76章 戦場の父
76章 戦場の父
黒く染まった空の下。
豊穣であった大地は何故か枯れ果て、ひび割れている。
まるで砂漠のような風が外套を煽った。
共和国の東側。
岩ばかりの小高い山の頂上。
空を舞う竜をバアル・ゼブルが見ている。
オーディンはスレイプニルから降り歩く。
耳障りな羽音が少しだけ収まった。
「それで」
「……」
バアル・ゼブルがこちらを見ないまま声をかけてきた。
それ以上近付くな、と言われている事を言外に理解する。
「貴様はどうするのだ」
「……」
敵か味方か。
有耶無耶にし続けてきた返事をバアル・ゼブルは求めている。
足音が近付いててきた。
目の前に蜂蜜色の男が立つ。
「あの中に貴様の契約者が居るんだろう。ならば」
「その前に」
「?」
オーディンは蝿の軍勢を指差した。
つられてバアル・ゼブルもそちらを向く。
「あれは何だ。この惨状は何だ。呪われたカナンとは何だ」
「……聞いた通りだ。4文字に呪われた我が国。
乳と蜜の溢れる土地でありながら戦が絶えぬ呪われた土地。
我が力でこの国は一時的にそうなった、それだけだ」
それがどうした、とバアル・ゼブルが流し目でこちらを見た。
オーディンは視線を受けながら宣言する。
「知っての通り我はアスガルド一の美男子である。つまり世界一の美男子である」
「……お、おう」
突然の宣言にバアル・ゼブルが戸惑う。
だがオーディンは真っ直ぐに赤い瞳を覗き込んだ。
「貴様はどうだ」
「……何が言いたい」
「我は今でも言える。アスガルドの頂点こそ世界一であると。卿はカナンこそ世界一であると今でも言えるか」
判決の木槌が叩かれるように、グングニルの石突が地面を叩く。
決別の音が虚しく響いた。
「皆死んだ。信仰は貶められ国は滅んだ。故に罷り成らぬ。
奴らが定めた役割を名乗るなど」
バアル・ゼブルが真正面からオーディンを見た。
「……我らと敵対し、4文字とも敵対し貴様は何を望む」
熱風と悲鳴が聞こえてきた。
蝿が炎から逃げ惑いバアル・ゼブルの元へ帰って行く。
竜が空から地に向かって炎を吐いている。
大戦争の頃、地上を焼いた炎とは比ぶべくもない。
「我は望む」
炎に巻かれる戦場を見てオーディンは言う。
その横顔をバアル・ゼブルがじっと見ている。
「炎の時代を超え、神々の霊廟の上に座す余燼の最果てに望む」
新たな英雄譚を望む。
●
王国第9領。
第12領との境目。
突如現れた人食い蝿の壁。
そこから現れたのは無数の巨人達だ。
巨人達の礫により第9領は籠城戦を強いられる。
礫は騎士達の鎧をも貫くからだ。
そこまでして牽引役を殺したいのか、それとも別の思惑があるのか。
白槍公には判断が出来なかった。
昼夜問わず放たれる礫と轟音により、皆の精神は摩耗している。
白槍公は屋敷の屋上から戦場を眺め、指示を出す。
何もせずじっとしていたポセイドンが呟いた。
「……やっと来たか」
「?」
空から甲高い声が聞こえてきた。
幾つもの黒い影が地上に影を落とす。
「竜!?」
王国に居る筈も無い、大戦争後に現れた生き物。
話に聞く、それを繰る遊牧民の戦士達。
「何故ここに!? 誰か知っているか!?」
「いえ、我々は何も……!」
東の方を見るが戦になっている様子は見えない。
まさか戦をする間も無く制圧されたのか、と暗い考えが白槍公の脳裏に過る。
戦士達が槍を鉄の巨人達に向かって投げ、竜の炎が追撃する。
耳障りな音を立てた後、巨人達が爆発する。
一段低い所を飛ぶ竜から1人の男が飛び降りた。
ヴェールを付けた真っ白な服を着た青年だ。
「何か偉そうな奴発見!」
白い男が紙を投げてきた。
傍に控えていた騎士がそれを引ったくり、急いで白槍公に差し出す。
騎士が剣を持ったまま最敬礼の姿勢を取る。
紙――封筒に押された東方公の花印――を白槍公が確認した所で白い男が落ちながら名乗りを上げた。
「我が名は帝国皇帝! 人間、悪魔人間の臣下と共に、遊牧民達との友情に応えるべく此度の化物制圧に参った! 如何か!?」
「……! 我が名は白槍公! ここ第9領の公爵! 是非も無し、有り難く!」
白槍公はすぐさま大声で名乗り返す。
聞こえたようで、皇帝陛下は腕を大きく振った。
兄、東方公が越境を認めるとは、優秀な戦士であるのだろう。
人種の構成に些か不安を覚えたが、言っている場合では無い。
地面に落下していく皇帝陛下を空を飛ぶ馬が拾った。
黄金の鎧を纏った戦士が槍を構える。
面白くなさそうにポセイドンが溜息を吐いた。
金属の装飾品がガチャガチャと音を立てる。
「もう行く。土地の件、忘れるな」
槍を持ってポセイドンが屋上から飛び降りる。
いつの間にか落下地点に戦車が待っていた。
けたたましい馬の嘶きが大地を揺らした。
●
スレイプニルの蹄が巨人を蹴り砕いた。
ポセイドンの戦車が巨人を轢き潰す。
巨人の手から音を立てて何かが放たれる。
オーディンが呪文を唱え礫を防ぎ、巨人達が砂となった。
皇帝はスレイプニルの上からそれを見ている。
振り落とされないようにオーディンの背中にしがみついている。
皇帝が白槍公に投げたのは、東方公から預かった手紙である。
文官達が取り纏めた話が中に書かれている。
そして先程の名乗りで着陸と暴れる許可は貰った。
ならば、今は暴れられるだけ暴れるのみである。
皇帝の手の中に弓が現れる。
オーディンの後ろから巨人を狙う。
すると突如、巨人達が引き始める。
否、戦線を移動し始めた。
「何だ……?」
「……」
ポセイドンが戦車を止めた。
皇帝もスレイプニルから降り、武器を剣に変えながら周りを見る。
別の場所では相変わらず轟音が響いている。
まるでここに巻き込んではならない誰かが来るかのような、皇帝がそう考えた時だ。
それは雷を纏い怒りに吼えながらやって来た。
蝿の壁を叩き割り、一直線に皇帝の所へ走る。
褐色の肌の青年、年は皇帝と変わらぬ程だろうか。
片目が赤く光る青年が無言で皇帝に剣を向ける。
剣と剣がぶつかり合う。
ギチギチと金属同士が互いにめり込む音がする。
「何者か!」
「雷の剣士、歯車の騎士、好きなように呼べっ!」
皇帝の誰何に剣士が答えた。
答えが剣と同時に返ってくる。
互いに突き飛ばし合い距離を開ける。
再び2人が切り結ぼうとした時、誰かの声がそれを止めた。
「そこまでだ」
閃光と同時に2人の間に槍が突き刺さった。
雷の剣士の姿は消えている。
何処に消えたかと探すと少し離れた場所に褐色の男が立っていた。
20後半から30前半程だろうか。
「バアル・ゼブル……!」
オーディンが声を上げた。
バアル・ゼブルと呼ばれた男が――恐らく神だ――雷の剣士を脇に抱えている。
抱えられた雷の剣士が降ろせと喚く。
だが、バアル・ゼブルは声に答えずに話を進めた。
「今は互いに時期が悪い。違うかオーディン?」
「……ふん」
暴れる雷の剣士を宥めながらバアル・ゼブルが言った。
その言葉にオーディンが鼻を鳴らす。
赤い瞳が皇帝を見た。
何かを探るような目だ。
「貴様、オーディンとの関係は」
「? 友達」
「……そうか」
そう答えるとバアル・ゼブルの視線が幾分か柔らかくなった気がした。
ポセイドンは、と続けられた問いに皇帝は迷いなく答える。
「友達」
「狂人か聖人か何かか?」
「今決着付けてやろうか貴様」
「ごめんて」
バアル・ゼブルの台詞にポセイドンが噛み付く。
適当な謝罪に満足したのかポセイドンは戦車に座った。
バアル・ゼブルの目が赤く光り、雰囲気がガラリと変わる。
「準備を整えて来いよ、若造共」
雷の剣士を肩に担ぎ直しながらバアル・ゼブルが宙を舞う。
2人を中心に雷を伴う嵐が巻き起こる。
「疲れを取り、関係者と連携を取り、必要な物資を用意して来い。全力で決着を着けよう。
……我が父のように去勢はせん。お前達は男のまま殺してやる」
バアル・ゼブルが獰猛に笑いながら姿を消した。




