80章 閉塞の始まり
80章 閉塞の始まり
すると2人の目が開け、自分達が裸である事がわかったので、無花果の葉を綴り合わせて腰に巻いた。
――古き契約の書、創世記。
●
白い場所だ。
天上は神々しく光り、長い階段が上へと続いている。
振り返ると道は無く、足場が宙に浮いている事が判った。
川と様々な果実が生った樹木、荒れた畑、門を守護する4つの顔と翼の天使、煌めいて回転する炎の剣が見下ろせた。
何本もの白い柱が階段の両端に建っている。
石だろうか、その風景は帝国にある神々の霊廟を思い出させた。
周りには何も無く、幾つもの開いた門が文官を招いている。
一歩踏み出すと、男の声が降ってきた。
「今、全ての力は拮抗し、世界は停滞している」
文官は階段を登る。
白い石で造られた階段のように見えるが、足音は反響しない。
階段の中程まで進むと再び声がする。
「文明の頃、人間の技術は神に触れ、歪を呼び起こした」
階段が途切れる。
円状の白い広場に到着した。
その奥には白い箱のような物。
登った先にはそれが鎮座している。
何重にもかけられた白い御簾が中を見えないようにしている。
恐らく何某かの座なのだろうが、主の姿は全く見えなかった。
「かつて楽園が在った頃、神に造られし最初の夫婦がいた」
声が響いた
眼の前に男が現れる。
30後半程だろうか。
長い髪とボサボサの髭。
ボロボロの外套が風も無いのに揺れる。
「夫婦は蛇に唆され禁じられた果実を食べた」
「……そして楽園を追放され、地上で人間を産んだ」
「そうだ」
文官の言葉に男が頷く。
巌のような声が近付いてくる。
黒い外套が文官を飲み込む程に近付いた。
痩せこけた頬が目に入る。
背中に翼は無い。
背筋を這う寒気も無い。
どう見ても、ただの人間だ。
だが、ここから人間は追放された筈では無かったか。
否――。
「貴殿は一体」
「……知っているか、蛇は男性器の隠語であると」
茶色の瞳が文官を見た。
揶揄するような口振りの反面、目は文官を真っ直ぐに見ている。
「アダムとイブは知識を得、善悪を知り、羞恥が生まれた。羞恥は快楽に繋がる罪だ」
「……」
文官は男の目を見返す。
恥、と男は名乗った。
「私は恥。人類の恥、羞恥。最初の夫婦から生まれた最初の罪。
知識と善悪を憎み、人類の、貴公らの成長を祝わない者、止める者、それが私だ」
●
目が覚める。
周りは暗く、目に入る天上は白槍公の屋敷のものだ。
「マンセマット」
「……」
いつの間にか戻っていたマンセマットが文官の顔を覗き込んでいた。
表情は無く、何を考えているのか感情は読めない。
何かを確かめるように文官を見た後、窓へ近付く。
開けられた窓から見える空は薄赤くなっている。
何かを悩むかのように外を眺めた後、ポツリと呟いた。
「……始まります」
夜が明ける。
●
「諸君。恐れる事は無い」
海から指導者の声が流れてきた。
海面へとせり上がった遺跡から声は流れている。
「空の竜、王国の騎士、神。どれも恐れる事は無い。何故なら」
眼前に構築された王国の騎士達の戦列。
それを見下ろすように指導者が遺跡の上に立った。
「今日、君達は永遠の夢の誕生を目にする」
腕を大きく広げる指導者の背後に、海を割りながら鉄の巨人が現れた。
それは今まで見てきた物よりも巨大である。
天高く見上げる程の体躯。
焼かれた巨人が何人分あろうかという巨体、巨神。
遺跡の塔程はあるだろうか。
山のような巨体に皆が天を仰ぐ。
巨神が口を開いた。
ぞぶり、と指導者の上半身が齧り取られる。
残された下半身が地に落ち、巨神が指導者を咀嚼し飲み込む。
ざわめく民衆の声を指導者の声が裂く。
「終わらない、何も終わらない」
遺跡が叩き割られ、指導者の館が腕で薙ぎ払われる。
土埃と破壊音の中で尚、指導者の声が聞こえてくる。
「いつものように奪い返し、犯し、知らしめ給えよ諸君。
英雄は居らず、現れず、私は死んでも朽ちず、この夢は永遠に続くのだ」
滅茶苦茶に暴れていた巨神の動きが止まる。
ぎろり、と鉄の目が敵の方を睨みつけた。
巨神が指導者のように振る舞う。
共和国が建国される切欠になった戦、石と煉瓦で造られた城壁を打ち崩した時、
声を張り上げ鼓舞した時のように腕を上げた。
愕然から狂喜へ民衆の感情が塗り替わる。
そして確信を抱く。
酒と女入り乱れる乱痴気騒ぎは続き、憎い領主や役人は永遠に処刑台で首を切られ続け、
戦は剣を取らずとも勝ち続け、金は財宝は何処からともなく湧いてくる。
この夢は終わらず、我々は永遠に上に立つ者として奪い続けられるのだ。
群衆が狂気に包まれる。
炎から逃れられた鉄の巨人が先を歩く。
敵から奪った武器や、木の棒、農具を構える。
巨神が、指導者が敵陣を指で指し示す。
「英雄無き国に死を!」
民衆が叫び、巨神が動き始める。
●
3柱の神と3人の人間、そして1人の悪魔が居る。
共和国と王国の境目。
双方の軍から多少離れた最前線。
何もない平原。
冷たい風が両者の間を抜ける。
帝国皇帝と雷の剣士。
互いに言葉は無く、瞳だけが雄弁に語る。
吹かれた木葉が雷の剣士の眼前で灰になった。
異様なまでに発せられる気配は怒りとしか形容のしようが無い。
靴べらはサブナックと共に黙って見ている。
「何をしてる」
雷の剣士が顔も動かさずに言った。
「戦えないなら逃げればいい」
「何処に?」
靴べらの言葉に雷の剣士が視線を向けた。
「読み書き計算出来ない。靴べら位にしか役に立たない。俺は戦えない。だから、ずっと逃げ続けてきた」
「……」
アテが外れた村人からも、王国の追手からも。
そう言いながら遠くに見える巨神を眺め、その後に雷の剣士を見た。
「指導者の言う通り夢は続く。お前は言った通りに全てを壊し、魔術師は世界を滅ぼす。
何処にも逃げられる場所なんか無い。だからせめて」
「!」
靴べらの顔から白い物が落ちた。
それは目から、口から鼻から次々と落ちていく。
「……御意に。契約者よ。これを彼らの助けとしよう」
蛆。
蛆が靴べらの体内で生まれ、食い破りながら外に出てきている。
地面に落ちた蛆は尋常ならざる速度で成長し、蝿に変わる。
人間がただの血溜まりになるのに時間はかからなかった。
靴べらの遺体の残骸を抱え、サブナックは突風と共に立ち去り、
生まれた蝿はバアル・ゼブルの元へ飛んで行く。
オーディンが外套を靴べらの血溜まりにかけた。
「……」
「……」
赤い光が、青い光が強くなり、神々の武器が振り上げられた。
双方、剣を構え走り出す。
●
暗い場所。
かつて宇宙と呼ばれていた音が無い場所。
周囲には岩や、かつての文明の残骸が漂っている。
神の杖は地上からの指示を待っている。
敵を出来るだけ引き付け、一掃するその時を待っている。
神の杖、ニャルラトホテプの分身。
人工衛星の表面を黒い触手が何も言わずに這っている。
周囲に敵影は無い。
当然の事だ、地上の人間がこちらに来る術は無い。
可能性があるとすれば、かつて宇宙に逃げた東の民達。
だが彼らは遠く、彼らの神も同じく。
往年程の信仰無き彼らに出来る事は無く、また、こちらと敵対する理由も無い。
そう結論付け、神の杖は人工衛星の強化を進める。
無機質な鉄の塊は徐々に悍ましい肉塊へと変わっていく。
中にある画面が明滅を始めた。
かつて最も使われた言語の羅列が浮かび上がる。
地上からの発射命令だ。
今まで漂うがままであった神の杖の動きが止まる。
照準が地上の塔へと定められる。
人工衛星が火を吹き始める。
煌々と燃え盛る炎は地球と逆の方向に噴射している。
音も無くそれは発射された。
神の力を纏った金属の棒。
発射の衝撃が辺りに浮かぶ岩を、残骸を粉砕する。
槍が炎を纏い始め、暗闇を切り裂き落ちていく。
神の杖が落ちる。




