ギレサール版
波塁が、兵士たちを癒した効果は抜群だった。合計で300人程に治癒の祈りを捧げ、そのうちの大半に効果をもたらした。さすがに、無くなった足が生えてくるという事はなかったが、傷口が塞がったり、骨折が治るという効果は得られたため、波塁と灰の森教会への関心が高まってきた。灰の森教会には、お礼に訪れる兵士たちが日に日に多くなり、クレメントもだんだん忙しくなってきた。
各教会が使う聖書は1000ページ弱あり、預言者の声をまとめたものであるが、原文は全7巻でその10倍ほどの分量がある。およそ、700年ほど前に主要教会が集まって、ギレサールという場所で会議を開き、布教をやりやすくするため1冊に纏める事とした。それから、10年ほどの年月をかけて作成された聖書が、現在の聖書ギレサール版である。
灰の森教会は、預言者の語った言葉をより深く理解するため、全7巻の原文も読んで研究している。預言者の語った言葉は、詩で語られている部分が多く解釈が難しい。
クレメントがスラムからある男を連れてきた。自称吟遊詩人らしい、地方を回り神話などを聞かせて回るらしいが、大道芸人に近い。その男に、聖書原文の詩を曲に乗せて語らせるという事を思いついた。いつも話ばかりじゃ聞く方も飽きるのでいろいろ考えているらしい。試しにやってみたら反応も悪くなかったようで、定番にする予定だ。また、スラムから来た子供たちにも歌わせることを考えているらしい。クレメントに言わせればスラムは才能の宝庫だそうだ。
兵士が帰還してから三日後、領主から招待状が届いた。兵士を治療したお礼をしたいとのことだ。
翌日、波塁、クレメント、レナータ、それから、礼儀作法などが良くわからないため、ヤチェックにも同行してもらって領主の城に向かった。
領主の城は岩山の上にある。城の立っている岩山の下まで馬車で向かい、岩山の下で馬車を降りる。ここからは一般の馬車は通行できないので、兵士に通行の許可を得たら徒歩で階段を上る。階段を登り切ると城壁があり、正面に見張り台、城壁の奥に高い塔が見える。振り返って町の方を眺めると街の様子がよく見える。しかし、街を一望するというほどの高さではない。
城壁の前で衛兵に招待状を見せて中に入ると、衛兵詰所の傍の部屋で待たされた。
しばらくすると、身なりの良い若い男が現われて、領主のもとに案内するとのことで後ろについて歩く。
ここは城といっても、元々岩山の上に築かれたただの砦だけがここにあった。その砦の周りに町ができ、そのまわりを城壁で囲んで今の形となっている。砦であった当時の形を維持しているので、装飾などの無い無骨な建物になっている。通路も窓が無いところが多く暗い。
領主との会見の場所に通されたが、普通の部屋でヤチェックの部屋の方がよっぽど高級そうに思えた。
衛兵が扉を開け、領主が入ってくる。40才ほどの普通の男だ。顔は面長で、口ひげをはやしているが、さほど威厳は感じない。領主は一人掛けのソファーに座り衛兵が二人背後に立つ。我々四人は、向かいのソファーに並んで座った。
領主からは、兵士を治療したことの礼を言われ、教会への寄付もしてもらえる事となった。しかし、ほとんどの国主、領主は、アストリウス正教会の信徒となっているため、大きな援助は見込めない。
「領主様にお願いがあります。スラム一帯の土地を無償貸与していただきたいのです」
クレメントが相談もなく突然そう言ったので、波塁、レナータは驚いた。
スラムは現在、領主の土地を不法占拠している状態だ。領主もスラムの事は悩みの種だった。衛生状態が悪く疫病の原因になっているし、何より見た目が悪い。グルニチェにやってくるものはいやでも目にすることになる。撤去したいが、1000人以上いると思われる人たちはどこへ行けばよいのか、なかなか頭の痛い問題だ。
「無償貸与しても良いが、現状何も変わらないのではないか、何か良い策でも」
「スラムを撤去して、新しい町を建設したいのです。」
グルニチェの町は、昔作られた城壁の中にある。城壁は、昔近隣の領主たちが戦っていた時代の過去の遺物で、今の敵、サンラジャールとの前線は、はるか東の地にある。城壁の中に余った土地は無く、この先グルニチェが発展していくためには、城壁の外に町を作ることは理にかなっている。
「なかなか大変な事業と思うが、もし出来るならば、国としても協力を惜しまないつもりだ。しかし、あそこの住民は無法者ばかりで簡単に言う事を聞くとも思えないが」
「そのことならばお任せください、それ以外の道路の整備や、住居の建設など国として協力してもらえばありがたいのですが」
「うん、面白い、この後、国務大臣を紹介するので進めてくれ」、
波塁とレナータは、クレメントの行動力に感心していた。退出した後国務大臣と協議し、道路と上下水道の整備及び、一部住居の建設を行ってくれることになった。
その後、昼食をご馳走になって教会へ戻った。
教会へ戻ると、イレナがやってきて来客があることを伝えてきた。
波塁、クレメント、レナータが応対に出ると、セレル教会の司教が待っていた。
グルニチェの町には、灰の森教会の他に、アストリウス正教会、セレル教会の二つがある。灰の森教会はこの地方だけのローカルな教会だが、他の二つは世界中に信者を持つ大教会だ。アストリウス正教会は約12000、セレル教会でも約2000の教会がある。ともに、大聖教会連合に所属している。
セレル教会の司教は、高齢で痩せているが、にこにこして人柄が良さそうな第一印象であった。教会連合所属聖騎士を何人か治療したので、そのお礼を言ってから、
「なんでも、奇跡で治療したとか、素晴らしいですね。教会も戦争に参加しているという現状から私の立場では言いにくいのですが、教会も少しずつ本来の姿に近づくことができればと思います。私に出来ることがあれば協力させていただきます。」
司教は協力的であった。自分の信条を正直に語っているように思える。グルニチェのような小さな町の司教なので、本部がどのように考えているか分からないが。
セレル教会は、一部の領主なども信者だが、商人の信者が多い。聖書の解釈は時代に合わせて見直されており、セレル教会の教義は商人にとって受け入れ易いものになっている。
聖書の中では、蓄財は認めていない。それどころか何人かの預言者は、恵まれなき者にすべての財産を与えるように言っている。これを、セレル教会では、例えば、10枚の金貨を得た場合、1枚の金貨を教会に寄付することで、教会は恵まれないものを救う。残った9枚の金貨を使う事でさらに多くの金貨を得ることができれば、さらに多くの寄付をすることができる。という考え方で、蓄財がより多くの人を救うことに繋がるのであれば、正しい行為とされている。これは、教会にとっても商人にとっても都合が良い。
それからまた二日後に、アストリウス正教会から招待状が届いた。教会連合所属聖騎士への治療の感謝の意をこめて、食事に招待したいとのことであった。但し、こちらの都合は考慮しないで明日の昼来いという一方的な手紙であった。
レナータは、波塁様が助けたのに、呼びつけるような失礼な手紙に対し、行くべきでないと反対したが、波塁と、クレメントはせっかくの機会だからと気に留めず、明日三人で出かけることにした。
アストリウス正教会は、大通りの中央にある。よく通る道なので、波塁は何度も目にした事があり、グルニチェの町の規模からして大きな教会ではないが、白地にところどころ金の装飾が施された礼拝堂は豪華な印象を受ける。
三人は昼前に到着して、司教と面会した。
司教はまだ若い男だ、20代と思われる。教会連合所属聖騎士を助けてくれたことに礼を言ってきた。後は世間話しただけで10分ほどで終わった。三人は食事を辞退してそのまま帰った。
アストリウス正教会は、12000もの教会数を持つ最大の教会だ。ほとんどの国主、領主が信者となっているので国教としている国もある。為政者に受けたのは、国を治める事、国民を保護し、国を繁栄させる事が神の御心に叶うという、君主のあり方を説いたからである。特に、君主が子供に国を譲る際に、国を治める考え方の指針として利用された。
負傷者を治療したことが町中に知れ渡って、波塁への依頼が増えてきた。レナータが受付を行い、スケジュールを管理している。また、ヤクブの息子ヘンリクが帰ってきたそうなので、一度タルシェフ村へ戻ることとした。
結火の魔法でタルシェフ村の礼拝堂の地下へ転送した。階段を上がって、礼拝堂の祭壇の横から出てくると、見知らぬ教主が祈りを捧げているところであった。お互い面識がなかったので、とまどったが、それがヘンリクであった。
ヘンリクは、波塁だとわかると、
「お願いです。懺悔を聞いてください」
いきなり言ってきた、しかし、懺悔を受けた経験がないので、
「申し訳ありません、懺悔を受けた経験がないので、話を聞くだけでよろしいのでしたら、お聞きします」
礼拝堂の横にある小部屋に二人きりで入った。部屋は机一つと、椅子2脚で丁度の大きさだった。波塁は話しやすいように、向かい合わせの椅子を隣同士にして二人は腰かけた。ヘンリクは心を落ち着かせてから、戦争で人を殺してしまった時の話を語った。
すべて聞き終わった後波塁は、
「あなたは、すでにこの事を神にお話しされたと思いますが、神から何かのお答えをいただきましたか」
「いえ、何も。あれから一週間毎日祈っているのですが・・・これはお許しになってないということでしょうか」
「それでは一緒に、祈ってみましょう」
「え、今すぐ、ここでですか」
「神は、どこででもお聞きになられます」
波塁とヘンリクは、目を閉じ、祈りを捧げた。
「神よ、ヘンリクの進む道をお示しください」
目を閉じたヘンリクのまぶたの裏が、白い光で満たされ、そして荘厳な響きの声が聞こえた。
《償え、人を救う事で償え》
《お前に、癒しの力を与える、癒しの力で人を救え》
白い光が消えたので、ヘンリクは眼を開けた。波塁も目を開け、
「私にも聞こえました、どうやら、人助けを行う事で許していただけるようですね」
「どうすればいいのでしょうか」
「私についてきてもらえますか、何ができるのか確かめてみましょう」
波塁は、ヘンリクをグルニチェ灰の森教会に連れて行く事にした。
翌日からヘンリクは、波塁の治療について回った。その結果分かったのは、ヘンリクにも治癒させるような能力があるのだが、波塁と根本的に違うのは、波塁のように神に祈って神の力で治癒させるのではなく。本人の力で治療するということ。しかし、自分の力なので疲労もするし、効果が絶大というほどでもない。腰痛や頭痛の痛みを取ったりということはできるが、目が見えるようになったり、骨折が治ったりはしない。ジョヴァンカに聞いてみたら魔法に近いのではないかと言っていたが、呪文を唱えたりしないので少し違うようだ。なお、ジョヴァンカの研究対象になったのは言うまでもない。
教会に治療を求めてやってくる人のうち軽いものは、ヘンリクでも対応できるのはすごく助かった。それから、ヘンリクの能力には、波塁に無い凄い能力があることが分かった。それは偶然のことだったが、イレナが頭痛になった時、ヘンリクが直してやったことがあった。すると、イレナもヘンリクと同等の能力が使えるようになったのだった。今のところ使えるのは、イレナだけだが、灰の森教会で熱心に信仰すれば、治癒の能力を手に入れることができる。ということの証明になる。




