三話・『雑学王』
エレベーターの扉の先には、白衣を着た研究員らしき人達と、透明なガラスで隔離されている、実験室にような部屋が見えた。到着してすぐに、エレベーターの近くにいた研究員の女性が話しかけてくる。
「転校生の広世さんですね。一応身元確認のため、受付でもらった証明書類を提出してください」
俺はエレベーターから出て、その研究員に手の中の書類を差し出す。研究員は手渡した書類を一瞥し「確認しました。どうぞこちらへ」と言って、部屋の奥へと案内し始めた。
俺は促されるまま、その研究員の後を追う。同様に総智も、何かを期待するような顔で、俺の後ろについてきていた。
実験室への入り口が見える奥の小部屋に入り、診察室に置かれてあるような丸椅子に座る。
研究員は反対側の椅子に座った後、少し間をおいて説明し始めた。
「……それでは、超学能力覚醒シーケンスの説明を行います。とはいっても、やることはただ一つ。それは『箱の中の指輪に触れること』だけです」
「……本当に、それだけでいいのか?」
もっと恐ろしいことをされると思ったのだが。人体実験や、脳手術とか。
「ええ、もう少し詳しく言えば『指輪との会話』……でしょうか。箱の中に入っている指輪に触れますと、自分の精神世界に連れていかれるそうです。そこである質問に答えればいいのですが、一つ約束を。できるだけ、『自分の答え』を覚えるようにしてください」
「まさか、その精神世界で起こったことはすべて忘れるのか?」
「すべてではありません。しかし、覚醒シーケンスを行った人は、質問に対する『自分の答え』を完全に忘れているそうなのです。特に命にかかわるようなことではありません。これは我々、研究員からの要望です」
命には関わらないと言うが、だとしても重要なことかもしれない。そう考え、この言葉を頭の片隅に止めておく。
「それでは、初めてもよろしいでしょうか?」
「ああ、大丈夫だ」
そう返事を返した数秒後、あの実験室への扉が横にスライドした。ゆっくりと丸椅子から立ち上がり、静かに深呼吸をしながら扉へと歩いていく。
実験室に足を入れ、後ろの扉が閉まる前に、総智の声が聞こえた。
「質問には、正直に答えた方がいいよ」
とっさに意味を聞き返そうとして振り返ったが、扉の隙間はすでに存在していなかった。
実験室の中は天井にある一つだけの照明と、透明なガラスで中身を覆っている小さい入れ物が、机の上に置いてあるだけだ。それ以外には何も設置しておらず、壁もコンクリ―トがむき出しになっている。外側で実験室の中を映し出していた窓は、薄黒く見え外がまったくわからないようになっている。
ふむ、この窓はマジックミラーか。別にじろじろ眺められてもいいが、余り落ち着きはしないな。それより、重要なのはガラス張りの小さい入れ物だ。あの中に指輪が入っているんだろう。どうせ指輪に触れなきゃいけないんだから、さっさと開けるか。
そう考え、早歩きで入れ物に近づく。上から入れ物をのぞき込み、中に指輪が入っているのを確認する。そして、俺は躊躇せずに入れ物の蓋を開けた。
中の指輪は、薄灰色で何の装飾もない指輪だった。しかし、水にインクや絵の具を垂らしたときのように、薄灰色の文様が波打つように揺れている。
「……これだな」
そう呟いた後、数秒間何かを迷うようにに、顎に手を当てた。だが、すぐに手を放して中指をゆっくりと、指輪に近づけさせていく。
緊張と期待が入り混じる中、右手の中指が指輪に触れた瞬間。
指先から『何か』が指先から入って行き、それを感じる間もなく、周りが急速に暗くなっていった。
「——っ、おい! どうなっている!」
パニックになるぎりぎりの状態で、後ろを振り返りながら外の研究員に向けて説明を求めるが、その直後、周りに光が満ちていくのが見えた。
360度上下左右どこを見ても、薄灰色一色。しかも、指輪の文様のように揺らめいている。
このような明らかに現実ではない光景が、広世の動揺している目に映っていた。
「……」
驚きすぎて、思わず無言になる。
——ここが、例の『精神世界』か? だとしたら、現実の俺の体はどうなっている? 俺が現実に戻るには、一体どうすればいいんだ?
大量の疑問が頭を埋め尽くし、心臓が8ビートを刻めるほど早く動く。『血の気が引く』という感覚を体験する中、この静けさを破るように頭の中へ声が響いてきた。
『広世賢治。お前の最も得意なことはなんだ?』
背筋に緊張が走る。だが、それと同時に思考が、頭が冷えていくのを感じた。
少しだけ、呼吸をおいて答える。
「……おいおい、来てからすぐに質問か? まず今の状況を説明してくれよ」
強がりを張り、全く動揺していないふりをしながら、現在どんな状況なのかを聞いた。
『ここは我が作ったお前の精神世界である。我はお前に一つの質問をするために、お前をここに閉じ込めた。これで納得したか?』
目を閉じて深呼吸をし、精神を落ち着かせる。
なるほど、ここは俺の精神世界のようだ。一応、あの研究員の言っていた通りみたいだな。さて、ここから出るには質問に答えればいいらしい。「そのために」閉じ込めたといったんだから、逆に答えなかったらここからは出られないだろう。で、その質問の内容なのだが——。
『広世賢治。お前の最も得意なことはなんだ?』
再び、重い声で質問が聞こえてくる。予想通りの返事が返ってくることを期待しながら、俺はこの声に対して提案した。
「——わかった、その質問に答えよう。だけどちょっと待ってくれ。今までの人生を振り返って、正確に答えるからさ」
『なるほど。それでは待つとしよう』
これでOK。しばらくは話しかけてこないな。
足元の透明な地面にあぐら座りし、腕を組んで考える。
おそらく、適当に答えたらだめだ。相手はこっちの精神に潜り込んでいるのだから、嘘はすぐにばれるだけ。ここから脱出するには、本当に今までの人生を思い出し、『俺の最も得意なこと』を答えるしかないだろう。……やるしかないか。
そう覚悟を決め、もう一回深呼吸。そして、また目を閉じる。
何故かいつもより、はるかに早く世界が遅くなっていく。集中し始めて、わずか十数秒で世界が止まるのを感じた。
さあ、思い出そうか。取ってきた頂点の数々を。
最初に頂点を取ったのは、小3の「けん玉」だった。確か9ヶ月かけて、全部の最高難易度の技をマスターしていたはずだ。
そのあと、中学生に上がってからは7ヶ月で完全制覇した「トランプゲーム」だな。ネットで大富豪を30連勝したのを覚えている。
高校に入り初めてやったのは、軽いものからと「スケボー」だ。大体半年ぐらいしかやってなかったが、それでも現在存在しているほとんどの技ができるようになってたな。
そして、最後に取ったのは「クイズ」か。優勝するまで3ヶ月だったし、ひたすらにギネスブックや雑学本を、読み漁っていたのが記憶に新しい。
ほかにも、いろんな頂点を取っていた。その一つ一つを思い出し、総合で『何をやっていたか』を探っていく。
その中で、どうしてもあの事件が思い出される。あの『約束』を思い出す。
俺がなぜ、こんな生き方をするようになったのか。
しかし、今は関係ない話だ。わざわざ考えなくてもいいだろう。
そう判断して、俺はまた頂点のことを思い出していく——
時間間隔が狂うほどの長い間、俺は考え続けた。
そして、結論は案外簡単なものだった。
『……わかったか?』
どうせ心でも読まれたんだろう。答えが出た瞬間に、重い声が再び話しかけてきた。
「——ああ、多分これで『正解』だ」
ゆっくりと立ち上がり、目の前を見据える。
『それでは質問だ。広世賢治、お前の最も得意なことはなんだ?』
「————————だ」
そう言い終わった瞬間、周りの色が薄灰色から空色になった。雲のような模様もゆらゆらと動いている。
『お前の答えはもらった。現実へ返そう』
今度は、周りが徐々に明るくなっていく。その眩しさに顔を腕で庇い、目を閉じる。
その瞼の裏にも、オレンジ色の光が入ってきて——
——急に目の前が暗くなる。
驚いて目を開けると、そこはさっきの実験室だった。ガラス張りの入れ物の前に立っているが、指輪が無くなっていた。なにか違和感を覚えて、自分の左手を確認すると、中指に空色の指輪が嵌められている。
……これで覚醒したのか? まだわからないが、体に問題はないようだな。
『大丈夫ですか?』
スピーカーから、研究員の声が聞こえてきた。多分こっちからの声も聞こえるだろうと考え、返答する。
「大丈夫だ。状況を確かめたいんで、扉を開けてくれないか?」
『わかりました』
すぐに扉が横にスライドし、奥の小部屋が見えた。慌てずに実験室から出る。
小部屋の中には、総智とさっき説明していた研究員が座って待っていた。
「先ほど、広世さんが覚醒するのを確認しました。今から、広世さんの超学能力を探りますので、少しの間お待ちください」
研究員はそう言って機材の準備に取り掛かる。その間に総智に事情を訊いた。
「総智、そっちから見て何があった?」
「君が指輪に触れた途端、なぜか部屋が急に明るくなってね。それに驚いた次の瞬間には、君に指輪が嵌められていたよ」
つまり、俺が精神世界で体験した時間は、現実ではたっていないのか。
「で、あの質問にはどう答えたんですか? まさか覚えていないとか言いませんよね?」
「はっ、残念ながら覚えていないな。質問に答える直前で、記憶が途切れている。どんな質問なのかは覚えているがな。そういうお前はどう答えたんだ?」
「いや、僕だって覚えちゃいない。今、答えをだそうとしても、あんなに自信をもって答えられないでしょうね。おそらく、あの精神世界の中では過去を振り返りやすいのかな?」
あそこは自分の中の精神世界らしいし、その辺が影響しているのだろう。まあ、時間がたったらまた思い出すかもしれないし、今は放置だな。
そこまで考えたとき、さっきの研究員がスマホっぽい機材を抱え戻ってくる。そのスマホを使って、俺の左手中指にある指輪をスキャン。数秒後、結果が表示された画面を横から覗き見た。
『瞬間雑学:『一度「発動を見た・影響を受けた」超学能力や技をコピーできる。しかし、能力を完全にはコピーできず、さらに欠点や制限が追加される』
思い描いていた期待とは程遠い能力に、俺は少し落ち込む。
「コピー能力かよ……。あまり主人公らしくない能力だな」
「能力コピーか。なかなかに面白い能力と思うよ?」
「もっと主人公っぽい能力が欲しかったんだ……」
「いいじゃないですか、能力コピー。かなり万能でしょう?」
総智がそう感想を述べる。が、どれぐらい使える能力なのかは、どこまでコピー元の能力が制限されるか。そこでこの能力の価値が決まる。できるだけ制限されてないといいが……
そこまで思考した時。隣に座っている総智が、急に椅子から立ち上がる。驚いてそちらを見ると、総智はとてもうれしそうな顔でこちらを見つめていた。
「さて、転校生の広世君。これで君は晴れて超学能力を使えるようになりました。というわけで、僕から直々に異名を付けてあげましょう」
「はぁ? 異名だと?」
「そう、超学能力の種類に応じて、ここの生徒には異名がつけられる。僕は『哲学王』という異名だ」
本当にこの学園、余りにも中二病すぎないか……?
「それで、異名は覚醒に付き合った生徒がつけられる決まり。別に本人がつけてもいいけど。というわけで、この僕が異名を付けたいのですが、何か異論はありますか?」
「……却下はできないのか?」
「できないね。さて、君の異名ですけど……」
さらっと無視するなよ。
「君の超学能力の名前を見たら、もう決定だね」
「これから、君の異名は『雑学王』だ」