↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
90/107

73章 呪われた国カナン


 73章 呪われた国カナン

 

 旧き契約の書。

 新しき契約の書。


 天使の国の国教、主の御言葉。

 神の教えの書であり、神との契約書でもある。 


 ●

 

 棕櫚の町、エリコ。

 異教の民、カナン人の住む街。

 豊かな街であると、そう伝えられていた。

 

 乾いた風が吹き付ける。

 豊かなオアシスにあるまじき、埃っぽい風。

 日干し煉瓦で作られた壁がガラリと崩れた。

 

 噂に聞く堅牢な城壁に面影は無く、街は土砂に埋もれている。

 人気が無く、また、残っている建物にも生活感が無い。

 

 オアシスの用水路は崩れるが儘になっている。

 竈には埃が溜まり、長年使われていない事が見て取れた。

 棕櫚の葉が伸び放題となっており、雑草と変わらない様相を呈していた。

 

 この街がとうの昔に放棄されているのは明らかである。

 

 街に踏み入ったヨシュアは付き添いに、辺りを探索するように命じた。

 自身も建物の中や隙間を漁る。

 

 何も無い。

 小麦の粒すら無く、人っ子一人見当たらない。

 今まで歩いてきた荒野と何も変わらない。

 

 常に傍に居た筈の主の声は聞こえない。

 現状を理解し、血の気が引いていく。


 師であるモーセの死後、ヨシュアは主と契約を結んだ。

 

 ルベン、ガド、マナセの半部族。

 彼らの力を借り、纏め上げ、約束の地へと帰る為に。 

 

 エリコの街はその対価として捧げる筈だった。

 穀物も、家畜も、人間も、宝物も全て燃やし捧げる契約をしていた。

 

 神に捧げると、エリコの全てを聖絶すると。

 そう、契約してしまったのだ。

 

「お赦しを……!」

 

 清掃などされておらず、土砂が入り込んだ建物の中。

 地べたと変わらない床に伏せ懇願する。

 

「必ずや代わりで贖いまする……! ラキシュやハツォル、未だ此の地にカナンの呪われし忌子はおります!」 

 

 御慈悲を、どうか御慈悲を。

 彼らの全てを滅ぼし尽くし、捧げる事で贖いといたします。

 

「神よ……!」 

 

 ヨシュアは震えながら崩れた天上を、天を仰いだ。

 天上の神座から、神が黙って震えるヨシュアを見下ろしている。

 

 ●

 

 主が貴方にこの良い地を与え、これを得させられるのは、貴方が正しいからでは無い事を知らなければならない。

 

 ●

 

「……」

 

 迫り来る焦燥と絶望で目が覚める。

 

 夢見が悪い所の話では無かった。

 寝台の上で、ただでさえ仏頂面な顔を更に顰めさせる。

 

 何故あんな夢を、と文官は軽く舌打ちをする。

 苛立ちを誤魔化すために寝台の上を軽く転がる。

 

「また寝れないのか」

 

 別の寝台から声がかけられる。

 こちらに背を向けたまま竜騎士が話しかけてきた。


「……、すまん起こしたか」

「いや、起きていた」

 

 そう言って竜騎士が体を起こす音がした。

 文官も合わせて起き上がる。


 竜騎士が木の箱のような物――火鉢――に炭を足し、湯を沸かす。

 羊の乳でまろやかになった茶の匂いが鼻をくすぐる。

 

「……先人が偉大だと大変だな」

「……」 

 

 竜騎士がこちらを向き、続きを促す。

 眠気と混乱で言うべきでは無い事を言ったが、もう遅い。

 諦めて文官は話を続ける。


「かつて人類の罪業を全て背負った救世主、主と最初に言葉と契約を交わし民を導いた預言者」

「……なりたいのか?」

 

 竜騎士が顔を覗き込みながら茶を手渡してくる。

 受け取りながら文官は器では無い、と首を振る。

 

 幕屋の天井から差し込む月明かりを見る。 

 熱い茶を啜ると、些か気分が落ち着いた。

 

「ありがとう。悪かったな、……もう寝よう」

「……ああ」

 

 まだ何か言いたげな竜騎士から目を逸らし、文官は横になる。

 竜騎士が暫く文官の寝台の傍に座っていたが、寝入ったと判断したのか、

自身の寝台に戻って行った。

 

 沈黙の中、火鉢の中の炭が崩れる。


 ●

 

 共和国の戦場でバアル・ゼブルは1人佇んでいる。

 

 血臭、腐臭、死臭。

 朝日がおびただしい数の死体を明るみに出す。

 

 戦場の死体から蝿が生まれる。

 それをバアル・ゼブルは黙って見ている。

 

 かつて、国が在った頃、蝿は魂の運び手と言われていた。

 故に神聖な生き物であった。

 

 それを貶めたのは4文字だ。

 民達は皆殺しにされ、民の物であった物は全て捧げられ、バアル・ゼブルは糞山の王、ベルゼブブとなる。

 

 バアル・ゼブルは死体が残る戦場に立つ。

 蝿が指先に止まる。

 

 4文字に並び立ち、冒涜するものを呼び出し、奴を引きずり出す。

 無遠慮に声をかけてきた魔術師の提案に乗ったのは、ひとえに憎悪故だ。

 

 バアル・ゼブルの足元に赤い魔法陣が現れる。

 猫の毛が逆立つように、髪が、服がぶわ、と重力に逆らい始める。

 

「バアル・ゼブル」

 

 背後から声がかけられた。

 振り返ると契約者と目が合う。

 歯車の騎士、雷の剣士が黙って手を差し出す。

 

 手を取ると、契約者の目から零れ落ちる赤い光が量を増していく。

 共に世界の破壊を願った者同士が重なっていく。

 

 蝿の黒雲の中を稲妻が走る。

 黒い竜巻が辺りを飲み込んでいく。

 

 空が夜のように暗くなり、蝿の軍勢が辺りを食い散らかす。

 積み上げられた死体から白い骨が覗き、全ての肉が消える。


 バアル・ゼブルの咆哮が蝿の羽音を塗り潰した。

 

 ●

 

 ここはカナン。

 乳と蜜溢れる国。

 

 ここはカナン。

 呪われた国。


 4文字が信徒達に与えた約束の地。

 戦乱と荒廃が約束された地。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。