8、意外とちょろい
もはや言うまでもないことだと思うが、オレは戦国時代が好きだ。『天下麻のごとく乱れ、諸将皆天下を窺っている』、つまり、誰にでもチャンスがあり、また誰にでもすぐ傍に死があった時代が戦国時代だからだ。
油売りから一国の領主になったものもいれば、外国人でありながら苗字を貰って屋敷をもらった奴もいる。もっとも有名な三英傑の一人である秀吉なんて、もとは農民の出だ。彼らは生まれもっての剛運と才覚と智謀をもってそこまで成り上がった。
それがオレにはたまらなく輝いて思える。卑怯さも粗暴さも価値あるものとして評価される野蛮さと忠誠心と義理に命掛ける誠実さが、両立するそのカオスをオレは愛している。
だから、学生の身分で知れることはできるかぎりを知ろうと思った。特にオレが興味があったのはそれぞれの武将の逸話や、戦の趨勢とその際にどのような戦術が用いられたのかということ。結局一次資料には手をつけることはできなかったが、孫子や六韜、その他兵法書にも手を出して、かなりの時間をこの趣味に費やしてきた。
そう、趣味だ。あくまでその範囲でしかない、研究職を目指してみようとも思ったこともあったが、自分が向いてないのはすぐに分かった。
理由は分かっている。戦国時代が好きになったのも、研究職に向いていないと思ったのも、原因は同じだ。オレは結局、もといた世界に興味が持てなかったのだ。いや、持とうとしなかったというべきだろうか。今となってはどっちなのかは分からないが、少なくともオレは自分の居場所を見つけられないままだった。
だから、オレはこの世界に来た事を心のどこかで喜んでいる。家康に戦陣に加えてくれるように言ったのも、思い返せば自分のためだったのかもしれない。
そうだったとしても後悔はない。家康が最高の勝ち馬ではないとしても、オレが最高の勝ち馬にすればいい。せっかくこんな世界に来たんだ、元の世界では得られなかったものを手に入れてみせる。
こうして朝焼けの道を進む騎馬武者の群を見ていると、その思いはますます強くなってくる。ここは確かに異世界だが、やはり、オレの知る戦国時代でもあるのだ。
ならば、やれる。この戦いはオレにとっても初陣だが、かならず手柄を立ててみせる。そうでなければ、ささっとくたばったほうがいい。何の成果も上げられないなら元の世界で燻ってるのと同じだ。
「ほ、本当によろしいのですね……? 私の陣中なんかより御所様に感状を渡したほうが……」
「いえ、ここが良いのです。一宿一飯の恩、しっかり返させていただきたいので」
馬で行軍する家康は出発してから一時間に一度は、オレにこうして確認してくる。むしろ、許可を与えるべきなのは家康のほうでオレではないのだが、そこらへんの話はあとで教え込むとしよう。
オレの提案に最終的に家康は頷いてくれた。もちろん、最初は断ってきたが、そこは口八丁手八丁で嘘をつかずに説得させてもらった。
説得の内容は、オレは『遠い異国の地で、さまざな軍法や戦術を学び、見聞を深めていた軍師見習い』である、と伝えただけだ。嘘はない、家康は遠い異国を南蛮と解釈したらしいが、西洋化した日本は半ば南蛮みたいなもんだ、嘘の範囲には入らない。
重要なのは、オレは神仏の御使いではないが、役に立つ人材であると印象付けることだ。しかも、槍働きではなく、知恵働きで貢献する人間であると分かってもらうことが大事だった。
「で、では、軍師殿、とそうお呼びしますね……」
「そうしていただけるとよろしいかと。あくまでオレはあなたの配下、家臣として扱ってください」
家康の言葉通り、オレが目指すべきなのは、彼女の軍師だ。この世界で生き残り、なおかつ、手柄を立てられる役割はこれしかない。
軍師というのは作戦を立てる参謀でもあり、指揮権を預かり政治をも行うことのある主君の補佐役のことだ。有名どころでは、中国の三国志の諸葛亮孔明や釣りの逸話の太公望、日本では秀吉の軍師だった竹中半兵衛、黒田官兵衛などが上げられる。
奇しくも、人質時代の家康に不足している人材もその軍師だ。彼女の配下の三河武士団は武勇に優れ、全員が家康のために命を掛ける忠義もの揃いだが、そのほとんどが見事なまでの脳筋だ。舘で会った数正のようなものもいるが、彼はどちらかという官僚に近い。
なまじ強い分、三河武士の戦はがむしゃらに正面から当たるような戦い方が多い。それで大抵の輩には勝てるのだから凄まじいが、その分損害も大きい。兵士の弱さを補うために、鉄砲や普通の槍の三倍長い三間半槍をもちいた信長とは対称的と言えるだろう。
その損害を減らして、効率的に勝てるようにオレが導く。欠けている役目にオレが滑り込むのだ。
「……殿、まずはご先祖の眠る大樹寺に参りましょう。初陣前の戦勝祈願でござる」
「わかっています、忠次。岡崎の皆もそこで待っているでしょう」
馬を巧みに操って、酒井忠次は家康の横につける。彼が進んでいるのは、家康の左隣、つまり、オレの向かい側だが、彼の射すような視線は確かに感じられた。なにか余計な事をしたり、吹き込んだりしないように見張っているのだ。
まあ、それも当然だろう。オレは昨夜、忠次にオレが敵だと思ったら切れといったのだ。むしろ、警戒しないほうが拍子抜けというものだ。
これからのオレは戦での方策を考えることはもちろんのだが、どうやって忠次を含めた松平勢の信頼を勝ち取るか、ということも考えなければならない。戦で死ぬならまだしも味方に刺されて死ぬなんてごめんだし、なにより信頼を得なければ献策をしても従ってくれない可能性もでてくる。嫌われるのは軍師の仕事の内ともいうが、まずはそこに土台となる関係性がなければどうにもならないのだ。
「そちらもそれでよろしいな?」
「初陣を前に家臣の方々を労うのはまことによろしいかと」
「……左様ですか」
忠次からの一応の確認に、胡散臭くならないようにを気をつけながらそう答える。とりあえず家康からの信任があるうちはいきなり切られることはないだろうが、早めにこの警戒心は解いておくべきだろう。
幸いにも、肝心の家康はオレのことを信用している。生来のお人よしゆえのものだが、ないよりはいい。ここを足がかりとして家臣団からも信頼を得ていくのがいいだろう。
しかし、どうしたもんか。人質やなにか贈り物を贈るといった即物的な手段は今のオレには不可能、かといって”御使い”として振舞うのもメリットとデメリットを比較したときにデメリットのほうが大きい。
こう家康に矢が飛んできて、オレが身代わりになって射られるとかそういう状況になれば簡単なのだが、そういう都合のいいことは起ってはくれないしだろうし、軍師としてはそんなことになる時点で失格だ。
「あのー……軍師殿?」
「一芝居……いや、そんな準備はできないし……やはりここは……」
「ぐ、軍師殿!」
「あ、はい、なんでしょうか」
考え込みながら歩いていると、家康に呼びかけられる。一度考え始めると長々考えるのはオレの悪い癖だ。
「その、初陣に際して……気に掛けておくべきことなどありましょうか…・・・」
家康はなぜか恥かしがりながら、オレにそう尋ねてくる。まあ、基本とも言うべきことではあるし、気恥ずかしいのというのもあるのだろう。
しかし、初陣で気をつけるべきことか。本音の本音で言えば、オレが知りたいことだが、知識からならば答えられる。
「……まずは、御大将であることを自覚なされることでしょうか。あなたがもし討ち死にすれば、それで戦は負け。くれぐれも軽挙妄動は慎まれ、家臣の言葉によく耳を傾けることでしょう。特に、三河の方々は武勇の誉れ高い方ばかり、諫言は心に刻まれるべきかと」
「な、なるほど。私も切り死には嫌ですし、そうします……」
「ふ、ふむ、よく分かっておいでですな」
オレが基本を弁えつつ、よいしょを交えると忠次は明らかに機嫌がよくなる。いや、その意図がなかったわけではないのだが、意外と分かりやすいな……。
「ですが、一方で、臆病さと慎重さは違うという事も弁えねばなりません。総大将の命なくば、いかに勇猛果敢な三河武士の方々でも存分にお力を振るえないでしょう。なに、ご心配は要りますまい。竹千代様には忠義厚き忠次殿のような方がおられますゆえ。そうでございましょう、忠次殿? 三河武士の勇猛さは私のおった遠き地にも轟いておりますれば」
「ま、まあ、そうですな! 我らこそは日本一、武士の誉れと誉めそやすものは少なくはありませんからな!!」
上機嫌そうな忠次を見て胸を撫で下ろしたくなるのを堪える。忘れていたが、彼らは頑固で忠誠心厚く脳筋。つまり、良くも悪くも単純明快で分かりやすい。もしかしたら、信頼はともかくとして好感を得るのは難しくはないのかもしれない。
「……そうですね、軍師殿のおっしゃるとおりに」
嬉しそうな忠次とは違い、家康は家臣の信頼を得ようとするオレの意図に気付いたらしい。オレのほうをちらりと見たときの感じからしてそれは間違いない。
やはり、聡明だ。オレの事実を利用したよいしょを彼女は必要なことと割り切っている。
実際、三河武士団は強い、放っておいても大抵の敵には勝つだろう。だが、それではオレの才能を示せない。オレのすべきことは彼らという強力な駒をどう動かして勝つか、その思案だ。
ただ勝つのではなく、損害を減らして勝つ。オレにはそれができる。あとは、その事を証明するだけだ。