ノラさん、順風満帆な奴隷です。
「ピーーーーーッ!!本日の作業はここまで!」
笛の音とともに、それまで几帳面に一列に並んで作業をしていた人たちは、ペタッと地面に座り込んだ。
その数は、このフロアだけでざっと数えても200人を超える。ここは、国内最大の食品加工工場である。
「足の裏が痛すぎー」
「おなかすいたねー」
「今日金曜日だから、ゼリーが出る日じゃない!?」
「いいないいなー、A班は。うちなんて、3人罰則ひっかかって懲罰房行きだったから三日間パンひとつ減らされるよー、最悪」
作業終了とともに部屋からフロア長のサルコバが姿を消すと、すぐにおしゃべりがあちこちで始まる。
ここにいる多くは、10代の女の子だ。顔やしぐさにまだまだあどけなさが残る。
おしゃべりに夢中の女の子たちを横目に、ノラは黙々と着替えの準備を始める。
この食品加工工場に来て3年、つくづくここの奴隷管理者たちは人を操るのがうまいと思う。
今までの奉公先からすると考えられないほど、脱走も暴動も起きていない。飴と鞭の使い分けは、奴隷を飼う上での必須の能力と言える。
まあ、ノラにとってはどうでもいい話だ。
彼女は脱走や暴動に走る奴隷たちほど、我慢がきかない性格ではない。そもそも脱走を試みた人が、うまく逃げおおせたという話も、その後幸せに暮らしているという話も一度も聞いたことがない。
そんな無駄なことをして、ご褒美のゼリーを永遠に失うわけにはいかない。ノラはこの世で一番みかんゼリーが好きなのだ。
自分にみかんゼリーをくれる人物が、世間から見て善人だろうが極悪人だろうが関係ない。
どうやったらみかんゼリーをくれるのかを教えてくれるだけでいい。
時刻は夜の9時過ぎ。
朝の6時から働き、昼に15分の食事休憩をとる以外は、一度も座ることはできない。終了の笛と同時に座り込みたくなるのも無理はない。
ノラだって、ふくらはぎはパンパンだし、16歳とは思えないほど腰痛にも苦しめられている。このままだと30歳になる頃には腰は曲がってしまうだろう。
だが、なんとなく、他の子達のように弱音を吐いたり、陰で文句を言う気にはなれない。
ノラは長い長い作業が終わっても、「まだ全然余裕ありますけど?」という態度をとってしまうのだ。
奴隷にだってプライドはある。
ただノラには、それが誰に向かってのものなのか、わからなかった。
ノラは、作業靴から擦り切れた革靴に履き替えながら(この革靴は、昨年年間作業ポイントベスト10に選ばれた者だけが履ける貴重な代物だ)、床に寝転がりたい衝動と戦いつつ、食堂とは名ばかりの三階の広間に向かった。
廊下を歩いていると、後ろから声が聞こえた。
「ノラー、待って待って」
振り向くと、同じA班のリンが、小走りに追い付いてきた。
「一緒にいこー」
「いいわよ、今日は早いわね」
「うん、今日金曜日だし、明日一時間長く寝られると思うと、それだけで足が軽くなっちゃう」
「金曜日って素敵よね」
「ほんと、毎日金曜日がいいなぁ」
リンは可愛らしい顔でにっこり笑いながら、ふと、ノラの足元を見た。
「革靴、だいぶ擦り切れてきたね。一か月後の年間ポイント集計、きっとノラがまた上位だろうな。いいなぁ、ノラ、今年の賞品は何か聞いてる?」
ノラは首を振った。
「私が聞いた情報だと、今年は服らしいよ。それも、ワンピースなんじゃないかってうわさよ。奴隷でワンピースが着れるなんて、この国でこの工場くらいよね。いいなぁ、欲しいな・・・」
「リンだって、今年は罰も受けていないし、可能性あるんじゃない?」
「私はだめだと思う・・・。先月納品するコンテナを間違って、4時間分のおろした魚、別の人のポイントになっちゃったし」
リンは思い出したのか、顔から笑みが消えた。今でもまだ思い残しているのだろう。
ノラがどう慰めようか思案していると、食堂に着いた。
二人は話しを切り上げ、人でごった返している中を何とか進み、席を確保した。
椅子のあしが一つ取れているが、座れないこともない。周りを見回すと、ちらほら床で食べ始めている人を見かける。席を探すのもおっくうなのだろう。
もともと、奴隷1000人以上に対して、席は100もないのだ。
ノラは、絶対に床でご飯は食べたくないので、今日も無事座れてほっとする。
リンが先に取ってきていいというので、ノラはトレイを持って食堂の端にあるレールに並ぶ。
レールの先には銀色の箱がいくつも並んでいる。手前にあるカード入れに自分のカードを入れると、今日自分に与えられる食事が目の前の箱に入れられ、自分で開けて取るスタイルだ。
食事は、ランクが1から10まで分かれている。
奴隷全員が持つDカードは、この世界では非常に重要なものだ。毎日の作業量や、それに伴うポイント、ロッカーやシャワー室を使う際にはもちろん、政府が奴隷を管理する際にもこのカードが必要となる。
ノラはこのカードを紛失する悪夢を何度も見たことがある。そのたびに布団から飛び起き、あわてて首から下げているカード入れからカードを取り出しては、心底安堵するのだ。
Dカードを無くした奴隷は、さらに下の階層、いや、奴隷が一番下の階層だから、正しくは階層の外の枠に弾き飛ばされることになる。
アウトサイドと呼ばれる人種である。
彼らがどういう暮らしをしているかは実際にはわからないが、ノラが聞いた噂によれば、人とは思えない扱いを受けるようだ。
みかんゼリーなんて、おそらく一生食べられないだろう。
目の前の箱にランプが点灯し、ノラは考えるのをやめた。
箱を開けると、みかんゼリーの乗った、ランク1の食事を取り出す。
ノラにとって至福の時間だ。
この食事を手に入れるために、班長という大変な仕事を引き受けてまで、A班から懲罰房行きが出ないように日々心を配っている。
班長に対するポイント加算はゼロだ。だが、みかんゼリーのためならば辛くはない。
幸い、A班にはノラの手に負えないほどの問題児はいない。非常に幸運だったといえる。
食事を取り出すと、ノラはカードを丁寧にカード入れにしまい、軽い足取りでリンのもとへ戻った。