81章 この戦いは4文字の手を離れた
81章 この戦いは4文字の手を離れた
かつて英雄達の天国と呼ばれた島。
地下にある冥界で唯一、花と穏やかな風がある島。
大鎌を持った男は皇帝の隣に座る。
男は水鏡の前で様々な事を語った。
大陸の事、4文字の事、閉塞していく時代の事。
ゼウスと同じ顔の、それでいて正反対の色の男が訥々と語る。
「もう良いとは思わないか」
何が、と返すと男は少し考え込む。
暫くして、もう戦わなくて良いのではないか、と返された。
ゼウス達は自身を蝕む4文字の影響を知覚した。
その前後にも神々は呪いから脱却し始めている。
であれば長い停滞を経た後に、全ての呪いは解けるだろう。
それこそが2度目の大戦争の始まりの合図であり、それは皇帝の死後の話だ。
であればもう良いだろう、と男は言う。
ここに来る資格は充分に示された。
「……」
皇帝は男の顔を見る。
●
巨神の声と、敵の雄叫びがこちらまで聞こえてきた。
奪えると思い込んでいる暴徒の姿が遠目に見える。
戦士達は絶望していない。
少なくとも、剣を、武器を持った者は絶望していないように見えた。
白槍公の館で竜の戦士達が巨神を見上げている。
水桶のような兜を被った王国の騎士は大盾を持ちながら慌ただしく走っている。
「どうする気だ?」
「無いよりマシだろう?」
大盾を軽く持ち上げながら王国の騎士が答えた。
見れば、領民達を幾つかの建物に集め、それを守るように隊列を組んで立っている。
大暴れするであろう巨神、巻き上げられる破片。
降り注ぐそれから領民を守る為の大盾だ。
成程、無いよりはマシである。
王国の騎士が竜の戦士に聞き返す。
「そちらは?」
「……最近、ちと彼らに強気の宣言をしたばかりでな」
都合の良い時だけ神頼みとは行かんのだ。
巨神を睨みつけるゼウスの方を見ながら竜の戦士は言った。
族長の方を見れば白槍公と並んで槍を持っている。
これは2人揃って先陣を切るのも時間の問題だろう。
高揚している竜の頭を撫で、落ち着かせる。
竜の戦士はやけに静かな一角に目を向ける。
「そちらはどうする」
「特に何も」
革の鎧の上にボロ服を着付けた少年が素っ気なく返した。
顔を隠してはいるものの、片腕を塞いだ異形の様相は、今は解除されている。
少年が黒塗りの、木目がやけに目立つ手甲を身に着け具合を確かめている。
部隊を幾つかに分けているようで先程から無言の行き来が激しい。
驚いた事に彼らが帝国の戦士であるらしい。
森の中が主戦場である事以外、どんな理屈でそうなったのか全く判らない装備だ。
武具の点検が終わったのだろう。
言いながら帝国の戦士が鞘にナイフを叩き込んだ。
「……森の中で戦うだけならエルフに任せる。俺達は恐怖での威圧も役割の内だ」
次に革ベルトとそれを留める釦を点検している。
最後に靴紐を締め直しながら帝国の戦士が言う。
「何時も通りだ、何も変わらん」
立ち上がり、帝国の戦士は戦場を見る。
視線の先には鉄の巨人がある。
頭部は丸く、硝子の向こうに椅子が見える。
当然だが中に人間は居ない。
●
雷が落ちる。
音よりも早く落ちてきたそれを避け、皇帝は剣を構えた。
懐に飛び込んできた雷の剣士が、かち上げるように剣を振るう。
回転し、振り下ろす。
皇帝の剣が受け止めたと同時に溶ける。
雷の剣士の背後に滑り込み、体勢を崩した所を蹴り上げ、距離を取った。
バアル・ゼブルが蝿に指示を出し、オーディンが呪文を唱えた。
蝿の嵐が周囲を取り囲む。
ポセイドンが戦車に乗り、辺りを駆ける。
戦車の上から投げられた槍を、雷の槍が弾く。
雷が落ちる戦場。
落雷音に負けぬ剣戟の音が響く。
力任せの大上段からの振り下ろし。
叩き潰すかのような攻撃。
それでいて、まともな隙が見当たらないのは流石だ。
雷の剣士が剣を掲げ、竜巻が襲いかかってくる。
電撃を纏った投げナイフが飛んできた。
剣を変形させ、大盾を作り弾く。
後に棒に変え真横に胴へ叩き込んだ。
革鎧に覆われている部分だが全く効かないと言う訳でも無い事に安堵する。
確かな衝撃を手に感じながら、足払いをかけるべく棒を下へと下ろす。
雷の剣士が、よろめきながらも何とか堪え、棒を奪おうと掴みかかった。
どろりと液体状に変わった武器は再び剣となり、振るわれ、防具の一部を破壊する。
狼のような跳躍で雷の剣士が距離を取った。
怒りの咆哮が大気を揺らす。
雷の剣士、その剣の切っ先が炎を纏い始めた。
炎の剣筋が空気を切り裂き破裂する。
高く飛び上がり、炎の塊となって剣を叩きつけてくる。
炎の渦が周囲を灰燼と化す。
雷の剣士が剣を皇帝の方に振ると扇状に炎が地面を舐めた。
陽炎に揺らめく雷の剣士の姿を辛うじて捉え、防戦に徹する。
「……!?」
バアル・ゼブルが息を呑んだ音がした。
ポセイドンが目を見開き、オーディンが槍を構える。
炎?
バアル・ゼブルの能力は、と皇帝は熱風の中で考える。
●
数あるウガリット神話の神々、バアル達の中で、次に異変に気付いたのはバアル・ハモンだ。
帝国、山を隔てたこの場所でも異変が感じ取れた。
「……!?」
「……? どうしたの?」
「いや、なんでもない」
そう言いながらバアル・ハモンは子供の頭を撫でる。
帝国、宮廷。
石造りの建物の中に戦えぬ者達は避難している。
そこの守りを請け負ったのがバアル・ハモンだ。
半ば素性も知れぬ者に任せて良いのかとも思ったが、
皇帝の名前を出した途端、諦めたような表情をされた。
なんとなく奴の扱われ方が判った気がした。
別の事を考え、逸る気持ちを何とか抑える。
少しだけ窓を開け、湖を見る。
湖面が俄に慌ただしく揺れ、魚が異様なまでに跳ねている。
ダゴンも異変を感じたか、とバアル・ハモンは王国の方を見た。
契約した覚えのない人間が、バアル・ハモンの力を使っている。
厳密に言うなら力の一部、一面。
この世界に現界するにあたって、意図的に封じた力。
文明の頃、誰もが一度は想像し、その信仰にも近い思いで強化された力。
バアル、4文字に貶められた神々。
その恨みは、怒りは計り知れぬ。
●
「なぁお前、名前は?」
冥界の島で皇帝は男に聞いた。
大鎌を持った男は虚を突かれたような表情をした後に言った。
名前は無い。
人間が造られる前、とうの昔に捨てられた神なのだ。
じゃあ次会う時までに考えといてくれよ、と言うと、そうしよう、と岩のような声で返された。
互いに顔を見合わせて笑う。
ひとしきり笑った後に皇帝は立ち上がる。
行くのか、と問う声に行くと答えた。
神々の呪縛は解けた。
次は俺達だ。
白い光が皇帝を戦場へと連れて行く。
炎が嵐に巻き上げられている。
雷が落ち、樹木が焼け落ちた。
雷の剣士が剣を地面に突き立てる。
剣を中心に地面が割れヒビから蒸気が噴き出す。
剣が軽く振られ、蒸気が皇帝を襲った。
「皇帝!」
ポセイドンが皇帝の腕を引き、土壁を作っる。
だが、壁を貫いたのは無数の白い棘だ。
塩の棘。
それは地割れの底から発生し、天を穿つ幾つもの杭となっている。
剣で叩き割り、視界を確保する。
全ての物は燃え尽き、憤怒だけがあった。
バアル・ゼブルが雷の剣士の隣に立つ。
慈しむような目で見た後、改めてこちらを見た。
「……ここには森があり、ここには山がある。神々がある」
皇帝が即位する際の演説、その一節。
独り言ちながら皇帝は剣を軽く振った。
「見てろよ」
左目の青い光が炎に負けじと輝いた。
オーディンが失った左目で皇帝を見て頷いた。
塩の棘を超え雷の剣士と対峙する。
先程までの獣性は消え失せ、無言でこちらを見る。
同時に踏み出す。
雷の剣士の攻撃を避け、剣戟を受けながら、皇帝はその時を待っている。
反撃の時を待っている。




