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夏・第一話

 

 じとりと不快な雨が降る。さんさんと照りつける太陽も厚い雲に身を隠し、暑さだけを残していく。背筋を伸ばして咲く向日葵が、晴れの日を思い出させるのだ。


 教室の中が暑い。朝だというのに爽やかさは微塵もなく、雨のせいで自分の机も何だかべたついていた。このじめじめとした空気は、ただでさえ暗い気分をいっそう陰鬱とさせてしまう。

「はぁ……」

大きな溜め息をついて、仕方なく席へついた。始業まで一時間程ある。早く学校へ来過ぎたらしいが、特に後悔などは無かった。家には居たくない。まだ誰も居ない教室でひと眠りしようかと思い、机に伏せようとした時だった。

「お、涼野。おはよう。早いな」

教室の戸ががらりと開き、クラスメイトの中村が現れた。

「……おはよう、お前こそ早いんじゃないか。まだ俺以外誰も来てないぞ」

軽く挨拶を返して、中村が早くに登校した理由を考える。特に意味もなく来るわけがないし、大方、日直だとかそんな理由だろう。

「今日、日直でさ。日誌取ってきたんだ、職員室から」

そう言って中村は手に持った厚めのノートを振って示した。だが、いくらなんでも来るのが早い。中村は真面目が過ぎる。

「それで、涼野は? あれか? 前に言ってた、家は嫌だからってやつ」

「ご名答」

俺が始業の一時間以上前に教室に来ることはよくある。そのなかで、今日のように日直だった中村と顔を合わせたこともあった。その時に話したことを彼は覚えていたらしい。

「大変だな、親が強制してくる、ってのは」

喋りながら俺の前の席に中村は座る。そこは中村の席ではないが、教室には俺達意外に誰もいないので咎められることはなかった。

「全く、その通りだよ」

脱力しつつ応える。今日、家に帰ってもうるさく言われると考えただけで憂鬱だ。

「確か、お母さんがピアニストだったんだっけ。それでピアノやりなさいって言われるんだよな?」

記憶を探るように眉間にしわを寄せながら中村は言った。さほど親しくない俺の話をよく覚えているものだ。記憶力がいいのか、それとも単に人がいいのか。

「『やりなさい』って言葉が可愛く見えるくらい威圧感があるんだよ。『お前はやらなければいけない』とでも言うべきか」

俺自身はやりたくもないのに、五歳の頃から毎日、ピアノの練習をさせられる。本当は体を動かしたりするのが好きなのに、外で遊ぶことすら許されない幼少期。ピアニストになりなさい、と言われて育ったが、それになりたいと思ったことは一度たりともない。自由が欲しい、というストレスだけが溜まっていった。今もずっと。

「……えーと、嫌な話をして、ごめんな……?」

沈黙した俺を見て、中村が謝ってきた。気を遣わせてしまったな。

「いや、俺の方こそ空気を悪くした」

中村は何を言おうか迷っているようだ。こういうところからも中村の真面目さが窺える。

「そうだ、雨の日のテラスの噂話って知ってるか?」

知恵を絞った中村は、思い付いたようにそんな話題を振ってきた。確か、テラスは教室棟から遠いし雨の日は人が集まらないはずじゃなかったか。

「どんな噂なんだ」

せっかく絞り出して振ってくれた話題だし、乗っておこう。

「なんでも、幽霊が出るらしい。実際に見た奴がいるのかは知らないけど、背が高いとか低いとか、怖いとか怖くないとか、出てる噂がバラバラでさ。統一性がないし、皆が好き勝手に言ってるだけだと思うけど、きっと誰も見たこと無いんだろうな」

幽霊が雨のテラスに出るということ以外は共通点が無い。どこかの誰かが怪談話を作ろうとしたのなら、まとめればいいのに、うちの学校は生徒数が多いから一つの話が定着せずに色んな話が出てきてしまったのだろうか。

「雨の日のってことは、雨の日にしか出ないのか? その幽霊は」

「そうらしいな」

そんなことを話していると、間もなく始業という時間になっていた。

「中村、始業前に日直の準備はしなくていいのか?」

とりあえず声をかけておこう。この様子だと多分忘れている。

「え? あっ、まずい! ありがとな!」

バタバタと中村は自分の席へ戻っていった。まだ時間はあるし、彼なら手際よく作業出来るだろう。いつの間にか教室の中は人が増えて騒がしくなっていた。


 授業の間も、ずっと雨が降っていて窓一面に雨の跡がついては消えを繰り返している。帰りたくないな、という思いもむなしく最後の授業の終了チャイムが鳴り響いた。家にいる時はもの凄く時間の流れが遅いのに、学校が終わってしまうのはとても速い。特別、学校が好きという訳ではないのだが家が嫌いすぎるのだろう。

「…………」

溜め息を飲み込んで重い腰を上げる。教室に残っている者もまちまちになってしまった。いつまでも教室に居座ることも出来ない。鞄を手に取り教室を後にした。


 すぐに家に帰るなんて言語道断。普段しているようにジョギングでも……ということは出来ない。外は雨だ。部活に入っていないので体育館にも行けない。運動部への入部希望は当然母親によって却下されていた。今できるのは、適当な理由をつけて家に帰るのを先延ばしにすることだけだ。雨の時はいつも図書室で時間を潰している。今日もそうするとしよう。


 図書室の前までやって来たが、鍵が閉まっていた。戸の隣にある掲示板に目をやると、新しい張り紙を見つけた。

「司書の都合により、本日は図書室を閉鎖いたします。申し訳ありません」

そういえば最近夏風邪が流行っているらしいし、司書の人も引いてしまったのだろうか。それならば仕方がない、図書室を去ることにした。とはいえ、どこで時間を潰したものか。学校から出て探してもいいが、雨が降っているし、気分が乗らない。当てなく歩き回りながら、外の雨を見て、今朝の中村の話を思い出す。何だったか、雨の日の幽霊だ。確かテラスに出るとか出ないとか、そんな話だった。どうせ帰らないのなら見に行くか。誰も居ないだろうな、と思いながらテラスへと方向転換した。


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