26、マネーイズパワー
義元上洛の報せが松平家へと届いたのは、その日の夕方のことだった。舘からの距離を考えればもっと早く届いてもいいようにも思えるが、外様の家である以上この扱いは致し方ないともいえる。
氏真からの信任と家としての扱いは別。当然といえば当然だし、扱いが軽いほうがこちらとしても動きやすい。
オレの予測どおり今川家での騒ぎの原因は義元の上洛作戦だった。出陣の日時は三日後の明朝、寺部城での戦がついこの前だからあまりにも早すぎる気がしないでもないが、この世界ではあらゆるものごとが早まっているらしい。
「――率直に申し上げて、銭が足りませぬ」
義元上洛の陣触れを聞いて、石川数正が最初には発したのは見も蓋もない一言だった。まあ、うん、そうだろうとは思っていた。
わざわざ飯を食べながら話すような話題でもないと思うが、そこまでのエアリーディングスキルを彼らに求めるのは酷だろう。
「なぜじゃ! 普段から倹約倹約と煩く銭を溜め込んでおったではないか!」
「たわけ、その銭は先刻の戦で使い切ってしまったわ。傷兵の治療に武具の修繕、今川からの褒賞程度では到底賄えん。これでも軍師殿のおかげで銭を借りずに済んだだけありがたいと思わねばならんのだ」
納得できる話だ。何度も連続して戦をできるような大名はそういないし、ましてや、一国人衆に過ぎない今の松平家には無理というものだ。
戦というのは基本的に金食い虫だ。準備に金が掛かるし、戦そのものにも金が掛かるし、その後始末にもまた金が掛かる。それでも勝ち戦で領地が得られれば利益はあるのだが、現状では主家である今川家には得があってもオレたちにはない。ようは、戦いが続けば続くほどオレたちは消耗していくだけというわけだ。
「――あぅ……」
一層味が薄くなったような気がする味噌汁をすすり、家康の様子をうかがう。彼女の方はこの話題には辟易しているらしくお椀の中のご飯粒を一心ににらみつけていた。頭の痛い話題なのだろう、金銭的な問題が付き纏っているのはどこからみても明らかだしな。
だいたい戦のスパンが早すぎるのだ。本来この時代は、兵士も武士も半分は農民のようなものだ。ゆえに秋と春には戦がし辛い。田植えや刈り取りの忙しい時期に戦に駆り出していてはそもそもの収入源である米の収穫量が減るし、農民に不満が溜まり一揆でも起きればそれこそ本末転倒になるからだ。
史実では寺部城の戦いから桶狭間までは二年の時間
があった。それがこの世界ではたったの一週間足らず、これじゃ金も兵もジリ貧になろうというものだ、
「ともかく御所の要望どおりの兵を用意するのは難しい。ゆえに、殿にはどうか氏真さまを通して兵数を減らすように嘆願して欲しいのです」
「それはわかりましたが……」
頷いてもいいのかと、家康が視線を送ってくる。何かもをオレにおもねられるとほかの武将への心象が悪いからやめてほしいが、今回に限ってはこれでいい。
今川家からの命令にあった松平家の出兵の兵数は1000人。動員できない兵数ではないが、だからといって簡単かと言われればノーだ。交友のある氏真を通じて今川家に兵数削減を願い出るのは悪くない策だ。
もっともそれは、これからも今川家の配下として過ごすという前提に立った場合の話だ。桶狭間で義元が死に、その後に松平家が独立するという事を知るオレにとっては松平家の兵数が減るというのは見過ごせない。
岡崎城を乗っ取る際の戦力はできる限り多いほうがいい。その後の事を考えれば1000くらいは兵士がいないと手が足りない。
「竹千代様、御所に嘆願なされる前に一つ確認したいことがあるのですが……」
「え、ええ、軍師殿、遠慮なく申されてください」
オレが口を開くと、家康はそう促してくれる。正直、金策をすることになるというのは想定外だったが、考えがないわけではない。
すぐさま金を工面する方法は、どれだけ時代が変わっても結局は二通りしかない。誰かに借りるか、なにかを売るか、その二択だ。
史実であれば、忠吉翁を含めた譜代の家臣たちがいつか家を再興するために金を溜めているのだが、今それに手を出すと後に響く。とりあえずここを乗り切るためには何とかして金を用意するのが一番いいだろう。
「では、遠慮なく。数正殿、銭についてですが、あとどれほどあればよろしいか?」
「40貫……いや、30貫あればどうにか……」
最低でも30貫ということは現代の価値に直すと、確か一貫は15万円だから、450万円ほどか。軍隊を運用するための資金と考えれば安いくらいだ。
「軍師殿、もしやと思いますが何か策がおありで?」
「ええ、まあ、策というほどのものでもないですが……」
領地があるならば産業の振興や交易で金を稼ぐという手段がないわけではないが、人質の身ではそれはできない。そういった長期の金策は岡崎城を取り戻してからの話だ。
今回の場合は、物を売る。当座の金にしかならないが、ここを凌ぎさえすればあとは領地が帰ってくるのだ。多少のことは我慢するしかない。
といっても、この松平家には売れるものはないから、必然的に身を切るのはオレのほうになるわけだ。
「……私の装束とこれらの品を質に入れます」
「な、なんと! それらは軍師殿の唯一の財ではないですか!」
「え、ええ、まあ、そうですね」
オレの提案に忠次が露骨に驚く。そんなに大したことは言ったつもりはなかったのが、言われてみれば惜しい気もしてくる。
この学ランとポケットの中身はオレのもつすべての財産であり、元の世界との繋がりを証明する唯一のものだ。これを手放すということはすはわち、かつてのオレ自身を手放すという事とイコールといえる。
そう考えると気持ちが竦むが、仕方がない。オレの感傷を割り切ることで目的が果たせるのならこんなに得な取引もない。
「よ、よいのですか? 南蛮渡来の品など滅多に手に入るものでは……」
「これで軍費が賄えるものなら安いものですよ」
心配そうにオレを覗きこんでくる家康に、なんでもないと答える。上手く表情を取り繕うことができたかはわからないが、この際感情なんてものは切り捨ててしまえばいい。これからもこういうことが続くだろうし、これが最初の一回だと考えれば多少は気も楽だ。
売るとしたら、この学ランとシャツとスマホとペンだ。どれも元世界ではありふれているが、この世界ではかなりの珍品。流石にこれを30貫で売りつけるのは無理だろうが、上手くすれば金儲けの元手くらいにはなるかもしれない。
それに大した金にならなくても、オレの持ち物を差し出すことはもう一つの意味がある。
「軍師殿……そこまでしていただけるなんて……」
オレがポケットの中身をその場に出し始めると、家康が涙ぐみながらそういってくれる。よくみれば忠次も数正もオレのほうをどこか尊敬の篭った目で見ている。
待てお前ら、単純すぎるぞ。一応そうなるように仕組んだとはいえ、あまりに効果を発揮しすぎている。
オレにとっては今もっているこれらが全財産だ、これらを差し出すということはオレ自身を差し出すという事。つまり、これはこのうえない忠誠心の証明ともいえるわけだ。
それをこの三人は見事にオレの思惑通りに受け止めた。あとで金が入ったら買い戻せばいいやとか考えてたなど、口が裂けてもいえない空気だ。いや、こうなんというか、オレとしては助かるのだが、大丈夫なのだろうかこいつら。
現代にいたら絶対怪しいツボを買わされるタイプ、そうならないように彼女たちに助言をするのも軍師の仕事だ。頭は痛いが、仕方がない。




