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春・第二話

 

 幽霊ではなかったその人と、向かい合って席に座る。

「落ち着いたかな?」

にこにこと柔らかい笑顔で話しかけられた。

「あ、あの、ごめんなさい。驚いて、幽霊、だなんて……」

普通の人間に対して幽霊呼ばわりをしたことは、さすがに申し訳ないと感じていた。よく見てみれば、目の前の人は男子生徒用の制服を着ていて、口元にある黒子が特徴的な人だ。

「いやいや、君が謝る必要はないよ。思い返せば、雨のテラスに一人なんて、何だかまぎらわしかったよね。びっくりさせちゃってごめん」

少し眉を下げた顔で、逆に謝られてしまった。

「そ、そんなこと、ない、です…。えっと…」

言葉に詰まる。何を話せばいいのだろう。沈黙が辺りを包む。何か言わないと、何か……!

「あのさ」

突然話しかけられて、びくりと肩を震わせる。目の前の彼は、穏やかな声音で続けた。

「質問、してもいいかな?」

目は笑っていて、優香が話し出すのをのんびりと待っている様子だ。それを見て、僅かに緊張がほぐれたような気がした。

「……はい」

何だか、いつもよりも落ち着いて話せそうな気がする。

「ありがとう。じゃあ、質問だよ。このテラスは、雨の日に来る人なんていないんだけど、君はなぜここに?」

優しい口調でこちらへ問いかけてくる。不思議とスムーズに言葉が出てきた。

「考え事をしていたら、いつの間にかここに」

しかも噛まなかった。この人はとても話しやすい。

「そうなんだ。……もしかして、悩みごと?」

それを聞いて、思い出した。そうだ、文化祭のことを考えていたのだ。

「…その通りです」

考えたくもない。クラスに馴染むなんて無理だ。ガラス越しにどしゃぶりの雨が降っているのが見える。真っ直ぐにこちらを見つめる目と、目が合った。

「僕でよければ、君の相談に乗ろう」

そんな提案がなされる。

「……良いんですか?」

困っていたのは事実だし、誰かに話せば、気持ちだけでも晴れるかもしれない。

「読書をしていただけだからね。そうだ、君の名前を聞かせてもらってもいいかな」

テーブルの上に置かれた本を叩いて、笑いながら名を聞いてくる。

「梅田優香といいます」

少しだけ改まって、姿勢を正し名乗った。

「梅田さんだね。敬語も僕には必要ないよ。ほら、フレンドリーなほうが話しやすいだろう?」

そう言ってくれるが、少なからず戸惑いはある。でも、親切で言われているものを無下にするのは気が引けた。

「……わ、分かった。あの、あなたの名前も聞いても良い?」

そう言うと、彼はどこか懐かしむように答えた。

「うん、そうだね。僕のことは、喜雨、と呼んで欲しい」

苗字だろうか、名前だろうか。もしくは渾名なのかもしれない。

「喜雨さん、よし……覚えた」

「お互い自己紹介も終わったところで、本題について話そうか。君の悩みを聞かせて欲しい」

喜雨さんは、さあ来い、とでもいうような雰囲気を醸し出している。それに乗せられるように、口を開く。

「実は、私は人と話すのが苦手で……。今は平気だけど、普段は緊張して何を喋ったらいいのか分からなくなるし、いざ話そうとすると噛むしで、全然ダメ。ろくな会話ができないんだ。そのせいで、クラスにも馴染めない。担任の先生からは次の文化祭でクラスに溶け込めって言われたけど…どうすればいいのか分からなくて」

ゆっくり、伝わるように説明をした。誰かに向かってこんなに喋ったのは初めてだ。分かってもらえただろうか。

「……そっか」

先程と変わらず、笑顔で喜雨さんは返答してくれる。

「梅田さんは、口下手なのを直したいと思ってる? それとも、先生に言われたから何とかしたいと思ったの?」

落ち着いた口調でそう聞かれた。確かに、自分はどう思っているのだろう。今までも、最低限の受け答えくらいなら、クラスの中でも問題なくできていた。去年はそれで何事もなく過ごせていたのだ。つまり……。

「……先生に言われたから、かな。受け答えとかはできるから、今まで口下手を直そうと思ったことは無かったよ。ただ、山崎先生のクラスになってからは何度も言われるんだよね……周りに馴染めって」

はあ、と思わずため息がこぼれる。山崎の顔を思い出してしまった。消えろ、雑念。

「それは、先生から何も言われなければ悩み事も無く過ごすことができたってことかな?」

思えば放課後に美術室へ行って毎日絵を描いて過ごすのが日常だったのだ。何の問題も無かった。

「そういうことになるね……」

「じゃあ、気にしなければいいんだよ」

「………え?」

間髪入れずに答えられて、間抜けな声が出る。喜雨さんは笑顔を崩さずに続けた。

「君は、校則違反をしているわけじゃない。誰かと喧嘩をしたり、問題を起こしたわけでもない。普通に学校生活を送る一人の生徒だ。ルール違反をしていないのに、とやかく言われる筋合いはないよ」

いや……そういうものだろうか。結構思い切った考え方だと思う。

「……先生を無視すればいいってこと?」

自分にはそこまでのことが出来る気がしない。

「うーん、個人的にはそれでもいいと思うけどね。ただ、その場合は問題行動をする生徒として見なされかねない。君の話を聞く分には、どうやら平和に過ごすことを望んでいるようだし、聞き流すことを覚えればいいんだよ。今まで通り、先生への対応は普通のままで考え方だけを変えるのさ。『先生からは変われと言われたけど別にいいか』みたいな感じでね」

身振り手振りを加えながら、喜雨さんは楽しそうに話している。つまり、先生の話は聞くけど実際には何も行動しないようにしてみたら、ということらしい。確かに、これなら行動自体は今までと変わらないし、できるかもしれない。ただ、考え方を変えることが難しいと感じた。

「……私にはそんな風に考えるのが、難しい」

誰かに何か言われたらやっぱり気になるし、そのことについてどうしても考えてしまう。

「そうだね……人の話を聞くのは大切なことだよ。でも、全部を人の言う通りにしなくちゃならない決まりはない。自分がどうしたいかっていう気持ちを、君はもっと大事にしてもいいと思う」

自分の気持ち。思えば何かと遠慮することが多くて言いたいことも言えなかった記憶ばかりだ。不快な思い出に浸って黙り込んでしまった自分を見てか、喜雨さんは再び口を開いた。

「……何だか、君は自分というものを外から見過ぎている気がするな。まるで自分の心と現実の間に一線を引いてしまっているようだ。ちょっとだけ、自分らしさについて考えてみたらどうだろう。何か変わるかもしれないよ。好きなものはある?」

考えたこともなかった、自分らしさなんて。とにかく、思い付くことを言ってみようか。

「……私は絵が好きで」

「うん」

「美術室で、毎日描いてて」

「そうなんだ」

「絵筆を握っている時だけは余計なことを考えずに集中できるの。町の小さいコンクールで賞をもらった時はすごく喜んだなぁ」

ぽつぽつと話し出す自分の言うことを、喜雨さんは相槌を打ちながら聞いていてくれた。

「そこまで入れ込めるなんて、いい趣味を持ってるんだね。それは君らしさの一つだと思うよ」

いい趣味だ、と言われたのは初めてで何だか嬉しくなる。

「絵が描けるっていうのは自慢できることだよ。自信を持つべきだと思う。そして、自分らしさが見つかったらあとは単純だ」

一度言葉を切って、改めて目を見つめられた。

「自分の行動に責任を持てるのは自分だけ。他の人は言うだけタダだから色んなことを言ってくる。でもその人達は何もしてはくれない。結局決めるのは自分であるべきなんだよ」

大人しく、次の言葉を待つ。

「君は、君らしく生きていい」

雨で冷えた空気が二人を包む。その冷たさが何故か心地よくて、目が冴えるようだった。

 

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