25、友情の鎖
「まずは、そうですな……竹千代様にも申し上げたとおり、お父上を見習われるのが一番良いかと……」
とりあえず口にしたのはそんなおためごかしそのものな、助言とも言えない助言だ。それができれば苦労がないと返されそうではあるが、結局のところ、実績のない氏真が国人衆を従わせようとするなら無理でも何でもハッタリをかます以外にはない。
「妾もいつも父上のように振舞っておるつもりなのだがな……どうにも……」
「それはおそらくお父上そのものとして振舞おうとされるからではないかと存じます」
「だが、父上に倣うのが一番良いのだろう?」
「ええ、ですが、御所様ほどの威厳をいきなり身につけるというのは無理があろうというものです」
人間には生まれ持った性分がある以上、どれだけあとから訓練したところで限界というものがある。ましてや、氏真のような天然が義元のようになろうとするのは難しい。それこそ地獄のような体験をして、一度人格が壊れるくらいのことがないとそこまでの変化は望めないだろう。
だが、見せかけるだけならばそう難しくはない。人間は意外と単純なもので、見た目や喋り方などで印象を操作できる。
まあ、結局は家康にした助言と同じことだ。彼女は具体的に言わずとも理解したうえに、それをオレの想像以上に見事に実践してのけたが、そこまでのことをこの氏真ができるとは思えないし大丈夫だろう。
「まずは寡黙になられることですかね。人前では必要なとき以外は口を開かれず、笑みもこぼされぬほうがよいかと」
「む、難しいな……妾は沈黙というのはどうにも苦手でな……ほかになにかないのか……?」
「これが一番容易いかと思いますが……」
この氏真は天然な上に悪意味で空気を読めない。男装して黙っていれば今川家の貴公子として通用しても一度口を開けば完全なるアホの子だ。アホの子だとバレれば尊敬は勝ち取れない、ならば、アホの子というのを隠し通すしかない。
それも無理といわれたら、尊敬どころか逆に同情を集めるような振る舞いをしなきゃいけなくなってしまう。彼女としてもさすがにそんなことは不本意だろう。
「ともかく、普段の立ち振る舞いから変えねばどうともなりません。一度の策で国人衆の認識を変えたとしてもあとでまた侮られては元の木阿弥ですし……」
「それもそうか……難しいが、竹千代にもできたのなら妾にもできよう! のう、竹千代!」
「え、ええ、瀬名様なら私よりも容易くことをなされるかと」
これまた謎の上から目線で氏真こと瀬名姫は家康に同意を求める。だいたいこの場に家康が同席している時点で、威厳もへったくれもないのだが、それだけ家康が瀬名姫からの信任を受けているのだと考えれば後々のためには悪くない。
あの明智光秀にせよ、小早川秀秋にせよ、裏切り者は裏切ると思ってないものが裏切るからあれだけの影響を歴史に与えているのだ。その点においては、桶狭間後の松平家の再興は史実よりもやりやすいかもしれない。もちろん家康には色々なものを切り捨ててもらわなければならないが……。
「そういえば、竹千代、そなた初陣はどうだったのだ? 皆から功があったとは聞いてはいたのだが、やはり、そなたの口から直接聞きたいと思うての」
「はい、初陣のことですね。そうですね……私にとってはやはり――」
オレがそんな事を考えていると、姫様二人は世間話を始める。内容はかなり物騒だが、二人の立場からしても納得の話題だ。
しかし、こうしてみていると彼女達二人がオレの知る二人とは一致しなくなってくる。歳相応というべきか、それとも少女らしいというべきか。家康は戦場にいるよりは楽しそうだし、気だるげだった瀬名姫も表情が生き生きとしている。
女の身でありながら松平家の当主を努めざるをえない家康と女性である事を隠して男として生きなければならない氏真。お互いに理解できるのはお互いしかいないといってもような近しさだ。こうして少し観察しただけでも彼女達二人が親友と呼べる間柄なのがオレにも理解できた。
微笑ましくはある。血で血を洗う戦国時代において友情というのは平和な時代とは比べ物にならないほどの価値があるものだ。
だからこそ、オレは今から気が重くてしかたがない。彼女達が仲睦まじければ睦まじいほどオレのやらなきゃいけないことは重たい意味を持つからだ。
「では、瀬名様、我々はこれにて……」
「なんだ、もういくのか? せっかくここまで来たのだ、茶でも点てようと思っていたのだが……そうだ! そなたの欲しがっていた反物が届いたのだ、褒美代わりに――」
「――若殿! 一大事にございまする!」
それから一時間以上話しこんでいただろうか、そろそろ帰ろうかと思っていた頃に割り込んできたのは聞きなれない男の怒鳴り声だった。
ここまで来られるということは今川家においてかなり立場の上の人間だろう。しかも、一大事というのがかなり引っ掛かる。今川の変事はそのまま松平家の変事でもある。利用できるものならいいのだが。
「何ものか!」
「泰朝でござる! 御免!」
氏真の誰何に答えながら男が襖を開けて入ってくる。無遠慮ではあるがそれが許されるだけの信頼を受けた武将でもあるのだろう。
となると、この泰朝は今川家の数少ない名将の一人、朝比奈泰朝だろう。彼は義元の死後も献身的に今川家に仕え、奮戦した人物だ。なるほど、この信頼も頷ける。義元が死んだ後はすぐに裏切る予定のオレにとってはあまり顔を合わせたい相手ではない。
「む、三河の姫殿に噂の南蛮軍師か。これは失礼した」
「いえ、お気になさらず、朝比奈殿」
家康がそう言うが早いか、泰朝はドカンと腰かけると氏真の方へとチラリと視線を送る。すぐにでも要件を述べるつもりだったのだろうが、オレたちがいたからどうするか迷っているのだろう。
いくら氏真と親しいとはいえ松平は外様だ。今川家の一大事を聞かせるのには躊躇われるはずだ。
「ん? どうした、泰朝? 早く申せ」
「は、それは……」
肝心の氏真はそれをさっぱりわかっていない。察しが悪いというかなんというか、家臣の苦労が偲ばれる。
ここはこっちが気を利かせるべきだろう。変事の内容をここで知ることはできないのは残念だが、いずれは知れることだし、推測もできる。未来の知識に感謝だ。
「竹千代様、そろそろお暇しましょうか」
「そうですね。若様、では、我々はこの辺で」
オレの考えを察して、家康はすぐに頷いてくれる。さすがは家康だ、話がはやい。空気を読むスキルは戦国時代でも現代でも必須の技能だ。
「う、うむ、そうか、残念よなぁ……」
「では失礼いたします」
明らかに残念そうな氏真を残して二人で連れ立って部屋を出る。内部では早速報告が始まっているようだが、聞き耳は立てられない。
しかし、駿府館内の様子の変化はすぐに感じられた。
慌ただしい。足音の数もそうだが、門の方では馬の音の数とどんどん増えていっている。恐らくは命令を受けた早馬が各地の武将たちのの元に次々出発しているのだろう。
つまりは――、
「……また戦ですか」
「ええ、そうなるかと」
家康のつぶやきにオレは首肯する。オレは未来の知識から、家康は生まれ持った才覚から、同じ結論に達していた。
この慌しさは戦さの前触れ。相手は西の織田、最終的な目的は京への上洛だ。これから訪れるのは歴史の転換点の一つ。すなわち、桶狭間の戦いだ。
 




