4、あるいは限りなく近くて限りなく遠い
「そこな、奇妙な風体のお方! どうかご観覧あれ! 世にも珍しい”金剛の肌”の術でございますぞ!」
「……オレのことか?」
考えながら歩いていると、突然大道芸人と思しき男に呼び止められる。
奇妙な風体、確かに学ランはこの時代の人間からすれば奇妙にみえるだろう。なにせ詰襟なんてものを見るの初めてだろうし。
「どうぞこちらへ! そのご衣裳は南蛮渡来のものとお見受けするが如何に!?」
「あ、ああ、そんなところだよ」
「おお、これはこれは! 見事な黒染めに、綻びのない仕立て、並のお方ではないとお見受けしました! ささ、こなたへこなたへ!」
未来の服ですとは言えず曖昧に頷いた途端、そのまま人垣の中へと引き込まれる。あれだ、これは言わばキャッチセールスだ。取り合った時点でオレの負けだったのだ。
連れ込まれた先には、多くの人がたむろしていた。服装の混ざり具合からして、見物人の身分はさまざま。農民から侍、出店をやってるはずの店番までもがここで行われている見世物に魅入っていた。
よほどの見世物だろうか。この時代なら、せいぜいが猿楽や能の類のはず。正直興味は持てないのだが。
「また坊主かよ……」
押し出されて、最前列まで辿り着くと、ようやくなにをやってるのかが見える。人だかりの中心にいたのは、またもハゲ坊主と鎧武者。地面に座り込んで座禅を組んだ坊主に対して、侍は槍を突きつけている。
能にしてはおかしい。というか、オレの目には見世物というよりは、侍が坊主を手打ちにしようとしてるようにしか見えない。いくら戦国時代の見世物でも趣味が悪い。
「さあさ、ご注目! これよりお見せするのは”巫術”が奥義の一つ、金剛の肌の術でございます!」
気分が悪いので立ち去ろうと思ったが、”巫術”と聞いて立ち止まる。また”巫術”か、オレの脚の一件といい、年代のズレ以上にこの戦国時代でおかしいのがこれだ。
正直、完全に理解の外の代物だが、実物を目にすればもう少しなにか分かるかもしれない。
「これに突き入るのは、武辺もの大高権三郎! なんとこの者の一突きは南蛮渡来の鎧を一息に貫くほどでございます!」
紹介を受けた鎧武者が槍を掲げると、ギャラリーから声援が上がる。どうやら駿府の人々には見慣れたものらしく、止めに入ったり、目を逸らそうとするものは一人もいなかった。
「では! 権三郎殿、突き入れなされ!」
「応!!」
威勢の良い掛け声とともに槍が振るわれる。土ぼこりを上げる踏み込みと見事な腰捌き、手首の返しにいたるまで素人目でも分かるほどの見事さ。この権三郎という男は見掛け倒しではないようだ。
対して、座禅を組む僧侶はあまりにも心もとない。普通に考えれば、次の瞬間には坊主の頭には大きな穴が開くことになる。
「――おおおおおおおお!!」
だが、次に響いたのは金属と金属がぶつかるような奇妙な甲高い音、そしてそれをかき消すような大きな歓声。吹き飛んだのは僧侶の生首ではなく、鋭利な槍の穂先のほうだった。
磨き上げられた金属は宙を舞い、太陽の光を反射しながら、オレの目の前に落ちてくる。折れている、しかも折れたのは木で作られた柄のほうではなく、金属の穂先のほうだった。
僧侶のほうには一切傷がない。槍が直撃したのであろう額はすこし赤らんでこそいるが、それだけだ。
「さあさあ! ご感心なされた方はどうか御仏の業に寸志のほどを!」
喧しい見物客の間を先ほどの男が茶碗を手に歩き回る。それに見物料を放る客は結構多い。暮らし向きの良さそうでない農民たちまでもわずかな銭を差し出していた。
当然オレは、無言で人混みに紛れて退散させてもらう。あいにくと、オレは信仰心も銭も持ち合わせていない。
しかし、なるほど、仏の御業ね。これは見世物でもあり、托鉢でもあるわけだ。金銭を差し出さなければ、不信心に当たるかもしれない。だから、彼らは身銭を切って差し出しているのだろう。
相変わらずこの”巫術”の原理も正体も分からないが、この時代、いや、この世界における立位置は分かった。
宗教的権威の象徴でもあり、寺社だけが持つ武器、それがこの興行から見て取れるものだ。
こんな便利なものが普及していれば、もっと文明レベルが様変わりしているはず。だが、わかるかぎり生活や文明は戦国時代、十六世紀の日本のものだ。つまり、この”巫術”とやらはこの僧侶たちが独占している考えるのが自然だろう。
そして、こんな便利なものを一揆を起こすことに定評のある戦国時代の寺社勢力が利用しないはずがない。金も兵力も持っている連中が、オマケに魔法めいたものを持ってるとか、まさしく何とかに刃物だ。
「……異世界、それも戦国時代に良く似た」
これらの情報からオレの導き出した結論がこれだ。これならば、今まで見つけたズレにも説明がつく。少々無茶な結論ではあるが、現状思いつく中では一番納得できるものでもある。
「……まさか、ドラゴンなんて出てこないよな?」
いまだに人に溢れた往来を眺めながら、そう呟く。まさかとは思うが、もしもということもありうる。
異世界、異世界か……そう思うと、今まで輝いて見えていた景色がどうにもくすんで見える。外の何かが変ったわけじゃない、ただオレの心持ちが少し変っただけだ。
戦国時代ならばまだやりようがあったが、異世界ならオレの知識は役に立たない。ドラゴンやら魔王やらでてきたら知識があろうがなかろうが、どうしようもない。
この世界にどうしてきたかも分からないし、戻れるかも分からない。今までは意識しないようにしてたが、オレはなかなかに酷い状況にいるらしい。
「――殿! 佐渡殿!」
「えっ――がっ!?」
立ち尽くしていると、誰かの呼び声が背後から聞こえてくる。そちらに振り返ろうとした途端、オレの脇腹に衝撃が走った。何かの突撃、体重は軽いが腰の入ったタックル、オレの体勢を崩すには一瞬で充分だった。
「ここにおられたのですね!! よかったぁ!!」
「な、なに、なんだ?」
「殿! ここは往来ですぞ!!」
組み敷かれて目を回していると、飛びついてきた誰かはオレの脇腹に頭をこすり付ける。なんというか暖かくて柔らかいのに、どこか芯がある。しかも、なんか学ランが湿ってきている。いや、待て、この感触はやばい。脚に当たっているであろう柔らかな二つのせいで理性が溶けていくのを感じる。
というか、この声には聞き覚えがあるぞ。こいつはたぶん、竹千代だ。オレはあの竹千代にタックルされて押し倒されたらしい。自分で言ってても意味が分からんが、多分そういうことだ。
「なんとはしたない! ほら、離れなされ!」
「……どうも」
オレが困惑していると、追いついてきた酒井忠次が竹千代を引き剥がしてくれる。タックルが上手かったおかげで怪我はしてない。どっちにしろ押し倒された理由はわからないが。
「よかった……よかった、まだいらっしゃった……」
「まったく! 人が霞みのように消えるなどありえぬ申しましたのに!! ほら、泣きべそ引っ込めなされ!」
「あー、オレを探してたわけですか」
「はい……もしや、私たちをお見限りになり、立ち去ってしまわれたのかと……」
涙を両手で拭いながら、竹千代は説明してくれる。目を晴らした有様は、まるで子供だ。
どうやらこの竹千代、舘の傍にオレがいないのを見てパニックを起こしたらしい。涙まで浮かべてるし、情緒不安定にもほどがあるだろう。
「……とにかくここらは往来でござる。明日の準備もありますゆえ、すぐに屋敷に戻りますぞ」
「わ、わかりました。佐渡殿、参りましょう」
忠次のもっともな提案に頷くと、竹千代はこちらのほうに手を差し出してくる。
確かに女性の手だ、戦国武将と聞いて思いつくような力強さや無骨さはそこにはない。こちらを一心に見つめる瞳には、不安と恐怖が綯い交ぜになっていた。
なんとも頼りない。これが後の徳川家康といわれても誰も信じはしないだろう。
「……ええ、お世話になります」
だが、その情けなさにはなんとも離れがたい魅力がある。美人だとか、胸がでかいとか、そんな即物的なものではない。もっと心の奥底に呼びかけるような、こいつはほうっておけないと思わせるような、そんな蟲惑的な何かをこの竹千代は持ち合わせている。
だからだろうか、先ほどまで感じていた不安はいつのまにか嘘のように消えていた。どうせ行くあてなどないのだ、この暖かさに身を任せるのも悪い選択ではないはずだ……多分。