43、口上
「――このような時によくぞ参られた」
「いえ、このような時だからこそ参ったのです」
謁見の間にやってきたのは、完全武装の山田景隆だった。白タスキまで締めて完全にやる気満々、ここを死に場所と決めているのは見るからに明らかだ。
周りを固める彼の家臣たちもそれは同じく。今川への恩義か、忠誠心か、あるいはほかの理由か。自らの主と同じように城を枕に討ち死にするつもりだ。
死の覚悟。この時代に来るまではそれがどれだけ強固なものかは想像することしかできなかったが、今ならばよく理解できる。
並大抵のことではない。言葉で口にする以上に重たく、なおかつ、変えられないものだ。それはオレにもよくわかっている。
だが、諦める気は一切ない。
「して、松平家の方が火急の用とはいかなることかな? よもや、今更援軍に参ったとはもうすまいな?」
「ええ、その援軍としてまかり越しましてございます」
相手の目を見据えて、しっかりと一言一言告げていく。いつものとおり嘘をつくことはしない。人の心を動かすのはいつでも真実だ。ましてや、これだけの覚悟を持った人間には嘘をついても通用しないだろう。
状況は変わっても、やり方を変える必要はない。史実との乖離のうちどの要素が彼の考えを変えたのかは分からないが、まず松平家のためにどうするべきかは分かっている。
「松平殿はどうにか桶狭間より落ち延びられたのか? それとも――」
「我らは御所様お討ち死にの報せを大高城で受け、この岡崎城まで落ち延びてまいったのです。軍勢は今は菩提寺である大樹寺にて待機しております」
景隆の疑いに先回りして、こちらの事情を断片的に伝える。彼らの立場からしたらやってきた援軍をそのまま信用することはできない。
今川方にとっても現状は誰が味方か敵か、分からないという状況だ。そんな状況である以上はとりあえず疑っておくのは定石というよりは常識といってもいい。軒を貸して母屋を取られる、なんていうのは戦国時代においては日常茶飯事なのだから。
ゆえに、まずは彼の警戒心を解かねばならない。少なくとも松平は敵ではないと納得させる必要がある。
「……つまり、大高城を早々に捨ててここまで逃げてきたというわけか。武勇で知られた松平家とは思えぬ行いよな」
「我等が大高城に残ったとて、今川のお家のためにならぬと判断したのです。勝手も分からず、敵地となった尾張にのこったとて精々三日と持ちますまい」
「それを臆病風に吹かれたというのだ! 真に今川家のためを思うのならば己が身を呈して御味方の盾となるべきではなかったのか!」
「ええ、臆病者と罵られても結構です。ですが、これを不忠と言われるのは見当違いと申し上げておきます」
「何を申すか! お味方の窮地を見過ごすなど不忠でなければなんであるというのだ!」
オレの言い分に対して帰ってきたのは当然といえば当然の反論。景隆の言葉に応えるように控えている家臣たちも殺気立つ。
オレたちの事をまだ敵とは認識していないようだが、裏切り者とは考えているようだ。気持ちはわからなくはない、事実だけをとって考えてもオレたちは逃亡兵だ。
彼の考え方からすれば自らの身を捧げてこその忠節なのだろう。間違ってはいない。弁慶の仁王立ちのように主君のために命を捨てた忠節の逸話は枚挙に暇がない。
オレとてそういう逸話は嫌いではない、むしろ好きだといってもいい。だが、こうして軍師という立場になってみるとその死の意味と価値について考えざるをえなくなる。
殉死や命を懸けた忠義は確かに美しい。けれど、先を見てはいない。オレがこの頑固者に説くのはその事実だ。
「確かに仰るとおり、我らは尾張よりここまで逃げてきました。しかしながら、それは目先の小事よりこれからの大事を考えたがゆえの行いです」
「大事だと!? この後に及んで何を申すと思えば……… 御所様が討ち取られ、我が軍が敗走すること以上の大事などあると申すのか!」
「お家の存続!! これこそが最大の大事ではないのですか!」
あえて声を張り上げて、景隆に言葉を返す。この時代にもっとも優先されるのは個人の命や自由意志ではなく、それぞれが所属する"家"もしくは一族の存続だ。
自身がどんな目にあおうとも家を残す。この時代においては個人の命はかなり軽いものだ。それを把握しておかなければ軍師など務まらない。
「大高城で我らが籠城したとて逃がせるお味方の数は知れております! そうして、大高城を手に入れた織田は必ずやこの三河に、いや、駿河にまで侵攻してくるでしょう!」
「だからこそ、大高城を守り通せば敵の威勢を削ぐことがーー」
「大高城に籠るは犬死にです。士気の下がった味方に、寝返った国人衆、二、三日時間を稼げたとしても織田の威勢を削ぐことはできませぬ」
もはや大高城には戦略的価値はない。
織田勢が狙うのは逃げる今川勢の背後だ。そのためならば、大高城を黙殺する可能性もある。鷲津と丸根砦に兵を入れておくだけで出陣を封じることもできる。
ようは、今の大高城には攻める価値はないということだ。あの織田信長にその程度のことが勘定できないとは思えない。
一方で、この岡崎は――、
「詭弁を申すな! それはこの岡崎城とて同じであろう! 今更援軍など片腹痛いわ!」
「これはおかしなことを申されますな。山田殿ともあろうお方がこの岡崎の重要性を見落としておられるとは」
「…………なんだと?」
笑い出したくなるのを我慢する、ここまではオレの思う通りの反応を景隆は返してくれる。操りやすくて助かるというものだ。
「この岡崎は古来より三河の要衝でござる。この地を制するものこそが三河を制すると言っても過言ではないでしょう」
「それはそうじゃが……」
「だからこそ、この岡崎城を守ることは三河を守ることに繋がりまする。そして、三河を守ることは遠江と駿河を守ることに繋がるのです」
「ふむ…………」
オレがそこまで言うと、景隆の顔色が変わる。オレの言い分に理があると思い始めている証拠だ。
「御所様が討たれた今、三河の国人衆は織田と今川どちらに着くべきかを思案しているころ。そんな折にこの岡崎が落城すればどうなるか。それがわからぬ山田殿ではありませんでしょう」
仮に岡崎城が織田の手に落ちれば三河領内の国人衆は一気に織田に着く。彼らとて織田への恨みはあるだろうが、結局は長いものに巻かれないとやっていけない。そこらへんの損得計算はかなり早いはずだ。
三河を織田が掌握すれば当然遠江と駿河も危うくなる。もちろん、そんなことは何が何でも阻止せねばならない。この点においては、松平と今川は協調できる。
「……そなたの言いたいことはよくわかった。安易に臆病者と申したことはとり消そう」
「いえ、御所様の仇を討つことのできませんなんだご無念は、我らとて同じですので」
やはり、山田景隆はオレの思う通り、真面目で忠義に厚い男だった。だからこそ、オレの言葉にもただ感情で反論するのではなく、道理があるとみればこうして矛先も収める。
これで策の準備は整った。本番はここからだが、すでに手は打ってある。あとはオレの技量と器に天の運が味方するか。こればかりはその時になってみないと分からない。




