10、軍議は踊る
寺部城攻略戦の最終的な顛末は家康の勝利に終わっている。二度の会戦に負けた城主鈴木重辰は降参し、今川に下った。といっても、この戦は一度で決着が着いたわけではなく、数ヶ月に及ぶ攻防戦のあとの勝利
だった。
このとき、史実の家康は守りの堅い寺部城を直接攻めるのではなく、まずは寺部城側に着いていた四つの城を先に落すことで寺部城を丸裸にした。確か四つの城の名前は、広瀬城に、挙母城、梅坪城、伊保城だったはず。それぞれが大きな城ではないので落すのにはそこまで苦労はしないだろう。
のちの桶狭間や三方ヶ原などの戦に比べると大きな戦ではないが、初陣での勝利は家康にとっての貴重な成功体験であったに違いない。
寺部城は城の規模からいって城兵はかなり少ない。多く見積もっても、千に届くか届かないくらいだろう。たいして、家康率いる松平勢は千五百。数の上では勝っているが、敵に城に篭られたら正直なところ勝敗は分からなくなる。
つまり、今回の戦ではどうやって敵を城から誘い出すか、それが重要になってくる。
「――では、軍議を始めまする」
オレが考えを纏めていると、長老の鳥居忠吉が陣幕に居並んだ武将達にそう宣言した。
時はすでに夕刻、寺部情目と鼻の先にオレたち岡崎勢は布陣している。
ここに来るまでにあった面倒事に関してはもう思い出したくない。戦になればきちんと統制された動きを発揮してくれるとは思うが、今のところはただのたちの悪い酔っ払いの群だ。
軍議の席次は当然家康が上座で、その隣を忠次と忠吉が固め、ほかの将はおそらく年齢順に座っている。肝心の俺の位置はというと、家康の右斜め後ろ。完全に輪からはみ出ているせいで悪目立ちをしているが、逆に視線を集めやすいと考えるとしよう。
居並んだ諸将はまずオレのほうに視線を向けて、首を傾げる。それも当然だ、会社の会議に部外者がいたらまずは誰だって視線を向けるからな。
そうして次に来るのは、気まずい沈黙。原因はもちろんオレだ。将たちはオレの事をどうするべきなのか、考えあぐねているようだった。
「……どなたか、ご存念のあるものは」
沈黙の意味を察したのか、忠吉翁が発言しやすいようにそう促す。気遣いが身に染みるようだが、次の反応が予想できるだけに、オレの胃はキリキリと痛んだ。
数秒もしないうちに、ぽつぽつと声が上がり始める。礼儀正しいのが逆に不気味でしかたがない。
「作佐、その方なにか申したいことがあるのではないか?」
「お、おう! 軍議を始める前にそこの妙ちきりんなお方がどなたかお尋ねしたい!」
諸将の中から忠吉が指名したのは、熊のような体格をした武将。無精髭を生やしているが、似合っているというよりは、ないと違和感がないくらいに顔に馴染んでいる。
作佐とは、多分、作左衛門の愛称だろう。なら、彼は本多作左衛門重次か。家康の側近の一人で、鬼作左の異名を持つ名将だ。
しかし、妙ちきりんって……他にいいようがないのかとも思うが、否定できないのがなんとも堪らない。
「このお方は佐渡忠智殿ともうして……あー、殿が召し抱えられた、軍師殿だ」
「軍使? なんでわざわざ伝令なんぞに禄をくれてやらねばならんのだ?」
「いや、その軍使ではなくてな。うーむ……軍師殿、お頼みもうす」
答えあぐねた酒井忠次がオレにお鉢を回してくる。
どうやら作左衛門は俺のことを軍の使いとして口上を述べる軍使と勘違いしているらしい。まあ、予想はしていた。この時代ではまだあまり軍師という概念は知られていない。そこらへんを上手く彼らに浸透させるのもオレの仕事だ。
「主君のお側で、あれこれと策を考え、差配のお手伝いを致すのが軍師です」
「つまり、なんじゃ、今川の爺坊主のようなもんか?」
「左様なもので。僭越ながら、軍議に同席させていただいているのも献策のためとご了承ください」
「それでそのみょうちきりんな格好は?」
「実は、つい最近まで異国にて兵法について学んでおりまして。この衣装はその国のものでございます」
「ふむ……とりあえずはあいわかった」
単純だが、バカではないのが三河武士だ。説明に関しては問題ない。もっとも、すごい胡散臭いものを見る目で見られているのは変わらないが。
「では、作左が納得したところで改めて軍議を始めるとしよう。こたびの目的は、織田方に寝返った寺部城の奪還。そうでござるな? 若殿」
忠吉の確認に家康はゆっくりと頷く。緊張してるせいでカチコチなのだろうが、威厳があるように見えるからいいだろう。
目の前の長机に置かれているのは一帯の地図。当然ながら今の地図ほど正確ではないが、大まかな地形とそれぞれの城の位置関係くらいは理解できる。
寺部城はここから北に進んだ丘の上にある。地形的にも攻めにくい。そして、やはり、部城の近くには四つの城。この位置関係だと確かに邪魔でしかたがない、よしんば寺部城を囲んでもこれらの城からの援軍が出ればこちらの軍は無防備な横腹を突かれる事になるだろう。
「まずは寺部城の城下に火を掛け、その後攻城というのが定石でしょうな」
「うむ、それがよかろう。なに、我ら岡崎衆に掛かれば裏切りものの鈴木重辰程度鎧袖一触でござろうよ!!」
「左様左様! 我らにはいまや若殿がついておられる! 意気軒昂も意気軒昂、一味も二味も違うわい!!」
ようは、正面から突っ込んで戦うという脳筋な発想だが、武将達は再びテンションが上がったらしく呵呵大笑している。
野戦ならそれですぐに決着がつくからいいのだが、今回の戦は城攻めだ。城攻めというのは基本的に時間が掛かる。この時代の城は、領主の権威を示すモニュメントでもあるが、それ以上に最後の頼みの綱の防衛拠点としての側面が強い。攻められると分かっていれば、どんなに兵士が弱くても攻略には時間が掛かってしまうのだ。
それを彼らは考えていない。いや、これだけ士気が上がっていれば策を弄する必要はないと考えているのかもしれないが、どうにもそうとは思えない。
しかし、ここに割って入るもの難しい。長老の忠吉翁だけは黙っているが、この様子からして自分が口を挟むつもりはないのだろう。
「……う、ぅぅ」
ほかにこの大盛り上がりから仲間はずれなのは、オレと家康くらいだ。彼女はというと、何かを言おうとしてきんぎょのように口をパクパクしている。俺の知ってる家康ならこの連中を一喝して黙らせるくらいのことはしそうだが、この家康はまだ十五歳くらいの少女だ。こんなフーリガンゴリラの相手なんて到底無理だろう。いずれは纏められるようになってもらわないと困るが、今はしかたがない。
「どうかなされましたか?」
「ぐ、軍師殿、いえ、その……」
「他の城について考えておられたんでしょう?」
「は、はい、なんというか心配で……」
見かねて尋ねると、家康は地図のほうに視線をやって口篭る。なるほど、何か考え付いたが、具体的にどうしていいのか分からないのだろう。
やはり、聡い、そしてあざとい。あくまで家臣たちとの比較だが、他の城からの援軍についてぼんやりと考えていたらしい。
なら、後ろ盾はある。一人でゴリラの群に立ち向かうよりは、頼りなくても二人のほうがいい。
「では、このように致しましょう」
策を静かに家康に耳打ちする、半分まで話し終わると家康の顔に笑顔が浮かんだ。どうやら俺の策がお気に召したらしい。
あとはこれをどのタイミングで言い出すか、問題はそれだけだ。




