73章 呪われた国カナン
73章 呪われた国カナン
旧き契約の書。
新しき契約の書。
天使の国の国教、主の御言葉。
神の教えの書であり、神との契約書でもある。
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棕櫚の町、エリコ。
異教の民、カナン人の住む街。
豊かな街であると、そう伝えられていた。
乾いた風が吹き付ける。
豊かなオアシスにあるまじき、埃っぽい風。
日干し煉瓦で作られた壁がガラリと崩れた。
噂に聞く堅牢な城壁に面影は無く、街は土砂に埋もれている。
人気が無く、また、残っている建物にも生活感が無い。
オアシスの用水路は崩れるが儘になっている。
竈には埃が溜まり、長年使われていない事が見て取れた。
棕櫚の葉が伸び放題となっており、雑草と変わらない様相を呈していた。
この街がとうの昔に放棄されているのは明らかである。
街に踏み入ったヨシュアは付き添いに、辺りを探索するように命じた。
自身も建物の中や隙間を漁る。
何も無い。
小麦の粒すら無く、人っ子一人見当たらない。
今まで歩いてきた荒野と何も変わらない。
常に傍に居た筈の主の声は聞こえない。
現状を理解し、血の気が引いていく。
師であるモーセの死後、ヨシュアは主と契約を結んだ。
ルベン、ガド、マナセの半部族。
彼らの力を借り、纏め上げ、約束の地へと帰る為に。
エリコの街はその対価として捧げる筈だった。
穀物も、家畜も、人間も、宝物も全て燃やし捧げる契約をしていた。
神に捧げると、エリコの全てを聖絶すると。
そう、契約してしまったのだ。
「お赦しを……!」
清掃などされておらず、土砂が入り込んだ建物の中。
地べたと変わらない床に伏せ懇願する。
「必ずや代わりで贖いまする……! ラキシュやハツォル、未だ此の地にカナンの呪われし忌子はおります!」
御慈悲を、どうか御慈悲を。
彼らの全てを滅ぼし尽くし、捧げる事で贖いといたします。
「神よ……!」
ヨシュアは震えながら崩れた天上を、天を仰いだ。
天上の神座から、神が黙って震えるヨシュアを見下ろしている。
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主が貴方にこの良い地を与え、これを得させられるのは、貴方が正しいからでは無い事を知らなければならない。
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「……」
迫り来る焦燥と絶望で目が覚める。
夢見が悪い所の話では無かった。
寝台の上で、ただでさえ仏頂面な顔を更に顰めさせる。
何故あんな夢を、と文官は軽く舌打ちをする。
苛立ちを誤魔化すために寝台の上を軽く転がる。
「また寝れないのか」
別の寝台から声がかけられる。
こちらに背を向けたまま竜騎士が話しかけてきた。
「……、すまん起こしたか」
「いや、起きていた」
そう言って竜騎士が体を起こす音がした。
文官も合わせて起き上がる。
竜騎士が木の箱のような物――火鉢――に炭を足し、湯を沸かす。
羊の乳でまろやかになった茶の匂いが鼻をくすぐる。
「……先人が偉大だと大変だな」
「……」
竜騎士がこちらを向き、続きを促す。
眠気と混乱で言うべきでは無い事を言ったが、もう遅い。
諦めて文官は話を続ける。
「かつて人類の罪業を全て背負った救世主、主と最初に言葉と契約を交わし民を導いた預言者」
「……なりたいのか?」
竜騎士が顔を覗き込みながら茶を手渡してくる。
受け取りながら文官は器では無い、と首を振る。
幕屋の天井から差し込む月明かりを見る。
熱い茶を啜ると、些か気分が落ち着いた。
「ありがとう。悪かったな、……もう寝よう」
「……ああ」
まだ何か言いたげな竜騎士から目を逸らし、文官は横になる。
竜騎士が暫く文官の寝台の傍に座っていたが、寝入ったと判断したのか、
自身の寝台に戻って行った。
沈黙の中、火鉢の中の炭が崩れる。
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共和国の戦場でバアル・ゼブルは1人佇んでいる。
血臭、腐臭、死臭。
朝日がおびただしい数の死体を明るみに出す。
戦場の死体から蝿が生まれる。
それをバアル・ゼブルは黙って見ている。
かつて、国が在った頃、蝿は魂の運び手と言われていた。
故に神聖な生き物であった。
それを貶めたのは4文字だ。
民達は皆殺しにされ、民の物であった物は全て捧げられ、バアル・ゼブルは糞山の王、ベルゼブブとなる。
バアル・ゼブルは死体が残る戦場に立つ。
蝿が指先に止まる。
4文字に並び立ち、冒涜するものを呼び出し、奴を引きずり出す。
無遠慮に声をかけてきた魔術師の提案に乗ったのは、ひとえに憎悪故だ。
バアル・ゼブルの足元に赤い魔法陣が現れる。
猫の毛が逆立つように、髪が、服がぶわ、と重力に逆らい始める。
「バアル・ゼブル」
背後から声がかけられた。
振り返ると契約者と目が合う。
歯車の騎士、雷の剣士が黙って手を差し出す。
手を取ると、契約者の目から零れ落ちる赤い光が量を増していく。
共に世界の破壊を願った者同士が重なっていく。
蝿の黒雲の中を稲妻が走る。
黒い竜巻が辺りを飲み込んでいく。
空が夜のように暗くなり、蝿の軍勢が辺りを食い散らかす。
積み上げられた死体から白い骨が覗き、全ての肉が消える。
バアル・ゼブルの咆哮が蝿の羽音を塗り潰した。
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ここはカナン。
乳と蜜溢れる国。
ここはカナン。
呪われた国。
4文字が信徒達に与えた約束の地。
戦乱と荒廃が約束された地。




