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夏・第二話


 部活に勤しむ生徒達を横目に進む。部室棟の近くはいつも賑やかだ。しかし、どんどん歩いていくにつれて人気は無くなっていき、テラスに着く頃には人の声すらしなくなっていた。晴れていればこのテラスも騒がしいのだが、雨の日は一度屋根の無い部分を通らないとテラスの入り口に辿り着けないとあって、誰も居ないようだった。少し前までは簡易的な屋根も設けられていたのだが、その時は寒いこともあってやはり人は寄り付かなかったらしい。結局、その屋根も夏にかけて台風などで壊れたりしたら危ないからと撤去されてしまったようだ。あの簡易屋根の恩恵に与った奴はいないことだろう。とりあえず、鞄を傘がわりにしてテラスの入り口まで駆け抜ける。服や鞄についた水滴を手で払ってから、ドアに手をかけた。思った通り中には人が見当たらない。ここから見えないのはガラス席くらいか。誰かいるとは到底思えないが、ここまで来ておいて確認せずに帰るのもすっきりしない、と考えて席を一つずつ見ていく。凝った装飾と全面ガラス張り、という点が洒落ているとか誰かが言っていた。残りあと二席を見るだけとなったところで、気付く。後ろから二番目の席に誰かいる。まさかの出来事に頭が追い付かず、その人物を凝視してしまった。行儀よく席に座り、ノートのようなものを開いて何やら作業をしているのが分かった。こいつが件の幽霊なのだろうか。それにしては、あまり怖い印象を受けない。考え込んでいる内に、そいつと目が合ってしまう。目を逸らすことが出来ずに見つめ合っていると、向こうが口を開いた。

「えっと、こんにちは」

「…………どうも」

再びの沈黙。幽霊の呼びかけに答えたら駄目なのではなかったか……喋ってしまった。

「大丈夫? もしかして具合でも悪い?」

そいつは心配そうに立ち上がり、こちらへ歩いてきた。

「いや、違う……」

そう答えるが、まあ座って、と促され、この幽霊(仮)と向かい合って座る形になった。なんだ、これは。座談会か。相手はというと、こちらを気にかけているようだ。この学校の制服をきっちりと着こなしており、優し気な雰囲気を纏っている。悪いやつには見えないが、幽霊の噂は本当なのだろうか。仮に普通の生徒だったとしても、こんなところに一人でいるという状況が謎である。

「……雨のテラスの、幽霊……」

考えながら口に出してしまった。はっとして相手を見ると、目を見開いた後に顔を綻ばせた。

「幽霊……か。そんな噂もあったね。うん、その噂は否定しておくよ。生身の人間だから……握手しよう、握手。触って確かめてみて」

そう言ってこちらに手を差し出してくる。わずかな警戒心を滲ませつつその手を取ると、確かな体温があった。

「ちょっと懐かしいな」

笑いながら何やらしみじみと呟かれた。どういうことだろうか。

「懐かしい?」

手を放しながらそう口にする。

「春にちょっとね」

思い出しているのか、表情は楽しげだ。

「ところで、名前を教えてもらってもいいかな」

血の通った人間だったそいつに向かって、自分の名前を告げる。

「涼野爽太だ」

「涼野君だね。今日はどうしてここに?」

テラスに来た理由は幽霊探しだが、そもそもは図書室が閉まっていたことで時間が潰せないからという背景がある。

「まあその、幽霊探しだ。暇を持て余していたからな」

「…………」

なぜか黙り込まれてしまった。変なことを言ったつもりはないのだが。ふと顔を見ると何やら怪訝そうな表情をしていた。

「もしかして、悩み事とか……ある?」

ほんの少し、動揺した。まるで見透かされたような気分だ。いや、実際に見破られている。俺はそんなにも分かりやすい顔をしていたのだろうか。

「……どうしてそう思う」

初めて会った奴に見抜かれたのが、なんだか居心地悪くて焦ったように聞いてしまった。

「経験上、かな」

目の前で笑みを浮かべたそいつは、続けて口を開く。

「本当に悩み事があるのなら、話を聞きたいな」

柔らかさの奥に強さを秘めたような瞳で見つめられる。どうしてわざわざ初対面の人間の悩みを聞こうとするのだろうか。

「人の愚痴を聞きたいなんて、変わってる」

「うーん……これは、そういうものだからね」

曖昧な回答からは何も読み取れなかったが、恐らくこいつは暇人なのだろう。俺も時間を潰す必要があるし、話をするのもいいかもしれない。

「良く分からないが、俺も暇つぶしをする必要があるからな。話を聞いてくれるなら、少し愚痴に付き合ってくれ。とりあえず、あんたの名前は?」

自分だけ名乗ったままなのは、公平さに欠ける気がする。

「喜雨。そう呼んで欲しいんだ」

珍しい名前だ、と思う間に喜雨はノートを閉じて俺に向き直った。

「それじゃあ、話を聞くよ」

「何から言うか……一言で言うと家庭の問題ってことになる」

そんな風に切り出す。ひとつ息を吸ってから、静かに話し出した。

「母親がピアニストで、俺が幼い頃からピアノの練習を強制してくるんだ。でも俺は、全然興味が無くてな。小さいうちはまだ何も分からないから親に従っていたが、成長するにつれて、反抗心が芽生えてきた。もっと運動する時間が欲しい、と伝えたこともある。だが、母親はそれを許さなかった。おかげで、家の中でも母親との仲は険悪だよ。今はなるべく家にいる時間を短くしようと躍起になってるような、無様な状態だ」

そこまで言って、息を吐く。

「…………俺は……ピアノが嫌いだったわけでは、無かったんだがな」

「涼野君は、お母さんのことをどう思っているのかな?」

どう、と改めて聞かれると、答えは出ない。単純な好き嫌いで語れるものでもないし、表現できる言葉は見付からなかった。

「正直、分からない」

少し考えてから、喜雨は別の質問をしてきた。

「家族は、涼野君とお母さんの二人だけ?」

「父がいるが、単身赴任で家にいないから実質二人だな」

「お母さんと話し合いをしたことはある?」

「昔は何度か話を聞いてもらおうとしたことがある。でも聞く耳を持たなくてな。もう諦めたよ」

「成程ね……」

どうやら聞きたいことは聞き終わったらしい。喜雨は何かを考えているようだが、ただの愚痴だ。解決を求めようとしたものでもない。悩ませるのも悪いと思った。

「聞いてくれてありがとな。でも、ただの愚痴だ。そんなに真剣に考えてくれなくてもいい」

「……何もしないと、涼野君は苦しいままなんじゃないのかな」

喜雨の顔を見て、ああ、他人のことに親身になれる奴なんだな、と思った。

「これにはもう慣れた。卒業したら、家を出ればいい」

目を閉じて、諦めを持ってそう言うと、喜雨は悲しげな顔になってしまった。

「…………本当に、それでいいの?」

視線だけをこちらに向けて、そう聞かれる。

「……勿論だ」

二人の間にしばらくの間、沈黙が流れた。変わらぬ外の雨がうるさく感じる。すると、喜雨は意を決したようにこう言った。

「余計なお世話かもしれないけど、一つ提案をさせてもらえないかな」

こちらを気遣うような聞き方だっただけに、拒否をするのは気が引けた。喜雨が俺を尊重してくれているのは分かるし、話だけでも聞こうとそう思わせたのだ。

「……聞かせてくれ」

「ありがとう。手紙を、書いてみたらどうかなって思うんだ」

手紙とはまた古風だな。そんなものは久しく書いていない。

「話を聞いてもらえないのなら、最初から手紙に言いたいことを全部書いておけばいい。ただ、読みもしないような人だったら手の打ちようがないけど……少なくとも口頭で話をするよりは望みがあると思う。駄目でもともとなら、試してみる価値はあるんじゃないかな」

喜雨の言いたいことは理解できる。手紙を書くことにはデメリットが無い。どうせ失うものなど無いのだし、試してみるのも悪くないかもしれない。

「そこまで言うなら……やってみるよ」

賛成の意を示すと喜雨は嬉しそうに微笑んだ。

「うん、ここから応援してる」

声援を送る喜雨は、続けて言う。

「どんな結果になるかは誰にも分からないけど……話がしたくなったら、ここに来てほしい。雨の日には、ちゃんと居るから」

「ああ、分かった」

喜雨はなぜここまで親身になってくれるのだろう。何か裏があるのか、とも思ったが、喜雨の顔を見ているとそんな考えは馬鹿らしくなった。少なくとも、喜雨は俺の敵に回るような奴ではない、と思う。ただの勘でしかないが、それだけで今は十分だろう。

「言葉は人間の持つ特権だからね」

笑顔で喜雨はそう言った。いつの間にか外の雨は小雨になっていたようだった。


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