15、大将の眼光
戦のすべてにカタがついたのは朝日が昇ってからだった。結果は当然、オレたち松平家の大勝だ。
七百の敵兵はその過半数が討ち死にし、残りの者たちも最後には白旗を揚げた。大してこちらの損害はほとんど皆無、城攻めではこうはいかなかっただろう。
こちらの兵を損なわず、一度で決着を付ける。全て意図したこととはいえ、ここまで上手くいくとは思っていなかった。
無理を言って見物にきた戦場はまだ後片付けもされていない。明け方の戦いの痕跡はまだここに色濃く残されている。
どんなものがあるにせよ、一度は目にしておかなければならなかった。これから軍師としてやっていくなら戦いの後に何が残るのかも理解しておかなければならない。
「……こんなものか」
朝日が照らし出したのは、死体の絨毯だ。転がった誰かの首に、串刺しになった胴体、馬に踏み潰されグチャグチャになった四肢。すこし目を凝らせば内臓がぶちまけられているのさえ見て取れる。実際に目にした戦場、そこに残されたものは非現実的なまでにグロテスクだった。
吐くかもしれないと思っていたが、不思議なことに今のオレはこの光景に現実味を感じていない。何もかもを画面越しに見ているような感覚といえばいいのだろうか。少なくとも、すぐさま反応を返せるほどオレの感覚は現状に追いついていなかった。
「――っ」
そう思った途端、胃の中身が一気にせりあがってくる。膝を突いて口元を覆わなければ間違いなく吐いていた。
原因は、戦場跡に満ちたむせ返るような血の匂いだ。死臭といえばいいのだろうか、肺にまで流れ込んだそれはこれが現実である事を否応なく刻み込んでくれた。
彼らはここで死に、死にかけている。これをやったのは間違いなくオレだ。実際に槍を突き刺し、刀で切りつけたのは兵士達。
一方で、命じたのはオレで、敵を死地に追いやったのもオレだ。オレが介入せずとも彼らはいずれ死んでいたのかもしれないが、そんな理屈はこの現実を楽にはしてくれない。
「っは、はははは」
だが、吐き気がおさまると今度は奇妙な高揚感が襲ってくる。笑わずにはいられない、目の前では人が死んでいるというのにオレの心の中では罪悪感よりも、勝利への歓喜が上回っているらしい。
オレの頭がこの異様な状況に適応するために仕方なくアドレナリンを出しまくっているのか、それとも、これがオレの本性なのか、それはオレ自身にも分からない。
ただ、オレは昨夜の戦いを楽しんでいた。そこはどうしようもなく否定できない。
「軍師殿! そろそろ時間でござる!」
「わかりました。すぐに行きます」
背後から大声で声を掛けてくるのは本多作佐衛門だ。おそらくはこれから本陣で今後の相談をするのだろう。戦が終わってもやるべきことはいくらでもある、それが今はありがたい。
「おや、顔色が優れませぬぞ。馬を引いてまいりましょうか? それか握り飯でも……?」
「い、いえ、大丈夫です」
作佐の態度の変化に思わず戸惑う。彼らの態度を変化させることも策の一部とはいえ、正直言ってここまで変化するとは思ってもみなかった。
これでは扱いとしては幹部とも言える家老級か、ともすれば当主である家康並だ。流石に行き過ぎている。
「軍師殿じゃ……軍師殿がおられるぞ……」
「此度の策はすべてあの方の献策だそうだ。諸将の前で啖呵を切り、采配も取り仕切ったそうな」
「オ、オレはあの人は南蛮帰りだって聞いたぜ。そのうえ、神仏の加護がついてるらしい」
兵たちのそれも、胡散臭いものを見るようだった昨夜と今では天と地ほどの差がある。
原因はわかりきっている、オレの策が的中したからだ。彼らにはオレがそれこそ神の使いのようにも見えているのだ。
畏怖と尊敬、その二つの入り混じった数多の視線。なるほど、権力を持つと人間が変るというのが今ならよくよく理解できる。これは癖になる、自尊心と承認欲求が同時に満たされる快感は一度味わうとほかには変えられない。
確かに気分はいい、オレの人生の中でも指折りの気持ちよさだ。だからこそ、これに溺れるわけにはいかない。この段階で慢心すれば必ず足元を掬われる。先人の例に倣うなら、あくまで慎み深くだ。
「ええい! 離せ!! 腹を切らせろ!!」
「神妙に致せ! 敗軍とはいえ一城の主であろうが!!」
オレが本陣に戻ってくると、そこでは修羅場の真っ最中だった。縄で縛られて引き立てられているのは寺部城の城主にして今回の敵軍の総大将でもある鈴木重辰だ。
彼は昨夜の奇襲の指揮を取っていたが、討ち取るのではなく捕縛するように忠次にはよくよく言い含めて
おいた。
理由は単純、重辰に寺部城の開城を命じさせるためだ。城主が死ねば、代理で城の指揮を取っている城代は降伏するか、あるいは弔い合戦と称して城を枕に全滅するか、そのどちらかを選択しなければならなくなる。重辰を捕縛したのは、万が一にも後者を選択させないためだ。ここまできて死兵を相手にしたくはないし、城に火でもかけられたら元も子もなくなる。
しかし、腹を切らせろか。どうせ切るなら罠にはまったと分かった段階で腹を切っておけばよかったものを。
「――城を開くように命じなさい」
「断る! 命惜しさに、女子風情の命を聞くようなこの重辰ではないわ!!」
「何を貴様!! 殿への侮蔑は許さんぞ!!」
家康の命令に、重辰は案の定な態度で怒鳴り返してくる。度胸はある、彼は怒りというよりは殺意むき出しな家臣団を前にしても冷や汗一つ掻いてない。
「三河の田舎者に下げる頭などない!! 気に入らぬのならこの場で我が首を落としてみせよ! その度胸もないのであろうが!!」
「良くぞ申した! ならば、その言葉通りにしてくれるわ!!」
「待て待て!! まだならぬ! 堪えよ!!」
重辰の啖呵にとうとう一人が刀を抜く。血の気の多い彼らを挑発して自分を切らせるつもりなのだろうが、きちんと忠次が止めてくれる。
まあ、挑発の文言は本心だろう。どうやらそういう侮りが原因で自分は負けたのだと理解していないらしい。
さて、どうしたもんか。上手く言い包めてもいいが、その必要があるかは悩ましいところだ。寺部城にはすでにそちらの城主を捕らえたと伝えてある。今頃、残った家老全員で相談中だろうが、十中八九降伏を選ぶはずだ。開戦すれば城主は斬首、開城すれば命令違反で城代が腹切るだけでいい。どちらが利口な判断かは考えるまでもないだろう。
彼に開城を命じさせるのはあくまで保険だ。彼が何をわめこうがもう万事は終わっている。
「――もう一度言います、城を開きなさい」
「こ、断る! わ、我が寺部城には女子に降るような臆病者は一人もおらぬわ!」
家臣たちの騒々しさにも、重辰の罵声にも、表情一つ変えずに家康は再びそう命じる。目付きといい、声といい、そこにはほかの武将達とは違う冷たい迫力があった。
美人が怒ると怖いとはいうが、そんなものではすまない。氷の女王、まさしく今の家康は身も凍るような殺気を発している。
オレは重辰と会うときはらしく振るまうようには言ったが、ここまでしろとは言ってない。この前言っていたように、雪斎禅師や義元の真似をしているのだろうが板につきすぎている。
その証拠に、重辰からは先ほどまでの威勢のよさが消え失せている。自分と同じような武将の威圧にはなれていても、こういった相手には慣れていないのだろう。
「ならば、致し方ないでしょう。その方の命はとらぬゆえ安心するがよい」
「こ、この場で切り捨てよ!! 某は武士ぞ! 己が命など惜しくはないわ! それとも、女子には血を見る勇気もないと申すか!」
「ええ、私は女子ゆえ、目の前で首を刎ねられるところなどみとうありません。ですが、そなたが城を開かぬなら、生き残った配下を含め、そなたの九族すべてにその咎を受けていただかなくてはなりませんね」
「な、なに!? ま、待て、それは道理が通らぬぞ!!」
家康はそれだけ告げると、その場を立ち去ろうとする。これは効果的だ。途端に青ざめた重辰は先ほどまでと同一人物とは思えない。
具体的な罰の内容を言わないことで重辰はあらぬことを想像し始めている。恐怖の中で一番厄介なのは形のない恐怖だということを、彼女は分かっているらしい。
しかも、降伏した兵を切らないという戦場の常識は女性である家康には通じるとは限らない。それがよけいに恐ろしくてたまらないはずだ。
「わ、わかった! 城を開く! 詰め腹も切る! それでどうか兵たちは!」
「――よいでしょう。忠次、紙と筆! 書状に起こさせます!」
「ぎょ、御意に!」
家康の冷たい圧力に重辰は折れた。傍から見ている家臣団が思わず黙るほど強烈だったから、重辰には同情したくなるほどのものだったはずだ。
「……ともかく一勝だな」
慌しい本陣の中で誰にも気付かれないように安堵の息を吐く。これでとりあえずひと段落。まだまだこれからだが、まずは一勝だ。
 




