27、物売るって
一口に物を売るといっても誰に売るかというのは非常に重要だ。相手に見る目がなければ名人の芸術品も素人の趣味も大した同じ様な値段で取引されかねないし、あこぎな商売人が相手だと安く買い叩かれて高く売られるなんてことも良くある。
取引するならば、信用の置ける相手とだけ。この基本則は現代でも戦国時代でも同じだ。
つまり今相手として選ぶべきは、金も名声もある程
度持っている相手、ということになる。いくら今が戦国時代とはいえ、商人の間で最も重要なのは信頼だ。木っ端商人はまだしも屋敷を構えるような大商人ならばこちらを騙すような真似は露骨にはしないだろう。
ということで、とりあえずオレの持ち物を売るということで方針を決定した後は、コネのある氏真に商人への紹介を頼んだ。今川家の御用商人ならばある程度信用できる。今川家に金の調達をしたことがもれるのは痛いが、どうせ桶狭間になれば状況は引っ繰り返るのだ。兵数さえ確保すれば問題はない。
もちろん、油断はできない。交渉はしっかりとやらなければ足元を見られることになる。当然、交渉役はオレだ。自分のものを売るという事もあるし、なによりオレ以上に適任そうなのがいなかったというのも大きい。
着物は着慣れないし、緊張もしているがどうにかするのがオレの役目だ。軍師として御家のために一仕事するとしよう。
「……さて、行きますか、竹千代様」
「は、はい、交渉はお任せしますね」
オレの背後で家康はオレの着物の裾を不安げに握っている。
忠次と数正も同行したがったが、それは断った。数正はまだしも忠次のほうは交渉役としては一切向いていないし、勝手についてこないように数正に見張ってもらう必要もあった。
目の前にあるのは氏真に紹介された御用商人の屋
敷。駿府舘からもそう遠くない一等地に店を構えているということからして、かなり儲かっているのは見てとれる。
というか、建物の大きさも敷地の広さも松平家の屋敷の数倍だ、駿府館よりは小さいがかなりでかい。あるいは、松平の屋敷が狭すぎるのかもしれないが……。
「たのもー! 今川氏真様の紹介で参ったー!」
考えていてもしかたがないので、さっそく軒先から声を掛ける。すでに店じまいしているようだが、氏真は事前に話は通しておくといっていたし、一応一筆したためてもらっているから問題はないはずだ。
時刻は夕刻、現代だと市役所でもなければ営業している時間だが、この時代だともう夜の範疇だ。営業している店のほうが少ない。
「――お待たせしました、三河の松平様ですね? どうぞこちらに」
「ど、どうも」
数秒待つと使用人と思しき女性が奥へと通してくれる。店の中には呉服屋らしくさまざまな色に染められた着物が並べられていた。
「…………いい色」
ほんの数秒のことだったが家康は女性らしく着物の鮮やかさに目を留めていた。彼女の素性からして自ら呉服屋を訪れるなんて初めてのことなのだろう。ここで一枚好きなものを買ってやれるくらいの甲斐性があればいいのだが、そうじゃないからこうして物を売る羽目になっていると考えると複雑な気分だ。
案内されたのは二階の客間。客ではあるが身分の都合上、上座はオレたちだ。
「いやはや、申し訳ない、お茶もだしもせませんでからに」
数分待たされた後、そういいながら入室してきたのは老年の商人だ。恰幅のよさや身のこなしも商人らしいといえばらしい。
もう交渉は始まっているとみたほうがいい。こうして待たせるのも交渉のテクニックの一つ、こちらを焦らそうとしてるのだ。
「お初にお目にかかります、茶屋四郎次郎と申します」
老人の名乗りはありえないものだったが、オレもいい加減驚かない。今回の場合は彼が誰かだけでなく彼がどうしてここにいるのかも事前に把握している。無駄におしゃべりな氏真に感謝だ。
茶屋四郎次郎は代々京都に居を構える豪商で、のちに徳川家の御用商人を務めた人物だ。江戸幕府が開かれてからは朱印船貿易を通じて莫大な富を築いた。
彼が初めて家康と関わることになるのは、ピンチだらけの家康の人生においても最大級のピンチでもある『神君伊賀越え』の時だ。普通に考えればこの桶狭間直前の駿府に彼がいるはずがないが、これには理由がある。
「……松平竹千代と申します。これは我が家臣、佐渡忠智です」
「どうぞよしなに」
家康に紹介されて口を開く。その間も茶屋四郎次郎からは目を離さないでおく。交渉ごとにおいてまず大事なのは相手がどういう人間かを見極めることだ。交渉テクニックというのは沢山あるが、どれが通じるかは相手によって異なる。
これも軍師としての仕事の一つだ。布陣や軍の動きから敵将の心理を読み解き、裏をかく。直接相手と退治している状況で読み間違えるわけにはいかない。なに、元の世界にいたときはあまり使い道のなかった人間観察だが、この時代ならば役に立つ。
服装や口調、態度にはおかしなものはない。いや、わずかに体勢がおかしい。この時代の作法として家康以外は互いに胡坐をかいているのだが、どこか痛みを堪えているように思えた。
「……どこかお加減がお悪いようですが」
「は、はは、これはお見苦しいところを……実は京を出るときに腰を痛めましてな……どうにもまいっておるのですよ……」
なるほど。事前に氏真から聞いておいたとおりだ。四郎次郎は言葉を濁したが、彼の腰は京から逃げ出したときに痛めたものだろう。
今の京都は将軍を暗殺した松永久秀の支配下にある。氏真が言うには、彼はそれまで将軍家の御用達として権勢を振るっていた商人達から多額の税を取り、自分の領地である大和の商人に京都の仕切りを任せているらしい。ここに来るまでに聞いた商人達の噂話もそれを証明している。
その結果、商売上がったりな京都の商人達は各地へ
と散らばったというわけだ。茶屋四郎次郎が駿河にいるのもそれが原因、自分の支店のあるこの場所に落ち延びたのだ。
こちらにとってはありがたい。今の彼はどうにか今川家の御用商人に食い込んでいても、これまで京で積み上げてきたコネを失った状態だ。弱っている相手には付け込みやすい。
「腰の養生でしたら熱海で湯治をなさるのがよろしいかと思いますよ。北条様と御所様は盟友ですし、道中の心配もありませんから……」
「おお、これはよい事を聞きました。事が収まりました折には是非赴かせていただきましょう」
家康の気遣いに四郎次郎は和やかに対応する。家康にその意図があるかはわからないが、いきなり交渉に入らなかったのはオレとしては助かる。
しかし、茶屋四郎次郎には女だからといって侮ったような様子はない。さすがは京の豪商というべきか、そこらへんの武将よりも確かに難物だ。
経験も知恵も相手のほうが上。対してオレにあるのは未来の知識だ。条件としては五分、腕の振るいがいがあるというものだ。
「して、この度、おいでいただいたのはどのようなご用件でしょうか?」
「……茶屋四郎次郎殿に折り入ってお頼みしたいことがございまして」
「そちらの包みに関することですな。承りましょう」
少し世間話が続いたところで四郎次郎のほうからそう切り出してくる。四郎次郎はオレの手にしている包みに最初から目をつけていた。まあ、予想は容易い。武家が商人を訪れる用件などそうそうあるもんじゃないしな。
「こちらの品をあなたに買い取っていただきたいのです」
「ほう、これは……」
包みの中身を広げると彼は腰の痛みも忘れて乗り出してくる。それも当然だ、呉服屋の彼にはオレの持ってきたものは興味深いものだろうからな。
中に入っていたのはオレの学ランとYシャツとズボン。現代では全部でせいぜい数万円程度の価値しかないが、この世界では違う。ここから値段をどう釣り上げられるかは、オレの腕の見せ所というわけだ。
 




