講堂にて
哲学的な話になります。
自分がよく用いる考察法を寓話化しました。
弁証法とは違い、ベン図を用いた「包含法」と名付けています。
昔々、まだ学問が産声を上げて間もない頃、地中海を望む半島のある都市の学校で、沢山の人たちが熱心に勉学に励んでいました。当時、学問と言えば第一に哲学でありました。哲学とは、人間が長い間、世界をどのように見たら良いかと言うことを追求して編み出された、一定の足場となるものでした。皆それを勉強し、それを踏まえて、修辞学、文学、自然科学、数学、音楽など沢山の学問を習得していったのでした。
その都市の人々は、小さい者から、老人に至るまで、皆、自由に学問に触れ、時と場所を選ばず、学び合い、思い思いに真理の追究を楽しみました。
そして、その都市には学校がありました。都市の真ん中にありました。それは、いつでも沢山の人が出入りをし、誰にでも開放され、通りすがりの人でも、専門を極めた先生たちがあちらこちらで講義をしているのを、自由に聞いて回れました。
石造りで出来た学校は、小さな講堂も幾つかありましたが、皆のお気に入りは、中庭に面した大回廊でした。優に300人は入れるぐらいの広さで、横に吹き抜けになっており、所どころの壁には知恵の女神や神話に出てくる英雄などのレリーフがはめ込まれていました。いくつかの柱に支えられた部分天井もありましたが、回廊の真ん中は特別に空を見られるように縦にも吹き抜けになっておりました。
そんな学校で、ある日、いつものように沢山の人たちが、活発に学び合い、議論に華を咲かせていました。そして、その大回廊では、ある小さなグループが、さかんに議論し合っていました。そのグループは、哲学者、自然科学者、文学者、数学者、音楽家、宗教家でした。そしてその日の議題は、世界とは何かというテーマでした。
まず哲学者が口を開きました。
「私に言わせれば、世界というのはだね、理性が認識するもので、それを言語化すれば、世界という物が解るのだよ。」
宗教家が口を開きました。
「嫌、世界は神が創られ、人間の理性などちっぽけな物に過ぎない。まるで大海の一部分をバケツに汲んだような物だ。その理性とやらに収まりきれなかった部分は存在しないとでも言うつもりなのかね。それでは世界なぞ少しも姿をあらわしませんぞ。」
哲学者が語気を強めて言いました。
「ナンセンス。理性で認識できない物を何でもかんでも真実と見なしたら、ありとあらゆるでっち上げも真実になってしまいますぞ。そもそも、そんなことを言い出したら、私は今からでも空を飛べることになってしまいます。」
自然科学者が口を開きました。
「えー。私に言わせれば、確かに不可知な物はありますとも、それらはことごとく法則によって規定されているのです。さすれば、今は理性で認知できない部分も、何でもありというわけでなく、厳然とした数学の原理にしたがうように確固たる決まりの枠があるというわけです。」
音楽家が言いました。
「世界は音楽で出来ているのです。偉大なる旋律、人の感情を高揚させたかと思えば沈黙させるようなダイナミズム。このインスピレーションと恍惚感そのものが世界なのです。すべては音楽を奏でます。否、全ては音楽そのものなのです。」
文学者が口を開きました。
「私も少し音楽家の方に賛成します。人は感情があり、自然科学者が言うように無機的な数学で全てが出来ているはずがありません。理性も大切ですが、それでも割り切れない感情という不可思議なものが存在しているのです。」
そして、しばらく、彼らは、世界と何かと言うことを議論し合いました。
「しかるに我が輩は…。」
「いやいや、某は、云々。」
「私はこのように…。」
「ナンセンス…。」
「神というものは…。」
大人達が議論に華を咲かせている頃、すぐ側で、数人の子供達が地面に寝そべりながら遊んでいました。
彼らは皆で、一枚のジグソーパズルを完成させようとしていました。
少し難しかったようで、皆で合わせては崩し合わせては崩しをしながら、どうやら幾つかの断片が出来たようでした。
それでも先は長いので、一人の子が口開きました。
「解っちゃった。この絵はきっと果物屋さんの絵だよ。だってこの部分は地面のようだけど、リンゴが沢山あるもの。」
二人目の子が口を開きました。
「ちょっと待って、こっちの部分にはリンゴの木があるよ。なんか店の中と言うよりは外だよ。それに日陰のような色で、森の中のようにも見える。リンゴはその木から落ちたんだよ。」
最初の子が口を開きました。
「絶対果物屋さん。果物屋さんの側にリンゴの木があったっていいだろう。」
三人目の子が口を開きました。
「靴屋さんよ。ここに綺麗な靴が描いてあるわ。きっと靴が沢山あって、それを売っているのだわ。」
最初の子が口を開きました。
「じゃあ、リンゴはどう説明するんだよ。地面に落ちているぜ。靴屋にリンゴなんて落ちているもんか。」
三人目の子が言いました。
「知らないわよ、そんなこと。靴屋さんだってリンゴくらい食べるのではなくて?。それに、果物が地面にこんなに乱暴に落ちている果物屋さんなんて私知らないわ。」
二人目が言いました。
「この木はどう考えればいいんだろう。どうも建物の中ではないようだよ。こんな森の奥でリンゴと靴。何がテーマなんだろう。」
四人目が口を開きました。
「言いにくいんだけど、鳥がいるんだ。小鳥が結構飛んでいるようだ。建物の中だったら鳥屋さんで、外だったらやっぱり君の言うとおり森の奥なのかなぁ。」
五人目が口を開きました。
「どうも僕の所は、空の上のようだ。雲が描かれている。澄み切った青い空で、とても森の奥には見えないよ。」
二人目の子が言いました。
「それでも、また別の部分では水の中のようなものが描かれていて、魚が泳いでいるよ。空の上に水があり魚が泳ぐのかな。」
結論は中々出ないようでした。
「果物屋。間違いなし。」
「森の奥のような気がするよ。」
「靴屋だわ。」
「もしかして、鳥屋かも。」
「空の上かな。」
そこへ、少し年上の子供がやってきました。そして、そのジグソーパズル眺めて、年下の子供達が言い合うのを聞きながら、口を開いてこう言いました。
「僕はこのジグソーパズルを知っている。小さいときに遊んだなぁ。皆の意見を聞かせてもらったよ。皆正しいけれど、皆足りないよ。だから上手く解らないんだよ。いいかい、この絵は、林の中で、木々が生い茂り、所々青い空が見え、雲が浮かび、小鳥が飛び交うんだ。側には池があり魚が泳いでいる。木にはリンゴが実り、幾つかが地面に落ちているんだ。それを、綺麗な靴を履いた女性が手に取っているんだよ。」
子供達は口をそろえて、
「成るほど。」
と言いました。
子供達は解決して良かったと、再びジグソーパズルに取り掛かり、残りのピースを塡め始めました。
しかし、それを尻目に、その年上の子は独り言のようにぽつりと言いました。
「でもね。僕も本当はこのジグソーパズルの本当の姿は見たことがないんだ。所々虫に食われたのかいくつも穴が出来ていてね。これを埋めるのは本当に難しいと思うよ。想像するしかないのだから。本当の姿を知っているのは、先ず、このジグソーパズルを創った人で、次に本当の姿に迫れるのは、自分より知識と経験がある年長者くらいかな。」
隠された賢者の言葉
「存在は存在が故に存在する。その存在と存在の間を埋めるものが欠ければ、それは正しく機能しない。逆に正しく機能しないのであれば、その存在と存在の間に何かが欠けている。」
最後まで読んでくれましたら幸いです。
少し難解な文章に成りました。
また哲学の命題「存在しないものは存在しない」もヒントにしました。