秋・第三話
テラスのドアに手を掛ける。中へ入ると、少し冷えた空気に出迎えられた。やはり人気は無く、不気味でさえあるようだ。後ろから二番目のガラス席には、前と同じように喜雨が座っていた。
「久し振り、知鶴」
喜雨はまるで、アタシの来訪を予期していたかのように声を掛けてくる。つくづく得体の知れない奴だ。
「雑談、しに来たよ。喜雨くん」
喜雨の向かい側に座って、彼の目を見詰める。落ち着き払った喜雨の瞳は、静かな光を宿していた。
「それで、何の話を?」
「喜雨くんに聞いてみたいことがあって……ねぇ。喜雨くんは、どんな人間?」
この質問に、とりわけ深い意味があるわけでは無かった。ただ、何と答えるのかが気になっただけの話だ。
「そうだな……不器用、なのかもしれない」
薄く笑う喜雨は、それを自虐している様にも、受け入れている様にも見える。
「へぇ、あんまりそういう風には見えないけどね」
「見かけ通りの人間なんて、そうそういないさ。氷山の一角と同じで、普段見えているものはその人のほんの一部でしかない」
他人のことなんて分かりようも無い、というのは同意だ。
「だから、知鶴のことも良く分からない。知鶴はどういう性格?」
次はアタシの番、とばかりに喜雨はそう聞いてきた。
「アタシはほら、楽観的とか、そんな感じ? 喜雨くんにはどう見えてるの?」
笑いながら返答すると、喜雨は目線を落とす。
「どこか、無理をしているように見える」
頭の中で、その言葉を反駁する。無理をしているように見える、とそう言われたことは人生で一度も無かった。家族にも学校の人達にも……それだけ、アタシは完璧に理想の人物を演じて来たのだ。
「……どんなところが、無理してるように見える?」
「無理矢理に笑っているところ、とか」
そう言われた瞬間、自分の顔から表情が抜け落ちるのが分かった。そこまで指摘されて、これ以上取り繕うのは無駄なこと。一度目を閉じて、深く息を吐く。
「…………喜雨くん……随分と変わった奴だとは思ってたが、まさか見抜かれるとは。ああ、今になって思い出した。こんな風に振る舞い始めた理由――無感動なアタシが、周りに馴染めるように何枚も仮面を作ったんだった。これでも、今までは上手くやってきてたんだが」
何も考えず無表情のままに言うと、喜雨は少し驚いたように目を丸くした。
「想像以上に、本来の性格との差があるんだな……」
「本物のアタシには、何もない。自分を偽り過ぎて、本当の自分を忘れたのかと思っていたのに……そこには何も無かったなんて、とんだ笑い話だ。滑稽だろ?」
緊張が切れてしまったので、表情筋は動かない。
「笑うつもりは無いけど……普段からその状態でいればいいと思う」
「それは出来ないだろ。だって……」
だって、何なのだろうか。周りに馴染まなければいけない明確な理由が分からない。言葉が見付からずに黙ると、喜雨は続けて発言した。
「人と協調するのは必要なことかもしれない。でも、必要以上に自分を抑えつけるほどの価値はない」
喜雨の言葉は、不思議なほどすんなりと耳に入って来る。
「皆と仲良く、って小さい頃から大人達には教えられるけど、それは無理な話だ。そんなことが可能なら、一切の争いは無くなっていていいことになる」
確かにそうかもしれないが、そんな発想でいいものだろうか。とはいえ、喜雨にばれてしまった以上は、これまでのような振る舞いをすることにあまり意味が無いような気がしているのは確かだ。一人にばれたら、それはばれるようなものでしかなかったということで、いつかは他の人にも露呈する可能性が高い。
「そのままの自分で過ごしてみるのも、いいかもしれないな」
アタシの呟きに、喜雨は頷く。
「自分が生きやすい生き方をするのが、一番だ」
そう言った喜雨は、目を細めて優し気に笑った。
秋晴れの空。太陽がまぶしい。昨日の雨は嘘のように今日は快晴だ。朝の空気は美味しい。水たまりを避けつつ通学路を歩いていく。帰るころには、この水たまりも乾いているのだろう。ぼんやりと昨日のことを思い出す。改めて考えると、随分と気を緩めたな、と思う。喜雨と会わずに一人で考えていたら、泥沼の思考から抜け出せなかったかもしれない。そういう意味では彼に感謝すべきか。いつもより軽やかな気持ちで学校へと入っていった。
朝の喧騒の中、教室の前に立つ。何も思わないと言えば嘘になる。変化を起こす時はそういうものだと思う。ただ、これはアタシにとって喜ぶべき変化だ。そのまま踏み出して教室の中へと入る。ざわざわと騒がしいクラスはいつも通り。自分の席へと向かう。途中で声をかけられるが、おはよう、とだけ返して席に着く。普段なら意味のない雑談をするところだが、何もしなかった。クラスメイト達は不思議がっているようだったが、特に何も聞いては来ない。なんて楽で平和なのだろう。
「ちづるちゃん、おはよー」
甘ったるい声とともにお花畑が近づいてきた。
「おはよう」
別に無視をする必要はないので、適当に返しておく。アタシがそれ以上何も喋らないことに違和感を持ったのか、美樹は不思議そうに首を傾げた。
「ちづるちゃん、ふんいき変わったー? もしかして、美容院行ったのー?」
「行ってない」
見た目は全く変わってないだろう。どういう目をしてるんだ。節穴か。
簡潔に答えると、そう? と言って訝しげな顔をしていたが、すぐに切り替わった。
「あ、そうだー。また新しいの買ったのー。どうかなー?」
そう言って美樹はヘアゴムを見せる。今日はクマだ。悲しいかな、可愛いクマさんではなく、剥製のようなリアル熊だ。どこに売ってるんだ、それ。
「独特なセンスでいいんじゃないか」
いい、というワードにだけ都合よく反応したのか、いいよねー、などと言いながらご機嫌で去って行った。その後ろ姿を見て思う。奴はこの先の将来も強く生きて行くのだろう。間違いない。
「知鶴! 宿題見せてくれ!」
続いて懲りない能無しが近寄ってきた。
「ほら」
何も聞かずにノートだけを渡す。
「あ、ありがとな……?」
驚きながら大悟はノートを受け取る。ノートを見せること自体に損はないので、特に拒否する理由は無い。大悟は、今度昼飯おごるから、と何故かお礼をグレードアップして去って行った。その後も他のクラスメイト達に話しかけられたが、何の気も回さずに返していると、美樹にも言われたように、雰囲気いつもと違うね、と言われた。変わったというか、戻ったというか。先生方からは具合でも悪いのか、などと聞かれることもあった。どちらかというと口が悪いだと思う。
放課後になり、掃除当番をこなすため中庭に向かうと、既に箒を持った理子が作業していた。早いな、真面目か。とりあえず自分も竹箒を手に取り落ち葉を掃く。秋の中庭掃除は木が紅葉しているので、他の季節よりも多少はやる気が起きる気がする。そんなことを考えながら掃除をしていると、ゴミ袋を持った理子が話しかけてきた。
「知鶴ちゃん、今日はいつもと違うよね。クールな感じ」
クール、と評されたのは初めてだ。そんな風に見えるのか。
「そう?」
「うん、なんか、かっこいい感じ」
語彙力ないな。小学生のような感想だ。理子のこれは褒められていると取っていいのだろうか。受け取り方を悩みながら、理子の持つ袋に集めた落ち葉を入れて、掃除を終えた。
夕暮れを横目に部室に向かう。演劇部へ行くのは、クラスに行く時よりも緊張する。付き合いが長い分だろうか。部室の戸の前で少し立ち止まっていると、勢いよく戸が開いた。
「うわっチヅル? そんなとこに突っ立って何してるの? 入りなよ」
突如として現れた映理に面食らっていると、腕を引かれた。あれよあれよと部室の奥へ。そこでは打ち合わせが行われていた。今度ある大会で発表する劇について細かいところまで決めているのだろう。
「チヅルが来るの待ってたんだよ! 他の皆には聞いてあるんだけど、昨日言ってた曲と、セリフ、この中でどれがいいと思う?」
そう言って映理は紙のリストを差し出した。色々な案が書かれており、試行錯誤の後が見られる。昨日の会議で挙がっていたもの以外にもいくつか増えている。何人かは自宅で考案して持ってきたらしい。この演劇部は熱意に溢れている。
「これかな」
一番書き込みの多い案を指す。これが一番考え込まれているのだろう。
「そっか! これいいよね! この組み合わせが一番、見てくれる人の心に響くと思うんだよね!」
嬉しそうに映理は語っている。熱血だな。他の人達も、やっぱりこの演出が輝いてるよな、などと言っているようだ。アタシには何が違うのかさっぱりだけど。彼らがいいと言うのなら、いいものになるだろう。今までもそうだった。
「……? チヅル、元気ない? ずっと表情が変わらないし……なんかあったの?」
ふと、映理がこちらを見て近くまで来た。いくらなんでも様子が違うことには気付くか。
「何もない。大丈夫だから、練習しよう」
まだ何か言いたげな映理を演出の人達のところへ押しやる。アタシも役者チームの仕事あるから、と言うと映理は渋々自分の仕事に戻っていった。そのあと、役者チームを集めて練習をしていると、いつもより引き込まれるような演技だ、と口々に言われた。それはきっと、演技を演技として割り切ることができた今だからなのだと思う。現実の自分があるからこそ、演技に入り込めるというものだ。活発で意欲的なアタシはいなくなるけれど、これからの演劇部では、アタシなりの役割を果たしていこう。
そろそろいい時間だし、解散しようか、と映理が言いだした時、誰かが外を見て叫んだ。
「やばい! 傘忘れた!」
昼間の天気のよさはどこへいったのやら、いつの間にか雨が降り出していた。いつも折り畳み傘を持っていて良かった……そうだ、雨が降っているなら。手早く後片付けを済ませて部室を出る。
「また明日」
「え、あ、お疲れ!」
そう返したのが誰だったのか確認もせずに歩き出した。




