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異世界譚三河物語~女家康と狸の軍師の天下盗り~  作者: big bear
第二章、転換点、あるいは桶狭間という奇跡
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46、支えるもの

 今川勢の城からの退去はスムーズに行われた。


 懸念していた兵士達の反攻がなかったのは意外といえば意外だったが、よくよく様子を見れば納得できることではあった。


士気が高くやる気満々だったのは城の首脳陣だけで、城兵達の士気は低かったのだ。彼らとしては死地になりかねない三河に残るよりは今すぐにでも駿河に帰りたかったのだろう。

 

 これなら実際に戦をしても楽勝だった。いくら景隆がやる気マンマンでも戦をするのは兵士だ。彼らが逃亡を始めれば戦にすらならなかったかもしれない。


 ついでにいうと、上手く示威行為をしていれば、わざわざ命をかけて城に赴く必要もなかったという可能性も考えられる。

 

 説得が成功した時はいい気になっていたが、実際こうして冷静になってみるとほかにいくらでも選択肢はあったわけだ。


 今いるのは大樹寺の境内の入り口だ。準備はさせておいたものの、千人単位の移動は簡単なものじゃなく、誰かが勝手なことがしないように目を光らせておく必要があった。


「……軍師殿、準備万端整いましたぞ」


「あ、ああ、ありがとうございます、忠吉殿」


 考え事をしていると、忠吉に後ろから話しかけられる。予想よりも少し早い。城には入れるのは夜明けになるかと思っていたが、この調子ならば日が昇る前には城に入ることができそうだ。


「軍師殿にお礼をもうしあげねばなりませんな」


「え?」

 

 感慨深くそういわれて思わず戸惑う。


 この時代に来てから褒め殺しまがいの目に会うことは何度かあったが、正面から礼を言われるのは家康を含めて忠吉が二人目だった。

 

「ワシは生きて岡崎に帰るのは諦めておったのです。せめて、殿やほかのもののために財を残そうとしてきましたが……いやはや、長生きはするものですなぁ……」


「そうですか……」


 忠吉の今の年齢は定かではないが、そう思う気持ちは確かに理解できる。


 今川の傘下にある限りは岡崎城が帰ってくるという保証はどこにもない。例え、岡崎を返すという確約が得られたとしても、なんらかの条件が付けられることは目に見えている。


 だが、オレにお礼を言われる筋合いはない。オレが介入しなくても家康はきっと同じ結論に達していたはずだ。


「……軍師殿、これからも殿のお側におってはくれませぬか?」


「それはもちろんそうするつもりですが……」


「いえ、軍師として(はかりごと)(まつりごと)だけではなく竹千代様を人として支えていただきたいのです」


「……人として」


 忠吉の真剣さにおもわず気圧される。心の内を見抜かれたような気さえするのは、オレに自覚があったからだろう。

 

 この世界に来てからのオレは基本的に家康の軍師として振舞っている。


 忠誠心を発揮するのも、策を練るのもあくまで軍師として。その領分を越えるつもりはなかったし、それ以外の事を気に掛ける余裕がなかったのも事実だ。


 もちろん、気にはしていた。歴史的価値や彼女の将来性を差し引いても、恩人であることには変りはないのだ。そんな人物が苦しんでいるのになにも思わないほど、オレは薄情ではない。


「殿は昔からよく泣く姫でござった……しかし、どんなに泣いていても手習いの手を休めることはしませなんだ……御先代が身罷られたときでさえ、泣きながら我ら家臣に心砕いてくれましたのじゃ……」


「……分かるような気がします。きっとどんなときでも跡取りとしての役目をお忘れにならないのでしょう」

 

 どんなときでも頭の中に君主としての思考が存在する。状況にも感情にも左右されず、すべき事を考えられるというのはある種の才能だ。武将として考えるならそれこそ理想的といってもいい。


 だが、人間として考えたときそれは一概には幸せなこととは言えないのかもしれない。


 家康は冷淡な人間ではない、オレの見る限り彼女は少しの気の弱いだけの普通の女の子だ。


 そんな人格を持ちながら、将としては類稀な才能を持つ。なにかに才能があることと、それに本人が向いているかは別とはよく言うが、家康の場合はまさしくそれだ。幼い頃から彼女を見てきた忠吉は誰よりもその事を理解しているのだろう。


「今思えばあの頃から殿は既に殿だったのでしょう。唯一自信のなさが気に掛かっておりましたが、軍師殿がそれを補ってくださいましたからな。ワシも安心して死ねますわい」


「いえ、私はただ手助けをしただけですから」


 三河武士らしく豪快に縁起でもない事を言う忠吉になぜか安心する。

 

 おかげでどうして忠吉が話しかけてきたのかも分かった。ようは彼はオレの事を気遣ってくれたのだ。


 軍師としては情けない話だが、どうやら悩んでいるもの迷っているのも彼に見透かされていたのだろう。それをわかったうえで家康の事を託すついでに、オレのことをフォローしてくれたのだ。


「……三河一国を治めるとなれば、殿が下さねばならぬ下命げちはより厳しいものになりましょう。時には鬼となり、時には仏にならねばなりますまい。一国を治めるというのは並大抵のことではありませから」


「そうですね……特にこの三河は今川に織田、腹背に敵を抱えておりますから……」


 忠吉の憂慮は正しい状況認識に基づいたものだ。


 東の今川とは岡崎城を乗っ取れば手切れになる。松平の家臣団にとって西の織田は不倶戴天の敵。東西に敵を抱える以上は、決して予断は許されない。


 一つ道を間違えれば松平家は滅ぶ。家康の一挙手一投足には自分の命だけではなく数万人の命が掛かっている。


 そんな状況がもたらすストレスは針の筵どころではない。家康のような優しい人格を持つ人間には生き地獄といってもいいだろう。

 

「だからこそ、軍師殿には殿を支える柱となっていただきたいのです。松平家ではなく殿というお人を支える大黒柱に」


「……全力を尽くします」


 無責任な安請け合いはできなかった。


 忠吉は松平家のためではなく家康個人のためといった。


 その真意は、家への忠義心というよりは家康への親心だ。家臣としての立場でそれを口にするというのはともすれば不遜と言える。そんなことは覚悟の上で、忠吉はオレに家康の事を頼んでいる。


 だからこそ、無責任な答えは返したくない。


 軍師としてこれからも献策することは問題なくできる。だが、それが家康個人の幸福とかち合わないとは断言できない。


 軍師に必要なのは策のためならどんなことでもするという冷酷さ。個人を思いやる優しさとは相容れないものだ。


 ここまで考えてもやはり割り切れていない。どうしても心のどこかで家康の感情を切り捨てられないでいる。正直言えば、彼女の泣き顔は見たくないし、彼女が悲しんだり苦しんだりすると思うと迷いが生じるのも事実だ。

 

 軍師として不完全にもほどがある。こうも中途半端ではいずれしくじるだろう。


「……そろそろ出立ですな」


 報せが走ってくるのを見て忠吉は去っていく。


 いよいよ岡崎城への入城だ。まだこの時代に来てからは一ヶ月も経っていないが、ようやくという感じがするのはそれだけ濃密な時間だったからだろうか。

 

 忠吉がオレの答えに失望したのか、それとも満足したのかは表情から読み取ることができなかった。


 しかし、彼がどう思ったにせよ、いい加減潮時だ。軍師として忠誠を誓った。では、オレ個人は家康のためになにをするのか。それをオレは決めねばならない。

 


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