28、人材集めは大事
「すべて南蛮渡来の品です。私が軍略を学んだ国では礼服としても用いられる高級品でした」
「なるほど。確かに繕いも染色も見事なものです。これほどの品には京でも目にしたことがない」
オレのでまかせのようででまかせでない言葉に四郎次郎は感心したように頷く。学生服は礼服としても用いられるし、学生であったオレにしてみればかなりの高級品であることには違いはないからな。
それにこの学生服は地続きとは言えないものの五百年後の衣服だ。詰襟やボタンなんてものは戦国時代においては物珍しいものであるのは今までの経験からも明らかだ。
「手にとってもよろしいでしょうか?」
「どうぞ、ご自由に」
おそるおそる四郎次郎はオレの制服をいじくりまわし始める。自分の制服がおっさんに触られまくっているというのはどうにもいい気分ではないが、どうやら楽しそうだし、これで交渉がしやすくなるならそれでいい。
さすがにこれだけのものに30貫というのは無理があるが、交渉材料はある。事前に家康とも話がついているし、うまくいくはずだ。
「羽織も脚絆も見事なものです。多少使い古した感もありますが、数寄者ならばかなりの値をつけましょうぞ」
「それは良い事を聞きました。では、四郎次郎殿ならばどの程度の値をつけられますでしょうか?」
「ふむ……10貫、いや、相手によっては20貫で売れましょうな。これらを元に新たな着物を拵えられると思えばその程度の額は出しましょう」
「ほう、20貫ですか……」
かの四郎次郎が付けた値段は20貫、つまり、300万円だ。隣の家康が眼を丸くしたのが分かったが、今はスルーする。交渉ごとで大事なのは、こちらの弱みを見せないことだ。
だがまあ、家康が驚くのも無理はない。オレだって内心では驚いてるしな。表情には決して出さないけど。
元の値段を考えればこれでも大もうけもいいところだが、まだ半分だ。問題はここから、四郎次郎にはこの学ランが30貫の価値があると思ってもらわなければならない。
「私の見立ててではこれらの品は合わせて50貫の価値があると思っていたのですが……」
「ご、50貫、それはあまりにも……」
「いやいや、そう驚かれることはありますまい。世間には100貫の価値がある茶器もあるそうですし、50貫の着物があったとしてもおかしくはないかと」
我ながら吹っかけたもんだと思うが、しかし、これが交渉の第一歩だ。『ドアインザフェイス』という交渉のテクニック、最初は断られる前提で大きな条件を吹っかけてから条件を下げていく。相手にこちらが譲歩していると思わせるのがこのテクニックの妙だ。
「……つまり、私どもにこの着物を50貫で買い取れと?」
「いえ、流石にそこまでは申しません。そうですな……特別に……40貫でどうでしょうか?」
「40貫ですか……」
まず最初の譲歩。40貫でも十分に吹っかけているが、ここで重要なのはこちらから値を下げたという事実だ。
もっとも、まだ交渉はここからだ。相手はあの茶屋四郎次郎、何もかもが思惑通りにいくなんていう甘い見通しは立てられない。
「さすがに手前どもにはそれほどの額は……」
「おや、氏真さまからは四郎次郎殿ならばかならず良い返事を下さるとお聞きしていたのですが……」
オレの言葉に家康が頷く。彼女はこの脅迫めいたやり方には難色を示していたが、いざとなればオレに合わせてくれる。忠次やほかの察しの悪い武将ではこうはいかない。
「しかし、お断りになられるとなればしかたがありません。竹千代様、ほかに参りましょうか?」
「……ええ、そうですね」
「お、お待ちを!」
立ち去ろうとすると四郎次郎が呼び止めてくる。や
はり、今の彼には今川の名前は鬼門らしい。
商人にとってはコネクションこそが最も重要なものだ。金そのものよりも、金を得るための人間的な繋がりが価値があるくらいには。
その重要なコネクションを今の茶屋四郎次郎は失ったばかりだ。今川家の御用商人として信用と信頼を得るために必死なのは想像に容易い。
オレが付け込むのはそこだ。上手くその弱みを突けば金を出されるのは難しくはない。
「さ、30貫でどうでしょうか? それならばどうにか……」
「……30貫ですか。どうでしょうか、佐渡」
「聞く価値はあるかと」
家康の言葉にオレが頷く。完全にマッチポンプだが、この際良心の呵責は無視する。重要なのは松平家のために金を工面することだ。それにこの取引は決して不当なものではない、四郎次郎にも得はあるんだからな。
「……35貫ならばお譲りしても良いでしょう」
「30貫以上はどなたが仰せになろうとも出せませぬ……どうか、ご理解を……」
こっちとしても30貫で十分なのだが、すぐさま食いつくとこちらの意図を透かされかねないから、できるかぎり粘っておく必要がある。
それにこの茶屋四郎次郎は家康の今後にも関わる人物、ただ無理強いをして心象を悪くするだけでは軍師として失格だ。
「では、30貫でお譲りする代わりに、一つお尋ねしたいことがあるのですが……」
「……承りましょう」
正直なところ立場にものを言わせた恫喝のようなものだが、やれる時にやってしまったほうがいい。こっちには足りないものだらけ、先の事を考えれば
「松平家では御用商人を務めてくださる方を探しておりまして……しかしながら、当家に出入りしてくださる奇特な方はなかなかおりませんでな……」
「は、はぁ……」
よく事情を分かっていない四郎次郎にそう捲くし立てる。今も金は必要だが、これからはもっと金が必要になる。オレは軍師であって経済の専門家ではない。餅は餅屋だ、彼にはこれからは松平家のために働いてもらうとしよう。
「四郎次郎殿は御所様の上洛についてはご存知か?」
「え、ええ、まあ、私どもも御用を仰せ付けられておりますから……」
「実はその上洛がなったあかつきには松平家には旧領の復帰が約束されているのですよ。もちろん内密の話ですが……」
「な、なんと、それはおめでとうございます……」
家康が神妙に頷いてくれるおかげでオレの話には真実味が生まれる。実際今川家からの約束こそないが、義元が桶狭間で死ねば松平家は旧領を取り戻せるのだから嘘でもない。
この時代の人間には義元の敗北を予見するのは不可能といってもいい。新興で、しかも家中を纏めたばかりの織田と駿遠三の三カ国を治める今川では力の差が歴然だ。まさか義元が討ち取られるなど想像もできないだろう。オレだって未来の知識という反則がなければ今川の勝利に全財産賭けるしな。
「そうなれば我が殿も一国一城の主。御用聞きの商人の一人もおらぬのでは松平の家が恥を掻くことになります」
「は、はぁ……もしやとは、おもいますが、その大任を手前どもに任せたいと仰るので?」
「ええ、そうです。四郎次郎殿は京にも店を構えておられた立派な商人とうかがっておりますし、氏真様からのご紹介もありますので、是非お受けしていただけないかと」
ともかくそうなれば三河一国を松平家は統治しなければならない。政治、軍事、農業、商業、やるべきことはいくらでもある。政治と軍事はオレがやるにしても、残り二つは無理。ゆえにそれらを任せられる人材も金と同じくらいに優先して確保しておかなければならない。
その点で言えば、この茶屋四郎次郎は後々絶対に必要になる人物だ。今からでもコネは作っておきたい。
「この取引をその手付け代わりにしたいのです。ようは、この30貫で三河の商いをお譲りするという事ですな」
「……わかりました。そういうことならばこれらの物品、是非30貫にて買い取らせていただきます」
数秒悩んだあと四郎次郎は神妙な顔で頷いた。取引成立、思わずガッツポーズをしたくなるが今は我慢だ。
「ですが、当方としてもこれは大きな商売。よろしければ覚書をいただきとうございます」
「ええ、よろしいでしょう。構いませぬか、竹千代様?」
「……わかりました」
当然の要求に家康が頷く。事前に言い聞かせておいたとおりに彼女には動いてもらっている。覚書の内容が今川家に伝われば問題が起きるが、そのころにはそんなことには構っていられなくなっているだろうから問題はない。
この取引ではこちらは何の損もしていない。御用商人の立場を保証するというのは四郎次郎には大きな賭けのようにも見えるだろうが、こっちには未来の知識がある以上、実際は八百長試合のようなものだ。
これで金も人材も確保できた、あとは桶狭間を乗り切るだけだ。




