼女を勇気づけてくれるものでした。
妖精には名前がなかったので、モモは彼女の事を「プシケ」と呼んでいました。
プシケは喜んでその名前を受け入れました。
「モモ、今年の冬は一段と寒くなるんだって。よくは分からないけれど、神様たちがそう決めたのだって風の使いが言っていたの」
「そうなんだ。それじゃあ、プシケもわたしも一段と温かくしないとね」
プシケがやってきたある日のこと、窓の外を眺めながら、モモはプシケとそんな会話をしました。
雪は深く、空は薄暗く、鳥の姿こそ見えるけれども妖精たちの姿はどこにも見えません。
プシケによれば、妖精たちは厳しい冬の寒さに弱いため、地中や木の洞、家の隙間などにつくった隠れ家に食べ物をどっさりと持ち込んで過ごすそうです。しかし、寒さの対策が疎かであれば、凍え死んでしまうこともあるのだそうです。
冬の危険はそれだけではありません。草花が雪で隠れてしまうこの季節は、外を歩くだけでも妖精を好んで食べる冬鳥のお化けに攫われてしまうのだとプシケは言いました。
だから、妖精たちは息をひそめ、ひたすら春の訪れを待つのだそうです。いち早く、暖かで明るい季節になってほしいと願いながら。
モモは思いました。
せめて厳しい寒さからプシケだけでも守らないと。
そのために、モモは小さな手袋とマフラーを編んでいました。編み物が得意なわけではないモモですが、プシケを寒さから守ってくれるのだとしたらと思うと、それだけ気持ちを込めて編むことができました。
手袋とマフラーが完成すると、プシケは大変喜びました。妖精の世界にも贈り物の文化はありましたが、人間から何かを貰うなんてことは滅多にありません。毛糸の手袋やマフラーとなればなおさらの事でした。
温かいのは毛糸だからでしょうか。嬉しいのはその色がおいしい蜜をくれる花の妖精たちの色と一緒だからでしょうか。いえいえ、それだけではないとプシケは分かっていました。手袋とマフラーにはモモの気持ちがこもっている。そう思うと、より温かく感じて、愛おしくなったのです。
プシケはますますモモを気に入り、モモもまた素直に喜んでくれるプシケの姿に癒しを貰いました。
ところで、窓の外では冬の厳しさはいっそう増していきました。
プシケが妖精の世界で聞いていた通り、季節の女神たちは生と死を司る神々と話し合い、春の訪れまでに刈り取る命の数を決めていたのです。
凍てつくような寒さと乾燥した空気の中で、神々は死の使いを遣わして、悪い風を吹かせました。こうして、世界はじわじわと病に包まれていき、死の使いたちは刈り取るのに相応しい命を探して彷徨い始めていました。
それから間もなく、死の使いはモモのもとに忍び寄ってきました。
高熱に浮かされるモモに、家族は出来るだけのことをしました。けれど、お医者さんは言いました。
「あとはもう、彼女の生きる力に賭けるしかありません」
よく効くというお薬も、モモの苦しみを和らげてくれる様子はありません。家族は悲しみに暮れながら看病を続けていました。
プシケも同じです。彼女はモモに寄り添い、語り掛け続けました。きっと良くなると信じて、春になる頃には元気になると信じて。しかし、日が経つにつれて弱っていくモモの姿を前に焦りを強めていきました。
そんな日が続いたある晩のことでした。
人間たちの誰もが寝静まる真夜中に、不気味な客人がモモとプシケのもとに現れました。
おそろしい骨の仮面をかぶり、黒い衣で身を隠したそれは死の使いを名乗り、プシケに言い渡しました。
「命を回収しに参りました。今宵はそちらのお嬢さんの番。さあさ、妖精のお嬢さん、邪魔してはなりませんよ。これは神々の決めたことなのですから」
「そんなの知らない!」
プシケは慌ててモモを庇いました。
「回収ってなに? モモを殺してしまうつもり?」
すると、死の使いは仮面をつけた顔でプシケをじろりと見つめました。
「殺すだなんて人聞きが悪い。良いですか、妖精のお嬢さん。花が散っては咲くように、人の命もまた生と死を繰り返さねばならないのです。それが、食物連鎖の輪から勝手に出ていき、今もなお増え続ける人間たちへのペナルティなのです」
「やめて! モモが何をしたって言うの!」
「ええ、何にもしておりません。けれど、仕方のないことなのです。刈り取る命の数は決まっておりますし、そちらのお嬢さんは今、もっとも死に近いところにいる。運が悪かったと諦めて、別の人間をお探しなさいな」
死の使いは言いましたが、プシケは翅を広げて怒りを表しました。
神々の都合など関係がありません。プシケにとってモモはかけがえのない友達なのですから。
「諦めるなんてとんでもない!」
プシケは死の使いを睨みつけて言いました。
「あなた、きっと人間のお友達がいないのね。別の人間を探せだなんて。モモはモモなの。代わりなんていない。どうしてそれが分からないの!」
そしてとうとう泣き出してしまいました。
その反応に困ったのが死の使いです。死の使いだって意地悪をしに来たわけではありません。それに、ここまで妖精に好かれている人間を見るのは初めてでした。
妖精はあらゆる女神に愛される存在でもあります。そんな妖精が懐いているような人間の命を勝手な判断で持っていっていいものなのか、迷い始めたのです。
そこで、死の使いは言いました。
「あなたがそこまで言うのならば、少し試してみましょう」
「試す?」
「その愛が本物か。そちらのお嬢さんがはたして妖精に愛されるに値する人物なのか、あなたの態度で確かめてみたいのです」
「どうしたらいいの?」
藁にも縋る思いで訊ねるプシケに、死の使いは窓の外を指さしました。
その先は銀世界へと変わった〈妖精の国〉の果て。世界が雪に閉ざされると恐ろしい冬鳥のお化けが現れると噂される場所でした。
「あの場所に一番星の欠片が落ちています。たった一つでよろしい。それを拾ってここへ戻って来てください。ただし、必ず見つかるとは限りません。それに、生きて戻ってこられるとも限らない。あの場所で与えられる死は、私どもの仕事よりもさらに残酷なもの。鳥の怪物はあなたが考えるよりずっと恐ろしい生き物です。それでも、あなたは行くというのですか?」
死の使いの言葉に、プシケは震えました。
妖精の世界での死は、そのほとんどが安らかなものではありません。とくにプシケの仲間たちは何者かに食べられて死んでしまった者が大勢いました。冬鳥のお化けもまた、妖精を食べる存在として有名で、それに立ち向かうということがどんな危険をはらんでいるのかよく知っていたのです。
仲間たちの死の瞬間を見たこともあったプシケにとって、最悪の末路はもっとも経験したくないほどのものだったのです。
しかし、プシケは頷きました。
「行く」
恐怖心がないわけではありません。
それでも、どうしてもモモを奪われたくなかったのです。
「行くに決まっているでしょう!」
こうして、プシケは寒さの厳しい銀世界へと旅立ちました。
冬の間の故郷は、春から秋にかけてとは比べられないほど冷たく、先へと向かうだけでもひと苦労です。そのうえ一番星の欠片があるという場所は遠く、たどり着くのも厳しいくらいでした。
けれど、そんな彼女の歩みを支えてくれるのが、モモの作ってくれたマフラーと手袋でした。その温かさを味わいながら、これを貰ったときの喜びや彼女と過ごした日々の事を思い出すと、寒さと恐怖にすくんでしまいそうな心を奮い立たせて歩みだすことが出来ました。
そして、彼女はたどり着いたのです。
きらきらと輝くその場所に。