結火
誰も歩いていない街道を、南の方に向かって五人が歩いている。話もせずに黙々と歩いている。
早朝、まだ薄暗い東の空は、徐々に朱色に染まってきた。息はまだ白いが、夜が少しずつ短くなり、春が近づいてくることが感じられる。村の境界となっているトネリコの木のところまでくると、
「では、ここで」
波塁がそう言うと、歩みをとめ顔を見合わせた。
村の外れまで波塁を見送りにきたのは、ヤクブ、ハンナ、イレナ、レナータの四人。騒ぎになることを恐れて、今日の出発はこの四人しか知らない。
「では皆さん、昨日話したように自分の役割を全うしてください。皆さんの手をお借りする日が、そう遠くない未来に来ると思いますので、その時またお会いしましょう」
波塁がそう言うと、
「こちらの事はおまかせください」
「お体に気をつけてお過ごしください」
「道中お気をつけて」
「必ずご期待に沿えるよう頑張ります」
ヤクブ、ハンナ、イレナ、レナータの四人はこのように、波塁を見送った。
波塁は、教会でもらった、フードのついた茶色の修道士の服と、同じ色のコートを着ている。右肩にかけている袋には、リンゴが三つに、固く重いパンが二つ入っていた。
波塁は一人になって、街道を歩いていると、道端で一人の女が待っていた。
赤の頭巾、赤のチュニックに、黒のロングスカート、顔はよく見えないが細身の体、高身長。
(ヤツだ、夢ではなかった、やっぱり待っていた)
波塁が近くまで来ると、こちらに近づいてきて、
「波塁様お待ちしておりました」とだけ言った。
「結火さんでしたね、よろしくお願いします。その服装は」
結火は微笑みながら、(目は笑ってないが以前ほどの恐さはないか)
「一般的な市民の衣装を調べてみたのです。いかかでしょうか」
改めてよく見ると、頭巾で顔ははっきりと見えないが、やっぱり美しい。
「だ、大丈夫と思います。では、歩きながら話しましょう」
これから向かう先、目的など話しながら歩いたが、あまり興味がないようであった。ただ、魔法使いのジョヴァンカの話には少し食いついた。
「ジョヴァンカという者、ぜひ紹介してください。知の探求には興味が尽きません」
「別に友達でもありませんし、家も知りませんので、もし会えたらということになりますけどね」
それから、修道士の格好の波塁と、結火が並んで歩いた場合、怪しまれないように兄妹という設定にしておいた。
「ところで、今日は1日中歩くことになりそうなんですけど大丈夫ですか」
「私は、全く疲れないので心配いりません、ついでに食事も、睡眠も必要ありません」
(いやいや、食事も、睡眠もいるでしょ、扱いにくい人だなあ)
波塁が信用していないようだったので、結火は立ち止り、街道から外れて大木の陰に波塁を連れて行った。
そして、波塁に向い
「私の胸を押してみてください」といった。
波塁は動揺した。胸を触っていいのか?、ひょっとして罠、触ったとたん雷に打たれるなんてことになるんじゃ
などと考え、躊躇していたが、結火が早くするよう促してきたので、覚悟をきめて胸を触った。と思ったが、感触がない、もっと押すと腕が体を突き抜けてしまった。
「え、なんだこれ、実体がないのか」
波塁は驚いて、手を引っ込めた。
結火が、波塁に聞いた。
「アストラルボディ。分りますか?」
波塁が分からないと答えると、結火が説明を始めた。
この世界の宗教観では、人間には肉体とスピリット(魂)があり死ぬと行いに応じて、天国または地獄に行く。大まかにはあっているのだが、実際はもっと複雑になっていて、スピリットと肉体の間に複数の膜のようなものが存在している。その肉体に最も近い位置にある膜のようなものが、アストラルボディである。
死というのはイコール肉体の死なので、人間が死んだ場合、肉体以外のアストラルボディからスピリットまでの部分が分離し、地上もしくは幽界で、スピリット以外のものが分解するのを待ってから、スピリットのみ霊界に行く。
どうも、このアストラルボディの状態であれば、十分な密度さえあれば見ることも可能、幽霊はほとんどがアストラルボディを見たものらしい。要は、地上にあらわれるために、アストラルボディを身に纏っているらしい。
「普通は、アストラルボディだけの状態ですと自然に分解して消えていくのですが、竜の能力の上位者は自分でアストラルボディを作成、維持することができるのです」
(最後、自慢ぽかったが、まあいいや、よく分かった。やっぱり天才なのかも)
「しかしその状態ということは、服装も自分で作りだしたという事ですか、物質に干渉できないんじゃかなり不都合があるような気がします。例えば、どうやって歩いているのですか、また物も持てないし」
「アストラルボディというのは、半物質というようなもので、数グラムという重さがあるのです。
ですから、地面を踏む感覚も弱いですがコツがつかめれば歩けます。また、ものを持つことはさすがにできませんが、それはさほど不便にはならないのではないでしょうか」
(いやいや、物を持てないということは荷物をすべて私が持つということ、これは、設定を姫と従者にした方が良いかもしれないな)
それから、旅は順調に進んだが、会話は全くない。
(どうも、興味あることはしゃべるようだが、気まずい雰囲気なども全く感じないようだし、感情が乏しいのかなあ)
(でも思ったより、従順な感じだし、暴れるようなこともないのでよしとするか)
昼ごろになったので、街道を少し離れ、川べりまでやってきた。芝生のようにきれいな緑が広がっており、小さな黄色い花が群生していた。そしてなんと、懐かしいつくしがたくさん生えていた。子供の頃卵とじにして食卓に上がったが、にがみが厭であまり好きではなかった。しかし、母と一緒に土手でつくしを摘んで回るのはすごく楽しかったことを思い出す。
草の上に二人で腰を掛け、波塁はひとりで昼食のリンゴをかじる。
となりの結火は、ありの行列をじっと観察している。
(初めて見たのかもしれないなあ)
蝶が舞い、トンボが枝の先にとまる。結火が興味深そうに見ている。
「虫を見たのは初めてですか」
「初めて見ました、形態が多様で面白いですね、その枝にとまっているのは、飛び方が独特ですが、妖精で似たようなのがいます」
(無邪気だなあ、今度の町に着いたら、図書館にでも連れて行ってやるか)
(やっぱり、初対面の時あんなに気合が入っていて怖い印象だったのは、竜のおじいさんがいたからか、根は素直で真面目なのだろう)
(しかしこれで、600才ぐらいの竜なんだよなあ)
それからまた歩きはじめ、山道に入った。街道は、馬車が通るよう整備されているが、いくつかの町を経由してグルニチェへ向かっているので、徒歩の場合は山道の方が近い。ぎりぎり、二人が並んで歩けるような広さの道ではあるが、全く人には出会わなかった。乗合馬車もそんなに高額ではないので、今の時代徒歩のものは少ないようだ。
この世界の事をほとんど知らない二人には、山道の危険性など考えもしていなかった。
山道を登っていくと、徐々に木々が欝蒼としてきて薄暗くなってきたが、一時間ほど歩いたところで、道は平たんになり少し開けたところに出た。北の方を望むと、遠くに高い山々が見え、山の上の方は白くなっている。その手前にあるのは、先ほど昼食をとった時の川だろうか、川と道、橋がかかっている。橋のまわりには集落が見える。その他、点在する家々。こちらの方に都市はないようだ。
そのとき、犬の鳴き声が聞こえた。鳴き声といっても、「ガウッ」とか、「ギャオ、ガウ」とかいうような、怒っているやばい感じの鳴き声だ。ついでに、女性の悲鳴らしいものも聞こえる。波塁と結火は、声のする方に走って行った。
ゲオルグは、狼に囲まれていた。
女性を後ろにかばって、両手でロングソードを構え狼と対峙している。
「ガウッ」狼が、大きく口を開けよだれを垂らしながら、ゲオルグに飛びかかろうとする。ゲオルグは、剣を振るが、狼はバックステップでかわし当たらない。後ろからは、別の狼が女の方に迫り噛みつこうとする。女が悲鳴を上げた。それに気づいたゲオルグは、女に噛みつこうとしている狼に剣を振り下ろすが、やはりかわされてしまう。
5匹はいるだろうか、自分一人なら追い払えるかもしれないが、女まで守るのは無理か。一瞬、女を捨てて逃げようかと思ったが、すぐに気を取り直し、狼と対峙する。聖騎士の小隊長まで務めた俺だ、元とはいえ、神に身を捧げた俺が見捨てるなどできるはずがない。
しかし、状況は不利だ。
ついに、死角から現れた狼が女のふくらはぎに噛みつき引きずり始めた。それに気を取られ一瞬目を離した隙に、ゲオルグに狼が襲い掛かり押し倒されてしまった。狼はゲオルグの右腕に噛みついたが、金属の小手をつけていたおかげでダメージは少なかった。
ここまでか、とあきらめたその瞬間、閃光と轟音がとどろいた。雷が一匹の狼を黒こげにし、その音に驚いて他の狼たちは逃げて行った。
波塁は、結火が雷を落としたことを理解した。
(あの状況では仕方がなかったか)波塁はそう考えながら倒れている二人に近づいた。
「お二人とも大丈夫ですか」波塁が聞いた。
ゲオルグは、狼に噛まれて歯形がついた小手を見ながら、
「おれは大丈夫だ、そっちを見てくれ」
といいながら立ち上がろうとした。
波塁は、女の方へ行った。気を失っているのか動かない。右足は、噛まれて穴の空いた部分から血が今も流れている。波塁は左手を倒れている女の肩に置くと、神に祈りをささげた。
「神よこの者を御救いください」
すると、けがをしている箇所、右足、左手、下腹部などが発光し、傷はきれいになくなった。これを見ていたゲオルグは驚愕し、
「あんた魔法使いか、こんなの見たこともない。ひょっとしてさっきの雷もあんたが・・・」
波塁は、ゲオルグの方を向いて、
「話はあとで、それよりあなたの怪我の方が先です」
ゲオルグは、戦いになれているのか平気そうであったが、あばらにひびや、指の骨折、あちこちに切り傷などがあった。ゲオルグにも同様に祈りをささげると、傷は完治した。
ゲオルグは感動して、何か叫んでいた。
「私は波塁、灰の森教会に所属しております、そして、こちらは、結火といいます」
波塁は自己紹介をした。
「おれは、ゲオルグという、今は無職だが、以前は、聖騎士のバムス支部小隊長をやっていた」
「そちらの女性の方はどなたです」波塁は聞いた。
「おれも知らない、女の悲鳴が聞こえたので助けたまでの事」
倒れて起き上がらない女の方を見ながら、ゲオルグは答えた。
「それより、さっきの魔法の事を教えてくれ、あんな凄いの見たことない」
ゲオルグが聞いてくるので、波塁は仕方なく説明した。
「まず、雷は結火が使いました。おそらく魔法ではないでしょう。私も初めて見ましたので原理はよくわかりません」
「治療は、魔法ではなく、【奇跡】です」
ゲオルグの理解の範疇を超えているのか、
「まあいいや、よくわからんが魔法の一種て事だろう、アッハハハ」
あまり考えるのが得意ではないようだ。
「それと一点注意しておきますが、結火には近づかないことです。話をするのは構いませんがあまり近づくと黒こげになるかもしれませんよ」
波塁は狼の方を指さしながら、ゲオルグに警告しておいた。
女の方はというと、まだ目を覚ましていない。放っておくわけにもいかないので、今日はここで野営することにした。
波塁は、焚き火を起こす。
ゲオルグは、先ほどの狼を木につるし、解体している。
波塁は焚き火に火をくべながら、結火に語りかける。
「先ほどは助けてくれてありがとうございます。もしあなたがいなかったら、全員死んでいたかもしれません。しかしその上で言いますが、凶暴な狼にも家族があり、腹を空かして待っている子供のために戦って精一杯生きています。出来ればでいいのですが、殺さなくても済めばそれに越したことはありませんので、これからは配慮をお願いします。」
結火はしばらく無言でいたが、
「わかりましたできるだけやってみます」と答えた。
その後、結火が奇跡に興味を持っていろいろ聞いてきたが、波塁自身よくわからないので、今度双天さんにでも聞いてみようという話になった。
波塁と結火が話をしていると、女が目を覚ました。と同時に、動揺して逃げ出そうとした。狼に襲われているところで気失ってしまったので、その後の状況に混乱していたが、丁寧に説明することで一応納得したようであった。
見た目は、20代前半ぐらいか、派手な花柄のワンピース姿で、濃い化粧。飲み屋街にいそうな感じであった。波塁は、焚き火のそばに女を連れてきて、こんな山の中にいた理由を聞いた。
名前をユリアという、さきほどの街道をグルニチェ方面に進むと途中にホズナム村がある。その村でユリアは生まれた。
二年前のことである。よくある話だが借金のかたにグルニチェの宿屋に売られた。まだ15才であった。二年間ほぼ毎日男の相手をした。その間2回妊娠したらしい。この世界の堕胎はひどいもので、おそらくもう子供は作れないだろう。
そんなとき、ホズナム村出身者が客について、村の事を聞いた。この二年間で村も随分変わったようだ、疫病や戦争、そしてユリアの住んでいる地区で火事があったらしい。親に売られてこんな生活をしているが、兄弟のうちだれかが犠牲にならなければ飢え死にするというような切羽詰った状況であったので、親を怨んではいない。しかし、自分が犠牲になった以上、残された家族が幸せでなければ意味がない。そのことが気になって、いてもたってもおられず、村に行こうと思い宿屋から逃げ出したようだ。
焚き火を前にして、ユリアは洗いざらい喋ってしまった。
波塁は、この話を聞くとユリアの両手を握った。ユリアの白く細い指は、冷たかった。ユリアは、ビクッとしたが、波塁の温かい手に気持ちが和らぐのを感じた。
(まだ、17才なのに、なんて過酷な・・・)
波塁は、とめどなく涙があふれて来るのを感じた。
自分の中で、別の声が聞こえる。
(こんなのよくある話じゃないか、いい年して泣いたりしてみっともない)
しかし、涙は止まらなかった。
「今までよく頑張ったね・・・頑張ったね・・・」声にならない声で波塁は語りかけた。
後ろで、ゲオルグが聞いていた。
波塁が涙を袖で拭い、振り返ってゲオルグを見ると、ゲオルグは怒った顔をしており、
「俺は、命をかけて売春婦を守ったのかよ、とっとと見捨てて逃げればよかったぜ。汚らわしい、お前なんか狼に食われて地獄へ行けばよかったんだ」
といって、どっかに言ってしまった。
ユリアは、俯いて泣いている。波塁は、もう一度ユリアの手を取って、
「心配ないよ、さっき奇跡の話をしたね、奇跡は神の祝福によって起こる。神があなたを祝福してくださったということは、あなたがそれに値する人間ということ。世間の眼は冷たいかもしれないが、神はちゃんと見ていてくださることを忘れないように」
そして成り行き上、波塁、結火も、ユリアについて明日ホズナム村へ行くことになった。
ゲオルグは狼の皮をはいでいた、半分こげているので使えるかわからないけれど
波塁は、ゲオルグの方に近づいていって、
「見ず知らずの女性を守って闘っていたので、感心していたけれど、売春婦には冷たいですね」
「売春婦は穢れているので、理由はどうあれ許すことはできない。しかも、子供を二人も殺している」ゲオルグは冷たくそう言った。
波塁は、話題を変えて
「あなたはどちらに向かうのですか」
「できれば士官の口を探して、グルニチェに行こうと思っている。最悪用心棒のようなものでもいいが。何しろ無職なもんでな」
波塁が無職の理由を尋ねると、ゲオルグは経緯を語った。
ゲオルグは、大聖教会連合所属の聖騎士で、バムス市の連合支部の小隊長であったらしい。大聖教会連合とは、東方の強国サンラジャールに対抗するために作った、教会の連合の事である。
本来、国同士の領土争いに教会は関係ないが、サンラジャールは異教のため、領土の侵略がそのまま、教会の衰退につながる。こういったことから、西方にある教会が連合し、独自に軍備を整えて西方国家と共にサンラジャールと戦っている。ゲオルグは、その支部の小隊長であったが、バムス市の教会連合のトップである司教の不正を暴こうとして返り討ちあって追放処分となったらしい。
司教の不正というのは、主に寄付金の私的流用である。そして、ゲオルグの追放理由は、商人との取引で便宜を図って、見返りにリベートをもらっていたことを追究されたらしい。ゲオルグいわく安い給料じゃ生活できないので、みんなやっているらしいが。自分が不正しているのに告発するとは。あきれたもんだ。
波塁がゲオルグに聞いた。
「教会は主に寄付で運用されています。あなたが貰ったリベートは間接的には寄付の不正流用と同じなので、額の大小はあっても司教と同じですね。これは寄付した信徒に対する裏切り行為ではないでしょうか。ユリアは自分の意思に反して、男の相手をしており、おそらく本人はお金をもらってないと思いますよ。どちらが神に対して裏切り行為を働いているのか、よく考えてみてください」
波塁がそう言うと、ゲオルグは作業の手を一瞬止めたが、また、皮をはぎ始めた。
日も暮れてきて、焚き火も勢いよく燃えている。
火の前には、波塁とゲオルグがいる。ゲオルグは狼の肉を火にかけて焼き始めた。少し離れた所にユリアが俯いて座っている。波塁は、ユリアを焚き火のそばまで無理やり連れてきて焚き火に当たらせた。
寒さで体が震えている。
結火は、離れた木の下に座っている。ユリアが、結火の方を見ながら、「あの方は」といったが、波塁は、彼女は寒さを感じないし、食事もしないからあれでいい。今日はいろいろあったので、彼女の事はまた今度にしよう。できれば、いないものとして考えてほしいといった。
波塁と、ユリアは黙って火を眺めている。ゲオルグは、肉を焼くのに集中している。静かな山には、焚き火の木がはじける音と、肉が焼ける音だけが響いていた。
「よし焼けたぞ」そう言うと、ゲオルグは焼けた肉を波塁に差し出した。
波塁は、私は肉を食べないので、このリンゴを食べますと言って、傍らの袋からリンゴを取り出した。
ゲオルグは立ち上がり、ユリアに肉を差出し、「食いな」といった。ユリアは驚いて顔をあげ、躊躇していたが、ゲオルグと目が合うと「ありごとうございます」と言って受け取った。
ゲオルグは座りなおすと、引き続き肉を焼きはじめた。