69章 袋小路の時代
69章 袋小路の時代
ハデスが治める冥界。
その中にある島、かつては英雄達の天国と呼ばれた島。
名も無き男は岩に座り、水鏡で地上を見ていた。
島には相変わらず男1人だけである。
怖気を震う塔の出現。
各地に現れる英雄と契約者。
ゼウスとポセイドンは和解し、3柱は人間に対する認識を改めた。
東の国は改めて歩みを進めようとしている。
だがその先は袋小路だ。
天使の国、悪魔の国、王国そして反乱軍。
全ての実力は均衡し、決定打を持つ者は現れない。
これから先は長き戦乱の時代だ。
決着は無く、ただ衰退していくだけの時代に、この大陸は突入する。
10年、100年。
延々と終わらぬ戦争に正義を示すべく、4文字は降臨するだろう。
再び大戦争が起きるのだ。
男は立ち上がり、大鎌を手に持つ。
死者でない者を呼び立てるのは冥界の掟に背く事だ。
さぞかしハデスの怒りを買うであろう。
真面目な兄の怒りを恐れながらも、男が大鎌の柄を地面に突き立てた。
地面が光り、目の前に白いヴェールを身に着けた少年が現れる。
びゅう、と突風が吹いた。
風がヴェールを剥ぎ、少年の目から青い光が零れ落ちる。
●
神の名を騙る塔の出現から一夜が開け、天使の国は対応に追われている。
主に負傷した信徒達の治療と、悪魔の討伐の準備だ。
化物に襲われた信徒達は教会に集められ、神父達に祈祷を捧げられている。
止血などの治療行為は天使達だけに許された行為だ。
天使達の癒やしの力が有ると言っても負傷者の数が上回る。
現在、ラファエルが不在である以上、下位の天使達が動き回っているが、
それでも手遅れになり死者は出る。
特に国境に近い村は惨憺たる有様だ。
助かる見込みの無い者は見捨てても尚。
呻き声と血臭が漂う教会を横目に、ウリエルは国境を睨む。
傍に聖なる騎士達を控えさせ、何時でも動けるように構えている。
自らの翼がいつもより激しく燃えているのが自覚できた。
夜が明け、化物の眷属は塔に戻った。
だが、塔の禍々しさは収まる所か増すばかりだ。
つん、と鼻を突く臭いがした。
強い酒精の臭いだ。
「……何をしている?」
「ウリエル様」
振り返ると、この村の住人であろう女が怪我人の傷口に液体を塗り付けていた。
香りからして蒸留酒だろうか。
ウリエルの声に反応した女が立ち上がり礼をする。
手には革の水筒を持っている。
「皆の傷に酒を塗っておりました」
「何故だ?」
「前に、父が狩りで怪我をした時に酒で洗ったら傷が膿まなかったので……」
酒精による傷口の消毒。
それは文明の知識であり禁忌である。
だが、ここで騒げば禁忌である事が表沙汰になってしまう。
「そうか、では皆に頼む」
「はい」
鉄面皮を崩さぬまま、ウリエルは許可を出す。
騎士達に酒樽を運ぶように指示を出し、ウリエルは再び国境を見る。
大戦争の後、文明の知識は全て禁忌として封じた。
良い物も悪い物も全て。
かつての人類は空を飛び、宇宙を飛び、巨人や人形を動かし、自らの身体をも作り変えた。
そして神に触れ、悪魔達を呼び起こし滅んだのだ。
それ故に、天使達は再び過ちを繰り返さぬように全てを滅ぼした。
だがいずれ彼らは気付き、見つけ出していく。
生きる為に。
本来、彼女を断罪せぬ事は神への裏切りであり、背信である。
ウリエルはいずれ来る自らへの裁きを思い、騎士達に隠れて溜息を吐いた。
●
鍛冶王が大地の妖精の言葉を聞いている。
行動が読めない陛下達の動向を探る為だ。
諸家は黙ってそれを見ている。
外からは様々な戦闘音が聞こえてくる。
まるで壁に居た頃、まだ王国貴族の1人、貪婪侯であった頃を思い出す。
諸家はかつて西方公の下で国境を守る貴族の1人であった。
悪魔より悪魔らしく。
貴族より貴族らしく。
壁の貴族達はそのように育てられる。
全ては悪魔から国境を守る為。
人間性を捧げ、悪趣味な享楽に耽り、悲劇に愉悦を覚え、犠牲に出来る物は全てした。
だが。
13年前の飢饉。
失態を犯し、先王陛下に面罵される白槍公を見て。
悪魔より悪魔らしく。
貴族より貴族らしく。
ただ薄ら笑いを浮かべる事しかしなかった時、自身の中で何かが死んだのだ。
地面に耳を着けていた鍛冶王が起き上がる。
面倒臭そうに頭を掻きながら言う。
「やはりあやつら直接手を下しに行くようだの」
「そうですか」
半ば予想していたかのように鍛冶王が肩を竦めた。
傍に控えていたドワーフが頭痛を堪えるように眉間を揉んでいる。
「それで、お前さんは?」
「すぐに出立します」
諸家は虚ろな目で黒騎士に指示を出す。
少人数で赴くような戦いでは無い。
早く、戦場で陛下達と合流せねばならない。
●
アッタル。
ウガリット神話、戦神、灌漑の神、明けの明星の神。
当時の民衆から信仰されていたにも関わらず力量不足とされ、
バアル・ゼブルの死の際ですらバアルの名を冠せなかった神。
彼は地上の王を命じられ、その逸話から地に落とされた堕天使として4文字の教えに組み込まれる事になる。
それ故に――。
「どうだ、未だ不足か、バアル・ペオル」
「いいえ、王よ。我らはあの塔に勝るとも劣らない戦力であると自負しております」
アッタルは現状に満足していなかった。
塔の攻撃を凌いだ王都を見ても、敵の攻撃に奮起する軍勢を見ても、
目の前のバアルの名を冠した女神の言葉を聞いても尚、
アッタルの胸中には不信と猜疑しか無い。
部下達に対してでは無い。
自分に対してである。
どれだけ積み上げ続けても尚、あの偉大な戦神に届く気がしない。
何をしてもバアル・ゼブルを超えられる気がしない。
爆発音が響き、周囲に閃光が走る。
見れば別の神の軍勢が塔を攻撃している。
隼の兜を被った少年が先陣を切っているのが見えた。
ホルス。
大戦争を生き残った古株であり、この国で多大な影響力を持つ神。
彼が放つ、火球が敵を焼き、その後ろを隼の仮面を被った戦士達がついて行く。
槍が投げられ塔から耳を塞ぎたくなるような悲鳴が上がった。
荒野の荒々しい風が焦燥を募らせる。
目の前の塔は忌々しい生き物を吐き出し続けている。
7つの大罪、この国の王達の軍勢が塔を睨む。
内、4つが主が不在なれど、アッタルの手足となって動くだろう。
手に現れた水の槍を投げ、頭上を飛ぶ敵を撃ち落とした。
アッタルの号令と同時に悪魔達が突撃を始める。
この戦いで、これから先の戦いでバアル・ゼブルを超えねばならない。
アッタルは背中に纏わりつく外套をバサリとはためかせた。




