1、脚に矢が刺さってしまってな
目がさめると、脚に矢が生えていた。
いや、矢なのだから刺さっているといったほうが正しいのだろうか。矢羽もあるし、多分矢だと思う。これが矢じゃなければ何が矢なんだというくらいには矢の形をしている。
ともかくオレの右脚に矢が刺さっている、それだけは間違いない事実だ。もちろん、子供の玩具のような先端に吸盤のついたおもちゃじゃない、きちんと鏃がついてて脚に刺さってるいるのは破れたズボンのすそとそこから流れてる血で明らかだ。
しかし、そうなると次の疑問がでてくる。どうしてオレの脚に矢が刺さっているのかという問題だ。
オレこと、佐渡忠智は、こうして目がさめる前は、現代日本で普通に浪人生として親の脛をかじっていた。
当然、現代日本では日常生活で矢が飛んでくるというシチューエーションはまずありえない。あるとしたら、そいつは弓道部の的の代わりにされてるかなにかだ。そして、オレは弓道部の恨みを買うようなことはしていない。
では、なぜオレの脚に矢が刺さっているのか。というか、ここはどこなのだろうか。今日やったことといえば、予備校をサボってネットカフェでだらだらした後、制服のまま部屋のベットで不貞寝を決め込んだくらいだ。少なくともオレには、こんな竹林に出かけた覚えはない。
竹の間からは日の光が差し込み、オレを照らしている。雨上がりなのだろうか、周囲では湯気が立ち込めて見た目だけなら神秘的だった。
「夢……じゃねえよな?」
口にしてみると、余計にこれが現実だとは信じられなくなる。けれど、脚はだんだんと燃えるように痛み出しているし、雨に濡れた木の葉に寝転ぶ不快さはあまりにもリアルだ。
認めたくないが、認めざるをえないだろう。オレは今どこのぞの竹林で倒れていて、なぜか脚に矢が刺さっている。自分で言っててもわけわからないが、どうやらそういうことらしい。
さて、どうしたもんだろうか。どこかに行こうにも脚に矢が刺さってるせいで下手には動けない。鏃が体内に残る怖さは知識だけでも良く知っている、下手に抜けば失血死だ。
幸い、まだ身体が状況に追いついてないらしく痛みは激しくないから、どうするかを考える事はできる。
「圏外……どんなド田舎だよ……」
苦労してポケットから携帯を取り出してみるが、ここには電波の電の字もないらしく不通。困ったことに助けは呼べない。
昨今の携帯会社は有能で大抵どこにいても電波はつながるから、それが一切繋がらないという事はこの周辺には誰も住んでいないというにもなりかねない。つまり、オレが誰かに助けを求めるためには人のいそうなところまでこの状態で歩いていかなければならないという事だ。
ああ、めんどくさい。このままぶっ倒れていたいくらいにはめんどくさい。というか、足が痛くてしかたがなくなってきた。もう無理だ、一歩も動きたくな――動けない。
死ぬかもしれないとは思うが、そこまで怖くはない。あまりにも状況が非日常的過ぎて頭が追いついていないのかもしれない。
「あ……なんだ?」
寝転がりながら、せめてもう少し乾いたところに移動しようかと考えていると、頭の上のほうでガサガサと音がする。何かがこっちに来ている。人間か……?
「おーい、こっ――あ、まずいかこりゃ」
声を掛けて呼び寄せそうになったところで、いやな可能性に気付く。脚に矢が刺さっているという事は、どこかにオレに矢を射掛けた野郎がいるということだ。
矢を射掛けるという事は狩りか、殺人が目的だ。その射掛けてきた当人が獲物の生死を確認するという事も十分にありうる。下手に呼び寄せたら、そのままトドメを刺される可能性もあるというのに、忘れていた。
これは不味い。かなり、不味い。オレにしては迂闊だった。
現れるのは、髭面の悪党か。それとも、いかにもいい人そうで実は連続殺人犯って感じのやつか。どちらにせよ、人を矢で撃つようなやつだから碌なやつじゃないのは確かだ。
「だ、大丈夫ですか!? だ、大事ありませぬか!?」
数秒すると、予想に反して、奇妙な格好をした女が竹の間から現れる。黒い長髪と鎧の上からでも分かるような豊満な胸。でかい、あ、いや、それより鎧を着ていることのほうが大事だ。
彼女は鎧、それも甲冑を着ている。武将が着るような甲冑、胴鎧の造りからして大鎧ではなく当世具足だろう。具体的にいうと、戦国時代に着られていた甲冑だ。
肩に掛けているのは、和弓だ。状況から見て、オレを射たのは彼女らしい。野郎じゃなかった。
「しっかりなさいませ!! ああ、私はなんと……! 忠次!! 忠次、こちらじゃ!!」
「い、痛い」
巨乳甲冑女はオレの身体を激しく揺する。声の調子からして心配してくれてるらしいが、矢が動いて余計に痛い。トドメを刺すつもりにしてはやり方が陰湿すぎる。
ああ、意識が遠のいていく。血が出てるし、痛いし、オレはこの巨乳甲冑女に揺すり殺されるらしい。享年十八歳、思えば短い人生だった。
「ど、どうか、お気を確かに!」
朦朧としていると、顔を覗き込まれる。気絶直前の、オレの目に入ったのは端正な顔立ちと瑞々しい唇。えらい美人に殺されるんだなぁと思うと、心が安らぐような気がしないでもなかった。
いや、やっぱり嫌だ。ここで死にたくない。まだなにもやってないし、まだ何も決めていない。そんな無為のまま死にたくない。
「姫御! まずは揺するのをお止めなさいませ! 血が流れておりますぞ!!」
「あ、え、あ、そういえば……」
どうにかやめさせようと決意すると、竹の間からあらたな人物が現れる。巨乳と同じく当世具足を着込んだコスプレ男、いや、この揺すり地獄を止めてくれるならコスプレ髭親父でも命の恩人だ。
髭親父は、巨乳を押し退けるとオレの傍にしゃがみ込み、傷口に触れてくる。前言撤回だ、こいつもオレを殺す気らしい。ちくしょう、コスプレ集団に恨まれる覚えはないぞ、オレは。
「ふむ、骨には達しておりませぬ。殿のへっぴり腰が幸いしましたな」
「む、むぅ、それはようござりました……」
髭親父は人の傷を散々いじくり回したあと、ガハハと笑い出し始める。たいして、巨乳は拗ねたように指を突き合わせている。殺す気はないようだが、怪我人の前でこんな呑気なやり取りをしているのは殺人犯の行いと大して差がない。
「あ、あの……」
「おお、いかんいかん。まずはこのお方を茶屋に運びますぞ。骨に達しておらぬとはいえ、すぐに”巫術”で治療せねばなりますまい」
「ええ、そうですね……」
それだけいうと、髭親父はオレを一息に担ぎ上げる。一応は平均身長に平均体重はあるオレを簡単に担ぎ上げるとは凄い体力だ。
抵抗しようにも、体に力が入らない。まあ、これだけの力だったら、オレが万全の体力でも振りほどけるとは思えないが。
「申し訳ありません……”御使い”どの……」
仕方なしに黙って運ばれていると、巨乳がそう声を掛けてくる。全く意味が分からない、謝るくらいなら何か説明してくれればいいのに。
担がれたまま、竹林を進んでいく。不思議なことに、空気はひどく綺麗で、澄んでいる。本当に綺麗だからそう感じているのか、それとも死にかけているからそう感じるのか、は生憎と分からないが。
「しかし、竹千代さまにもこまったものよ。雪斎禅師の遺言とはいえ、まさか本当にこんな山中で人を見つけ、そのうえ、その”御使い”とやらに咄嗟に矢を射掛けてしまわれるとは……」
「くっ……忠次、私が言い返せぬからといって好き放題に……」
二人が何かを話しているが、これもオレには意味が分からない。しかし、会話そのものは意味が分からなくても単語には確かに聞き覚えがあった。
竹千代、おそらくは日本においては三本の指に入る有名な人物の幼名だ。江戸幕府初代将軍、徳川家康。三百年の太平の世を作った、偉大な戦国武将の幼名が竹千代だった。
「まさかな……」
そこまで考えたところで、自嘲する。いくら戦国時代が好きだからといってその時代にタイムスリップするなんてありえないし、信長や上杉謙信ならまだしも家康が女だなんて聞いたこともない。夢の見すぎだ。
……この時のオレは確かにそう思っていた。自分が歪んだ歴史の渦中に飛び込むことになるなんて、夢にも思っていなかったのだ。
久しぶりの連載です!
しばらくは毎日20時に投稿します!