はじまり
某県の山中に、恵慧寺という寺がある。
密教の山岳信仰にて厳しい修行で有名だ。今日も様々な事情を抱えて僧侶となった者たちが山々をめぐる。
季節は初春、町では梅が咲いているころであるが山の春はまだ遠い、雪はないもののザクザクと霜柱を踏みながら尾根から尾根へと駆け巡る。
波塁はここに来て7年余りとなる。彼もここに来る前は、大学を卒業して普通のサラリーマン生活を送っていた。
学生時代に知り合った彼女と、社会人3年目に結婚し、女の子も一人生まれた。子供のころからあまり生きる気力がない方で、人生楽しいと思ったことはあまりなかったが、結婚し、子供が生まれ、家族のために、家族の笑顔を見るために頑張ることが生きがいとなり、やっと人生は楽しいと思えるようになっていた。
ところが不幸は突然やってきた。ある事件により、家族を一度に失う事となったのである。家族だけが生きがいの男は、生きる目的を失いすべてを捨てて、出家の道に逃げたのであった。
この男が特別なのではない。この山を駆けるものは、皆同じような過去を背負って、また忘れるためにこの寺に来て、新しい名前を貰い生まれ変わるのだ。
そして6年間の集大成として、この寺で最も厳しいといわれる。年通回峰という行を行っていた。
年通回峰とは、1年間1日も休まず、約20kmの山道を毎日踏破するのである。比叡山の千日回峰行に比べればたいしたことがないように思われるが、千日回峰行は毎日ではない、毎日というのは、たとえ怪我していようが、雪が積もろうが続けなければならないので非常に困難な業であり、約500年の歴史あるこの寺でも達成したものは10人にも満たない。
そして、2月27日は、最後の一日365日目。波塁は特に大きな感慨もなく淡々と準備をし、今朝も出発したのであった。
真言を唱えながら、山々をめぐるうちに自我はいつのまにか消えていき、瞑想状態になっていく。坐禅が静の瞑想であれば、こちらは動の瞑想である。長い年月を経て踏み固められた道は、小石が取り除かれ歩きやすくなっており、皆飛ぶように走り抜けていく。
この40kmの工程の途中に5つの祠があり、それぞれ五大明王(不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)が祭られている。そして、行程の中間地点の恵慧山山頂には、不動明王がまつられており、信仰の中心で、聖地の中の聖地である。
その、不動明王の祠で真言を唱えている時、心の中に声が響いた。
それは、荘厳な響きで、
《タスケヨ、タスケヨ・・・》
《自分を鍛える修行は今日で終わりだ、これからは人を助けよ》
《お前には【奇跡】の力を授ける。ただし、【奇跡】は自分のためには使えない、自分のために使えばその力は失われるということを心得よ》
「あなたはどなたですか」波塁は驚いて目を開き問いかけた。
(まさか、不動明王様)
《わたしは不動明王ではない、これからまったく新しい世界へ行くことになるが勇気を持って前に進め》
スピリチュアリズムを皆さんに知っていただきたいと思いこの小説を書きました。
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聖霊の声
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